第19話 二年生、マリエラの受難はなくならない(4)


 しばらく歩いてようやく第一保健室に着いた。診療台といくつかのベッド、鍵のかかった薬品棚、窓からは小さな薬草園が見える。清潔な室内は無人で、救護教諭の机に『すぐ戻ります』と書き置きがあった。

 マリエラはヴァンをベッドの一つに放り込んだ。大人しく横になるヴァンの呼吸は若干荒く、先ほどよりも目が潤んでいる。


「しばらく寝てなさい。先生が来たら診てもらいましょう」

「分かったよ。……ねぇ、マクロン君のとこって結構金持ち?」

「マクロン子爵領は、大陸中が求めてやまない高級ワインを生産していて、収入は良いはずよ。金融業も上手だと聞いたことがあるわ」

「どーりで。いったいこの薬、どんだけの金を積んだんだか……」

「どういうこと?」

「惚れ薬だか媚薬だか分かんないけど、一流の魔法使いが作った薬ってこと」

 なかなか見事な出来だよ、と言うヴァンに、マリエラの怒りの血管がブチッと切れた。


「ヴァン様。これからは絶対に、毒って分かってるものを食べないでくださいね」

「マリエラ嬢もさぁ、ほいほい何でも貰わないようにしなよね」

「今はその話をしておりません。お願いですから、約束してください」

「……分かった」


 そう言うと同時に、ヴァンにぐいっと腕を引かれた。体勢を崩してベッドに倒れかかったところを、上手い具合に体を転がされて仰向けになる。そこにヴァンが上から覆い被さってきた。奇妙な静けさのなか、ベッドがギシリと音を立てる。


「じゃあマリエラ嬢も、薬を盛られた男に容易に近づかないように約束しなよね」

 マリエラの両手はヴァンによってシーツに縫い止められていた。綺麗な顔をして悪魔みたいに微笑むヴァンを呆然と見る。

「……薬、効いてないでしょ?」

「ほんとのところは分かんないだろ」

 ぐぐっと顔が近づいてくる。ヴァンの顔は赤く、首筋は汗ばんでいた。


「わー! 近い近い近い!」

「どうしてそんなに色気がないのかな」

 ふわっとヴァンの匂いが強くなった。森の雪道を歩いているような香りと仄甘さ。背徳的な雰囲気を醸し出して、まるでマリエラを誘惑しているかのよう。

「待って待ってほんとに近いどうしたの私にそういう興味ないじゃん! やっぱり薬効いてるんじゃないの!」


 ぎぎ、とベッドが軋む音が耳にへばりつく。さらに二人の間を埋めてくるヴァンに、マリエラは目を瞑った。心臓がこれでもかと言うほどバクバク音を立てている。拘束された手の重みが増し、マリエラの緊張が頂点に達した。ぎゅっと目を瞑る。


 ゴス!

「痛ぁ……なんで頭突き」


 マリエラがパチリと目を開けると、ヴァンが仏頂面でこちらを見下ろしていた。ヴァンは大げさな溜め息をついて体を退き、隣にごろんと寝転ぶ。

「君さぁ……少しは抵抗したら?」

「まさか私が責められてる?」

「責めてる」

「そりゃ……相手がヴァン様でなければ、抵抗するでしょうよ」

「は?」


 マリエラは起き上がり、ベッドの縁に腰掛けた。体をひねってヴァンを見下ろす。彼は左腕を持ち上げて、両目のあたりを前腕部分で隠していた。表情はよく見えない。


「分かりました。次は本気で抵抗します」

「はい無理。俺が本気になったらマリエラ嬢なんてすぐ喰われるから」

「もー。そんな気ないのにそーゆーコト言わない方がいいと思います」

「マリエラ嬢さぁ……」


 ヴァンが言い淀んだ。そこでコツコツと靴音が響くのに気付き、振り返ると救護教諭のシャリアが戻ってくるところだった。


「ごめんなさいね留守にしていて~。あら、シュベルトさんとルーヴィックくんね、どうしたのかしら」

「ヴァンが魔法薬を盛られたカップケーキを食べちゃったので、大丈夫かどうか診てやってください」

 シャリアは手を口にあてて目をぱちくりさせた。

「本当に盛られたのはマリエラ嬢だけど、食べたのは俺」

「それ、ルーヴィックくんは分かっていて食べたのね? どうしようもないわね。そのカップケーキはまだある?」

「ヴァン、一つまるごと食べたんですよ。おそらく同じだと思われるものがこれです」


 シャリアは呆れながらヴァンを睨んだ。マリエラから紙袋を受け取り、机の中から魔法陣の描かれた紙を出して、その上にカップケーキを置いた。シャリアが魔力を流し込むと魔法陣が反応し、ポワリと光ってから文字が記載されていく。


「惚れ薬に媚薬。作用は短時間だけど効き目が強いわね。……これ、調理実習のものみたいだけど、犯人については私たち教師が今すぐ介入してもいいかしら?」

 本当に盛られていたのだなぁと実感して気が滅入る。

「報告はします。でも介入は今のところ大丈夫です。何かあれば頼ります」

「了解したわ。あとの治療とお説教はやっておくわね。ありがとうねシュタインさん」

 マリエラはぺこりと頭を下げ、保健室を出た。ヴァンはせいぜい絞られるがいい。



 その日の夜、寮の部屋でソフィーが神妙な顔をして魔法書を開いていた。いつになく真剣なので、頑張れ! と心の中で応援していたら、くるりと振り向いた彼女と目が合う。


「マリエラさまぁ! 物質保存魔法をかけてくださいませんか……!」

「なにか大切なものでも?」

「今日、フィリップ様から調理実習で作ったカップケーキをいただいたのですが、食べるのが勿体なくて!」

「そういえばD組ですもんね。へぇ、わざわざB組のソフィーさんに。へぇ、そぉ」

「今日、マリエラ様と別れた後に偶然出会って。それでたまたま下さっただけなんです」

「ふうん。偶然、ねぇ」


 フィリップは思いつきで誰かに贈り物をする人間ではない。自分の影響力を理解しているので慎重な方だ。そのときの二人を想像し、マリエラはニヤニヤしてしまう。


「いっ、今のマリエラ様、ヴァン様にそっくりです」

「……。せっかく貰ったんだから、保存なんてせず食べなさい」

「えっ……えー!」


 ソフィーは迷った末、カップケーキをそっと囓った。「おいしい」と小さく呟いている。

 マクロンも薬なんて盛らずに渡してくれたら、一緒に食べることができたなら、きっととても嬉しかった。今日とは違う意味で、忘れられない思い出になった。

(そういう運命にあるのがマリエラなのかな……)

 そしてどうやら、ソフィーとフィリップはマリエラの知らないところで親交を深めているようだ。メリバENDや敗北ENDのポイントを貯めていなければいいのだけれど。

(たぶん、大丈夫……。皆が、幸せに生きていけたらいい。だから、頑張る。頑張ろう)



 ――後日。

ヴァンの症状とカップケーキの魔法薬が同一のものだと判明し、マクロンは厳しい罰則を受けたようだ。マリエラの実家には、大量のマクロン領産ワインが届けられた。父からは「何をしでかした?」と不名誉極まりない手紙が届いたが、返事には「謝罪の品だと思う」とだけ書いて、詳しくは教えなかった。

 この一件で、彼が更生してくれることを願う。

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