第2話 僕が払うんですか?

 やがて警察署に着くと、私は刑事に言われるまま、書記係とともに取調室に入れられました。


「まだ正式な死亡推定時刻は出ていませんが、恐らく夜中の一時から二時くらいだろうと思われます。その時間、あなたはどうされていましたか?」


「えっと、その時間は、ちょうど眠りについた頃ですかね」


 本当は三時頃まで起きていたのですが、その後の刑事の質問が予想できたので、私はとっさに嘘をつきました。


「何か隣の部屋から、物音のようなものは聞こえませんでしたか?」


「いえ、全然。僕、結構眠りが深いタイプなんですよ」


 予想通りの質問に、私は用意していた言葉を自信満々に答えました。

 ちなみに、物音が聞こえなかったのは事実で、もしかすると死亡推定時刻が違っていたのかもしれません。


「ところで、あなたは学生ですか?」


「いえ、一応会社員です」


「今日は会社はお休みですか?」


「いえ、そういうわけではないのですが……」


 言い淀む私に、刑事は「では、なぜ会社に行ってないんですか?」と追及してきました。

 ここで下手に言い訳をして、あらぬ疑いを掛けられるのは嫌だと思った私は、「ある事情があって、会社をズル休みしてるんです」と正直に答えました。

 すると……





「なんでズル休みなんかしてるんだ」


 刑事は態度を豹変させ、まるで犯人を見るかのような目で私を睨みつけてきました。

 私はその目にすっかり委縮し、そこに至った経緯をすべて話しました。


「なるほどな。まあ、お前の気持ちも分からんではないが、いつまでも今の状態でいても仕方ないだろ? 会社を辞めるにせよ続けるにせよ、はっきりと決断した方がいいんじゃないか?」


 大した事情も知らず上からものを言う刑事に腹が立ちましたが、私は「そうですね」と無難な回答をしました。


「ところで、お前まだ昼飯食べてないんだろ? 何か食べたいものはあるか?」


 刑事の言葉に、私はドラマのワンシーンを思い出し、「じゃあカツ丼で」と言ってみました。

 すると……






「何がカツ丼だ。お前はドラマの見過ぎなんだよ。パンか弁当を買ってきてやるから、早く金をよこせ」


 私はカツ丼を頼めなかった事より、昼食代を請求された事の方に驚き、「えっ! 僕が払うんですか?」と、思わず素っ頓狂な声を出してしまいました。


「当たり前だ。こんなのでいちいち金を出してたら、こっちの身が持たねえよ」


 私は『こっちは任意で来てやってるのに、それはないだろ』と心の中で思いましたが、無論それは表情には出さず、「じゃあ、幕の内弁当で」と言いながら、財布から千円札を出して刑事に渡しました。


 やがて刑事が買ってきた弁当を食べ終えると、早速限りなく取り調べに近い事情聴取の続きが行われました。


「ところでお前、隣人とは面識があるのか?」


「二、三回会ったことはありますが、話などは特にしていません」


「そうか。まあ、これはいずれ分かることだから言うが、被害者は乱暴された挙句、首を絞められて殺されている。犯人の動機が体目的だったのか金目的だったのかは分からないが、いずれにせよ残忍な奴だよ」


 私は刑事が発した生々しいワードにおののきながらも、「僕にそんな恐ろしいことはできませんよ」と、必死に声を絞り出しました。


「別に俺は、お前がやったなんて言ってるわけじゃない。ただ犯罪者というものは、精神的に追い詰められている時に、罪を犯してしまうことが多々あるんだ」


「僕は追い詰められてなんていませんよ! ただ、会社をズル休みしてただけじゃないですか!」


「一日、二日ならそう言えるかもしれんが、お前の場合一週間もズル休みしてるからな。精神が不安定だったと思われても、仕方ないだろ」


「…………」


 刑事のもっともな言葉に、私は言い返すことができず、ただじっと俯いていました。

 すると、そんな私の様子を見て、彼はなおも攻撃してきました。


「写真で見たが、被害者は結構美人だよな。お前、彼女に欲情して部屋に侵入したんじゃないのか?」


「僕がそんなことするわけないじゃないですか! さっきも言いましたが、僕はそんな恐ろしいことはできないし、精神もちゃんと正常ですよ!」


「どうだかな。まあ、それはこれからの捜査で、おいおい分かることだからな」


 刑事はその後、私の家族や友人、また学生時代のことや会社での人間関係を根掘り葉掘り訊いてきました。

 そして終わり際に、「もし犯人がお前の部屋に侵入していたとして、犯人と格闘になっていた場合、勝つ自信はあったか?」と訊いてきましたが、この質問は三十数年経った今でも、その意図がよく分かりません。


「じゃあ、今日はこのくらいにしといてやるが、まだお前の疑いが晴れたわけじゃない。明日の朝、鑑識員とともにお前の部屋に行くから、どこにも出掛けるなよ」


 刑事は最後にそう言うと、ようやく私を解放してくれました。

 そのまま刑事に見送られながら警察署を出ると、外は今にも雨が降り出しそうなほど厚い雲に覆われていました。


──この先、俺はどうなってしまうんだろうな。


 別の刑事に覆面パトカーで家に送られている車中、私の心は外の景色と同じように、どんよりと曇っていました。


 


   





 

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