第51話

「兵頭さんのことまで……じゃあ、僕らがこのバスに乗ることは初めから知っていたんですか?」

「うん。彼女から、万が一のことがあったらよろしくって言われていたの」


 よくよく考えれば、蛇の亡者が消え去り母さんも冬眠状態のミツキ、力の使い方も知らない和沙、そして式神が一匹しかいない僕という極めて頼りない状況なのだ。それにしても、今回世話になる兵頭という人物は、特安にどこまでコミットしているのだろう。


「搭乗者の名前確認の時、君から妙な感じがしてね。だから私の式神に探ってもらったの。そしたら夢に介入されているじゃない!流石に運転しながらじゃ助けられないし、高速だからバスを停められる適当な場所もないし、どうしたもんかと思ってたら運よく他の術師があなたを助けてくれてさ」

「ちょっと待ってください、式神に探らせたですって!?」


 運転手の女はその質問に答える代わりに、キョロキョロとあたりを見廻し始めた。


「よし、誰もいないね」

「どうしたんですか?」

「いや、だって万が一式神が出現する瞬間を他の人に見られたら大変でしょ?」

「ちょ、ちょっと待ってください!話に追い付けないんですが。あなたも式神を……」


 僕が最後まで言い終わる前に、彼女は右手人差し指に中指を絡ませて手首を一回転させた……しかし十数秒経っても何も出てくる気配がない。


「誰も……出てこないですが」

「右を向いてみて」

「右?……うおっ!」

 いつの間にか、白い三角タイが胸元で結ばれている紺色の制服を着た、やたらと目の細い少女が隣に座っていた。何より印象的なのは、その時代錯誤なおかっぱ頭だ。身長は140cmあるかないか。見てくれは人そのものだが、発される妖力は間違いなく式神のものだ。


(まるで気配を感じさせなかっただと?)


 その式神は僕の方を見るでもなく、下を向きてぶつぶつ何かを呟きながら、鉛筆を握った右手を忙しなく上下に動かして……鋭く削られた芯の先端を執拗に自分の手の甲に刺し続けていた。手の甲は黒や赤の斑点でいっぱいだ。


「うげっ!」


 僕は思わず目を背け、その様子を見た運転手は苦笑した。


「この娘が私の式神、信子ちゃんって言うの。セーラー服なんて今どき珍しいよね」


 運転手の言う通り、古臭いセーラー服は昭和ホラー的な出で立ちというか、学校の怪談に出てくる女学生の妖怪のようだ。


「もう戻っていいよ」


 運転手の女がそういうと、式神は徐々に透明色になり、その姿を風景に同化させながら消えていった。


「これで少しは信用してもらえた?」

「別に不信感を持っていた訳じゃないですけど」

「私の式神のこと、女の子たちには黙っていてね。あなたたちが本来用事があるのは兵頭さんだし、今回はイレギュラーな事態だったから」

「分かりました」


 運転手に対する警戒心が一気に溶けていった。式神を相手に見せるということは、手の内の一つを明かしているようなものだ。彼女は僕を安心させようと、精一杯の誠意を見せてくれたのだろう。


「でも言っちゃなんですけど、あんなのが憑いてよく正気を保っていられますね」


 おかっぱの式神から発されていた気は、間違いなく怨念の類だった。亡者と違い、統制下に置かれた式神が術師を乗っ取ることはまずないものの、こんな禍々しい気を当てられ続けたら精神に変調をきたしてもおかしくないはずだ。


「うん、他の術師じゃ正気を保ってられないだろうね。実は左手には何も憑かせてないの。あの娘がいると他の式神が憑いてくれなくてね」

「分かる気がします……」


 女の言う通りだ。その証拠に、僕の右腕全体に鳥肌が立っていた。右腕に宿る兵狼が浮足立っているのだ。


「ひーなた、トイレ終わったよ~」


 ミツキが大きく手を振りながらこちらに歩いてきた。隣には和沙もいる。


「あ、運転手さんだ!」

「彼に加賀谷市の観光名所について話を聞いていたんです。さあ、出発の時間までにお昼を済ませてくださいね」


 女はベンチから立ち上がる際に僕の耳元でぼそりと呟いた。


「せめて今日だけはゆっくり休んでね」


 今日だけ?明日からはどうなるというのだ。ええい、いちいち気にしても仕方がない。僕はリュックから小さなランチョマットと通常のサイズの2-3倍はあるおにぎり10個、2ℓ水筒を取り出し、それらをベンチにセットした。和沙は思わず感嘆のため息を漏らした。


「ハンバーグ、鶏天、ローストビーフ、オムライス風……こんな豪華なおにぎり、スーパーだったら250円はするだろうね」

「さあ、食べちゃおう。到着まであと4時間はかかるだろうし」


◇◇◇

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