第2話 はじまり、はじまり(2)

 昼食会は王宮のとある一角で行われた。青々と茂る芝生の広場で、白い敷布をひいたテーブルの上にたくさんの料理が用意されている。立食形式のパーティーである。

 マリエラは薄い水色のドレスを着て、次兄と連れ立っていた。父と長兄は色々な人から挨拶を受けてつかまっている。


「マリエラ、何か食べたいものある?」

「いいの? それなら、あの小さいシュークリームみたいなのが食べたい」

「オーケイ、行こうぜお姫様」

 会場の端っこでデザートを食べながら、参加者の顔ぶれを眺めた。マリエラや次兄と同じくらいの子どもも何人か参加している。しばらくして、父と長兄が迎えに来た。


「おまたせマリエラ。両陛下と王子殿下へ挨拶しに行こうか」

 国王と王妃は豪奢な長椅子に座っていた。マリエラの拙い挨拶を微笑んで受け取ってくれたが、幼いマリエラにも分かるくらい、不思議な威光を感じさせられる方たちだ。

 両陛下の傍に、金髪の少年と黒髪の少年がいる。


「紹介しよう。我が息子のフィリップだ。隣にいるのはルーヴィック家のヴァン。二人ともマリエラ嬢と同じ年になるな」


 フィリップと呼ばれた少年が軽く会釈をする。輝かしい金髪に、透き通る碧眼、絵に描いたような柔らかい印象の美少年王子である。

 その隣にいる黒髪の少年はやや無愛想に軽く頭を下げ、灰色の瞳を逸らした。少し人を突き放すような印象がある。

 二人をみとめた途端、マリエラは脳天に雷が落ちたような衝撃を受けた。目を見開いて固まる。


(ああああああああああ……!)


 すかさず父に背中をトンと押され、マリエラはたどたどしく挨拶を返した。心臓がバクバクと拍動し、しかし全身から血の気が引いて、いまにも倒れそうだった。

 娘の異常を感じたのか、父は談笑をそこそこに挨拶を終え、兄たちのもとへ戻った。心配そうにした父がマリエラを覗き込む。


「どうしたマリエラ。どこか具合が悪いのか?」

「ごめんなさいお父様。きゅ、急に苦しくなって頭がフラフラして」

「やっぱり緊張したのかな。先に俺と帰る? ねぇ父上、別にいいでしょ?」


 次兄がそう提案してくれたおかげで、マリエラはパーティーを中座して屋敷に帰ることになった。馬車の中でも顔色が悪いままで、次兄にも心配される。帰宅して部屋着に着替えると、少し横になって休むと言って自室に一人になった。

 マリエラはベッドではなく机に向かった。『全力前進』ノートを開き、続きのページに書き殴っていく。



〝『Magic Academy! ~ラブ♡トラップ~』通称マジラブ! 十八禁のシミュレーションゲーム。男性向けエロゲを作っていた会社が女性向けエロゲを作ってみた一作目で、一応女性向けとして作られたけれど男性向け表現アリ。スチル――美麗の一枚絵――が色々とエロい、ユーザーの男女比が珍しく半々くらい、売り上げも良かったことで有名。〟


「ぃやあぁぁぁ……」


 自分で書いておいてマリエラは呻いた。顔を覆って突っ伏した。うぐぅ、と喉から変な声を出しながら、震える手で続きを書く。


〝舞台は魔法学校で、ヒロインのソフィーは庶民ながら奨学生として入学。十六から十九になる四年間を過ごし、卒業式がエンディング。

 ENDルートは四種類。結ばれEND、友情END、メリーバッドEND、死亡もしくは堕落END。

 攻略対象は四人いて、うち一人をクリアすると隠しキャラが解放される。

 ヒロインと寮が同室になるライバルの公爵令嬢も存在する。BADルートに進むと、ライバル令嬢も悲惨な末路になる。〟


「ライバルの公爵令嬢は、マリエラ。ユーザーからは『無様リエラたん』と呼称……うっ……絶対これ、私だ……。裏ヒロインと言われるキャラクターだ……」


〝攻略難易度はキャラ毎に違う。ヒロインのエロスチルを必要以上に求めるとBADポイントが貯まりやすい。特にメリバENDに陥りやすい。

 メリバENDか死亡ENDの場合、マリエラの悲惨ルートの解放およびスチルを取得〟


「むっ……無理無理無理無理!!」


 マリエラは男性ユーザーからかなりの支持を得ていた。BADルートの彼女の末路が可哀相でエロ過ぎるのである。

 ヒロインがHAPPYルートに進んだ場合、マリエラはヒロインを祝福しており、特にその後については書かれていない。マリエラの存在はBADルートのためにあるのだ。


「フィリップ王子は絶対攻略対象キャラのフィリップ王子だもん……あの優しげな顔、に見せかけた昏い瞳、草加部籐子の小さなトラウマ……」


 国王陛下からフィリップ王子を紹介されて目が合ったあの瞬間、走馬灯のようにゲームの記憶が蘇った。結ばれENDを目指していたはずが、うっかりメリバENDになってしまい、ヒロインのソフィーは軟禁状態。ソフィーをエッチな目に合わせ、唆したとしてマリエラはフィリップに断罪され、二十も年上の嗜虐的趣味のある男に嫁がされるのだ。その末路のスチル絵を見たとき、草加部籐子は思わず「ひぃっ」と声を上げた。男性向けエロゲを作っていた会社とは知っていたが、一応女性向けと銘打っていたので油断していた。これは地雷があると確信し、攻略情報を見ることにしたのである。

そのため全キャラクターのおおまかなルートを知っている。どのキャラクターを選んでも、BADエンドのマリエラの末路は悲惨だ。


「いっそのこと魔法学校に行かないという手も……あ、駄目だ」


〝《災厄》と呼ばれる闇に取り憑かれた攻略対象とのバトルがクライマックスで分岐点。負けると死亡もしくは堕落END。攻略対象によっては国が退廃する未来もあり得る。〟


「この国を退廃させるルートだけは絶対に阻止しないと。……架空の話だからって滅茶苦茶なシナリオじゃないの運営の馬鹿ぁ……いや面白かったけどぉ……」



 マリエラは続きのページに『マリエラの命題』と大きく書いた。

 1・ヒロインのソフィーを助け、結ばれENDか友情ENDにもっていく。

 2・国退廃ルートを避けるため、ソフィーの学力と魔法実技を向上させる。BADポイントが貯まっていてもゴリ押しで《災厄》を倒せるかもしれない。

 3・メリバENDルートになったときは、エンディングから逃亡する。勉強・魔法力を底上げし、亡命しても生きていけるような力をつける。他国逃亡ルート、仕事や生活、居住権などの調査をしておく。



「運営のいいようにはされない……!」


 このマリエラ、熱狂的ファンがいるのである。彼女のおかげで『マジラブ!』は多くの男性ユーザーを獲得したといっても過言ではない。『無様リエラたん』のイラストスチルはどれも気合いが入っており、ルートによってはスチル三枚も振る舞われている。



〝フィリップ・シュタインライツ。この国の第一王子。攻略キャラのなかで一番メリバENDに陥りやすい人。ラッキースケベが起こる時は、個室で二人きりの時だけにすること。でないとメリバポイントが貯まる。《災厄》に敗北した場合は国が退廃、ソフィー死亡。マリエラは娼館勤めになる。〟


「あのとき隣にいた黒髪の少年は大魔法士のヴァン様……のはず」


〝ヴァン・ルーヴィック。攻略キャラではないが、王子の側近としていつも傍にいる。ものすごく強かったはず。学友としてストーリーにもよく登場する。クライマックスバトルでは仲間として戦ってくれる。敗北ルートの場合、事前に毒殺されている。〟


「敗北ルート確定したら毒殺されてるんだよね。逆に考えれば、彼がいたら《災厄》を倒せるから……ということかも」

 残りのキャラクターについてはぼんやりとしか思い出せない。けれど、出会えば記憶が蘇るだろうとの妙な確信があった。

 マリエラのすべきことは分かった。

 全力前進、やるしかない。




 王宮の昼食会から数日後、マリエラは父の書斎に呼ばれた。

「マリエラにある話がきている。悪くはないと思うのだけど――」

「辞退することは可能でしょうかお父様」

「ええと、まだ内容は言ってないのだけれど?」

 食い気味に返事をしたマリエラは、何となく内容を察していた。


「この前の昼食会のあれは、顔合わせの意図があったのではないですか? 王子殿下の婚約者候補に名を連ねるかどうか、とか」

「お~、その通りだよマリエラ。婚約者候補は五人挙げられ、皆が王妃教育を施される。婚約者として確定するのはまだまだ遠い先。その長い選考期間中、王妃としての知力やマナー、社交性や度胸、王子との相性などを鑑みて正式に婚約者が決まる。要は、一人を決めてしまってその子が駄目になった場合困るから、スペアを作っておきたいんだろうね」

「すぺあ」

「スペアだよ。マリエラはその中でも筆頭の存在になるだろうね。なにせシュベルト公爵家の長女だ」

「じ、辞退とかは……」

「マリエラはどうして辞退したいのかな?」


 にこにこと微笑む父からは何の感情も読み取れない。

『マジラブ!』の設定では、マリエラは次期王妃候補として周知されていた。設定からできる限り逸脱したいという切なる思いを語るわけにもいかない。

 マリエラは目をカッと見開いて父を見上げた。


「カンです!」


 父は小首を傾げ、「カン、ねぇ」と小さく呟いた。数秒の沈黙が妙に恐ろしく、マリエラはぎゅっと拳を握る。

「うん、まぁ、いいよ。辞退するよう言っておく。これ以上我が家が力を持っても煩い人たちがいるし」

「あ――ありがとうございますお父様!」


 まさかこんなにあっさり了承してくれるとは思わなかった。確か、マリエラが隣国に嫁ぐBADルートもあったのだ。王妃教育がなくなった分、そのルートも――


「けれど、王妃教育はするからね。習得して損はない。頑張りなさい」

「えっ。あ、あの……はい」

 なくなることはなかった。

 そして結局、マリエラは六番目の王妃候補として囁かれることになる。


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