第7話 「」

 翌日、カーテンの隙間から差し込む光で俺は寝ずに小説を書いていた事に気づいた。


 壁に立てかけられた時計を見ると、すでに朝の七時を回っており、通常の学生ならば焦って朝の準備をし始める時間になっていた。しかし、


「結局全然進まなかったな……」

 疲れの溜まった目を癒やすために親指で揉み解しながらそう呟く。


 そうなのだ。昨晩から今に至るまで、どうしても葛藤を生み出すキャラクター達をうまく作り出せなかった。


 どんな設定を盛り込んでも、いざキャラクター達に話しをさせてみると、まるで台本を読んでいるかのように生気が感じられなかった。


 これではダメなのだ。面白い小説というのは得てしてキャラクター達が実在しているかのような現実性をもっている。それがなければ、大根がセリフを喋っているのとなんら変わりない。


 なぜこうなっているのか理由がわからなかった。理由がわからないのが一番困る。きっと、才能がある人達はすぐに原因を究明して修正したり、そもそもそんなところでは躓かないのだろう。


 ――ああ、才能のある人が羨ましい。


「嵐くーん。起きてるー?」

 俺が行き場のない、負の感情を必死に抑えこんでいると、円香が扉をノックしてきた。


 以前と違い、しっかり服を着ていた俺は、のそのそと扉まで歩くと、鍵のかかってないそれを開けた。


「おはよー……って髪ボサボサ! さては寝ないで小説やってたなー?」


 うまくネタが思いつかない時、髪をぐしゃぐしゃする癖があるので、今の俺はさぞ面白い髪型をしているのだろう。


 円香はそのベートーヴェンもかくやという俺の髪型を笑うでもなく、カバンから櫛を取り出すと、俺の髪を手ぐしと櫛で直してくれた。


「あー……円香、悪いんだけど俺は今日――」

「わかってる。小説やるんでしょ? 朝ごはんまだだよね? 今作っちゃうから待ってて」


 どこまでも俺を甘やかす幼馴染だ。こんなんを相手によく俺は今まで好きにならなかったものだと我ながら感心する。


 どこの世界に小説をやるから学園を休むといって納得する人がいるというのだ。いや、俺は昔からやってたけど。


 あまつさえ、彼女は飯も食わずにやっていた俺のために朝食まで用意してくれるというのだ。これで好きにならずして誰を好きになれと? こんな事してくれるの母親くらいのものだぞ。


 とはいえ、せっかくの厚意を無駄にするわけにはいかない。飯の心配がなくなった俺は再びパソコンの前に座った。


「ふむ……原因と思われるものを列挙するか……」


 円香の来訪はいい気分転換になった。今まではがむしゃらに設定を考えて喋らせていたが、そもそもそのアプローチが間違っていたのかもしれない。


 俺はネタ帳として使用している紙のノートを開き、問題点と思われるものを箇条書きしていった。


 ・設定の甘さ。

 ・キャラクター相関図を作っていない事による関係性の甘さ。

 ・キャラクター達それぞれに事件を想定しない。

 ・タイムリープという最大の葛藤を活かしきれていない。


 等々、まだまだあるのだろうが、疲れた脳ではこれくらいしか挙げられなかった。


 どれにも共通していえるのが、作り込みの粗さだろう。キャラクター達に、人一人分の人生をしっかり考えて人物図を作ってやれば解決の見込みは十分にある。


 円香が来てくれてよかった。俺一人でやっていれば、黙々と書いては消してのトライアンドエラーになるところだった。


「ご飯出来たよー」


 言われて振り返ると、ちゃぶ台の上に味噌汁と卵焼き、焼き魚が乗っていた。後は俺が座って食べるだけの状況である。やれやれ、彼女の甘やかしも考えものだな。これでは余計にダメ人間になってしまうじゃないか。


 朝食を終えた俺は、学園に向かう円香を見送ると、再びパソコンに座った。


   ○


 夜になった。流石にぶっ通しでやっていたので疲れが限界だ。睡眠もとっていないし、ここらが休み時だろう。腹は減ったが、作る気力がない。そう思って深呼吸をすると、俺の鼻が美味しそうなご飯の匂いを嗅ぎ当てた。はて、この匂いは?


「あ、小説終わった?」


 まったく気がつかなかった。いつの間にか学園を終えた円香が部屋に来て晩御飯の準備をしてくれていたらしい。


「来てたのか……」

「30分くらい前にね。嵐君、すごい集中してたから邪魔しないようにってそっと入ってきたんだ。ご飯食べれそう? 一応胃に優しいにゅうめんにしてみたけど」

「食って寝る」

「ん、わかったよ。テーブルに座ってて。今持ってくるから」


 これではどちらがお客様かわからない。しかし、疲労困憊だった俺は特に何かを言うでもなく言われるがままにテーブルに座り、一生懸命話しかけてくる円香に適当な相槌を打ちながらにゅうめんを食べた。


 確か、アザミ寮に新しい人が引っ越してくるとかそんな内容だった気がする。


 寝て、限界まで小説を書いて円香の作った飯を食ってまた寝る。そして起きたら小説を書く。


 そんな生活を送っていた俺の頭には、当然のごとく学園に通うだなんていうタスクは存在しなかった。それで問題がないよう履修登録をしていたので、留年になる可能性は低いが、一言でいって人として終わっていた。


 朝と夜、決まった時間にご飯を作りにくる円香と食事中にのみ僅かな会話をし、それ以外の時間をひたすら小説に費やした。そうして出来上がった作品は、


「つまらない……」


 自分で読んでもそう思うという事は、読者はきっともっとつまらないと感じるだろう。

 つまるところ、俺の2週間は無駄だったという事だ。


「クソ! なんでだ……?」


 慣れている、といえばそれまでだ。費やした時間がそのまま面白さに直結するのならば、俺はいくらでも時間を費やそう。だが、創作はそんな簡単な理屈では成り立っていない。かといって、ショックを受けていないかといえば嘘になる。


 面白くなると信じて、寝食を忘れて必死に書き上げた作品だ。気持ちは十分に込もっている。だが、つまらないのだ、この作品は。


 頑張ったのに結果がついてこない事の喪失感は、何度味わっても辛いものは辛い。きっと、今は食事も喉を通らないだろう。


 円香に今日はご飯はいらないと連絡を入れ、文字通りベッドに倒れ込んだ。

 明日になれば、少しはこのメンタルも上向きになっていて、また新作を書く気力が出ているはずだ。そう信じ込んで俺は意識を手放した。


   ○


 翌朝、目を覚ました俺は、流石に空腹を訴えている胃を満たすため、冷蔵庫にあったもので適当に朝食を作って食べていた。すると、


「嵐くーん。もう待ち合わせの時間過ぎてるよー」


 扉の向こうから円香の声が聞こえてきた。はて、待ち合わせなどしていただろうか? そう思ったが、寒い廊下でいつまでも待たすのも悪いと思い、彼女を部屋に迎え入れた。


「あ、ご飯食べてたんだね」

「おう、円香も食ってくか? 確かまだ材料はあったはず……」

「ううん、私はもう部屋で食べてきたから」

「そか。悪いけど俺、今日も小説書くから学園は休むよ」


「え? ダメだよー。新学期初日くらいちゃんと行かないと、友達できないよ?」

「は?」

「担任の先生に顔覚えてもらわないと、後で困るのは嵐君なんだからね?」

「担任も何も、雪堂先生だろ?」

「そうなの? クラス分け、もう発表されてたんだー」


 何を言っているんだ、円香は。新学期初日? 担任の先生? 今はガイダンスの時期も過ぎて、もうとっくに講義が始まっているだろう…………いや待て。


「円香、今日って何月何日だ?」


 嫌な予感がした俺は、不思議そうな顔を見せている彼女にそう尋ねた。


「寝ぼけてるのー? 今日は4月6日だよー」


 俺は再び、タイムリープしたようだった。

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