14.死に至るやまい 後

 不意に己の過去を話し出した赤毛に、話し上手な者ならば気のいた言葉のひとつでもかけるのだろうが。ジョシュアはそういった事は苦手なのである。ただ何も言わず、普段通りを貫く。


 それが正解なのかどうなのかも解らないけれども、この男が口下手なジョシュアにこの話をしたという事は、特に何か言って欲しい訳ではないのだろう。そう思うしかなかった。


 だがしかし。ここで忘れてはいけないのは、ジョシュアが今相手をしているのが常識というものが全く通じない赤毛なのだという事。

 この男は、他の吸血鬼とは違い、生粋の遊び人なのである。


「って事でさぁ――、戦い方も教えてあげてるんだし、相手、してくんない?」

「…………は?」


 唐突とうとつな赤毛の問いかけに、理解が追い付かず奇妙な声が出る。

 それにも構わず、赤毛は再びハッキリと告げた。


「セックスの」


 思いがけず爆弾を投下してきた赤毛に、ジョシュアは思わず言葉を失った。信じられないものでも見るような表情で見下ろせば、赤毛はジョシュアを見上げていた。意味深に笑って、コテン、と首を傾げてみせる。

 そしてもう一度、念押しするかのように、赤毛はハッキリと言ってのけた。


「セックス。俺の相手」

「……よそをあたれ」


 慌ててジョシュアは首を横に振る。けれども赤毛はめげなかった。


「だって朝きちゃうじゃん」

「ぐ」

「途中でぶっ倒れた君をここまで運んであげたのは誰かなぁ? 血ィいっぱいわけてあげたのは誰かなぁ?」

「……」

「あーあッ、俺もしかしたら人襲っちゃうかもしれないなぁー!」


 ジョシュアの弱味に付け込んで言いたい放題である。しかしジョシュアも、伊達だてに赤毛と共に時を過ごしていない。多少なりとも、赤毛への耐性は付きつつあるのだ。

 世の中には、素直に言う事を聞いてはいけない人種も山ほどいるのだと。


「アンタ、どさくさに紛れて血は口にしてただろッ! それに、『他の欲求を満たす』って意味ではあの戦闘もその内だろうが」


 そんなジョシュアの反論を聞いた赤毛は、途端にびっくりした表情になる。まるで、彼がそんな事を言ってくるなど想像もしていなかったかのように。


「わぁー……バレてたの。君も慣れてきちゃったねぇ、俺の扱い」

「自分で言うなッ。アンタの言葉をイチイチ真に受けてたらどんな目に遭わされる事か」

「アッハハ、流石に気付いちゃったか! いやぁ、訳も分からずで素直な君も中々面白かったけど……ま、その方が後々困らないよ。一つ、課題クリアかな? この俺のお、か、げ」


 語尾にハートマークでも付きそうな口調で言った赤毛にジョシュアは脱力する。そこまで分かっていた上で、ジョシュアの課題をひとつひとつ潰す為にそう言った言動をしているというのであれば。赤毛は中々の策士なのだろう。


 早々に気付けた事を幸運に思いながら、しかし今後も数日は行動を共にしなければならない事をジョシュアは嘆いた。


「さぁて、残る課題は後何日でクリア出来るかなぁー? あんまり遅いと姐さん一人でさっさと王都行っちゃうかもねぇ、最近この街出たりしてるみたいだし」

「えっ」

「あれ、知らなかった? ちょくちょく他の街出かけて行ってるよ。置いてかれてやーんの、ぷーくすす」

「……」

「あっ、もし姐さんに捨てられたら俺拾ってあげるからねぇ!」


 本気なのか冗談なのかもよく分からないそんな赤毛の言葉に、ジョシュアは心乱されてしまっていた。


 本当に、ミライアに置いていかれたらどうしようか。そんな考えても仕方のない事に、ジョシュアは不安を覚えてしまった。


 また、置いて行かれる。

 赤毛に拾われようが拾われまいがどちらでも良い。ただ、ジョシュアの中の何かを見出してくれたミライアが、もしジョシュアに本当に幻滅してしまったら――そう思うと、急に恐ろしくなってしまったのだ。


 ミライアならば、人間を吸血鬼にしておいて捨てる、なんてそんな無責任な事をやらかさないだろうという勘のようなものはある。


 けれども、他者――吸血鬼の心なぞジョシュアが理解しきれるはずも無く、ミライアの心変わりがあれば、それをジョシュアが止めるすべもない。ジョシュアの知らないミライアの人格があるのかもしれない。


 そんな事を考えてしまうと、急にガラガラと足元が崩れていくような感覚を覚えて、胸の奥がぎゅうと締め付けられるような気がした。本人が思っているよりも更に、ジョシュアは動揺していたらしかった。

 ミライアが、自分よりも何倍も強い女性だからか。嫌でもその時の事を思い出してしまうからか。


 ジョシュアの昔の話。

 才能に溢れる相棒を見送った時の事は、今でも夢に見る。

 本当は一緒に行きたかったのだ。自分にも彼女ほどの、彼等ほどの才能があればと何度も思った。中央で名をせ、この世界でも有数の伝説的な存在になった彼女らは、かつては自分の仲間だったのだと。


 その名前を聞く度に、ジョシュアは吐き出してしまいたかった。アレはかつて自分と共に旅をした仲間なのだと。知り合いなのだと。まるで虎の威を借る狐のようにみっともなく。


 性懲しょうこりも無く自分の夢を諦めきれなかったのは、幾度とない窮地きゅうちにも死にもせず、五体満足で生き残ってしまっていたから。とっとと死んでしまっていれば、戦闘不能になる程の怪我でも負っていれば、諦めもついたのかもしれない。


 中途半端な勘の良さというものは、自分でも嫌になる程に優秀だったのだ。使いこなせもしないくせに、一丁前に自分の命を張り付くように守っている。


 それでもようやく、ジョシュアは彼女らに追いつけたかもしれないのに。人の身ですら無くなってしまった。自分の犠牲ぎせいの上で掴んだそのチャンスですら、無為にしてしまっている。本当に、自分は何て駄目な奴なんだろうか。


 ジョシュアは久々に考え込んでしまった。それはこの身体になってからは、初めての事だ。ミライアが共に居ない事で、少しだけ気が緩んでしまっていたのかもしれない。考えるキッカケが出来てしまったからかもしれない。


「“影の”?」


 赤毛にジョシュアが教えた名前がそれだった。昔、彼が仲間内で呼ばれていた渾名のひとつだったのだ。縁の下、つまり“影”からパーティを支えていた彼に贈られたもの。


 彼も気に入ってはいたのだ。けれども時折、ジョシュアは考える事があった。まるで本当に、誰かの“影”になって見えもしない自分自身のようであると。名は体を表すとはよく言うけれども、まさに自分にお似合いではないか。

 それは、ジョシュアに定期的に訪れる死にも至るやまい。


 けれどもそんな時だった。起き上がったままだったジョシュアの身体が、突然バランスを崩し、そのままベッドへと逆戻りしてしまったのだ。


「――! なんッ」


 その衝撃で思考の渦から突然現実に引き戻されたジョシュアは、驚きの声をあげた。

 そして、突然そんなことをしてくれた犯人は、まるでふざけているかのようにジョシュアに向かって言った。


「はいはい、お疲れのバブちゃんはゆっくり寝ましょうねぇー」

「お前……」


 大変癪しゃくに触る言い方である。

 けれどもそれは、余裕が無い程に疲れ切っているジョシュアを気遣っての事であるのには違い無くて。顔をしかめるものの、ほんの僅かに赤毛に感謝する。久々に深くおちいってしまった自己嫌悪を、少しでも紛らわす事が出来たのだから。


 その原因を作ったのも赤毛本人であるには違いないのではあるのだが。それでもジョシュアを何とかしようとしている気概きがいは感じるのであって。ジョシュアはその時ようやく観念して、ベッドに引きずり込んでくる赤毛のされるがままとなった。


「ああ、そういや喉乾いてるんだっけか。……なら仕方ない、君にはをあげるから我慢してねぇ」

「おい待て、ってどういう意味だ“赤毛”」

「え? 何、嫌なの? しょうがないなぁ、それじゃあ特別にあげるから……“影の”のえっち!」

「おい待て、待て待て待て! 寄るな! 触るな! 見るな!」

「ヤダコレ辛辣ぅ、師匠の俺に向かって」

「ぐ、」


 その後も一悶着あって、ジョシュアは赤毛に散々振り回される事になった。けれどもそれは、ジョシュアの暗い思考を跡形も無く吹っ飛ばすには十分な威力であって。

 その前に考えていた事なんてものは、ジョシュアの頭の中からはとっくに忘れ去られてしまったのだった。

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