第6話 幼馴染の癖に強がりやってよ。今宵の月のように

 本来であれば午後の時間はガイダンスに出たりしてお目当ての講義を見つけ、履修登録をしなければならない。しかし過去の記憶から楽単のみを列挙して早々に時間割を埋めた俺は、円香に断ってアザミ寮の自室へと戻っていた。


 やる事など決まっている。さーちゃんの純白を見た事で湧き上がってきた男子学生の熱いリビドーを開放する……なんて事ではなく、小説を書くのだ。


 せっかく与えられた2回目のモラトリアム期間。一秒も無駄にはしたくなかった。


「タイトル……は後で考えればいいか……」


 机の上に置かれていたノートパソコンを立ち上げた俺は、早速Wordを開き、新作のプロット制作に取り掛かった。


 通常、小説を作成する際はこうしてプロットと呼ばれるあらすじを細かくしたようなものを作成する。


 あらすじが読み手に向けて書かれるのに対し、プロットは書き手が書き手のために書くものだ。


「誰」が「どこ」で、「何」をしているのかを一見しただけでわかるように細かく書く。イメージとしては読み手が読む状態である小説の一歩手前のようなものだ。


 作家によってはプロットそのものを作らない人もいるが、編集とのやり取りなどで、どんなものを作るんですか? と聞かれた時に出すものがプロットなので、余程の売れっ子以外は必ず書いた方がいい。


「せっかくあり得ない体験をしているんだから、学生時代に青春を置き忘れた主人公が、過去に戻って青春をやり直す系の話でも書いてみるか……」


 かつてシド・フィールドという脚本家は、「ドラマは全て葛藤だ」と言い切った。ではその葛藤を生み出すのは? 


 当然「キャラクター」達だ。「キャラクター」達が某かの「欲」を満たそうと「葛藤」する事によって、「アクション」が起こり、読者はそれにハラハラドキドキする。


 古今東西、様々な作品が生まれているが、そのどれもが「キャラクター」達の生み出すドラマに集約される。


 問題は見せ方だ。ポッと出の「欲求」が満たされないために「葛藤」している「キャラクター」には、魅力がない。


 精神的葛藤にせよ、物理的葛藤にせよ、読者が「共感」してくれなければ魅力的な作品足り得ないのだ。


 では読者からの「共感」をどうやって得るか? 簡単な手法でいくと、主人公に誰の目から見ても辛い「事件」を起こせばいいのだ。


 いわゆる「なろう小説」などでよく用いられている身近な「事件」は、交通事故に遭って死ぬ、クラスメイトからいじめにあう、追放、などだろう。


「かといって、安易に事件を起こしたくはない……やっぱり、タイムリープを中心に考えるべきか……?」


 煮詰まってしまったので、再びカーソルを登場キャラクターの欄に戻す。そこには、主人公と友人役の男子、ヒロインが3人列挙されていた。


 ライトノベルでは、ある種の不文律として最低でも3人ヒロインを用意するというものがある。それも、一巻時点で登場させる必要がある。


 一般文芸とは違い、キャラクター小説という側面が強いが故の理由だが、そのヒロインに関しても他のヒロインと属性が被らないようにしなければならないというものがある。


 気の強いヒロインを一人出したらおしとやかなヒロインを一人出す、といった具合にヒロインの属性が偏りすぎないようにするのだ。そうする事によって、気の強いヒロインが好きな人も、おしとやかなヒロインが好きな人も、両方の購買層から購入される可能性が得られる。いわゆる販売戦略というものだ。


「うーん……いっその事ロリキャラとか出してみるか……?」

「嵐くーん? いるー?」


 円香の声で集中が途切れる。気がつけば、外が暗かった。電気も付けずにずっとパソコンと睨めっこをしていたようだ。集中していると周りが見えなくなる。俺の悪い癖だ。


 立ち上がり、部屋の電気をつけた後「開いてるぞー」と扉の向こうの円香に声をかける。


「入るよー」

 扉を開けて入ってきた円香は、まだ制服を着ていた。学園から直接ここに来たのだろうか。


「どうせまた電気もつけないでやってたんでしょ? 部屋が明るくなったの見えてたよ?」

「集中してた。てか今何時だ?」

「もう七時だよ? その様子じゃ、晩御飯も食べてないでしょ」

「ザッツライト。言われたらすげー腹減ってきた」


「だと思って、食材買ってきたよ。今の時間、食堂は混んでて座れないと思うから」

「マジ? 助かる。お金いくらだった? 払うよ」

「別にいいよ。小説頑張ってたんでしょ? 私は応援する事しかできないから、これくらいはね?」


 なんていい子なんだ。結婚しよ♡ はっ……いかんいかん。勘違いしちゃいかんぞ。どうせお袋辺りに飯作ってやってくれって頼まれてるからやってるんだろう。幼馴染とはいえ甘えすぎはよくない。


「食材だけ置いてってくれれば後は自分でテキトーに料理して食うけど」

「ダメ。そう言っていつも限界まで頑張るんだもん。食べれる時に食べないと」


 お母さんかな? 確かに俺は小説を書いていると寝食を忘れるが、まさか幼馴染に矯正されるとは。


「わかった。そしたら、頼んでもいいか?」

「もちろん。そのつもりで来たからね。実は私もまだご飯食べてないんだー」


 スーパーの袋を簡易キッチンに置いた円香は、壁にかかっていたエプロンをつけて調理を始めた。何か手伝おうかと思ったが、いかんせんキッチンが狭いので、待機を命じられた。


「ふんふんふーん……」


 楽しそうに料理をする彼女の後ろ姿を見ながら思う。これはあったかもしれない可能性の一つ。そのやり直しだ。


 過去、円香は学生期間はもちろんの事、社会人になってからもこうして俺の事を献身的に支えてくれた。流石に、そんな時間がずっと続けば俺だって円香が俺に好意をもってくれていたのはわかった。


 それがいつのタイミングからなのかは今となっては判然としないが、どこかのタイミングで俺が夢を諦め、彼女の気持ちに応えていればこの光景はずっと続いていたのだろう。


 しかし俺はあの日、雨に濡れてうつむく彼女を拒否した。


『ねえ、一生のお願い……抱いて?』


 彼女をそういう目で見ていなかったといえば嘘になる。だがあの日の俺は、彼女の気持ちに応える事をイコール夢を捨てる事だと解釈してしまったのだ。


 おそらく、人生で最大の葛藤だったと思う。夢と円香、その2つを天秤にかけた時、秤は夢の方に傾いた。


『そっか……変な事言ってごめんね? 小説、頑張ってね。応援してるから……』


 そう言った彼女は、二度と俺の前に現れる事はなかった。


 傍目に見れば、なんて愚かな選択をしたんだと思われるだろう。しかし、俺にとって小説というのは人生そのもので、それを投げ出すくらいなら死んだ方がマシとすら思えるのだ。


 後悔しなかった……といえば当然嘘になる。それだけ俺の中で円香という存在は大きかったし、事実彼女と連絡が取れなくなって暫くは、メンタルに不調をきたしていた。


 だが、再びあの日の問いを今投げかけられたとしても、俺はきっと同じ回答をするだろう。だからこそ、彼女は早々に俺の事なんて忘れて別の男と幸せになってほしいと思う。


「でーきた。嵐君、運ぶの手伝ってー」


 その声にハッとした。心の中とはいえ、彼女に申し訳ない事を考えていた俺は、その眩しい笑顔を直視する事ができなかった。だから、


「お、おう」


 どもりながら視線を明後日の方向に向けてそう返事した。俺はどこまでもコミュ障なのだった。

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