第3話 はじまり、はじまり(3)

 それからマリエラは、王妃教育に家庭教師、加えて自己学習の日々を過ごした。

 王宮に連れて行かれることもしばしばあり、フィリップ王子と対面することも何度かあった。しかし、お互い挨拶をする程度である。

 そうして八歳になったある日のこと、王宮の中庭で一人の少年と出会い、マリエラの脳内に雷鳴が轟いた。




「ご機嫌麗しゅう、シュベルト家のマリエラ様」

 王子たちとの対面を終え、侍女と二人で歩いていたマリエラは、すらりとした男性に声をかけられた。美しい顔立ちなのに特徴がない人である。その横にぼんやりと立っている少年が問題だった。淡い緑みの水色、たしかホライズンブルーという名の髪を持つ少年。

「ご挨拶するのは初めてですね。伯爵家のオーガストです。こちらは長男のロイ」

「こんにちは、マリエラ様」

 ロイは機械的にニコリと笑う。美しく、どことなく陰がある彼に、マリエラも挨拶を返した。

特に雑談をすることもなく、親子とはすぐに別れたが、背中には冷や汗をかいている。

 彼は攻略対象の一人だ。



〝ロイ・オーガスト。伯爵家の長男で同級生。実は代々国の諜報機関を取り仕切っている一族。デレると一番溺愛してくるキャラルート。メリバENDの場合、マリエラは悪魔の贄にされて魔界逝き及び異形たちに愛されている。《災厄》に敗北した場合、マリエラは諜報機関の慰み者として飼われ、性的奴隷扱いを受けている。〟



「ウッワァ無理無理無理無理」

 マリエラは呻いた。

 ロイルートのスチルも相当な衝撃があったのだ。蹂躙されているマリエラの瞳はもちろん死んでいる。シナリオもおまけとはいえない量があり、妙に描写が細かかった。

「お嬢様?」

「あっ、何でもないです。大丈夫です」


 その日からマリエラは益々身を粉にして勉学に励んだ。八歳らしからぬ、何かに取り憑かれた様子は、両親にも兄妹たちにも心配された。




 そんなこんなで十歳になったころ。マリエラはヴァンに声をかけられた。婚約者候補の子女たちも集まる、王宮の茶会でのことだ。

 フィリップは彼女らと薔薇園を歩いており、マリエラは少し離れたベンチに座って一息ついていた。王妃に立候補するつもりはないとの意思表示でもある。

 その隣に前触れもなくヴァン・ルーヴィックが座ってきた。こんなに接近したのは初めてのことである。彼は両太腿に腕を置いて、覗き込むようにマリエラを見つめてきた。


「君、婚約者候補から辞退したのってマジだったの?」

「……。こんにちは、ヴァン様」

「あ、俺の名前覚えてたんだ。でさ、何で辞退したの?」

「ヴァン様は、フィリップ殿下の傍にいなくてはならないのでは」

「いま俺があそこにいたらお邪魔でしょ、お見合い中なんだから。大人たちもたくさんいるし、ここ王宮だから別に大丈夫」

「お見合い中……」

「そ。一国の王子も貴族令嬢も大変だよねー」

 マリエラは沈黙を返した。こういう場合、秘すれば花である。


「本来ならマリエラ嬢が最有力候補でしょ。なんで辞退したのかなぁって。そんなにフィリップ殿下駄目だった? 女の子ならお妃様とか憧れじゃないの?」

「殿下に問題があるわけないです」

 あるとしたらシナリオに問題があるのです――

「辞退したところで、こういう場に連れられて来てるぶん、まわりは諦めてないみたいだけどね。六番目の王妃候補さん」

「……やっぱり、そうですか」

「大人たちも分かりやすいよねー。分かりやすいようにやってんだろうけど」

 庭園で談笑している大人たちを、ヴァンは冷めた瞳で眺めている。

「そんで? 理由は教えてくれないの」


 マリエラを見るヴァンの目つきが一瞬剣呑なものになった。これは、全く別のこと――例えば悪意とか――を疑われているかもしれない。

「私自身に理由があるのです。こんなこと言っても笑われるかもしれませんが、フィリップ王子の運命に私はいません。だからです」

「うん? 運命の相手じゃないってコト? 占いとか予知の話?」

「そうですね、そんなところです。だから私、猛勉強していまして」

「話が逸れたな?」

「ヴァン様は抜きん出た魔法の才をお持ちだと聞きました。私の特訓の成果、みてもらえますか」


 まぁいいけど、と呟いたヴァンがやる気なさげにベンチにもたれる。

 マリエラは両手で水を掬うような形をとり、深呼吸した。冷えた水の匂いがして、マリエラを中心に小さな風が渦のように吹く。掌の上に氷の粒が現れ、それは風を巻き取りながら大きく成長していった。陽光を弾くようなつるりとした氷の結晶は、繊細な雪の結晶に形作られていく。それが直径二十センチほどの大きさまでになると、マリエラは肩の力を抜いた。掌に浮かぶ結晶をヴァンに差し出す。


「どうでしょうか! 最近ようやく氷魔法が扱えるようになったんです」

 ヴァンは結晶を見つめて黙り込んだ。色々な角度から検分し、マリエラをまっすぐ見る。

「繊細な氷だ。……そうだね、君が頑張ってきたこと、よく分かるよ」

 そう言ったヴァンの瞳にはもう、マリエラを茶化す色はなかった。魔法の天才と称されている彼もきっと努力をしているから、マリエラの頑張りを分かってくれたのだろう。

「まぁ、俺はもっと凄いけど」

 ヴァンは両手をパンと合わせたあと、左右に大きく開いた。すると瞬時に同様の結晶が出現し、あっという間に十個ものそれらが連なって宙に浮かぶ。一個一個の雪の結晶が、金色の光を帯びながら極小の氷を散らすという演出もしている。


「ええええええ凄すぎるレベルが違いすぎる。え、ちょ、は?」

 天才だとは知っていたものの、十歳の時点でここまで差があるとは思っていなかった。マリエラの外面メッキが剥がれ、口をあんぐり開ける。

「まーそりゃ俺は天才だから。でもマリエラ嬢もたいしたもんだよ? もう氷魔法を習得した子どもなんて早々いないだろうし。頑張ったねぇ~」

「同い年なのにめっちゃ子ども扱いされてる気がする……! 高みからの慰めじゃん」

「あは。褒めてる褒めてる」

「褒め方下手過ぎない?」

「てゆかマリエラ嬢。ガリ勉してたのも意外だけど、箱入りのお嬢様がどうやってそんなくだけた言葉遣い覚えんの?」


 しまった。

 マリエラは魔法で出現させた氷を霧散させ、コホンと咳払いをした。背筋をすっと伸ばし、社交用の作られた微笑みを貼り付ける。ヴァンを見つめ、頭をこてんと傾けた。


「なんのことでしょうかヴァン様」

「今から取り繕うには無理があるだろ」

「ふふふ」

「公爵令嬢も大変ってこと? 別に誰にも言わないから安心しなよ。さっきの方が君の素っぽいし」

 心底くだらなさそうにヴァンが言うので、マリエラは右の小指を差し出した。


「なにこれ」

「ヴァン様の小指を絡めてください。約束の作法です」

「なにその作法。聞いたことないよ」

 ヴァンの小指がマリエラの小指に絡んだ。それを離さないようにして、マリエラは腕を軽く上下に振りつつ唄を歌う。

「ゆーびきーりげーんまーん嘘ついたら針せーんぼーんのーます。指きった!」

「何ソレ怖ッ! 俺いま何されたわけ? 呪いの魔法?」

「ただのおまじないですよ」

「おまじないにしては物騒過ぎるだろ」

「約束ですよ?」

「ハァー……。まぁいいけどぉ?」


 疲れた顔をするヴァンにマリエラは笑う。あれだけ魔法のできる人が、こんなおまじないにここまで反応するなんて。可愛いところもあるなと思っていると、王子たちのいる薔薇園の方から呼び声がする。


「あ、ヴァン様、呼ばれていますよ」

「ンー……面倒だな。じゃーねマリエラ嬢。また今度」

「はい、また今度。……こんど?」


 手を振り返したマリエラに、ヴァンは快活に笑って去って行った。

 その笑顔があまりに少年らしい眩さで、マリエラの頭からしばらく離れなかった。



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