桜が散る前に

宵待草

桜が散る前に

 「ねえねえ、咲良さくら

 

 僕は、自分のできる精一杯の無邪気な笑顔で呼びかける。


 「ん、なぁに?」


 毛先がウェーブがかった、細く繊細な髪の毛を揺らし、目の前に座っている、有坂ありさか咲良が振り向いた。

 ああ、もう本当に可愛い。


 「咲良って、好きな人いる?」

 

 こてっと首を傾け、わざとらしく訊く。

 突然の質問に、顔を赤らめる咲良。


 「い……いるよ」

 「どんな人?」


 えっと……、と考え込む素振りを見せる。

 しばらくして顔を上げ、頬をくれないに染めたままぽつりとつぶやいた。


 「すごく……話しやすくて、いつも一緒にいてくれて……」


 言いながら、咲良の声はだんだんと小さくなる。


 「それで—――……、今私の目の前に座ってる人」


 咲良が悪戯っぽく微笑んだ—――……。





 ……はいっ、以上、藍原あいはら有希ゆきの妄想劇場でしたー。


 僕は溜め息をついた。

 こんな妄想の通りになったらどれだけ良いか。

 そして頬杖をついたまま視線を斜め前の方にやる。

 先生の長ったらしい話を聞いているだけの歴史の授業でも、咲良は懸命にノートに書きとっている。


 「……偉いなぁ」





 「有希君」


 授業が終わると、咲良が僕の席に駆け寄ってきた。


 「咲良」


 僕は、授業中は無表情だった顔に、人懐っこい笑みを浮かべた。


 咲良は異性恐怖症だ。

 普段から異性と話すことすらままならない。そんな咲良が、唯一関われるのが僕。 

 幼稚園の頃から今、中三までの付き合いの幼馴染だからかもしれないが、多分、第一の理由は僕が中性的だからだろう。


 小さい頃から母親や姉に「可愛い!」と言われて育った。

 もちろんそんな母親だから、買ってくるのは女子でも男子でも着れるような服ばかり。

 その母親のおかげと言えばいいのか母親の所為せいと言えばいいのかわからないが、自分でも中性的な服を好むようになった。

 パーカー、裾の広がったズボン……。

 Tシャツも、ロゴがメインの男女兼用のようなものが多い。

 ちなみに髪型は、ストレートの髪を肩より少し上あたりで切った、女子が言うショートカットに近い髪型だ。

 

 ……だからだろうなぁ、咲良が僕とだけ話せるのは。


 そう思うと、なんだか空しくなってくる。

 一番傍にいられるのは、異性だと思われてないから、だなんて。

 確実に咲良のテンションは、女友達と話すノリだ。


 「ねえ有希君。今日の授業、面白かったねぇ」


 あ、ごめん。聞いてなかった。


 「もお、ちゃんと聞いてないと成績に響くよ?」

 「そだね、次からはちゃんと聞こーっと」


 うちの学校は中高一貫校だけど、咲良は外部の高校を受験をするらしい。

 確かにこの時期、成績は一番気にするべき懸案だろう。


 「でも僕、そのまま上がるつもりだしー」

 「高校に上がっても、中学生までの積み重ねが大事になるんだよ?」


 咲良は本当に努力家だ。


 「わかってるよー」


 僕が唇を突き出し、そう言った時だ。


 「あ、咲良」


 僕と咲良と仲の良い、真那まないずみだ。


 「やっほー、真那、泉」


 相変わらず人懐っこい笑みを浮かべたまま、ひらひらと手を振る。


 「有希君だぁ」


 真那がやっほー、と手を振り返してくれる。泉は口角を僅かに上げた。


 「二人とも、今日の授業、面白かったよねぇ?」


 咲良は僕にした質問を、彼女らにも繰り返した。

 真那と泉は顔を見合わせると、真那は手を合わせて謝った。


 「ごめんっ。私、全然聞いてなかった」

 「私は聞いてた」


 泉が素っ気なく言う。泉も咲良と同じく、外部の高校の受験をするらしい。


 「だよねぇ。この間の塾で習ったところと同じでさ……」


 咲良は屈託のない笑顔を見せ、二人は塾の授業の話で盛り上がる。

 僕には、その眩しさが羨ましい。

 そっと目を逸らすと、顔に貼り付けていた笑みを消した。


 あの笑顔を向けてもらえるようになりたい、—――……異性として。

 

 「おーいっ、有希ー」


 教室の端っこから、一人の男子がこちらに叫んでいる。

 その声に、咲良が肩をビクッと跳ねさせた。

 大丈夫だよ、と笑いかけて、その男子に叫び返す。


 「はぁーい、何ぃー?」

 「ちょっと来てよ」

 「わかったぁー」


 僕は、男子とも女子とも程よく仲良くなれるキャラで売っている。その方が学校では過ごしやすいからだ。

 行ってみると、最近発売されたゲームの話で盛り上がっていた。


 「なになに、僕も入れて―」


 一旦、咲良のことは忘れたかったので、男子たちの中にさりげなく混ざれたのは嬉しかった。





 「有希君、帰ろー」

 「うん、帰ろー」


 咲良向けの笑みを作る。

 咲良とこれまで通り関わりたいなら、同性の友達と見られていた方がいっそのこといいだろう、と悲しい結論に行き着いてしまった僕。

 どこにいても本当の自分を出せず、仮面を取り換えるように表情を変えている。


 「もう二学期も終わりだねぇ」


 そう言いながら微笑む咲良の口元からは、白い息が上がっている。


 「そうだねー」

 「そうだ、あのね—――……」


 いつもそう言って、咲良は雑談を始める。


 咲良の楽しそうな話に、僕が相槌を打つ。

 僕は、そんな当たり前の時間が永遠に続いてほしかった。

 もう中三、そんなことができないと知っていても、このまま時が止まってほしかった。

 〝当たり前〟が当たり前ではないことに、気づけないほどには子供じゃない。

 咲良には、無事志望校に受かってほしいと思うけれど、それとは真逆の気持ちも心の中で渦巻いている。

 —――……だって、咲良が受験に落ちれば、このまま同じ高等部に通える。

 慌てて首を振り、そんな考えを追い出した。

 そんなことを考えてしまう自分が本当に嫌だ。

 

 もう一生、来年なんて来なければいい。





 「またね」

 「うん、また」


 咲良の家の前で別れ、数百mと離れていない自分の家に帰る。

 いつものルーティーン。

 ふと、このルーティーンを続けられる月日は、もう四か月と残っていないんだ、ということに気づく。

 玄関に備え付けてある鏡をのぞくと、学校では絶対に見られないような情けない顔をしていた。

 大丈夫、まだ三か月以上あるじゃないか。

 自分を落ち着けるように、深呼吸をする。

 勢いよく顔を上げて鏡をもう一度見たが、なんだか今にも泣きだしそうな顔に見えた。





 月日は飛ぶように過ぎる—――……。





 この間までは〝まだ三か月〟だったのにな。

 気づけば、あの日から二か月近く経っていた。

 二月二十日。多くの都立高校受験生が受験勉強を一年で一番頑張っている日だ。

 明日は都立高校入試の日。

 咲良は一週間前から学校を休んでいる。


 「咲良に泉、大丈夫かなぁ……」


 家庭科の授業。

 心配そうに僕の隣で呟いているのは真那だ。


 「それより、自分の心配したら?」

 「はうっ」


 痛いところを突かれたように顔をしかめ、真那は机の上からすっ……、と目を逸らす。

 真那の机には、クシャクシャでツギハギだらけのブックカバー……の残骸がちょこんと鎮座していた。


 「有希ぃ、助けてよぉ……」

 「ヤダ」


 今、自分のを作ってるんだから。

 僕の返事を聞き、早くも諦めた真那は、手を挙げて先生を呼んだ。

 先生ならどうにかしてくれるだろうと思った僕は、ブックカバーの屍から視線を外し、桜色のフェルトに縫い取りを再開した。


 〝絶対合格!!〟





 ピーンポーン—――……。

 「有坂」という表札の家のチャイムを押す。

 しばらくして、家の中からバタバタという音が聞こえた。

 勢いよく玄関のドアが開く。


 「有希君……!」


 一週間休んでも、やはり咲良の可憐さは劣ることを知らない。


 「咲良、お疲れさま。勉強の邪魔しちゃった?」

 「ううん。そんなことない、来てくれて嬉しい」


 咲良が春の桜のように微笑む。

 こんなに気温は低いのに、咲良の周りだけ一足早く春が来たようだ。


 「……そっか」


 きっと、咲良は真那が来ても泉が来ても、僕へ向けた笑顔と同じものを浮かべるんだろうな。

 僕のことを異性だと認識しているかどうか問い質したいような気持ちを抑え、手に握りしめていたものを突き出した。


 「これ」

 「何、これ……?」


 咲良に手渡したのは、桜色のフェルトで縫ったお守りだった。


 「絶対、合格……」


 縫い取った文字を視線で追いながら呟く咲良。


 「お守り?」

 「うん、家庭科の授業で作った」


 咲良はお守りを裏返したり中を覗いたりしている。


 「ありがと」

 「そんな」


 咄嗟に声が出た。


 〝そんなに大したことじゃない〟


 そう言いたかったのかもしれないが、本心は違う。

 一度でも、咲良が受験で落ちてほしい、と思わなかったと言ったら嘘だ。


 「明日、頑張るね」

 「うん。今日はもういいから。風邪ひいちゃうよ」


 咲良がじゃあね、と手を振って、ドアがパタンと閉じた。

 その瞬間、顔に浮かべていた笑みは消え去り、その場にしゃがみ込む。


 —――……そろそろ罪悪感でどうにかなりそうだ。





 「受かった!受かったよ、第一志望!!」


 咲良から、彼女にしては超ハイテンションな電話がかかってきたのは、三月一日の夕方のことだった。


 「えっ、……おめでとー!やったじゃん!」

 

 やはり女子友達のノリでしか盛り上がれない自分に嫌気がさす。

 ……咲良の報告が、直接ではなく電話でよかった。

 だって、声だけは弾んでいるけど、顔はちっとも笑っていない。

 ……多分、受かって嬉しい気持ちと落ちてほしかった気持ちのバランスが、声と表情のアンバランスさで取れているのだろう。


 しばらく咲良と言葉を交わし、「明日から学校行くね」という声を聞くと、僕は自ら電話を切った。

 先程までの会話を自分の中で反芻してみる。

 何か、可笑しなことを口走らなかっただろうか。咲良に、受験に受かったと聞き、落胆した気持ちを気取られはしなかっただろうか。

 喉に違和感を感じて声を出してみると、無理に高い声を出した所為か、少しだけ痛みを感じた。





 桜はいつかは散る。

 それは知っていた。

 けれど、それがいつなのかなんて知りたくなかった。





 「桜、散っちゃったねぇ」

 「そだね」


 咲良は少し憂いを帯びた瞳で、校門の傍の桜の木を眺めている。


 「そろそろ行こっか。こんな日に遅れちゃったら大変」

 

 そう言う咲良は、ふわりと風に揺れる髪によく似合う、桜色の袴に身を包んでいる。

 僕はと言えば、普通にスーツだ。

 クラスの男子の中には袴を着る奴もいるらしいけどね。


 「有希くーん、本当に遅れたら困るって。卒業式だよー?」

 「わかってる」


 ここら辺の桜は、つい二日前の嵐で散ってしまっている。

 僕は、辛うじて残っていた、比較的綺麗な花びらを一枚拾い、胸ポケットに入れた。




 

 「三年A組。藍原有希」


 僕の苗字だが、どこの集団に混ざっても高確率で名前順は一番だ。

 練習の時にも、一番がゆえ、何度も練習をさせられて面倒くさかった。

 幾度となく練習で繰り返した、壇上への道筋を、今日も繰り返す。

 ……ただし、今日が最後だが。


 先生達の座っている席を振り返り、お辞儀。

 そこから舞台に上り、校長先生の前でお辞儀。

 卒業証書を受け取り、自席に戻る。


 この一連の動作が、全クラスの生徒分。

 気が遠くなりそうだ。

 できるなら、早く終わってほしい。


 なぜなら今日、僕は散りゆく桜にお別れを告げるのだから。





 式が終わった後、昇降口を出ると、校庭で在校生達が花のアーチを作ってくれていた。

 それを皆でくぐり、ところどころ紛れ込んでいる先生方に会釈をする。

 途中で担任の先生の姿を見かけたので頭を下げかけ、目を見張った。

 厳しいことで有名だったため、目に涙が光っていたことに驚いたのだ。

 可笑しさも感じたが、心のどこかで焦ってもいる。

 

 そんな先生でも涙を零してしまう卒業の日。

 僕は泣かずに散る桜を見送ることができるのだろうか。





 A組の出席番号一番。

 アーチをくぐっていた時も、もちろん先頭だった。

 続いて「有坂」で二番の咲良がアーチから出てくる。


 「先生、泣いてたね」

 「うん」


 そうだね、と口の中で呟く。


 「まだ実感が湧かないや」


 蚊の鳴くようにか細い声は、もう、今日でこの学校に来るのが最後だなんて、と続いた。

 ほとんどの人がそのまま高等部に進むのだが、都立高校に受かった咲良は違う。


 僕だって、全然実感が湧かない。

 咲良とこの学校に通うのが今日で最後だなんて。


 「皆、写真撮ってる」


 今更気づいたかのように言葉に出す。

 そして、自然に咲良の手を取った。


 「写りに行こ!」





 普段は持ち込み禁止なのだが、卒業式のため今日だけ許されたスマホは、次から次へと新たな写真を記録していく。

 真那、泉に誘われて撮り、クラスの男子に撮ろうと誘われ、どうせなら、と女子も入れてクラス写真も撮ってみたり—――……。

 隣に男子が来るたびに肩をびくりとさせていた咲良だったが、回数を重ねるごとに僕が大丈夫だよ、となだめる必要もなくなっていった。


 〝実感が湧かない〟と言っていた咲良だったが、いざ写真を撮ろうと友達を誘う段になると、「寂しいなぁ……」と涙を零していた。

 僕は、ずっと笑顔。

 泣きたい気持ちがないわけじゃない。

 僕には泣く資格がないと思ったからだ。




 

 「名残惜しいのはわかるけど、そろそろ帰ってくださーい。後は着替えてから個人でやってね」


 もう職員室に引っ込んでいた先生が一人、出てきてそう言ったときには、すでに結構な人数の人が帰宅していた。

 やはり内部進学が多いから、感傷的になっている人はあまりいないのだろう。

 徐々に引いていく人の波を眺めながら、僕と咲良は一番最後まで粘っていた。

 二人きりになって、少しの間、二人で桜の木を見上げていると—――……。


 「桜、散っちゃうのは怖くはないのかな」


 そう咲良がポツリと呟いた。


 「怖いよね、きっと。自分が今まで咲いていた木から、一緒に咲いていた花びらたちから離れていくのは」


 自分と桜を重ね合わせているのか。


 「咲いて、一番綺麗な時に散っていく。人間って、そんな感じだと思わない?」


 咲く、つまり生まれて、外の世界に飛び出していく—――……散っていく。


 「そう、かもね」

 「私、頑張って散るから。この命の終わりが来るときに、誇れるくらいに」


 だから。


 「見ててね」


 約束だよ、と咲良は笑う。


 「わかった」


 小指を差し出してくるので、僕はそれに自分の小指を絡ませた。

 こういうとき、再認識しちゃって困る。


 「そろそろ帰ろっか」





 帰り道。

 やはりグダグダとどうでもいいことを喋りながら歩いていく。

 そろそろ咲良の家の前か、という頃。


 「じゃあ―――……」


 またね、と言いかけたであろうその言葉は、驚きのあまり別の言葉に変わったようだった。


 「な、有希、君……」


 僕が咲良を抱き寄せたからだ。

 僕よりも低く、細い肩。

 力を入れたら折れてしまいそうだ。


 「最後にこれだけ聞かせて。僕のこと、異性だと思ってた?」


 腕の中でビクッ、と跳ねた肩が答えだった。

 それ以上何かを聞くこともできず、そっか、と呟くと、僕はゆっくりと咲良の体から腕を離した。


 「じゃあ、さよなら」


 いつもは〝またね〟というところを、今日だけは文言を変える。

 咲良は、何か言いたそうに小さく口を開いたが、結果、その口から言葉が発されることはなかった。

 咲良に背を向ける。


 咲良の家から少し行き、角を曲がったところで、胸ポケットから桜の花びらがひらひらと落ちた。


 —――……怖いよね、きっと。自分が今まで咲いていた木から、一緒に咲いていた花びらたちから離れていくのは。


 ううん、咲良なら絶対に大丈夫。


 —――……咲いて、一番綺麗な時に散っていく。人間って、そんな感じだと思わない?


 本当にいい例えだと思うよ。


 咲良の口から聞いた時に言えなかったことを、今になって呟いてみる。


 木から散る、一瞬の一生を咲良は頑張って生きていくという。

 僕も、過去は引きずらないで、前を向くから、だから。


 もし君が望んでくれるなら、偽りだらけの僕でも、君さえ望んでくれるのならば。

 再び、散りゆく二片ふたひらの花びらが重なり合うことができますように。

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