美佳(前編)

アルバイトが決まってしばらく経ち、5月の連休がやってきた。

真希もわたしも仕事に慣れるまでシフトは外せないので、女子大生になって初めての連休は結局予定が合わずバイト漬けになった。

でもおかげで仕事にも慣れ、今日はアキラが休みを取って凛子が一人で店番をすることになった。


連休ともなれば道内各地や本州からの観光客も多く、凛子は夕方を過ぎるまでひっきりなしに走り回っていた。


夜になってようやく来店も落ち着いてきた……缶コーヒーを片手にベンチに座って一息ついていたとき、一台の車が来店してきた。


その車は何度か見覚えのある、陶器のようなブルーが特徴的なBMWで、いつもはアキラが接客をしている。

BMWには珍しいマニュアル車で、しかも若い女の子が運転している、とアキラに興奮気味に話されたことを思い出した。

凛子は仕事用の笑顔を顔に貼り付け直して接客に向かう。


「いらっしゃいませ〜」

「あ、こんばんは。今日はアキラさんは休みですか?」

BMWの女はにっこり笑って挨拶する。女はモデルのような整った顔立ちをしており、その顔面から繰り出される笑顔は同性であっても心惹かれるものがある。


「アキラさんは今日お休みです。何かご用でしたか?」

「ああいえ、なんでもないんです。ハイオクで20L、お願いします。」

「お支払いはどうされますか?」

「クレジットカードで」


凛子は女からクレジットカードを受け取り、黄色のノズルを差し込んだ。店長が給油許可を出したのでトリガーを引いて固定し、フロントウィンドウを拭きあげる。

BMWのフロントウィンドウは何やら小さい虫が多数へばりついていて、虫の苦手な凛子はタオルを持つ右手から首筋に鳥肌が立つのを感じた。


「あ、ごめんなさい。窓拭かなくてよかったんです、いつもアキラさんにはそうしてもらってたから。」

「いえいえ、大丈夫ですよ(笑)こんなに虫、どこ走られてきたんですか?」

「ええと、山道とか走ると、結構虫付いちゃうみたいで……」


女の返答が歯切れ悪くなるのを感じると同時に、給油機から給油の終わった音が聞こえた。


「はーい、給油完了です。では支払い……あれ?うーん、このカード、使えないですね。」

「えっ?そんな。他にカード持ってないんですよね。」

「現金のお支払いでも大丈夫ですよ!」


「ちょっと待ってください……あれ?すみません、実はちょっと困ったことになってしまってて……」女は顔を赤らめながら言った。

「ええっと、どうされましたか?」凛子が嫌な予感を感じながら尋ねる。

「財布に現金も全然入っていないの。」


凛子は驚いて目を丸くし、一瞬、どう対応すべきか迷った。

店長を呼ぶべきか?そう思うのと同時に、女は思いもよらないことを言い出した。


「実は、このあいだあそこに止まってるのと同じ車を大学の駐車場で見たんだけど……あれってあなたの車よね?」

「初対面でこんなお願いするのも恥ずかしいんだけど、同じ大学のよしみで、ガソリン代、貸してもらえないかな?バイト代入ったらすぐ返すから!」


BMWの女は美佳と名乗った。

美佳はさっきまでの他人行儀な言葉遣いから一転、甘えるような態度に出てきた。

しかし、お金の管理ができないといっただらしない態度には厳しい凛子は、すぐには納得できなかった。


「そんな、知り合ったばかりの人にお金を貸すなんてこと、わたしはしたくないよ。」

「お願い!大学入ったばっかりで逮捕なんていやよ……」


美佳が泣きそうな顔になり、凛子はさすがにかわいそうかと思い始めた。


美佳は自分と同じ学生で、いま困っているのは確かだ。

それに彼女は私の車を見て私のことを覚えていた。真希と同じように、車好きの友達になれるかもしれない。


凛子はうなずき、ガソリン代を美佳に貸すことにした。


「まず、返済の約束をしてほしいな。」凛子は厳しい目で美佳を見つめた。「いつ、どのように返してくれるつもり?」

「えっと、そうだね…。2週間以内にまたスタンドに寄ったときに返すって約束するよ。」美佳は緊張した顔で答えた。


「分かったよ。じゃあ、今日はわたしが立て替えておくね。でも、約束はちゃんと守ってね。」

「ありがとう!本当に助かったよ。これLINEのIDね。お金の工面ができたら、早いうちに連絡するから。」


その言葉、信じて良いものか……

凛子は話半分に受け取って、美佳のBMWを店外に送り出した。


    ◇


連休明けの昼下がり、大学の食堂で凛子は真希に連休中の出来事を話していた。

美佳との出会いや、彼女にガソリン代を貸したことを語る凛子の声に、真希は興味津々で耳を傾けていた。


「そんなことがあったの。」真希は目を丸くして驚いた。「でも、ちゃんと返してくれるんだろうかね。」


そんな会話をしながら二人はランチを食べに学食に入った。


「あたしは油淋鶏のセット、凛子は?」「わたしは今日はうどんにしよ〜」


二人はお盆を持って空いている席を探すと、黒髪のロングヘアにモード系の装いの女が、全く不釣り合いな大盛の豚丼に舌鼓を打っていた。美佳だった。

真希はあっ、と声をあげて彼女の元へ歩み寄り言葉を投げかけた。


「ねえ、あなた美佳でしょ。そんな大盛り食べるお金があるなら、先に凛子に借りたもの返せばいいじゃない。」


美佳は声を掛けた真希を横目に、やや驚いた様子で答えた。


「あら、凛子じゃない。隣は友達?約束したのよ、次にスタンドに行くときに返すって。それにね、実はここ数日、家の電気や水道が止まってて、食べるものもなかったの。だからちょっと栄養補給してるだけよ。」


凛子と真希は美佳の言葉に驚いた。図々しいところもあるけれど、どこか憎めない彼女。凛子は美佳のことが少し心配になった。


「なんだ、それならもっと早く言ってくれたらいいのに。」凛子はやさしく言った。

美佳は苦笑いして答えた。「うん、そうだね。でも、初対面の人に言われたって凛子も困るでしょ。これからはちゃんとやりくりするし、迷惑をかけないようにするから。」


テーブルで向かい合った三人は、お互いに改めて自己紹介をすることにした。豚丼を平らげてお茶を飲み干した美佳は笑って話し始めた。

「じゃあ、改めて自己紹介するね。私、美佳って言うの。岐阜出身で、経済学部。」


美佳は標準身長の自分よりさらに長身で整った顔立ちをしていることに加え、黒髪のロングヘアを持つ美人であることが目につく。まるでモデルのような風貌だ。

凛子と真希は美佳の話に興味津々で耳を傾ける。

地元は岐阜だが、高校は名古屋市内に越境していたこと、カットモデルやストリートスナップの依頼を請けていたのでSNSでちょっとした有名人だったこと。


「でもね、大学は知らない世界で新しいことに挑戦してみたくって、だから北海道の大学を受験して、SNSのアカウントも消しちゃったの。」

美佳はそう言って、ちょっぴり得意げに笑った。凛子と真希は彼女の言葉に驚いた。


「それにしても細い身体してるのに、よくそんだけ食べるなあ。」真希が美佳のたいらげた丼を見て感心する。

美佳はドヤ顔で答える。「痩せの大食い?って言うのかしら。燃費悪いのよ、私の身体。」

「車と同じなのね。馬鹿喰いベンベ。」真希が皮肉を返す。


美佳はカチンと来て言い返す。「なぁによ!あんたが乗ってるの黄色いプジョーでしょ?車両代より修理代の方が高くつくポンコツの癖に!」

「それはそっちも大概だろー!」真希も引かない。

「ふふ、二人とももう息があってるじゃない。」凛子がにこにこ笑って二人を眺めていた。


    ◇


その日の夜、美佳が凛子にメッセージを送ってきた。

「借りてたお金のことなんだけど、次の日曜日は暇?もしよかったらその日にバイト代が出るからバイト先に来てくれたらすぐ返せるんだけど……」

「そういえば美佳は何のバイトやってるの?」凛子が尋ねる。

「真駒内の方でカフェやってるんだ。結構すごいお店だから、遊びにくる価値あると思うよ。」美佳が意味深なことを言い、店の地図とホームページのリンクをメッセージで送ってきた。


「Motorsport cafe GOTO……?」

見慣れない組み合わせの単語が気になった凛子は、真希を誘って日曜日にそのカフェへ行くことにした。


(後編へ続く)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る