会社をズル休みしたばかりに

丸子稔

第1話 ドラマみたいな出来事

 今から三十数年前、私は当時勤めていた会社で、日頃から折り合いの悪かった上司と壮絶な言い合いをしました。


「だから、さっきから何べんも言ってるだろ! なんでそれが分からないんだ!」


「言ってることは分かりますが、なぜそれを今やらないといけないんですか?」


「必要だからに決まってるだろ! 口答えしてる暇があったら、さっさとやれ!」


「お言葉ですが、それはできません。他にやるべき仕事があるので」


「なんだと? お前、上司の俺に逆らう気か?」


「今まで納得できなかったことも我慢してやってきましたが、今回ばかりは引き下がるわけにはいきません」


「お前、上司に楯突くとは、いい度胸してるじゃないか。いつから、そんなに偉くなったんだ?」


「僕は楯突こうなんて思っていません。ただ今回は、明らかに優先順位が違うので」


「やかましい! それは俺が決めることで、お前がとやかく言う問題じゃない!」


 まったく自分の意見を曲げない上司に、ついに堪忍袋の緒が切れた私は、「あんたがここまで無能だとは思わなかったよ。こんな所、居られるか!」と、強烈な捨て台詞を浴びせ、そのまま会社を飛び出しました。


 翌朝、まだ寝ていた私に上司から電話がありました。

 寝ぼけた声で電話に出ると、上司は「おい、いつまで寝てるんだ! 早く会社に出て来い!」と、促してきました。

 次の就職先をまったく考えていなかったので、正直言ってこの電話は有難かったのですが、上司を無能呼ばわりした手前、そう簡単に戻ることはできません。

 私は「少し熱があるみたいなので、今日は休ませてください」と嘘をついて、会社をズル休みしました。


 その後、上司は毎日電話をしてきましたが、私は「まだ熱が下がりません」とか「今度は下痢になりました」とかバレバレの理由を述べながら、一日中パチンコばかりしていました。

 そんな生活が一週間続いたある日の朝、私は隣の部屋から聞こえてくる話し声で目を覚ましました。


──朝っぱらから何を話し込んでるんだ? まあいいか。まだ九時だし、もうひと眠りしよう。


 私は特に気にすることなく、そのまま二度寝しました。

 そして昼前に眠りから覚めると、隣の話し声はさらに大きくなっていました。

 

──おい、おい。まだ話し込んでるだなんて、ただ事じゃないぞ。隣の部屋で一体何が起きたんだ?


 気になった私は、昼食の買い物をするがてら、ちょっと隣の様子を見ることにしました。

 部屋から出ると、隣のドア越しに聞こえて来た『殺人』とか『鑑識』というワードに、私は愕然としました。


──まさか、隣の部屋で殺人事件が起きたんじゃないだろうな。いや、そんなドラマみたいな話があるわけない。


 そんなことを思いながらマンションの外に出ると、周りは数台のパトカーと大勢の人に囲まれていました。

 その光景にしばし呆然としていると、ある人物が私に近づいてきました。


「私、こういう者ですが、あなた、このマンションの住人ですか?」


 その人は、私に警察手帳を見せながら、そう言ってきました。

「はい」と私が答えると、刑事は矢継ぎ早に「何号室ですか?」と訊いてきました。


「302号室です」


「そうですか。実は隣の部屋で殺人事件が起きたのですが、それはご存知ですか?」


 刑事のまさかの発言に、私は一瞬自分の耳を疑いました。

 しかし、刑事の真剣な表情と周りの状況から、それが冗談でないことはすぐに理解できました。


「はい。さっき隣から聞こえてきた話し声で、なんとなく分かりました」


「そうですか。ところで、今からどこかへお出掛けですか?」


「はい。昼食を買いに、ちょっとコンビニに行くところです」


「すみませんが、今から署で話を聞きたいのですが、可能でしょうか?」


 刑事の言葉に、私は一瞬躊躇ちゅうちょしましたが、ここで下手に断ると変な疑いをかけられるのではと思い、渋々承知しました。


「では、今から行きましょう。これに乗ってください」


 刑事はそう言って私をパトカーへ誘導し、多くのやじ馬に見守られる中、私は警察署へされました。





  


 

 

 

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