ブラコン妹と妹の友達と約束

土車 甫

第1話

 俺、星野ほしのりょうの妹はお兄ちゃんっ子だった。


 どこに行くにも俺の後をついてきて、小学校の修学旅行の時なんか俺が数日間家に帰って来ないと知ると癇癪を起こしていた。


 そして俺が中学1年生、彼女が小学4年生の時。


 遂に俺にも好きな人ができた。相手は同級生で、隣の席になってから話すようになったのがきっかけだった。


 そんな彼女と休日に遊びに行く都合を付けることができた。いわゆるデートだ。


 当日。俺は高揚とした気分で家を出た。


「に、兄ちゃん」


 家の敷地から出たあたりで、後ろから声をかけられた。声の主は妹の奈津なつだった。彼女は俺を追いかけて外まで出てきていた。


「どこ行くの? 今日はあたしとお出かけしてくれるんじゃなかったの?」

「あっ」


 すっかり忘れていた。そういえば先週、彼女とそんな約束を交わしていたような気がする。


「ごめん。今日はどうしても外せない用事でさ。代わりに明日行こ。な」

「……いやだ。今日のお出かけ、ずっと楽しみにしてたんだもん」


 彼女の言い分は分かるし、約束を反故にしようとしている俺が完全に悪いのだが、俺だって好きな人とのデートを楽しみにしていたのだ。


「奈津。本当にごめん。兄ちゃん、今から好きな人とのデートなんだ。彼女、部活で忙しいみたいなんだけど、今日の日程を頑張って空けてくれたんだ。奈津とはまたいつでも遊べるからさ、今日は兄ちゃん行くね」


 奈津に納得してもらうためにも、俺は素直に理由を話し、踵を返して咄嗟に走り出した。これ以上、奈津の顔を見ていると本当に引き止められそうだと思ったからだ。


 そして俺は、好きな子とのデートを無事に成し遂げることができた。結果も上々。俺たちは楽しい時間を過ごせたのではないだろうか。


 だが、突然の雨で早めに帰ることになったのは残念だ。俺は傘を持っておらず、雨に濡れながら駅から走って帰った。


 そして家の前まで到着すると、そこに人影が一つあった。その人影は傘を差さずに立っている。


「……兄ちゃん、おかえり」

「奈津!?」


 その人影の正体は妹の奈津だった。彼女は俺を引き止めようとした時と同じ場所に立っており、体も雨に濡れてずぶ濡れになってしまっている。


「なんでこんな所に立っているんだよ。まさか、ずっとここにいたのか?」

「……うん。だって、兄ちゃんの帰りを待ってたんだもん。兄ちゃんが帰ってきたらすぐに会えるように、ここでずっと立ってた」

「ば、ばか!」


 思わず奈津を抱きしめる。彼女の体は雨で濡れて非常に冷たくなっている。しかし、一部、頭や顔あたりは熱い。


「もしかして奈津、お前」

「兄ちゃん。なんか、頭がくらくらする。兄ちゃんが帰ってきて嬉しいからかな」


 俺は奈津を抱き上げ、急いで家の中へ入って行った。彼女の体からは力が抜けており、完全に風邪を引いていることが素人の俺でも分かった。


 母さんに事情を話して、奈津の体を受け渡した。その際、母さんには軽く怒られてしまった。


 その後、母さんの指示で俺は風呂で体を温めて部屋着を着て、自室のベッドで寝ている奈津のところへ向かった。


 彼女は母さんに着替えさせてもらったのか寝巻き姿になっており、しっかりと布団をかけて寝ている。ただその顔は赤く、呼吸も荒々しい。これは全て、俺の愚行が招いたことだ。


「兄ちゃん?」


 目を瞑っていたはずの奈津が、俺の存在に気づき、俺を呼んでくれた。咄嗟に彼女の近くに寄る。


「ごめんな奈津。兄ちゃんが奈津との約束を破ったから、こんなことに」

「……デート、楽しかった?」

「あ、あぁ。楽しかったよ。……ごめん。こんな感想聞きたくないよな」

「ううん。その感想が聞きたかったの」


 彼女の息が更に乱れていく。大丈夫かと声をかけようと思ったその時、彼女は俺の手を握った。


「兄ちゃんが楽しくデートできて、あたし、嬉しいよ?」

「……ごめん。本当にごめん。もう絶対に奈津との約束破らないよ」

「ほんとに? じゃあ、約束しよ」


 彼女はそう言って、俺の小指と自身の小指を絡ませる。


「指切りげんまん。これで約束完了だね」

「あぁ」

「……兄ちゃん。あのね、あともう一つお願いがあるの」

「なんだ。なんでも言ってくれ」

「あたしをね、たくさん喜ばせてほしいの。お願い」

「任せろ。今日の分も取り返せるよう、兄ちゃん、奈津のためにたくさん頑張るよ」

「……ありがと、兄ちゃん」


 彼女は最後にお礼を言って目を瞑り、そのまま寝息を立て始めた。彼女が寝た後も、俺はそのまましばらく彼女と小指を絡め合わせていた。




 * * * * *



 あの日以降、奈津は俺に対して色々なお願いを言うようになってきた。


「兄ちゃん。来週の日曜日、水族館に連れてって」


「兄ちゃん。今度のテストで100点取れたら頭なでなでして」


「兄ちゃん。来週は一緒にあたしの小学校まで登校して。もちろん手を繋いでね」


 俺はそれらのお願いを全て受け入れた。すると彼女は必ず、


「約束だよ」


と言ってくる。


 だから俺は他に用事があっても、どれだけその時間が長くても、自分が遅刻する時でも、彼女のお願いを実現した。


 そんな日々を過ごして年月は流れ、俺は高校1年生、奈津は中学2年生になった。


 この頃になると、彼女の要求の内容は昔とは変わってきていた。


「兄ちゃん。今日の帰りに駅前のケーキ買ってきて」


「兄ちゃん。今日は友達と遊んでくるから、お風呂の掃除当番代わって」


「兄ちゃん。兄ちゃんの部屋に飾ってあるその写真、気に入らないから今日中に捨てといて」


 中には理不尽だと思うようなものあったが、相変わらず俺はそれらを全て呑んだ。


 すると、彼女は相も変わらず、


「約束だよ」


と言ってくる。


 だから俺は、例え金欠でも小遣いを前借りして、体調が悪くても体に鞭を打って、旧友との大切な思い出でも心を無にして、それらを遂行した。


 そんなある日、奈津からとある女の子を紹介された。


 休日、家で寛いでいると、奈津が可愛らしい女の子を家に連れてきた。彼女は俺を見てひどく怯えている様子だったため、どう接したらいいのか分からずにいた。


「この子、本条ほんじょう愛花まなかちゃん。あたしの中学からの友達で、今は親友。今度からうちにちょくちょく遊びにくるから、兄ちゃんも仲良くしてあげて」


 奈津がそう言うと、本条さんは奈津の隣でペコペコと何度も頭を下げていた。


 奈津の親友だし、見た目からしていい子そうだし、それに奈津が仲良くしてあげてと言うのだから、俺は「もちろん」と返事をした。


 その時は、彼女の口から「約束だよ」を聞くことはなかった。


 それからまた年月は流れ、俺は大学1年生に、奈津は高校2年生になった。俺は今も実家暮らしだ。


 本条さん……いや、愛花ちゃんは奈津の言う通り度々うちに遊びに来てくれて、その度に俺とも少しずつ会話をするようになり、今ではこうして名前で呼ぶまでの仲に進展していた。うん、まあ本当にそれまでの関係だ。


 今日は土曜日。来週提出のレポートを丸投げにして惰眠を貪っていると、奈津が部屋に入ってきた。彼女は普段から勝手に俺の部屋を出入りしているため、もはやその行為自体に何の感想も抱かない。


「兄ちゃん。今から愛花ちゃんくるから」

「ん、あー了解。とりあえず起きるか」

「そうして。……今日、愛花ちゃんから変なお願いされるかもしれないけど、ちゃんと受け入れてね」

「変なお願い? 何だそれ」

「それと、絶対に本気になっちゃダメだから」

「ど、どういうこと?」

「終わったら、必ず私に全部報告してね」

「全然要領が掴めないんだけど」

「受け入れてくれるよね?」

「え……うん。まあ、奈津からのお願いだし」

「約束だよ」


 奈津は最後に例の言葉を言って、俺の部屋を出て行った。


 いったいどんな約束を交わされたのか分からないが、愛花ちゃんが来るとのことで、着替えたり顔を洗ったりすることにした。


 準備が済んでリビングに飲み物を取りに行ったところで丁度、愛花ちゃんが我が家にやって来た。


「お、おはようございます、亮さん」

「おはよー。愛花ちゃんは今日もおしゃれだねー」

「あ、ありがとうございますっ」


 顔を紅潮させて、「うぅ」と呟きながら目を瞑っている彼女はとても可愛らしい。学校でモテるんだろうけど、彼女には恋人ができない理由がある。


「それじゃあ、俺は自分の部屋に戻るから。ゆっくりしていってね」

「は、はい!」

「なんで兄ちゃんが我が家を我が物顔してるの」

「言ってみただけだよ」


 奈津からの意地悪な言葉を軽くいなしながら、俺は階段を上がって宣言通り自室に戻る。


 愛花ちゃんは普段通りなら奈津の部屋で遊ぶのだろう。たまに話し声が聞こえてくるが、その声のトーンから二人は本当に仲が良いのだと分かる。


 しばらく携帯を弄った後、重たい腰を上げてレポートに取り掛かることにした。机に向かい、ノートパソコンを開いたその時、部屋のドアがノックされた音がした。


「はーい。どうぞー」


 ノックしてくるということは奈津じゃないし、さっき奈津が言っていた内容からしておそらく……


「あ、あの。愛花です。今お時間よろしいでしょうか……?」


 やっぱり愛花ちゃんだった。


「俺はいいけど、奈津は放っといて大丈夫?」

「は、はい。なっちゃんには既にお話を通していますので……」

「そっか。あ、適当に座って。そのクッション、俺のじゃなくて奈津のお気に入りだから使ってもいいよ」

「なっちゃんの……亮さんとなっちゃんって、本当に仲が良いんですね」

「んー、どうだろう。一般的な兄妹と変わらない気がするけど」

「そ、そうなんでしょうか。わたしは兄弟がいないので、その辺り詳しくありませんが……お二人は仲の良い兄妹だと思います。……そ、その、わたしはなっちゃんが羨ましいです。り、亮さんみたいな、お兄さんがいて、その、はい」


 愛花ちゃんはそこまで言うと、顔を真っ赤にして固まってしまった。彼女の限界が来たのだろう。


 彼女はまだ部屋の入り口に立ちっぱなしで、もう一杯一杯といった感じだ。だからここは俺がリードしなくては。


「あ、ありがとう愛花ちゃん。嬉しいよ。それで、俺に何か話でもあったの?」

「は、はいっ。あ、あのですね、その、りょ、亮さんっ、あ、うぅ」

「ゆっくりで大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございますっ。……ふぅ。りょ、亮さんっ。わたしの彼氏さんになってくださいっ」

「……へ?」


 突然の告白に、俺は頭が真っ白になる。


「あ、あ、あ、ああのっ! い、今のは違いますっ」

「え、俺フラれた?」

「フってませんし、亮さんはこ、告白してませんっ。え、えっと今のは、その、わたしの彼氏さん役になってほしい、っていう、はい、そういうお話でして……」

「愛花ちゃん、誰かに付き纏われてるの?」

「そ、そうではなくてですねっ。あの、その、わたしっ。……男の人が苦手、じゃないですか」

「あぁうん」


 そう。愛花ちゃんは男性恐怖症で、男性の近くに寄ることすらできないレベルだ。しかし、数年の時を経て、なんとか俺とはこうして話せるようになったのだ。


「そ、それでですね、わたし、このままではダメだと思いまして。なっちゃんに相談したら、亮さんを頼ればいいと言ってくれて」

「へぇ、奈津が」

「は、はいっ。あ、あのっ、もちろんわたしも亮さんが、その、彼氏さんならいいなぁって、思って、えへへ」


 愛花ちゃんは恥ずかしそうにはにかむ。


「なるほどね。つまり、俺と恋人っぽいことして男性に慣れたいってことか」

「は、はいっ。その通りです」

「そりゃ光栄な役目に選ばれたもんだね。うん、いいよ。そのお願い受け入れるよ」

「ほ、ほんとですかっ。そ、その、わたしなんかと一緒にいても楽しくないと思うですが、わ、わたし、頑張りますっ」

「あはは。大丈夫だよ。愛花ちゃんは可愛いし、それと実は面白いから。こっちとしては役得だよ」

「か、かわっ……わたしが……あれ? 面白い? わたしって、面白いですか?」

「うん。愛花ちゃんってちょっと天然だよね。何だか見てて面白いよ」

「……むぅ。りょ、亮さんっ。それ、絶対にわたしのことばかにしてますっ」

「ごめんごめん。でも愛花ちゃんと一緒にいて楽しいよ」

「あ……うぅ……」


 これもまあ約束だから受け入れるつもりだったけど、愛花ちゃんのやる気を感じられたから、それがなくても受け入れてたとは思う。


 こうして、俺は妹の友達である愛花ちゃんの彼氏役になったのだった。




 * * * * *




 あれから数ヶ月後のとある土曜日。


 俺は助手席に愛花ちゃんを乗せて、海の中道を走っていた。道はまっすぐ伸びており、目の前に青空が広がっていてとても気持ちが良い。


 恋人同士擬きとなった俺と愛花ちゃんは、休日になるとこうして一緒に遊びに行くことが定番化していた。今日は愛花ちゃんの希望で水族館にやって来た。


 事前にネットでチケットを買っていたので、俺たちはスムーズに中へ入っていく。いつも愛花ちゃんの料金も払おうとするのだが、「自分の分は自分で払いますっ」といつにもなく淀みなく主張されて揉めるってことが多々あるので、今回は先手を打つことにしたのだ。


 愛花ちゃんはちょっと拗ねたような表情をした後、満面の笑みを浮かべて「ありがとうございますっ」とお礼を言ってくれた。いい子だ。


 館内に入った俺たちを歓迎してくれたのは大きな水槽だった。


「み、見てください、亮さんっ。お魚さんがたくさん泳いでますっ」

「まあ水族館だからね」

「むぅ……そんないじわるなことを言う亮さんなんか、き、き……嫌いじゃ、ない、です。うぅ……」

「なんで落ち込むの。ごめんって」

「……なんでもないですっ。……えいっ」


 拗ねた様子の愛花ちゃんだったが、笑みを浮かべたかと思うと俺の腕に抱き着いてきた。


「デ、デートですのでっ。これくらいはふ、普通、ですよねっ」

「人によるかなぁ」

「うぅ……!」

「ごめんごめん。……でも、本当に人によると思うからさ。愛花ちゃんのしたいようにすればいいんだよ」

「……はいっ。えへへ」


 愛花ちゃんは今日イチの笑顔を咲かせ、俺の腕を抱きしめる腕の力を強めてくる。どうやら、彼女のしたいことはこれらしい。


 それから俺たちは様々なテーマの水槽を眺めたり、イルカショーを観て大興奮になったり、クラゲがふわふわと揺れる姿を見て癒されたり、あどけない表情のラッコが食事をしている姿を見て胸をキュンキュンさせたりして、水族館を楽しんだ。


「りょ、亮さんっ。ペンギンさんですっ。かわいい……」

「なんだあの可愛すぎる生き物は。一羽持って帰ってもバレないかな」

「だ、ダメですよそんなことしたらっ」

「冗談だって。そういえば、長崎にはペンギンに触れ合える水族館があるらしいよ」

「えっ。ペンギンさんと触れ合い……はわわ。想像しただけで幸せになりましたっ」

「あはは。……じゃあ、今度行こっか」

「えっ……いいん、ですか?」

「うん。まぁ県外になるから、愛花ちゃんのご両親に許可を取らないといけないけど」

「ぜ、絶対に許してもらいますっ。わ、わたし、普段はいい子にしてるのでっ。お母さんもお父さんも、許してくれると思いますっ。そ、それに、亮さんのことも普段かからお話してるので……」

「え、マジ? どんなこと話してるの?」

「そ、それは……い、言えませんっ」

「そんな。俺に言えないようなことをご両親に報告してるのか……しくしく」

「うぅ……亮さんはいじわる、ですっ。……ふふっ」


 俺に揶揄われたにも関わらず、楽しそうに笑う愛花ちゃん。


 こうして俺たちは充実したデートを過ごすことができたのであった。




 * * * * *




 翌日の日曜日。


 俺の運転する車は、昨日と全く同じ場所を走っていた。ただ一点異なり、助手席に乗っているのは愛花ちゃんではなく奈津である。


「ふーん。昨日は水族館に行ったんだ」

「愛花ちゃんの要望でな」

「あっそ。……それで、車内ではどんな話をしたの」

「うーん、そうだなぁ」


 俺は昨日、愛花ちゃんと行きの車でした会話を思い出しながら、その話題を奈津に振る。すると奈津はそれに乗っかり、意外と話は盛り上がる。


「お、着いたぞ。しかも昨日と時間全く一緒だ」

「でもチケット買うからどのみちズレるんじゃない?」

「大丈夫。事前に買ってあるからさ」

「やるじゃん」


 俺は慣れた手つきで入館手続きを済ませ、昨日よりスムーズに中へ入っていく。


「まずは大きな水槽があってな、愛花ちゃんは『お魚さんがたくさん』ってはしゃいでたよ」

「水族館なんだから当たり前じゃない」

「俺も同じツッコミをしたよ」

「十人いたら十人同じツッコミするわよ」

「もしかしたら俺たちだけかもしれないぞ」

「……そんなわけないでしょ」


 ぶっきらぼうに返す奈津に、どうだろうなあと俺は笑いながら言う。


「あ、そうだ。愛花ちゃんはここで俺の腕に抱き着いてくれて、そっからはそのままの状態で歩いたんだよ」

「兄ちゃん、あたしの友達と何してんの?」

「いや、俺って一応愛花ちゃんの彼氏だから」

「彼氏役、でしょ」

「まぁそうだけど。……するんだろ?」

「……うん」


 彼女は一瞬躊躇った後、覚悟を決めたかのように勢いよく俺の腕に抱き着いてきた。


「お、しっくりくる」

「……めっちゃ恥ずいんだけど。このまま歩いたってマジ?」

「マジのマジよ。恋人っぽいだろ」

「……知らない」


 さっきから奈津の顔は真っ赤だ。なんなら耳まで赤くなっている。怒っているのかと思えるほどだが、実際はその真逆で、彼女の頬は緩みきっている。


「高校生にこんなことさせるとか、兄ちゃんマジ犯罪者だよね」

「俺の意思は介入してないんだが」

「うっさい」


 こんなことを言っている彼女だが、さっきから俺の腕に頬を擦り付けている。それは愛花ちゃんもしてなかったと思うけど、まあいいか。


 こんな感じで、俺は愛花ちゃんとのデートで行ったことを、実演という形で奈津に報告させている。これも、あの時交わした約束の一つだ。


 愛花ちゃんのお願いによって起きたことは、全て奈津に報告しないといけない。それをあの日、俺は確かに約束した。報告の形式までは知らされていなかったけど。


 土曜日に愛花ちゃんとデートに行って、日曜日に奈津と前日の再現をする。これが俺の週末のルーティンとなっていた。


 初めはなんで実演なんかするんだろうと思っていたが、彼女の反応を見ていると、まだ彼女はお兄ちゃんっ子で、だけど素直に甘えることができる年齢じゃなくなったため、報告という名目で俺に構ってもらっているだけなのかもしれないという推測を立てた。そして、それはおそらく合っている。


「あ、ペンギンだ。可愛い」

「な。一羽連れて帰ろうぜ」

「ダメだよ。うちじゃちゃんと飼育できないって」

「止める理由が奈津っぽいな」

「……愛花ちゃんは何て言ってたの」

「『ダメですよそんなことしたら』って諭されちゃったよ」

「ふっ。愛花ちゃんらしいし、兄ちゃん年上なのに年下に諭されててウケる」

「愛花ちゃんは大人っぽいからセーフ」

「……あたしはまだ子供っぽい?」

「いや。奈津も大きくなったよ。立派なレディーだ」

「なんか変態みたい」

「くそ! 何を言っても罵られる未来しか見えなかった!」

「……ぷっ。あはは」


 奈津が屈託のない笑顔を見せる。俺はそれを見て自然と微笑む。


 俺たちの関わり方はは少し歪んでいるかもしれないけど、こうして彼女の笑顔を見ることができるのなら、俺はそれでいいような気がする。だって、それが彼女との約束だから。




 * * * * *




 また別の日曜日。


 俺は車を走らせて糸島まで来ていた。もちろん日曜日なので、助手席には奈津が座っている。


「何で糸島に来たの? 牡蠣のイメージしかないけど、今は季節じゃないよね」

「なんか写真映えするスポットがあって、ちょっと行ってみたかったんだよ」

「ふーん。兄ちゃんが行き先決めるの珍しいね」

「まあ、たまにはな。ずっと愛花ちゃんに頼りっぱなしなのも悪いし」

「それもそっか。そういえばさ……」


 奈津は納得がいったみたいで、すぐに別の話題に切り替えた。


 それから数十分走らせて、やっとのことで目的地に到着。車から降りて、ブランコやらどこでも行けそうなドアやらが設置されている場所に移動する。


「え。あのドアってさ、どこ——」

「扉型瞬間移動装置みたいだな」

「……何その格式ばった名前」

「いろいろ配慮してんだよ。ほら、俺って大人だから」

「あたしと2歳しか違わないくせに」

「それでも俺は奈津の兄ちゃんだろ?」

「……うん。そうだね」


 それから俺たちを手を繋ぎ、もちろん指を絡め合わせ、他の変わった写真スポットを巡る。


「兄ちゃん、どうせ愛花ちゃんの写真たくさん撮ったんでしょ」

「バレたか。愛花ちゃんは写真映えするからな。彼女自身がスポットだったよ」

「……あたしは、どうかな」

「奈津も十分モデルになれるさ。ほら、兄ちゃんが撮ってやるからそこに立ってポーズ取って」

「……ひとりでポーズ取るの恥ずいんだけど」

「愛花ちゃんはやってたぞ。再現するんだろ?」

「……うん。やる」


 恥ずかしそうにしながらも、奈津は何とかポーズを取ってくれて、俺は何枚かその姿を撮影した。


「それじゃあ次は俺とも撮るか」

「……それは愛花ちゃんともやったの?」

「当たり前じゃん。これは昨日の再現なんだから」

「……それもそうだよね」

「おう。じゃあちょっと、その辺の人に撮影のお願いしてくるわ」


 同年代くらいのカップルの彼氏を捕まえ、その人に俺たちのツーショット写真を撮ってもらった。奈津に「それ早くちょうだい」と言われたので奈津の携帯に即送信してやると、彼女は自分の携帯の画面をじっと見て顔をほころばせていた。


 それから俺たちは残りの写真スポットを巡った後は、糸島のグルメを巡ったりとした。まあ、どれも昨日のデートの焼き直しなのだが。


 そしてそろそろ日が暮れる頃になったところで、俺はとある場所まで車を走らせた。


「最後がここだ」

「何あれ。白い鳥居と、その奥に大きい岩が二つある」

「あれは夫婦岩って言ってな、ここは縁結びのパワースポットでもあるんだ」

「……え」

「なんなら、最初に行った写真スポットはデートスポットとしても有名らしいな」

「……どうしてそんな所行ったの」

「どうしてって。俺と愛花ちゃんは恋人同士だし」

「それは! ……それは偽物の関係じゃん。愛花ちゃんの男性恐怖症を治すために、兄ちゃんで慣れようっていう話だったじゃん」

「そうだけどさ。よく考えてみろよ。何で既に慣れている俺と接することで、他の男性と接することができるようになるんだ?」

「え」

「結局さ、これまでやってきたことって、俺と愛花ちゃんとの関係値が深まっていくだけなんだよな」

「……ダメだよ」

「さて、奈津。ここで俺が昨日、愛花ちゃんとしたことを再現するか。運が良いことに、昨日と同じく他に誰もいないし」

「……え?」


 呆気に取られたような表情を浮かべる奈津の顔が、夕日に当てられて赤くなっていく。


「見ろよ奈津。鳥居をくぐった先にある夫婦岩の間に、夕陽が見えるだろ」

「……うん」

「あれを見てな、愛花ちゃんは綺麗って呟いたんだよ」

「……うん」

「だからな、我ながら少しキザだなって思ったんだけど、俺は愛花ちゃんの方が綺麗だよって言ったんだ」

「…………」

「そしたら愛花ちゃんの顔、夕日より赤くなっちゃってさ。それが面白くて、可愛くて、愛おしくてさ」

「…………あっ」


 俺は奈津の体を抱きしめる。その体は少し震えていた。


 だけどそれに構わず、俺は昨日の話を続ける。


「愛花ちゃん、最初はパニック状態になってたんだけどな、こうして頭を撫でてあげてたら次第に落ち着いてきてさ」

「ん…………」

「愛花ちゃんも察したんだろうな。俺が今からしようとしてることを。……愛花ちゃん、目を瞑って顔を上げてきたんだよ」

「え…………」


 奈津の小さな顎を持ち上げる。そして、


「だからさ、俺はこうしたんだ——」

「んっ」


 奈津の唇に、自分の唇を触れ合わせた。


 腕の中で震えていた体が止まる。それが数秒間続いた後、俺は彼女から離れた。


「ってな感じで昨日のデートは終了。それじゃあ帰るか」

「待って!」


 奈津に呼び止められる。彼女の顔は夕日より赤くなっていて、そして、涙で濡れていた。


「約束したじゃん! 兄ちゃんは本気になっちゃダメだって!」

「あぁ」

「また、また約束破った! もう約束は破らないって、約束したのに!」

「そうだな」

「……兄ちゃんから、愛花ちゃんにキスしたの? じゃあ兄ちゃんは、愛花ちゃんのことが……でもあたしも兄ちゃんにキスしてもらった。えへへ。でも愛花ちゃんの唇も、あ、あ、ああああ」


 その場で崩れ落ちて、泣きじゃくる奈津。


 大丈夫だよ。奈津。兄ちゃんは奈津との約束は破らないよ。


 奈津との最初の約束、覚えてるよ。兄ちゃんはそれをずっと叶えるために行動してきたからね。


『あたしをね、たくさん喜ばせてほしいの。お願い』


 だって、ほら。今の奈津。涙がたくさん出てるし、声にならない悲鳴を上げてるけど……今までで一番、最高の笑顔を浮かべているんだから。

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