「お前はいつまで俺に未練があるんだ」と言われましたが、貴方はいったい何を言っているのですか?

馴染S子

「お前はいつまで俺に未練があるんだ」と言われましたが、貴方はいったい何を言っているのですか?







「カテリーナ・デュエ・アミテール・ドラクロワ、お前はいつまで俺に未練があるんだ?」


 そう言った男は『煩わしい』と顔にはっきりと書いていた。

 立派な服を身に纒い、高い背から見下ろしてくる茶髪の彼の緑色をした目には、それを言った相手への愛着など無い。

 

「未練……?」


 言われた側の女、カテリーナは首を傾げた。


 

「未練とは、いったい何のこと?」

「とぼけるな」


 男は呆れた風に腕を組む。

 

「お前は、此処に俺が来ると聞いて、のこのこと現れたのだろう?」

「……ラッセル、貴方とのことは、もう決着がついたでしょう? 今更私がどうして未練なんて持たなければならないの」

「決まっている」


 男は顎をしゃくって、カテリーナに向かって雑に指す。


「お前はまだ俺が好きなんだ。 未練がましい女め、そんなだから未だに結婚出来ないんだぞ。 エリーザを見習え」

「…………」


 カテリーナは沈黙する。

 相手が何を言っているのか、頭から爪先まで、理解することが出来なかったからだ。


 



 ~・~・~・~・~



 カテリーナ・デュエ・アミテール・ドラクロワ。


 その父エドガー・ドラクロワは、国内外で高名な、王立研究所所属の高位魔法詠唱士だった。

 毎日研究ばかりで家庭を省みないような父だったが、それでもカテリーナにとっては未知なるものを生み出し続ける父の姿は憧れるもので、その父と同じ道をカテリーナもまた望んだ。



 そんな幼い頃から勉強漬けだったカテリーナをひどく心配した母は、友人の子とカテリーナを引き合わせた。

 母もあんな父に惚れただけあって同類だが、それでも『娘にはせめて女子としての楽しさに気付いてほしい』が理由だったらしい。



 その子こそが、エリーザ・ピノン・モリラ・クロノエルだった。

 クロノエル伯爵家出身の彼女はカテリーナと違って溌剌とし、いつも明るい美少女だった。


 系統こそ違うがエリーザはいつもカテリーナに着いてきて、カテリーナもそんな彼女を悪いように思っていなかった。

 やや陰気だが好奇心は旺盛なカテリーナにとって、エリーザは自分の知らない刺激を与えてくれる人物だ。 むしろ好ましくすら思っていた。

 

 そんなエリーザのおかげでカテリーナは化粧やおしゃれにも少しは興味を向けて、新しい化粧品を開発していった。

 

 

 そうこうしている間に二人は成長し、カテリーナは父も通った魔法学院に入学した。

 周囲に居るのはいずれも高位魔法詠唱士を目指す優秀な人間ばかりだ。 どこそこの高名な魔法詠唱士の息子、地元で天才ともてはやされた娘、貴族の子など色々居た。

 一緒に学院に通う中に、エリーザも居た。 カテリーナはその中に埋没しないように懸命に勉強し、かつて父も取った首席を目指した。




 だが、その目標は簡単ではなかった。


 

 彼女の前に立ちふさがった壁こそがラッセル・グイン・バロウズだ。 男爵家の次男だった。


 ラッセルの明るく魅力的な容姿は、カテリーナにとっては衝撃的だった。

 別に彼が勉強が得意だとか魔法に秀でているとか、そんなことは無かった。

 

 ただただ、何故か、ラッセルの言動の一つ一つからカテリーナは目を離せないのだった。


 そんな自分が許せなくて、カテリーナは更に勉強に没頭した。

 首席を取り続けたし、魔法だって誰にも負けないよう必死にかじりついた。

 

 だというのにカテリーナの目はラッセルの一挙手一投足から離れない。

 気が付けばラッセルの行動を目で追っている。


 少しでも自分のことを見ているだとか、自分の話をしているだとか、そんな気配を察知すれば、勉強なんて全く手につかない。

 おかしくなった自分に悔しくなりながらもっと魔法の鍛錬に励んでも、ふと気付けば『ラッセルは今頃何をしているだろう』という思いだ。



「お前、俺のことが好きなんだろう? お前と共に過ごすのは俺にとって価値がありそうだ、恋人として交際してやってもいいぞ」


 ――そんなカテリーナのことをどう思ったのか、ラッセルからそんな申し出があった。



「バカなことを言わないで」


 カテリーナはそう返事した。

 

 返事こそしたものの、いざ言語として出されると、『そうなのかもしれない』という感覚があった。



 そう、カテリーナはラッセルに惚れていたのだ。

 だからラッセルの発言は、決してラッセルの自惚れなどでは決してなかった。

 

 ラッセルの言葉以降、カテリーナは己の感情を自覚してしまった。

 ラッセルの行動を視線で追い、言動を耳で捉え、今まであれほど愛していた研究が手につかなくなってしまった。


 

「じゃあ本当は好きなのよ! カテリーナは告白するべきだわ!」


 エリーザはそう言った。


「でも私は一度断ってしまったわ……なのに『やっぱり好きでした』なんて恥ずかしい……」

「だけど好きなのでしょう? 恋は本能だから、理性で抑えられるものではないのよ? 言わないまま我慢するより、言って恥をかいてしまった方が楽よ?」


 エリーザはそうケラケラと笑って言った。

 

 彼女は頭の良い人ではないが、しかしたまに本質を突く。

 勉学の量こそがその人物の質ではない、と彼女の存在が証明しているようだ。

 だからカテリーナはエリーザのことが大好きだった。



「ねえラッセル、貴方は笑うと思うけど、私は実は貴方のことが好きだった……みたい……」


 そう羞恥心とか色々な感情を抑えながら、カテリーナはラッセルに告白した。


 一度フッておいて告白などとても恥ずかしかったし、嗤われるのは覚悟の上だった。

 エリーザが一緒について来てくれて、陰で隠れて見ていると思ったからこそ、勇気を振り絞ることが出来たのだ。

 

 そしてラッセルは笑ったのだ。


「ほらな、やっぱりお前は俺が好きだったんだ」


 と、妙に腹立つような、いつも通りのラッセルだった。



 それからラッセルとカテリーナは恋人同士になった。

 とはいえカテリーナには『恋人』の正しい姿なんてよく分からないし、ラッセルはだからって甘くなるような男でもなかった。


 ただなんとなく一緒に居る。 なんとなく一緒に居て、一緒に勉強して、会話する。

 その程度だ。


 たまにラッセルから手を繋いできたり、視線が合って向こうが笑ったのを見ると、カテリーナはやたらとドキドキした。

 一緒に魔法用の素材を買いに行くのが、これがデートだろうかと思うぐらいだった。


 ただ二人きりでデートをするのが恥ずかしくて、エリーザに沢山相談して、たまにエリーザに着いて来てもらった。

 ――これが良くなかったのだと思う。


 

 カテリーナとエリーザは仲良しだ。

 そしてラッセルとエリーザも仲良しになった。


 大切な友達が大切な人と仲良くなることはカテリーナにとって歓迎するべきことだったから、二人がカテリーナの居ないところで行動したところで、別に気にしていなかった。


 

 やがてカテリーナとラッセルとエリーザは学院を卒業し王立研究所所属の高位魔法詠唱士となった。

 つまり、カテリーナは見事に憧れの父と同じ地位になることが出来たのだ。



 この頃には父は研究のし過ぎで体を壊し、亡き人となっていた。

 あまり褒めてくれない父だったが、きっと『流石は俺の娘だ』とでも言ってくれたに違いない――とカテリーナは勝手に思っている。



 ラッセルとカテリーナは近い場所で、新しい魔法や薬の開発に勤めた。


「おいカテリーナ、この魔法薬は革命的で売れるぞ。 どうだ、凄いだろ」

「……待ってラッセル。 此処に『シャレ山で最初に光を浴びた朝露を一滴』ってあるけど、これだと稀少すぎて他の人も使えるように出来ないわ。 代用として『アリハ鳥の巣にある唾』がいいと思う、こっちだと入手しやすくて量産しやすいから」

「うーん? ……ああ、そうかもな? うんうん、じゃあそうしよう。 カテリーナは、流石は俺の恋人だな」


『俺の恋人』だなんて言ってラッセルが誉めてくれるから、カテリーナは嬉しくて沢山協力した。


 そのおかげで、ラッセルはいくつかの開発を世に発表することが出来た。

 たとえば『手回しで魔力補充が出来る照明』や『設置することでその場所を録画出来る装置』『好きなところに虹を生み出す薬』『風を纏める薬』などだ。

 どれも便利だと言われ、たくさん売れ、ラッセルは喜んでいた。



 カテリーナが手をつけたのは、主にラッセルが手を出しそうにない、女性用の化粧品だ。

 肌の調子を整えるための水、髪を洗う粘性のある液体、シミやソバカスを見えなくするための粉などを開発した。

 もちろん最初に自分で試して、次にエリーザに渡した。


 エリーザは効果に感動し、それらの化粧品を社交界に広めてくれた。

 まるで『エリーザが開発した』かのような広まり方をしていたが、カテリーナは特に気にしていなかった。

 地味で社交性の無いカテリーナより、花があり愛されるエリーザが広める方が圧倒的に早いと思ったからだ。


 それに一度。


「夫人、実はその化粧品、開発したのは私なんです……」

「貴方が? ふふふ、面白い冗談ね。 こういったものに興味があるなら、貴方はもっと美しいはずよ? エリーザのことが羨ましいからって、奪ってはいけないわよ」


 ――などと、笑われた。


 確かにカテリーナのような自分の容姿を大して省みないような人間が『実は私が開発しました』などと言ったところで冗談にしか聞こえないだろう。


 誰もがカテリーナの容姿に注目する。

 大して魅力の無い女の開発した化粧品に、いったい誰が注目するのだろうか。


 だったら現状維持、エリーザが開発したということにしておいた方がいい。


 

 

 その間、ラッセルは更に出世した。

 カテリーナが協力して出したものが世に認められて、ラッセルが出世するのは嬉しいことだ。

 王立研究所の次期所長に推薦されるほどの出世だ。 既に引退していたカテリーナの父よりも上だった。


 エリーザも更に出世した。

 化粧品は多くの貴族夫人や令嬢に愛され、エリーザは次期副所長、つまりラッセルの次の権力を得ることとなった。


 カテリーナは、出世しなかった。

 目立つことがあまり好きではなかったから、もっと忙しくなるだろう二人のために、二人の研究を助ける資料を纏めることで忙しかった。


 二人の性格や系統を考えて、二人の興味がありそうな分野を考察して、二人の研究がより高みに至るように纏めた資料だ。

 これを二人に渡したら『流石は俺の恋人だ』とか『流石ねカテリーナ』と喜ばれた。

 だから、平でもいいと思った。


 


「俺は結婚しようと思う」


 そして、そうラッセルに言われたのは、次期所長となることが確定した日の晩だ。


「急で忙しかったから指輪など用意出来ていないが……カテリーナ、生涯俺のために、俺に尽くしてくれるか?」

「ええ、ええラッセル……!」


 カテリーナはとても嬉しかった。

 地に足がつかないほど舞い上がり、その日の晩は眠れなかった。

 

 そして就任記念パーティで、結婚の発表をするとラッセルは言った。

 カテリーナは嬉しすぎて、緊張のあまりに眠れなかった。


 エリーザには伝えなかった。 きっと、驚くだろうと思ったからだ。



 就任記念パーティで、その祝いを周囲の人々から受けながら二人は嬉しそうに笑った。

 互いに互いの手を取り、互いを見つめて微笑んでいた。


 そんな光景に少し胸を痛めながらも、カテリーナは、二人とも大切な人だからと無視した。

 ラッセルの恋人は自分だ。

 彼にとってエリーザは大切な友人でしかない。 ラッセルの恋人はカテリーナだ、だから嫉妬など必要はないと。



「俺は所長、エリーザは副所長。 同期でありながらカテリーナは相変わらずの平だな」

「もうラッセルたらぁ! カテリーナは私達の補佐としてよく頑張ってくれたじゃない!」

「ああそうだったそうだった。 カテリーナは俺たちにとって、必要な人材だ」


 ラッセルは頷き、エリーザはより嬉しそうに微笑んでラッセルの腕に抱き着く。

 まるで恋人同士のようだ。

 

 カテリーナとラッセルの二人こそが、恋人同士である。

 このことは研究所の人間だって知っていることのはずだが、エリーザの遠慮のない態度に顔をしかめる人間は居なかった。

 二人の距離が近いのは以前から知っていたが、これでは誤解されてしまう。


 見ていられなくてカテリーナは窓の向こうに広がる夜空を見た。



「カテリーナのおかげで、私は化粧品の開発が出来て、エメイン侯爵夫人や多くの素晴らしい方々に認められたの! 持つべきは大切な友達ね、ラッセル!」

「俺の地位は俺のおかげだが、お前という有能なが居て良かった」

「そうそう! カテリーナ、これからもずっと私達の友達で居てね!」

「………………え?」


 聞き違いだろうか、とカテリーナは顔をあげる。



 二人は相変わらず親しげに腕を組み、恋人のごとく距離が近い。

 エリーザはラッセルの腕に抱き着いて頬を寄せ、ラッセルの腕に自分の豊かな胸を押し当てている。 ラッセルはそんなことに気付いていないかのように、ごく自然な態度だ。



「ゆ、友人…………?」

「え? カテリーナは私の友達でしょお?」

「ううん、エリーザはそう、私の大切な親友、親友だけど」


 そんなことよりもラッセルだ、とカテリーナはラッセルを見た。

 

 今『友人』と、カテリーナに言った。

 恋人なのに。

 今確かに付き合っているはずの、結婚すら視野に入れているはずの恋人に向かって『友人』などと言った。


 カテリーナの表面を、冷たいものが駆け抜けたかのようだった。

 きっと何かの冗談だろう。


「もうラッセル、ラッセルの恋人は……」

「……ああそうか、気付いてなかったのか。 ははは、照れるな」


 ラッセルは笑っていた。

 カテリーナの希望をあっさりと踏み砕くかのようだった。



「諸君! 俺の所長就任祝い、そしてエリーザの副所長就任祝いのパーティに来てくれてありがとう! だがもう二つ、めでたい発表をさせてほしい!」


 そしてラッセルは、その場に居る全員に向かって、大声で言った。

 自分の元にエリーザを強く抱き寄せて、エリーザは満更でもなさそうに笑っている。



 でも今は少し我慢すればいい、とカテリーナは拳を強く握りしめた。

 これから自分とラッセルの婚約発表があるのだ。

 今ぐらいこの二人の距離は甘く見てあげるべきだろう。 


 カテリーナはラッセルを信じた。

 信じていた。



「――――俺、ラッセル・グイン・バロウズは、こちらのエリーザ・ピノン・モリラ・クロノエルとの婚約を発表する!!」


 高々と。

 カテリーナへの裏切りを、まるで誇らしいことに言い放った。



「エリーザは美しく聡明な令嬢で、多くの女性に沢山の貢献をしたことで知られている素晴らしい人物だ。 俺の人生の伴侶に相応しい、とても優秀な人材だ」


 ラッセルはエリーザを、大切に扱っている。

 カテリーナを、ではなく。



「彼女は伯爵家の令嬢だ、そのような高貴な人との婚約をこんな急に発表するなど礼儀知らずと思うかもしれないが、それでも俺は、エリーザを愛している!」

「私も! ラッセルを心から愛しているわ! この研究所に居る前から私達は愛しあっていました!」

「どうかこの、魔法の才能だけはある愚かな二人を祝福してほしい!」


 エリーザはラッセルに続いて高らかに言い。

 ラッセルは、何も否定しない。


 カテリーナに対する裏切りを堂々と誇らしげに、何の恥もなく。


 

「ま……待って?」

「カテリーナ、急な宣言で驚いただろう? だが見ての通りだ、俺達は以前から付き合っている」

「以前って」

「言ったじゃないか、この研究所に来る前……つまり、学院の頃からだな?」


 カテリーナは愕然とした。

 本当にそうだとしたら、カテリーナは何なのだろう。



「ラッセルと付き合ってるのは、私じゃないの……?」

「確かに受けてやったが、お前はつまらない女だっただろう? だから付き合ってすぐに、俺達はただの友人に戻ったじゃないか」

「戻っ……てない! いつそんなこと言ったの、私達、研究所に入ってからも一緒に食事もしたじゃない……!」

「エリーザと俺の楽しいデートにお前が割って入ったの間違いだ」


 ラッセルは堂々としていた。


 まるで間違っているのが、横恋慕しているのがカテリーナであるかのような物言いだ。

 それどころか、ただの邪魔者であるかのように、扱われている。



「ねえカテリーナ、貴方はずっとラッセルと付き合ってると思い込んでたけど、ラッセルと恋人としての付き合いがあるのは私よ? 貴方は、ラッセルにとってはただの友達。 カテリーナはちゃんと現実を見るべきなのよ?」


 ラッセルとくっつきながら、エリーザの言葉。

 まるで、カテリーナが勘違いしていたのが悪いかのような。

 


「わ……私のことが嫌なら、はっきりそう言ってほしかった……! 二人なら、祝福出来たのにっ……!」


 震える声でそう訴える。

 悲しいが、もしカテリーナがつまらない女で、ラッセルがエリーザを選ぶのなら、もっと前に伝えてほしかった。

 学院に居る頃から恋人としての付き合いがあったのなら、そう言ってほしかった。


 いくらなんでもこんな時に、一番残酷な形で伝えるのはやめてほしかった。



「ん? まさかお前、この俺が、お前みたいな研究しか能が無い、爵位もない、つまらない平民女と結婚する……なんて思ってたんじゃないだろうな?」

「そうなのよ、カテリーナったら昔から思い込みが激しいんだから……」

「まったく冗談がきついな、どうして俺が平民と」

「今まで優しくしてあげてたから、勘違いをしたに違いないわ」


 そう言って微笑み、エリーザは状況に困惑している客に向かって愛想を振りまいた。

 カテリーナに対して誠意のある様子など、無かった。



「申し訳ありません皆様、私の親友は動揺しているのです。 昔から思い込みが激しくて、私やラッセルの発明も自分のおかげだと思い込んでいるほど妄想癖が激しい子でした」

「…………」

「でもどうか許してあげてください。 学院首席だった昔の自分に執着して、現実を受け入れるのに時間がかかっているのです!」



 彼女はまるで、舞台女優のようだった。

 全身に光を浴びて、自分は世界一心優しい女であると言わんばかりだった。



 誰もが涙ぐんで訴えかけるエリーザに同情し、カテリーナのことは『呆れた女だ』などという目で見て来る。


 元々社交界に顔を出していたのはエリーザで、カテリーナはそういったことは興味が全く無かった。

 だからエリーザの言葉の方が遥かに重く真実味を帯びていたのだろう。

 カテリーナの言葉を信じようとする人間は、同じ研究所の人間にすら、居なかった。




「まったく……君には呆れたよ、ドラクロワ君」


 そう言いながら現れたのは前所長だった。

 彼はカテリーナが学院に居た頃から知っている人物で、父の知り合いでもあり、カテリーナにとっては第二の父とも呼べる人物だった。

 もちろん、ラッセルとカテリーナが交際していることも知っている。


 そんな彼が、非常に呆れて軽蔑した目でカテリーナの前に現れる。



「君はクロノエル君とバロウズ君の足を引っ張っていたそうじゃないか。 学院時代の輝かしい君は、いったいどこに行ってしまったんだ?」

「待ってください、所長……」

「君には失望したよ。 私は信じていたのにね……」


 前所長はカテリーナの言葉を聞かなかった。

 何も聞こうとせず、勝手にがっかりしていた。


 そういえば彼は貴族出身だが、家系図を遡ればクロノエル伯爵家――つまりエリーザの実家が本家に当たるのだ。


 だから、前からずっと、何もなくともエリーザには優しかった。

 雑用はカテリーナに押し付けて、エリーザにはお菓子を渡していた。

 重い触媒はカテリーナに持たせ、自分はエリーザとお話をしていた。

 


 嫌な予感と、今まで受けてきた小さな積み重ねが、カテリーナにのし掛かる。


 

「待ってくださいデーン前所長、たとえば平民であろうと、俺はカテリーナの能力は友人として評価しているんですよ」


 ラッセルは『分かっている』とばかりにカテリーナを見た。

 相変わらず生意気で、自信満々で、そして魅力的な人だ。



「かつて首席だった頃の能力をいつか取り戻してくれると俺もエリーザも信じています。 ――だから俺は彼女のことを、所長補佐に任命しようと思う!!」


 ラッセルはつまらないことを言った。

 カテリーナが望んでいたのはそんなものではないと分かっていたはずなのに、まるでそれに間違いなど微塵も存在しないと言わんばかりだ。


「良かったわねっカテリーナ! ラッセルは優しいから、貴方の思い違いも許してくれるのよ」

「…………ち、ちが……」


 カテリーナが欲しいのはそんな言葉ではない。

 望む地位も、立場も、そんなものでなかった。


 だというのにエリーザはカテリーナに見せつけ続けている。



 そして周囲の人々は、哀れな道化のカテリーナのことは省みない。

 むしろ立派なことを言うラッセルとエリーザの優しさと明るい未来へ、祝福の拍手をしていた。



「ラッセルもエリーザも、どうしてこんなことをするの……私達、友達じゃない、恋人だったじゃない。 私のことが嫌いなら嫌いでもいいから、せめてちゃんと言ってほしかった……!」

「もーっ! カテリーナったらぁ? それってもしかして、嫉妬?」


 エリーザはカテリーナの前にずいと寄った。

 喜びを表に出して、興奮して赤い顔をしていた。



「私の立場が羨ましいからって、嫉妬しないでね。 貴方がどんな妄想をしたって現実は変わらないんだから……私の研究も、立場も、ぜーんぶ私の実力なんだからね?」

「実力って」


 エリーザは化粧品の開発で評価されている。

 だがそもそも、エリーザは化粧品の開発にあまり関わってはいなかった。


 基礎的な理論や材料を集めて実験したのはカテリーナであって、エリーザがやったのはその外装や色ぐらいだ。

 確かに『無関係ではない』かもしれない。

 だがカテリーナが彼女に任せたのは世間に広めることで、決して『自分が開発した』などと嘘を吹聴することではなかった。



「……まさか、化粧品の開発を『自分の発明だ』って言い触らしてたの? エリーザが、自分で?」

「だって私のおかげで広まってるんだから、私の発明ものじゃない? カテリーナじゃあどうあがいたって此処まで広めるのは無理よね?」

「…………」


 てっきり、貴族の夫人たちが勝手に勘違いしたのだと思っていた。

 エリーザがそれをはっきりと否定しなかったから、そのせいで、勘違いが広まったのだと。



 目の前が真っ暗になる気分だ。

 信じていた恋人と親友から、ずっと裏切られていた。

 いいや、『そう』だと思っていたのは、カテリーナだけだったのかもしれない。


「……信じてた、のに」


 カテリーナは、出来れば今すぐ倒れてしまいたい気分だった。

 でも、倒れてはいけない。

 倒れたら、もっと悪いことしか起こらない。



「やだっ、カテリーナったらそんなに私のことを睨まないで? 私達は親友でしょ?」

「きっと俺に未練があるのだろう。 ずっと俺の恋人だと思い込んでいたからな」


 二人は何かを言っている。

 だがそれを聞くカテリーナの全身は、すっと冷めていくようだ。

 

 今までの情熱とか興奮とか、そういったものが何処かに消えてしまった。


 

「今後も、! 優秀な私達の補佐をお願いね!」

「お前はつまらない女だが、使える女だと思っているのは今も変わらないぞ」


 明るい未来を持つ二人は、自信満々でカテリーナを見ている。

 まるでカテリーナが、これだけの扱いを受けても、二人と共に居続けるのだと確信しているかのようだった。

 信じられない。

 


「……は、補佐? なんで私がそんなことをしなきゃいけないの」


 カテリーナの口から出たのは、自分でも信じられないほど冷酷かつ平坦な声だった。

 まるで人形が口を開いたかのような音だ。

 

 二人に感じていた友情も親愛も恋も、全部消えてしまった。

 バカバカしくて仕方ない。

 


「お二人とも、婚約おめでとうございます、どうぞ私の知らないところで勝手に幸せになってください」


 冷めた心で、カテリーナは二人に向かって丁寧に頭を下げる。


「は?」

「え?」


 ラッセルもエリーザも驚いた顔をした。

 どうやら本当に、カテリーナがこんな態度に出るとは思っていなかったようだ。

 二人にとってのカテリーナとは、何だったのだろう。


 だがカテリーナはそんな二人の反応などどうでもいいと、その場のざわめきも無視して踵を返す。



「はっ、おい! カテリーナ!? なんだその態度は!」


 ラッセルが何か騒いでいる。


 しかしカテリーナは構うことなく会場を出た。

 本当に全てバカバカしくて、仕方が無い。


 ラッセルが必死に追いかけてこないと知ると、何もかもが爆発したような気分で、逃げるように走った。





 ~・~・~・~・~・~





 

 屈辱的な就任記念パーティをさっさと抜け出したカテリーナは家に帰り、すぐに荷物を纏めた。

 特に行く場所があったわけではないが、とにかく二人に会いそうな場所には居たくなかったのだ。


 身支度をするカテリーナを見た母は、何も言わない娘を見て溜息を吐いた。

 出かける直前までラッセルとの婚約にときめいていた娘が、怖い顔で黙って帰ってきて身支度をしたのだから、何かを察したのだろう。


『これはね、お父さんが生前貴方の為にって貯めていたお金なのよ。 『今まで何もしてやれなかったが、娘に自由に使わせてやれ』ってね。 要らないなら燃やせばいいわ、貴方の好きに使いなさい』


 そう言って、母は銀行の通帳をくれた。

 そこに記載されていたのは、一か月遊んで暮らしても余る程度の、とんでもない金額だった。

 

 そのお金をありがたく受け取り、自分の貯金も持って国の外に出た。

 王立研究所の話なんて、国内に居たら嫌でも聞くだろうから、どうせなら国外で良いと思ったのだ。


 それぐらい、あの二人のことは知りたくなかった。

 たとえ別人だとしても、あの二人の名前すら聞きたくなかった。

 

 だというのに。




「……お前、まさかカテリーナか?」


 挨拶を一通り終えて、それでも尚忙しい『連れ』と離れていたカテリーナの耳に、世界一聞きたくない声が届いた。


 嫌々で振り向けば、この三年間ずっと会わずに済んだ、見たくもない男の顔があった。

 紳士淑女の集まる華やかなパーティーの会場でも、彼の姿はよく分かった。



「……ら、ラッセル……?」

「やっぱりお前か!」


 この祝いの場に釣り合う立派な紳士服を着た男は、カテリーナを見て近付いてきた。

 

 この三年間、見たくもない顔だった。

 時間が過ぎたことで向こうの髪型に変化があった程度だが、見れば一瞬で誰か分かってしまった。


「どうして……」

「何故お前が此処に居る!?」


 カテリーナの震える声を遮るようにラッセルは怒鳴る。

 

「此処はお前みたいな女が居て良い場所ではないぞ、どうやって潜り込んだ」


 久々に会う、急に消えた知り合いに放つ言葉ではないと思った。

 しかしラッセルには、そんなことを配慮する心は無い。

 

「な、なんで……?」

「『なんで』だと? お前みたいな平民に相応しくない場所だと言っているんだ」


 どうしてそんなことをラッセルに言われなければならないのか分からず、カテリーナはついつい閉口する。


 確かに彼の知るカテリーナは、このように華やかなパーティーで、綺麗なドレスを着ているような人間ではない。

 だがしかし、カテリーナは此処の主役なのだ。

 居て、何が悪いと言うのだろう。





「まあっ! カテリーナ、カテリーナねっ?」


 エリーザが甲高い声をあげ、のこのこと姿を現した。

 あれから三年過ぎたが、相変わらず美女なのは変わらないもの、同時にやや老けたように感じられる。


「あらあら、一瞬気付かなかったわ。 カテリーナのくせに色気づいちゃって……」


 エリーザはカテリーナの服装や髪型を見て、鼻で笑った。

 それからラッセルに、甘えるように抱き着く。


 エリーザが着ているのは、もう三年戻っていない故郷の国で今流行っている柄の高級ドレスだ。

 反対にカテリーナが着ているのは落ち着いた色合いの、この国の伝統型で作られた最新式の糸を用いたドレスだった。

 

 一応、カテリーナが着ているのは金飾りも、そっと胸に飾られた銀月真珠も、何もかも高級なものだ。

 しかしエリーザの派手なドレスに比べれば飾りや模様は少なく地味である。

 二人が並べば、どっちが目立つのかは明白だった。




「こんなおめでたい場所なのにこんな地味ぃーなドレスを着て来るなんて……あはっ、帝国伝統の形だけど、布地は本当に地味ね! 私の『太陽布』のドレスを見なさいよ? 自分が作った『太陽布』のドレスを着てもらえないなんて、キャサリン博士は怒るんじゃなーい?」

「おいおいエリーザ、こんな粗末さでも平民なりに必死に借金してでも得たドレスだろう? もちろんエリーザの方が、心身含めて美しいがな」

「やだラッセルたら! ……本当のこと言ったら、カテリーナが惨めでしょ?」


 にんまりとエリーザは笑う。

 相変わらず仲良しであるように、二人は腕を組んでいる。


 噂によればこの二人、まだ所長と副所長を続けており、結婚式も済んだらしい。


 たぶん結婚式の招待状はカテリーナの家にも届いたと思うが、正確なところはカテリーナも知らない。

 密かにやり取りを続けている母は二人の結婚式の話を教えてくれたが、カテリーナにとってはどうでもよかったし、母も詳細までは教えてくれなかった。



「ねえねえカテリーナ、見て! ラッセルがくれた指輪! 凄いでしょう、ダイヤがキラキラしていて! サントベーレ山産出の本物のダイヤモンドよ?」


 エリーザはニコニコと笑って、自分の指にはめた豪華な指輪を見せつけてきた。

 その色合いや艶から言って、その指の豪華な宝石が本物なのは間違いないだろう。

 カットも最近になって流行となったカマン式が用いられていて、流行の最先端といった具合だ。


「あっ、ごめんね? カテリーナは、ラッセルが自分にこそこれをくれると思ってたんだよねっ? ごめんね、自慢じゃないのよ? 怒らないでね?」

「……別に、興味は無いから」


 カテリーナは冷静に肩を竦めた。


 確かに三年前にこれを見せられたら悔しくて悔しくて憤死かエリーザを殴るかしていたかもしれないが、今となってはどうでもいい話だ。

 そんなものを自慢げに見せられたところで、何も思わない。



「えぇー? カテリーナったら、この最高級のダイヤが目に入らないの?」


 そのように興味の無さそうな反応をされて、エリーザは非常に不満だったらしい。

 成人して久しいくせに、少女のように顔を膨らませて、もっとラッセルに抱きつく。



「……そういうのに、興味は無いから」


 ラッセルとエリーザの姿を見て、カテリーナはなんとか声を絞り出す。

 あんな思いは切り捨てたはずなのに、見るとまだ胸が痛い。

 

 このカテリーナの様子をどう間違えたのか、ラッセルは不快そうに顔をしかめる。 


「なに? 俺とエリーザの愛にまだ不満があるって言いたいのか? 鬱陶しいな」

「ごめんねって言ったじゃない?」

「そんなのじゃない……」



 本当にカテリーナに対して僅かでも申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、こんなことはしない。

 むしろ、カテリーナを圧倒したいとか見下したいとか思うからこそ、こんなことをするのだ。


「もーっ、ラッセルたら。 こんなしょぼいドレスしか着れないカテリーナには価値が分からなくて当り前よ」


 カテリーナはこの煩わしい話題を変えるために、質問をする。


 

「そんなことより、お二人はどうして此処に居るの? 国の魔法詠唱士の代表たるお二人が、こんなところまでわざわざ揃って」

「ふん、決まっているだろう? キャサリン博士のお祝いだ」


 ラッセルは胸を張った。

 


「キャサリン博士はお前と違って、偉大な魔法詠唱士だからな。 国外でもその名は広く知れ渡っている、そのキャサリン博士が結婚なさると言うのだから、我が国を代表して俺達が来ることの何がおかしい?」

「……そうじゃなくて、そちらの代表はデーン前所長ではって話」

「博士はぎっくり腰だ、年配だからな」


 だからと言って、所長と副所長が揃ってのこのこと現れるだろうか。

 普通は、どっちがだろう。

 


 此処は、かつて三人が居たあの国ではない。

 海を隔てた向こうにある、魔法帝国だ。

 故郷よりもずっと進んだ魔法技術、国民全てが魔法詠唱士、何もかもが未来であり、カテリーナも一度は訪れたいと思っていた国だ。


 その魔法技術大国にあって、若くして首席魔法詠唱士となったキャサリン・ハーツという博士のことは、カテリーナだって知っていた。

 


 外国人でありながら、三年前に突然現れて、あっさりと頭角を現して多くのものを開発した天才魔法詠唱士――――などと、言われている。


 この国にある『地脈に流れる魔力を応用したほぼ消えることの無い照明』や『同一加工の水晶を利用した録画装置』『貝を用いない、角度によって変わる色彩変化の塗料』は彼女の発明だ。

『炎熱病の特効薬』を発明し、この国で当時流行っていた炎熱病を根治させてみせ、更には『硬貨の偽造防止加工』すら発明し、英雄的な扱いをされている。

 そんなことは、カテリーナも嫌でも知っている。 



 

 そのキャサリン博士が、王国の次席魔法詠唱士と結婚することが決まった。

『次席』などと言ってはキャサリン博士よりも格下のようだが、それ以外の身分で最も分かりやすいのは『現皇帝の弟』『シェネル公爵閣下』『魔法竜騎士団団長』だろう。

 ウェンドリア皇子と恐れられる彼は、この国では間違いなく上から数えても五指に入る権力を持っている。

 

 対するキャサリン博士はただの平民なのだから、そんな彼と結婚するというのは、とんでもない出世、なのかもしれない。


 

 ――ということで、そんなキャサリン博士が結婚するというおめでたい話に合わせて、二人は来たらしい。


 もちろん、二人はキャサリン博士との面識は無い。 

 職業こそは同じだが、その程度だ。 顔も知らないはずだ。


 魔法帝国から見てあの国は、自分以下の魔法技術をした国でしかない。

 だからこそ国を代表して、キャサリン博士と『仲良く』するために来たというところだろう。


「この帝国のウェンドリア皇子はとっても優秀で才能に溢れしかも美しい方だって聞くのに、いくらキャサリン博士がそれなりに使えるからって平民と結婚するなんて、見る目が無いのねぇ」

「…………それ、この場で言っていいことじゃないから」

 

 彼らは何故か忘れているが、此処にはそのウェンドリア皇子本人も居る。

 カテリーナはちらりと確認するが、少し離れたところで外国の偉い人と談笑しており、こちらに気付いている風ではない。


 ウェンドリア皇子や彼に連なる高貴な親族、彼らと同じ魔法詠唱士、他国の同じく高貴な人間も招かれている。

 その場で分かりやすくウェンドリア皇子を見下すのは、外交上大変よろしくない。


 というか、敵に回してはいけない相手を敵に回すべきではない。

 そんなことも分からないエリーザは言う。



「ねえカテリーナ、キャサリン博士ってどんな女よ? どうせ、貴方と同じで研究一筋の流行も知らないダメで地味な平民でしょうけど? せめて紹介しなさいよ」

「紹介って言われても」


 それは出来ない、とカテリーナは困った。


 カテリーナには『キャサリン博士』を紹介することが出来ない。

 もし出来てしまったら、もっととんでもないことになるに違いないからだ。


「わざとらしく知らないフリをするな。 お前は俺に会いたくて、招待されていないにも関わらず此処にもぐりこんだのだろう?」

「……はい?」


 何を言っているのだろう、とカテリーナは聞き返した。

 意味が分からなかった。

 本当に、意味が分からなかった。


 しかしラッセルはもっともらしくカテリーナを睨みつけた。



「カテリーナ・デュエ・アミテール・ドラクロワ、お前はいつまで俺に未練があるんだ?」


 そう言ったラッセルは『煩わしい』と顔にはっきりと書いていた。

 立派な服を身に纒い、高い背から見下ろしてくる茶髪の彼の緑色をした目には、それを言った相手への愛着など無かった。

 

「未練……?」


 カテリーナは首を傾げた。

 

 

「未練とは、いったい何のこと?」

「とぼけるな」


 ラッセルは呆れた風に腕を組む。

 

「お前は、此処に俺が来ると聞いて、のこのこと現れたのだろう?」

「……ラッセル、貴方とのことは、もう決着がついたでしょう? 今更私がどうして未練なんて持たなければならないの」

「決まっている」


 ラッセルは顎をしゃくって、カテリーナに向かって雑に指す。


「お前はまだ俺が好きなんだ。 未練がましい女め、そんなだから未だに結婚出来ないんだぞ。 エリーザを見習え」

「…………」


 カテリーナは沈黙する。

 相手が何を言っているのか、頭から爪先まで、理解することが出来なかったからだ。


 

 ラッセルは無駄に自信家な男だ。

 昔はそんなところが格好いいと、容姿も含めて憧れていたが、今見たらただの痛々しい男だ。 

 よくよく考えたら知識も大したことがないし、カテリーナの助言が無ければ今の地位に居たのか、今となっては怪しい。



 飛び込んでくる噂によればかの国の研究所の所長と副所長、つまりラッセルとエリーザは、今まで輝かしい功績をあげてきたのに、婚約を発表してから突然奮わなくなったそうだ。

 それでも未だにその座に居られるのは、エリーザのクロノエル伯爵家のおかげか、それまでに開発した化粧品の入れ物と色と香りだけ変えたようなものを貴族夫人たちにばらまいて人気稼ぎをしているからだろうか。


「あ、そっかぁ。 お金も無いし身分も無い平民のカテリーナが此処に居るのはおかしいものね。 おかしいと思った!」


 そう言ってからエリーザはけらけらと笑う。


「じゃあ、衛兵を呼んであげようかな? 帝国の宝を狙って現れた嘘つきの泥棒でーすって」

「何言ってるの」

「たかが平民のくせにこの場でちやほやされて調子に乗って、私達に挨拶もしないバカなキャサリン博士だって、自分が誰を無視してるのか気付くでしょ?」



 本当に二人とも痛々しい。

 今回キャサリン博士と仲良くなれば、地位が安泰だと思い込んでいるらしい。 

『あの帝国のキャサリン博士と友人だ』などと言えば誰もが憧れてくれる、と思われる。


 せっかく化粧品の入れ物と色と香りを変えて誤魔化していたのに、キャサリン博士が新たに開発した香水や染料、肌に赤子のような潤いを与える化粧品が国内に流通したせいで、最近は非常に怪しいらしい。

 だったら新しい化粧品を開発すればいいのに、何故か、新しく開発する気概も無いようだ。


 縁の切れた他人だからこそこうやって冷静に見れるが、もしまだ彼らと友人だったら、どういう感想だったのか自分でも分からない。

 カテリーナは友達が多い方ではなかったから、きっと彼らの名誉を取り戻すために、彼らのために何でもやっただろう。 そうして、今も搾取されていたはずだ。




「……言っておくけど、私は正しい方法で此処に居るし、デーン前所長が来ると思ってた。 だからラッセルにもエリーザにも、会う気は無かったから」

「冗談だろ? お前は俺にまだ惚れてるんだ」

「はっ」


 現実が見えてないのか、とカテリーナは笑った。

 

 元々冷めた愛だったが、今こうやって再会したことで、もっと幻滅していっている。

 昔のカテリーナは本当に愚かで若かった。

 今となれば無理だ。



「悪いが、俺にはエリーザが居るんだ。 前にも言ったがな……お前みたいなつまらない女、こっちから願い下げだ」

「そうよカテリーナ、素直に『羨ましい』と認めたらどう? そうしたら、三年前のとっても失礼な行動も許してあげるわ」

「別に許されたいと思ってなんか――」


 エリーザが突然、カテリーナの手を取った。

 非情に馴れ馴れしい態度で、まるで親友であるかのように接近してくる。


「だから、いい加減ワガママを言うのをやめて戻ってきなさいよ。 まだ所長補佐の椅子は、貴方の為に空けてあげているわ」

「…………」


 カテリーナは絶句した。


 まだそんなことを言っているのかとか、今更何を言っているのかとか、思うことは沢山ある。

 なのに、とにかく何も言えなかった。


『バカバカしい』なんてものでもない。 呆れて、呆れすぎて、声も出ない。



 この二人はバカだ。

 こんな、他国からやってきた有名な魔法詠唱士が居る場所で、くだらないことをしている。


 そもそもカテリーナがどうして此処に居るのかも知らないで言っているのが、一番の問題だ。


 しかし、二人は何も知らないのだろう。

 二人はこの国に来たことはないしその『キャサリン博士』にも、会ったことがないのだから。



「俺からも頼んでやる。 俺はお前に女としての魅力を感じていないが、魔法詠唱士としては認めてやっているんだ。 お前が居れば新しい発明だって出来るだろう。 ああそうとも、お前の実力だけは、認めてやっているんだぞ?」


 ラッセルまで、馴れ馴れしくカテリーナの肩に手を回した。

 恋人どころか妻が目の前に居るのにも関わらず、なんて大胆なのだろう。

 昔のラッセルならこんなことは絶対にしなかった。


「それにしても、俺のためにこんなに気合いを入れて化粧をしてきたんだな。 前よりはずっと色気付いたじゃないか、もっともエリーザには落ちるが……」

「もうラッセルたらぁ、そんな言い方はカテリーナが可哀想でしょ? でも私だって、貴方の能力だけは認めてあげてるのよ? ねえカテリーナ、貴方の居場所はこっちなのよ? いい加減目を覚まして」


 ラッセルの声が近い。

 エリーザの媚びるような、見下しきった顔も、香水も、近い。



「やめて!」


 耐えきれずに、カテリーナはつい大声をあげた。


 こんな場所で大声など上げるべきではないが、それでも、ラッセルとエリーザの馴れ馴れしく嘗め回すような、恐ろしい態度には耐えられなかった。

 案の定、周りの人々が何事かとこちらを見て、驚いている。


「カテリーナったら、大声をあげないでよ。 なんだか私達が悪者みたいじゃない」

「うるさい!」


 それでもカテリーナはそんなことに構えるほどの余裕が無かった。

 二人を振り払い、引き攣った表情で距離を取る。



「私は、貴方達のところには戻らない。 未練未練って、私に未練があるのはそっちでしょ? 貴方はいったい何を言っているの? 貴方達が欲しいのは私の技術と魔法であって、私のことは自分の出世のための道具としか思ってないじゃない」

「人聞きの悪いことを言うな」

「事実よ!」


 カテリーナは肩で大きく息をする。

 

 忘れたい忘れたいと思って、捨てたと思った過去が、今になってのこのことやってきたのだ。

 心臓はやたらと大きく鳴るし、呼吸だって荒くなる。

 前は我慢したのに、今回は我慢出来ない。



「私達はせっかくカテリーナのために言ってあげてるのに、何よその態度は!?」

「私は、貴方達の居ない此処で十分幸せになっているの。 なのに今更、自分達が上手くいかないからって私にすり寄らないで」

「エリーザの優しさに、何という性悪なことを言うんだ!」


 ラッセルがついに怒った。

 カテリーナのために怒ったことは一度も無いのに、エリーザのためには怒った。

 どうしようもない断絶が、二人の間にあった。


「おい、俺がこんなに丁寧に誘ってやっているんだぞ! なのにワガママを言うな!」


 ラッセルが怒って、カテリーナの手を掴む。

 痕が残るのではないかと思うほど、とても強い力だ。


 その痛さにカテリーナは顔を歪める。



「――その手で何をするつもりで?」


 そして、そんなラッセルの腕を掴む人間が居た。

 カテリーナの手を強く掴むラッセルを諫めるように、新しい人がそこに立っていた。


 銀色の髪に菫色の瞳、胸に金陽真珠の飾りをつけた立派な身なりの青年が、冷たく微笑みながらラッセルの腕を掴んでいる。

 まるで静謐な水のようで、優しげな顔立ちをした綺麗な人だ。

 だがその瞳の奥には何よりも冷淡なものがある、ようにカテリーナには見える。



「私の居る前で暴力を振るおうとは、大したものですね」

「おま――い、いやっ」


 その人物を見て、ラッセルは非常に慌てた。

 そんな反応も当然だろう。


 彼の銀色の髪というのはとても珍しいもので、そんな髪色の人間はただそれだけで魔法の才能に恵まれるという。

 何より、この国において銀髪は、初代皇帝の血を引く一族を示すものだ。

 そんな貴い人間が現れたら、ラッセルが慌てるのも仕方ない。


「いつまでそうやって、手を繋いでいるつもりですか?」

「いいえっ、俺はっ……!」


 ラッセルは慌ててカテリーナから手を離す。

 広大で肥沃な領土、強大な魔法詠唱士と騎士団を持つ帝国の支配者の血を引く人間に、逆らえるわけがない。

 身分も何もかもが違い過ぎる。


 カテリーナに再会したことで忘れていたようだが、此処は帝国なのだ。

 

 

「俺は、そいつの友人なのですよ。 せっかく国に戻るように勧めてやっているのに、偉そうに逆らうから……」

「私から見れば、嫌がる人に無理強いをしているようにしか思えませんがね」

「無理強いなんて、していませんとも!」


 ラッセルは慌てていた。

 出来れば目の前の相手とは穏便に事を済ませたいのだろう。

 カテリーナだって、ラッセルの立場ならそう思う。



「ごめんなさぁい」


 エリーザは泣き真似をして、彼に近寄る。

 美しい瞳に涙をためて、いかにも反省しているといった風の顔で見上げた。


「私はその子の幼馴染で親友なのです、その子が突然居なくなって音信不通になってしまって、その子のお母さんが『カテリーナは無事に生きているかしら』ってとても心配しているから、一緒に帰ろうって夫と一緒に言っていただけなんですっ」

「おやそうでしたか」

「そうなんです、そうなんですぅ!」


 エリーザは夫であるラッセルの目の前で、突然現れた銀髪の貴公子に向かって妙に媚びた声を出していた。

 正気の沙汰とは思えないが、エリーザは間違いなく本気だった。

 エリーザのように綺麗な人間にこんな風に迫られては、普通の人間なら色気に目が眩んでしまうだろう。


 しかし現れた彼はエリーザを冷ややかに一瞥するのみで、笑顔でカテリーナに尋ねる。



「貴方の母上は、三日後にはこの国に来る予定では?」

「はい、もう船に乗ってこちらに向かっています」


 それを聞いて、エリーザの顔がびしりと岩になったように固まるのが分かった。

 もちろん彼女達はこの情報を知らない。 教えていないのだから、当たり前だ。

 カテリーナは続ける。


「母には私がこの国に居ることも、もうあそこに戻ることもないとも伝えていますし、昨日は『久々に船旅だ』と魔法で言われました」

「だ、そうですよ? いったい何処の誰が、いつ、心配なさっているのでしょうか」


 銀髪の貴公子は笑顔でエリーザに尋ねた。

 否定することも許さない、圧を感じる笑顔だった。 


「え、あ、その、だって……」


 エリーザは困って辺りをきょろきょろとする。


 カテリーナと母が音信不通ではないなど、彼らは知らないことだったのだ。

 なのに何も知らないで適当なことを言ったせいだから、こんな態度も仕方ない。



「それに、彼女がそちらに行ってしまうのは困りますね。 彼女にはこちらで先約があるのですから」

「先約……?」

「ええ、彼女の魔法技術には目を張るものがあります、既にこの国の第一線で働いているほどの……ああ」


 銀髪の貴公子は笑った。

 まるで幼い子供の児戯を見たかのように、見下すとかそんなものですらない優しい笑顔だった。



「もしかして、彼女こそがキャサリン・ハーツだと知らずに話しかけていたのですか?」

「え、は? キャサリン……?」

「おや、まさか本当にご存知でない? では、貴方たちはいったい何の為に此処まで来たので? 祝う相手の顔も知らないのに、よく偉そうに出来ましたね」


 銀髪の貴公子は非常に楽しそうだ。

 こんなにも分かりやすくバカを晒す人間はそうそうお目にかかれないから、逆に楽しくなってきているのだろう。



「…………う、嘘でしょ?」

「いやいや、お前はキャサリン博士じゃないだろう?」


 ラッセルとエリーザは、困ったようにカテリーナを見た。

 此処まで扱われてもまだ疑うらしい。

 もちろん、カテリーナが親からもらった名前は、間違いなくカテリーナだ。 そこに嘘は無い。


 ただ、彼らが知らないこともあるわけで。



「……私、二年前からこの国で働いてるの。 キャサリン・ハーツという名前で」



 国を出たカテリーナはまず、この帝国に来た。


 憧れの魔法技術を持つ国だ、魔法詠唱士ならば来ないわけにはいかない。

 もちろんそれまでの立場も全部捨ててしまったから、学院では首席だったとか言えるわけがない、そんな肩書など無意味だ。


 なので、下っ端から働くことにした。

 研究所で、開発にも関われないような下働きだ。

 そこからゴミ箱を漁っては捨てられた発明の残骸から新しい発明を閃いて、そこの偉い人にアレコレと進言してみた。


 その偉い人に『じゃあお前も作ってみろ』と言われたので、色々と作ってみた。

 それが意外にも好評で、研究に関わらせてもらえるようになった。


 そこから、まあ色々とあって一気の昇進を繰り返し、今の立場に至る。

 


「嘘よっ、カテリーナがキャサリン博士だなんて! 有り得ないわ! こんな女が!」

「国じゃこいつはただ知識自慢するしか能が無い女だったんだ! それがあのキャサリン博士なはずがあるか!」

「……疑うのは自由だけど、何処を調べたって私が『キャサリン・ハーツ』だっていう証拠と証言しか出てこないから」


 カテリーナは呆れて言う。

 

 最初は『どこかからやってきた謎の外国人』としか見られなかったが、結果を出せば実力主義なこの帝国では認めてもらえた。

 それがエリーザやラッセルばかり褒められてた昔と違って気持ちよくて、ちょっと此処で働きすぎたような気がする。

 

 どの書類を見ても、カテリーナこそがキャサリン・ハーツだ。

 何処かからやってきて、出自をまるで明かそうとしない変な外国人の、三年で此処まで来たカテリーナだ。

 どう疑ったところで事実が変わることはない。


 銀髪の貴公子は分かりやすく見せつけるように、カテリーナの肩を抱いた。



「そして私が、彼女の夫になる予定の婚約者です」

「えっ、ま、う、ウェンドリア、皇子……?」

「……!!」


 二人は驚愕する。

 目の前に居るのは、彼らがさっきまで散々な評価をしていたウェンドリア皇子本人だ。

 この場どころか帝国全体でも見ても非常に高貴な人物で、こんなのだが、間違いなく本日カテリーナとの婚約を発表した人物でもある。


 もっとも愛情の薄い政略結婚も同然なのだが、彼らには関係ないし、教える必要もない。



「……あの、閣下、いったいいつから」

「夫なのだからこれくらい構わないでしょう?」


 いったいいつから機会を窺っていたのだろうと思うような笑顔だ。

 子供のようとかではなく大人の、非常に理知的で冷静な表情をしている。



 エリーザの目は親しげに抱いた銀髪の貴公子――ウェンドリア皇子に向いていた。

 その目は高貴な人間に向ける畏敬ではなく、それ以上に面倒な情熱が含まれていた。

 


「ああっ、ウェンドリア皇子殿下、どうかカテリーナに騙されないで……?」


 綺麗に涙ぐんで、女でも参りそうな表情でエリーザは堂々とウェンドリア皇子にすり寄ってきた。

 カテリーナには激しい嫉妬に似た殺意に近い視線で睨みつける。



「私達の国では、その子は、私の研究成果を盗んで『自分のおかげだ』って言い触らそうとしました。 私は親友だから『人の成果を盗んだらダメよ』って言ったのに私の才能を妬んで、罪を認めず、国外逃亡をしたのですっ。 きっとウェンドリア皇子は、悪い子に騙されてるのよ……」


 この場で、夫が居る前で、エリーザはウェンドリア皇子に抱き着こうとする。

 とんでもない行動だったが、彼女にとっては今目の前のにある状況を打開しようという思考でいっぱいいっぱいだったらしい。

 馴れ馴れしくウェンドリア皇子の体に触れて、そっと見上げる。


 これに対しウェンドリア皇子、まるで動揺した様子もなく、それどころかエリーザのことを冷たくあしらった。

 生まれついて周囲から可愛い可愛い綺麗と褒められてきたエリーザは当然そんな対応に不慣れで、皇子の対応に目をしばたかせた。



「ええそうですね、貴方たちが言うところによれば、私は『とっても優秀で才能に溢れしかも美しいが、見る目が無い』人間のようですから、非道で悪辣な彼女に騙されているかもしれませんね?」

「そうです、そうなんですっ。 信じては、いけませんっ……!」

「おやおや」


 ウェンドリア皇子、この笑顔である。

『バカとはこれのことです』と言わんばかりの分かりやすいお手本を示してくれたのだから、こうなるのも仕方ないのかもしれない。


 が、エリーザは、自分の迂闊な言葉に気付かない。

 普通に考えて皇子の発言は否定しなければならなかった。 

 でも、きっと最後しか聞いていなかったのだろう。


『目の前に居る銀髪の美男子が自分の言葉に同意してくれた』という事実の方がよっぽど重かったようで、何故かはしゃいでいる。



「ところでキャサリン博士、彼女が着ているドレスですが、どうやら貴方が二年前に開発したスーレル生地を使っているようですね」

「そうですね」

「スーレル生地といえばお二人の出身国で栽培されているイキレ綿花を用いていますが、イキレ綿花だけではこの光沢は出ません。 はて、どうやっていたのでしたっけ?」

「…………」


 ウェンドリア皇子は楽しげに質問してくるが、贅沢な光沢を放ちながら肌に優しく滑らかなスーレル生地は帝国だけが作れる生地として輸出されている繊維だ。

 その美しい光沢を作る方法は一部の人間しか知ることはない。

 故に、他国で同じものを作ろうとしても、どうしても作り方が分からなかった。


 もちろんその内一人にキャサリンもウェンドリア皇子も含まれているが、この国で最も権力を持つ皇帝すら作り方を知らないものだ。

 そんなものを今この場で暴露しろと彼は言っている。

 少し戸惑いながらもその意図を汲んで、カテリーナは答えた。


 今エリーザが着ているドレスに多く使われた布地、スーレル生地。 別名『太陽布』と呼ばれる。

 その表面に使われた加工により太陽や照明の光を反射して美しく輝くそれは、『まさしく太陽を布にしたようだ』と言われ、多くの貴族から人気になった。

 

 根本的な発想の元は捨てられていた図案だが、そこから素材や魔法の扱いについてはカテリーナが何日もかけて考え出したものなので、カテリーナは製法については誰よりも詳しく知っている。

 カテリーナは小さく息を吸った。



「イキレ綿花を紡績加工により一本一本の糸に変えた際、布に変える前にまずこの国のサントベーレ山から氷解け水に浸し、次にアサカリ草と光藻草の配合を七三に解かした魔法薬に半日浸し、続いて沈んでいく夕焼けの光を沈みきるまで浴びせ、そして一日暗闇で保管し乾かします」

「そして?」 


 まだ言うべきなのか、という視線にも構わず皇子は先を促す。


「……一日乾かした後、ウント蜂の蜜、アリハ鳥の唾、青菫凛石の粉末を合わせたものを再び塗り、そして乾燥魔法によって乾かして、ようやく経糸と横糸に分けて布へと織る作業に入ります」

「でも乾燥魔法なんて、手抜きでは?」

「まさか」


 皇子は作り方をよく分かっているうちの一人なのだから、そんな質問をする必要なんて全くない。

 なのに、まるで知らないと言わんばかりの顔だ。


「……魔法詠唱士が付きっ切りで、決まった質量の魔法をかけ続けなければならないんですから、此処が一番大変な作業です。 最初は、食事を取るのも苦労しました」

「『太陽布』と呼ばれるほど輝ける布を開発した人物が、まさか目の下に隈を作り身嗜み全て放棄しながら作っていたとは、誰も思わないでしょうねぇ」


 うんうん、とウェンドリア皇子はにっこりと笑顔で頷いた。

 これを聞いていたエリーザとラッセルは、やや顔を引きつらせつつも、余裕のある態度だ。



「へ、へえ、そんな作り方なんですねぇ」


 ラッセルは強がって言う。

 言うだけなら簡単な工程ばかりに聞こえるが、そうでもない。

 こんな簡単なことでも、カテリーナは考えるのに苦労した。



「此処まで流暢に内容を知っている人間が無能なんて、有り得ません」


 一応、故郷に居た頃から少し思いついていた内容だ。

 だがかつての研究所で、カテリーナが此処まで細かいことをしたいと提案しても、誰もが『時間の無駄』『疲れる』などと言って取り合ってくれなかった方法だ。

 もっとも、きっとラッセルもエリーザも、カテリーナの過去の提案など忘れているに違いないが。



「ウェンドリア皇子っ、カテリーナは人の研究成果を盗んで自分のものにしようとする悪い子なんですっ! 覚えて言うぐらい、なんともありません!」

「それより閣下、そんな帝国の機密を簡単に俺とエリーザに聞かせてしまって良いんですか? 俺達、優秀な魔法詠唱士だから、自国でスーレル生地を量産してしまいますよ?」

「どうぞ。 あの繊細な魔法詠唱が、貴方達に出来るのならね」


 ウェンドリア皇子は言う。

 とても冷淡で、それは挑発も同然だった。



「ラッセル・グイン・バロウズ、エリーザ・ピノン・モリラ・バロウズ。 お二人のことは、私もとてもよく知っていますよ」

「わあっ、ウェンドリア皇子に私達のことを知っててもらえてるなんて、光栄ですっ」

「俺達のことは帝国にも知れ渡ってるんですねぇ」


 二人は満足げだ。


 バカにしていたカテリーナこそが実はキャサリン博士だと知った衝撃も、ウェンドリア皇子に褒められたと思ったことで和らいできたらしい。

 エリーザはぽんと手を叩いて、期待を持って皇子を見上げた。

 

「あっ、もしかしてウェンドリア皇子ぃ……優秀な私達のこと、帝国で雇いたいとかっ? うーん、どうしましょう!」

「もちろん皇子がおっしゃるのなら、俺達はそちらに行くことも喜んで――」



 しかしウェンドリア皇子は鼻で笑い飛ばす。

 決して下品ではないようにしていたが、面白過ぎてそろそろ耐えられなくなったらしい。


「大した冗談ですね」


 

 ウェンドリア皇子は銀髪に紫の瞳をした、絶世の美男子だ。

 上品で優しげな顔立ちをしていることもあって誰もが彼を優しくて心も綺麗な人だと思い込む、カテリーナだって最初はそう思った。


 だがそんなことはない。

 嫌な人ではないが、良い人か悪い人かと言われたら困る。 つまり、腹の底は少し、いや結構黒い。



「貴方達のような人間を雇うほど、我々には余裕がありません」

「え?」

「はっきり言わないと分かりませんか?」


 ウェンドリア皇子はその綺麗なお顔が凍える氷そのものにしか思えない笑顔で、二人を突き離していた。


 ラッセルとエリーザとのまさかの再会に動揺しきっていたカテリーナも、頼もしいとか以前に問題ある人物の楽しそうな様子に、すっかりと冷静さを取り戻している。

 彼は能力も身分も容姿も恵まれているが、それ以上にあまり敵に回したくない性格の人だ。


「こちらに居るは非常に優秀な方ですよ、この私が一番よく知っています。 でなきゃ私の妻にと選ぶものですか。 国の代表としてこの場に来ているくせに、そんなことも知らないので?」

「だから俺達は――」

「キャサリン博士の着ている服を見なさい」


 ラッセルが口を挟もうとするのを堂々と遮り、ウェンドリア皇子はカテリーナを指示した。

 


「キャサリン博士が今着ているドレスは、もちろん我らが帝国伝統のドレスです、型自体は見慣れている人は多いでしょう。 ですが最も注目するべきは、その生地です。 ほらキャサリン博士、皆さんへ説明してあげなさい」

「…………」


 ウェンドリア皇子の言わんとしていることを察して、カテリーナは自分のドレスが周囲の人々によく見えるように軽く摘まんで広げ、練習した通りにくるりと回ってみせた。

 ドレスの裾が翻ると、ただの無地に見えていた布地はきらきらと明るく、しかし優しい輝きを放った。

 よく見ればその輝きは薔薇や百合の模様を描いており、まるでその瞬間にだけ現れる花畑のようである。


 これを見た人々は「ほう」と感心したような息を吐く。

 特に反応が良いのは女性陣だ。

 突然振られて調子が狂いそうになったが、なんとか気を取り戻す。



「……この生地は、こちらにいらっしゃるシェネル公爵の名の元に、私が新しく作り出した布地です。 従来のスーレル生地は、太陽のごとき光を放つことから『太陽布』と呼ばれましたが、今回の生地は僅かな光から星のように確かな光を放つものです」

「スーレル生地は『太陽布』と呼ばれてきましたが、光が強ければ強いほど強い輝きを放ちます。 おかげで『肝心の踊っている相手の顔が見えない』という不評を聞きました。 こちらの女性を見れば、よく分かる通りに」


 シェネル公爵、もといウェンドリア皇子に名指し同然で言われたエリーザは、周囲から笑いの対象になり、カアと顔を赤くした。

 実際、エリーザの顔はスーレル生地によってはっきりと輝いて見えた。


 

 スーレル生地は、カテリーナが『鏡のように顔を明るく見せてくれたらいいのに』ということで思いついた生地だ。


 カテリーナも自分で化粧をしていて、化粧台で鏡を見ながら化粧をするのと、実際に見るのとでは、なんとなくそこに違いがあると思っていた。

 きっと化粧台の鏡が明かりを反射して、顔も明るくしてくれるからだろう。

 だったらいっそドレス自体が鏡のように輝いて、顔を明るく見せてくれればいいのにと、そんなことから開発してみたら出来た生地である。


 商品として出してみればこれが意外にも貴族の女性達に人気で、スーレル生地は最新の流行として国外にも輸出するほどの商品となった。


 

 が、ウェンドリア皇子の言う通り、スーレル生地は流行り過ぎた。

 眩しすぎて令嬢の顔が見えず、相手を間違えて話しかけてしまったなどという事例もあったほどだ。


 だから人気ある生地として扱われたものの、男性陣からのあまり良い評価はもらえなかった。 『不細工な嫁の顔が見えなくて助かる』などと平然と宣う人間も居たが、それはそれとして。



「私がこの国の薔薇園が好きで、『薔薇のドレスを作りたい』と思い、かと言って造花や本物を飾るデザインは既に作ったものでした。 もちろん薔薇でなくても、皆様の好みに合わせた位置や形の模様を作り出すことが可能です。 通気性は良いので汗をかいてもたくさん踊れますし、表面は肌に引っかかりにくい柔らかさなので、小さな子供でも安心して着ることが出来ます」

「しかもスーレル生地の長所であった『顔を輝かせる』という効果も、後から魔法詠唱によって調節が可能となっています」


 もちろん、調節料金は別払いですけどね、というのはウェンドリア皇子の顔が言っていた。



 カテリーナの説明を聞いて、貴族の女性たちは興味津々と言った顔をしていた。

 スーレル生地が流行ったことによって難色を示していたのは女性たち、特に母親世代もそうで、単純に自分の娘がただ一人目立てないという状況は気に入らないものだったらしい。

 生地を出した当初は『輝きすぎ』と陰口を叩いていた者が居たともいう。



「私はこの生地をハーツ生地と……恥ずかしくも私の名をつけて、送り出そうと思っています」

「開発者の名前をつけることは、別に珍しくありませんね。 むしろ今までしなかった方がおかしい」

「……そうですね」


 カテリーナとしては、やっぱり恥ずかしいが。

 そんなカテリーナの考えを分かってか無視して、ウェンドリア皇子は口の片側を釣り上げた。



「こんなに優秀なキャサリン博士と比べて、貴方達は何なのです?」


 ウェンドリア皇子は、ようやく存在を思い出したかのようにラッセル達を見る。



「何年も前に開発した薬を、容器と色と香りだけ変えて、まるで新作であるかのように発表し続ける恥知らずなんて私の研究所には必要ありません。 その証拠に、それらの商品の輸入は国としてしていないでしょう? 思い上がりもいい加減にしてくださいね」

「な、なんだと!?」

「なんでしょう?」


 ラッセルは激昂するが、ウェンドリア皇子は澄ました顔だ。 むしろ『やってみろ』と言わんばかりである。

 可哀想なので此処でカテリーナが代わって前に出る。



「此処は帝国で、こちらにいらっしゃるのはこの国の皇子でありシェネル公爵閣下。 私のことを疑うのは自由だけど、こちらの方への対応は、よくよく考えた方がいいよ」

「――――」


 ラッセルは怒りで顔を赤くするものの、一瞬で我に返った。

 此処は帝国で、周囲にはウェンドリア皇子の味方ばかりだ。 少なくとも、ウェンドリア皇子を攻撃して良いことなど一つも無い。

 国の代表として来ているのに、その国の皇族に暴力をふるうなどあってはならない。



 帝国は周辺国家からも恐れられている、最大の力を持つ国だ。

 皇帝とウェンドリア皇子は不仲ではないし、たとえ不仲であったとしても、たかが研究所の所長程度が他国の皇族を殴っていいはずがない。

 帝国がどう動くにしても他の国がどう動くか分からないし、どうあがいても不利だ。


 その証拠に周囲の人々はラッセルとエリーザを見て、ひそひそと笑っていた。

 明らかに分が悪い。



「う……ウェンドリア皇子? スーレル生地を作るのに必要な綿花は、俺達の国が輸出しているものですよ? その大切な取引相手を、脅そうとか、考えてませんよね?」

「脅し? まさか。 こんなの、ただ『お話』をしているだけですよ?」

「えっ……」


 いや、誰がどう考えても脅しだ。

 が、そんなことはこの場の誰も言えない。 


 この場を支配しているウェンドリア皇子はあっけらかんとしている。



「いやはや、私が自信をもって今日発表したハーツ生地に向かって『地味』だの『しょぼい』だのと、ずいぶんと言ってくれますね?」


 知らぬとはいえ、他国からの客がバカにするなど帝国にとっては屈辱的なことで、開発に関わった一人であるウェンドリア皇子が怒るのも仕方ない。


「い、いえ、まさか! ウェンドリア皇子を侮辱したなんて、そんなことはありません!」

「私達が言ってるのはずっとカテリーナのことで」

「そこですよ」


 最後にウェンドリア皇子は、今までで一番の、うっとりとするような笑みを浮かべた。


「貴方達が、救いを求めて縋るべき相手は私ではないはず」


 完全に皇子の独壇場だ。

 張本人であるカテリーナですらつけ入る隙が無い。



「キャサリン博士の能力と知識がどれほど優れているのか、我々帝国の人間のほとんどが知っています。 彼女は間違いなく優秀な人材だと、私の兄も認めていますよ」

「あ、兄……」


『私の兄』などと暈して言っているが、ウェンドリア皇子の兄とはつまりこの国の皇帝だ。

 彼は大変忙しい身なので遅れて来る予定なので、まだこの場には居ない。

 弟が弟なら兄も兄といった具合の性格の人だから、此処に居なくて本当に良かった。



 そして、そんな暈した言い方をしないといけない理由は、確かにあった。



「キャサリン博士の能力を疑うということは、私や私の兄、この場に居る大勢の貴族を含めた帝国の人間の『見る目が無い』と言っているも同然ですね」


 つまり『お前は、皇帝のこともバカにしてるんだぞ』と、ウェンドリア皇子は言っている。

『私の兄』なんて暈した言い方をしなくても誰もが彼の立場を知っているのだが、わざわざ『皇帝』などと言ったら外交上の問題が発生するからだろう。

 一応、ラッセルとエリーザはあの国の代表として来ているのだから。


 あの国の代表は他にも来ている。

 有名な貴族が数人居て、彼らの多くが、最も喧嘩を売ってはならない人間に喧嘩を売ってしまったラッセル達のことを赤い顔で睨みつけていた。

 帝国の国力が高いこともそうだが、あの国にとって帝国は非常に頼りになる輸出相手だ。 帝国に断られてしまっては目も当てられないことになる。



「ち、ちが、違うんです皇子! そんなつもりは」 

「ああお構いなく。 どうやら私は優秀なお二人にとっては『見る目が無い』ようなので。 そちらではさぞや立派な、帝国より優れた生地を作れるのでしょうね? スーレル生地だって、帝国の協力など無くとも作れてしまえるに違いない。 ねえ、ダスティエ公爵?」



 ウェンドリア皇子は、ずっと会話に加わらず聞いていた人物に話かける。


 ダスティエ公爵と呼ばれた初老の男性は、あの国の王族の血を引く公爵家当主だ。

 ラッセル達にとっては格上の身分にあり、代表団の中では最も権力ある人物でもある。



「ダスティエ公爵のおっしゃる所によれば彼らはキャサリン博士にも負けない優秀な人物だそうですから、きっと簡単に出来てしまえるはずですよ。 なんと言っても彼らが居なければキャサリン博士は我らが帝国に来てくれなかった、というほどの素晴らしい功績を持つ人物ですからね」

「…………いいえ、どうやら騙されていたようです」


 感情を隠すように口を真一文字に結んでいるが、その視線は明らかにラッセルとエリーザへの怒りに満ちていた。

 足が悪いため杖を突いて立っているものの、背筋は真っ直ぐ伸びて、非常に厳しい顔立ちをしている。


「実は我輩は故郷を旅立つまで一度も、研究所の現所長と副所長の顔を知らなかったのです。 こやつらを『現所長』や『副所長』と紹介されたが故に、そうであると信じておりましたが……」

「なるほど、彼らは偽者ですか」

「そのようですな」


 ダスティエ公爵の両目からは、今にも火が噴き出そうになっている。


 どうやらラッセルもエリーザも見捨てられようとしているようだ。


 エリーザは伯爵家の娘で、ラッセルはその夫なのだが、ダスティエ公爵にそんなことを進言したところで無意味だろう。

 そんなことよりも、この国益を招くどころか帝国の不興を買おうとしている人間を、自分たちとは無関係だと切り捨てる方が大事だと判断したらしい。


「ま、待ってくださいダスティエ公爵! 俺達が偽者だって、どういうことですか!?」

「そうよダスティエ公爵閣下! 私はちゃんと本物よ!?」

「まだ言うか、罪人どもめ」


 ダスティエ公爵の両目には憤怒の火が噴き出しそうになりつつも、ラッセル達を汚らわしいゴミを見るような表情だった。

 完全に二人は、母国からすらも切り捨てられようとしている。

 

 ダスティエ公爵は二人に構うことなくウェンドリア皇子の方を向いた。



「この場に、兵を呼んでいただけませんかな? 我らが国の使節を名乗る罪人を、捕らえる必要がありますので」

「そして彼らをそちらに連れ帰ると?」

「ええ、我らが国の使節を名乗るなどと、許しがたい行為です。 閣下の祝いの場を穢し、更にキャサリン博士に暴力を振るおうとした者です。 無論、罰しようかと」

「なるほど」


 状況は明らかに、ラッセルとエリーザにとっては最悪なものだった。

 このままではまずい、とエリーザはウェンドリア皇子にすり寄っていく。


「――だ、そうですよ? どうします?」

 

 そう言ってカテリーナに尋ねる。

 この場に居る全員の視線がカテリーナに向けられ、カテリーナは一瞬だけ緊張した。

 カテリーナは困惑気味に聞き返す。



「……私が彼らの処遇を決めてもいいんですか?」

「最初に被害を受けたのは、貴方ですからね」



 ウェンドリア皇子は見た目以上にラッセル達のことを何とも思っていない。


 ラッセル達に色々言われ侮辱されたところで、傷付く理由など一個も無いのだろう。

 なので『自分は気にしていない』と言うことは出来る。

 言えば、ラッセル達のウェンドリア皇子や皇帝に対する様々な侮辱その他はとりあえず消されて、とにかく恥ずかしい思いをした程度で済む。


 が、ウェンドリア皇子はそれを言わない。

 おそらくダスティエ公爵が最も望んでいる穏便な解決への第一歩がそれなのだが、ウェンドリア皇子がそれを言ってくれないせいで、皇帝と皇族が侮辱されたという事実は消えてない。



 次点でダスティエ公爵が望んでいるのは、『ラッセル達を自国で処罰する』ことだろう。

 これなら彼らをどうとでも処分出来る。 そこにどんな不正があったところで、帝国には後から話を聞くことしか出来ない。



 最悪なのは『帝国で罰する』ことだ。

 ダスティエ公爵は色々言ったが、カテリーナはラッセル達が間違いなく本物だと知っているし、帝国があの国に詳細な書類を出せと言えば国は大人しく出すしかない。


 別に嘘の情報を出すことは出来るが、帝国を相手にそんな虚偽の情報を渡す方が怖いし、ラッセル達も保身のために必死で国の情報をいくらでも流すだろう。

 帝国に勝てるわけがないから、これは国にとって最も避けたいところである。



「どうぞ、貴方の好きなように決めてください」

「…………」

 

 ダスティエ公爵の熱い視線と、ラッセル達の必死な視線がカテリーナに向けられた。

 ラッセル達の運命も、故郷の運命も、カテリーナの気分で決まってしまう。


『好きなように』などと言って、つまりウェンドリア皇子にとっては結果はどっちでもいいということだ。

 完全に、客席に座っている観客気分である。




「ね、ねえカテリーナ? 私達は、親友よねえ?」


 エリーザが必死になってカテリーナにすり寄ってきた。

 

「私達、ずっと一緒に育ってきたでしょう? 私達は一番の友達で、そう! 一緒に学院で学んだじゃない! そして同じ研究所に入って、ずっと仲良しだったわ! 今も、そうでしょう?」

「まさか、俺を見捨てるなんて言わないだろうな?」


 ラッセルまで、カテリーナにすり寄って来る。


「ああ、カテリーナ、俺が間違っていたんだ。 お前はとても綺麗になった、俺の見る目が無かったんだ。 俺が悪かった。 なあ、カテリーナ。 優しいお前は、俺のことを見捨てるなんて出来ないだろう?」

「そ、そうよカテリーナ、謝ってあげる……いいえっ! 謝るわ! ねえカテリーナ、私達は親友よね? ね?」

「…………」


 カテリーナは黙る。


 さっきまであんな態度だった二人が、自分の立場が悪いと悟るや否や必死になってすり寄ってきている。

 だが二人の目にあるのは自分の保身であって、カテリーナ自身のことは何とも思っていない。


 どっちにしても二人の状況は積んでいるが、カテリーナが許すかどうかで、大きく運命が変わる。


 カテリーナの考えが分からないからか、エリーザは必死になって自身の指から、ラッセルにもらったはずの大粒のダイヤモンドの指輪を外した。



「そ、そうだわカテリーナ! このダイヤモンドの指輪なんてどう? そんな真珠よりもダイヤモンドの方が――」

「おや、真珠の中でも特に金陽真珠と双璧をなす銀月真珠といえば我が帝国の特産品であり、それは私が彼女へと結婚のために贈った銀月真珠ですが、それが何か問題でも?」

「――――き、きっとどっちも似合うはずよ? だから親友の私だけでも、ねぇ?」


 ウェンドリア皇子が笑いながら入れて来る茶々に、エリーザは必死になって取り繕う。

 だがエリーザの失言を聞き逃さなかったのはラッセルだ。

 エリーザの言葉を聞いてラッセルは目を剥き出し、抗うようにカテリーナにすり寄った。




「カテリーナ、実は俺はこの女に騙されていたんだ! カテリーナが立場を失うように仕向けたのも、俺を誘惑してきたのも、全部この悪女がやったんだ!」

「なによラッセル! 私のせいだって言うの!?」

「なんだと!? 女のくせに、黙ってろエリーザ!」

「ひどぉい!!」


 エリーザは大きく叫んで、よろめくようにカテリーナへと抱き着いた。

 そして少し前にウェンドリア皇子にそうしたように、目をうるうると輝かせてカテリーナを見上げる。


「――!!」


 カテリーナの背筋に寒いものが走る。

 昔だったら親友のエリーザに頼られて嬉しかったのに、今となっては本当に、不愉快だ。

 


「今の聞いた!? 『女のくせに』ですって! その『女のくせに』帝国で男性よりも活躍しているカテリーナに向かってそんなことを言うなんて、帝国への侮辱だわ、そうよねカテリーナ? いいえキャサリン博士? 貴方は間違いなく天才で、とっても優しい子だから、親友を見捨てるなんてしないはずよ……?」


 どうもエリーザは、カテリーナの一言で自分は許されると思い込んでいるらしい。 


「そうだわ、一緒に住みましょう? 私はあの悪い男に騙されたの、だから仕方ないのよ。 二人で一緒に……ああいいえ、貴方はこっちで幸せになるのだっけ? じゃあまた昔のように一緒に研究しましょう? 親友の私が居れば、この知らない土地でも楽な気持ちで出来るでしょう?」


 しかもどうやらエリーザは、自分も帝国に住んで、もっと楽な生活が出来ると思っているようだ。


 カテリーナが、彼らのことさえ許せば。


 ウェンドリア皇子が何を考えるのか知る由も無いが、たぶんカテリーナが言えば、最も軽くなった罪で許される可能性はある。

 彼はここでカテリーナに判断をゆだねているのだから、それくらいのワガママは通してもらえるはずだ。

 

「お、おい、恋人の俺を見捨てるつもりか? そんな悪女よりも、恋人の俺を――」

「彼女は私の妻ですが?」

「う――――」


 ラッセルが皇子に何やら黙らされている。

 どうしてこんなに失言と間違いをしないと気が済まないのだろうか。



「ねえカテリーナ? 貴方は、私のちょっとした冗談ぐらい、笑って流してくれるよね?」


 カテリーナの体を這うように、エリーザの指が触れてくる。

 ひどく馴れ馴れしくて、気持ち悪くて、どうしようもない。


「ちょっとした、軽口?」


 思いつめたように、震える口でカテリーナは言った。


 まさか、そんな言い方で許してもらえると思っていたのか。

 いや、今までの様々な発言を、彼女はその程度の認識だったというのか。


 カテリーナはエリーザとの間に、信じられないほどの断絶を感じてしまった。

 きっと今後も、同じことが起きるだけだ。




 そしてやや乱暴にエリーザの手を振り払う。

 そして今度こそ、他人であるように、はっきりと二人を切り捨てることにした。



「エリーザとラッセル。 私達は、昔は『友達として』仲が良かったわ」

「そうでしょう!?」

「……昔は、よ」


 カテリーナは息を吸う。

 化粧の匂い、薔薇の匂い、色々な香りが混ざっているし、人々の視線は熱く冷たいし、くらくらする気分だ。


 とにかく落ち着かない。

 息を深く吸って吐いたところで、やっぱりこの感覚はぬぐえない。


 

「でも今は知らない人。 私はカテリーナじゃなくて、キャサリン・ハーツ。 この帝国で生きている一人の人間だから」

「カテリーナ……?」


 カテリーナ――キャサリンは、今か今かと状況を伺っているダスティエ公爵を見た。



「ダスティエ公爵、この二人は間違いなく本人です、同じ学院と同じ研究所に所属したことがあり、何より私の友人でもありました。 でもこの帝国の皇帝陛下や他の人々を、冗談でも侮辱してしまったことは事実です」


 そして、また息を吸う。



「どうかこの二人に、そちらの国で正当な裁判を行ってください」

「……貴方の寛大な判断に、感謝を。 キャサリン博士」


 ダスティエ公爵は何か言いたげに、しかし恭しく頭を下げた。

 本音としてはやっぱり『知らない人』扱いしたいが、キャサリンにこう言われては引き下がれないのだろう。

 色々と言いたいことがあってもそれを押し殺し、公人としての振る舞いを彼は優先した。



「では衛士を呼びましょうか」


 ウェンドリア皇子は視線だけで、待機していた衛士たちを呼ぶ。

 この場にあって軽い武装を許されている彼らは、命令通りにラッセル達を捕らえ、連れて行く。



「ま、待ってよカテリーナ……!?」

「俺達を見捨てるつもりか!?」

 

 引きずられる二人がまだ何かを言っている。

 なんとか踏み留まろうとするが、屈強な衛士たちにはとても敵わず、ずるずると引きずられていく二人。

 だがキャサリンは冷静に取り繕い、少し乱れた服と髪を直す。


「何度も言わせないで、私はキャサリン・ハーツ。 この国で死ぬって決めた一人の魔法詠唱士で、……こ、こちらにいらっしゃるシェネル公爵の妻なのだから」


 そして、最後に一言。

 もうこれ以上、彼らに何か言うことは無いと、吐き捨てるように軽く、ハーツ生地がよく見えるように一礼し、丁寧に言った。


「どうぞ私の知らないところで勝手に幸せになってください」

「カテリーナ……!!」



 叫びながら、二人が遠ざかっていく。

 もう二度と、会うことはないだろう二人が。



 二人の姿が見えなくなって、緊張の糸が解けたキャサリンは、ついついその場に座り込んでしまった。





 ~・~・~・~・~・~






「六十二点と言ったところでしょうか」


 半ば倒れるように座り込んでしまったため別室に移動したキャサリンに向かって、ウェンドリア皇子はそんなことを冷たく言った。


「それって百点満点で?」

「ええ、三十八点も減点です」


 そんなに、とキャサリンは思った。


 ウェンドリア皇子は優雅に椅子に腰かけて長い足を組み、このパーティの主役のくせに平気で抜け出して悠然と酒を飲んでいる。

 その主役の片割れであるキャサリンはベッドに軽く寝転がり、まだくらくらとする頭を冷たい布で冷やしながらウェンドリア皇子を見つめた。



「……一応、内訳を聞いてみてもいいですか?」

「まず、もっと堂々と対応していただきたい。 貴方はこの国の主席魔法詠唱士です、間違っても町のパン屋ではありません。 貴方の対応一つで帝国全ての魔法詠唱士が甘く見られます」


 怒っているようには見えないが、どんなに怒っていたとしても顔に出ない人だ。

 皇族としてそういう教育を受けている人だから仕方ないし、この約二年の付き合いでキャサリンも慣れてきている。

 が、それはそうとして、怒ってるのか怒ってないのかはハッキリしてほしい。



「次に、彼ら程度は軽くあしらってください、私が居たから良かったものの、でなきゃ貴方いつまでも生まれたての小鹿のように震えていたでしょうね。 一々怯えていては、またつけこまれますよ?」

「う……はい」


 事実だ。


 公人となる以上、あんな態度は良くなかった。

 ウェンドリア皇子と結婚するということは、皇帝陛下とも親戚となるということ。

 もっと堂々としなければならなかったし、嫌な思い出がある知り合いだったからって弱さを見せてはいけなかった。


 しゅんと落ち込むキャサリンに向かって、ウェンドリア皇子は更に続ける。



「また、終わったからって座り込まないでください。 貴方、いつも研究が完成したからって実験に使ったばかりの器具に倒れます? 違いますよね? パーティが終わるまで倒れるのは禁止です、ましてや貴方は主役で、目玉商品となるハーツ生地を着ている唯一の人間ですよ?」

「はい……」


 ごもっともな指摘である。

 いくらなんでも気を抜きすぎだった。


 

「以上の三つを以て、減点のうち三点とします」

「……まだ三十五点分もあるんですか?」

「ありますね。 聞きますか?」


 ウェンドリア皇子は、どこか楽しそうににっこりと笑った。

 眩暈がするような話だ。


 正直、聞きたくない。

 

 そんなキャサリンの様子を見て、ウェンドリア皇子は肩を竦めた。



「貴方は、私のことを『シェネル公爵』と呼びました、しかも何度も」

「……間違ってないと思います」

「他人が言う分にはそうですが、そんな言い方する夫婦なんて離縁寸前の仮面夫婦のようではありませんか。 それに」


 ウェンドリア皇子は椅子から立ち上がり、ワインの入っていたほぼ空の盃を置くと、キャサリンの横に座った。


「自分を『シェネル公爵の妻だ』と宣言する時に一瞬照れましたよね?」

「あれは、ちょっと噛んだだけで」

「照れないでください」


 怖い。

 酒に酔っぱらう人とか乱暴なことをする人ではないが、なんだか怒っているように見えなくもない。


 ウェンドリア皇子は横たわっているキャサリンを見下ろす。



「次に、そんなに相手をしたくない人間が居るのなら、逃げるかすぐ私を呼びなさい」

「えっ、さっきと言ってることが違うじゃないですか」

「今は私が居るのだから、呼んでくださいよ。 そんなに私には頼りたくありませんか?」

「…………」

「その沈黙の意味は何ですか?」

「い、いえ、別に、深い意味は無いです…………」


 怖いから何も言えなかっただけである。

 下手に恩を買うと、後で何を言って来るのか分からない相手だ。



「キャサリン博士?」

「は、はい」


 今までで一番のにっこり笑顔である。

 怖すぎて逆らえないが、逃げ場も無い。

 ウェンドリア皇子はキャサリンの肩を掴む。



「私は貴方の本名を、教えてもらっていません。 私の知る貴方はずっと『キャサリン・ハーツ』だった。 いつ、名乗ってもらえるのですか?」


 キャサリンは返事に困る。

 とても近いところに居る相手に困った反応をして、でも相手の目を正面から見て答えた。



「わ、私は、キャサリン・ハーツです。 他の名はもう名乗りません……」


 正直に、そう名乗る。

 あの国にはもう戻る気が無いし、名乗るつもりもない捨てた名前だ。


「それで、貴方の本当のお名前は?」


 だがウェンドリア皇子はまるで流されてくれなかった。

 むしろ、その視線と表情は『知っている』と言っている。



「…………カテリーナ・デュエ・アミテール・ドラクロワです」

「よく出来ました」


 ウェンドリア皇子はさっきまでの変な風邪でもこじらせたかのような態度が嘘のように、やや冷めた態度で離れた。

 それさえ聞けたら十分だったのだろう。



 が、こだわった割には妙に冷めた態度だ。

 まるで、本当に最初から全てを分かっていて、キャサリンの反応だって予想の範疇だったかのような。


 嫌な予感がして、キャサリンは尋ねることにした。



「あの閣下、まさか最初から私の名前も、過去のこともご存知だったので……?」

「貴方がどこの誰なのか、ちゃんと調べてあるに決まってるじゃありませんか」


 それもそうだ、とキャサリンは納得した。

 その程度のことは調べないわけがないし、何処の誰か不明な女を迎えるほど愚かで考え無しな人ではない。

 ならばとキャサリンは続ける。


「じゃあ、あの二人が此処に来るっていうのも、知ってました?」

「誰の話ですか?」


 と、皇子は平然とすっとぼけてみせた。

 ついさっきは二人の名前を、名乗られる前から知っていたくせに、最初から知らないと言わんばかりに。


 

 つまるところ、彼は最初から全部知っていたのだ。


 キャサリンにとって彼らがどういう人物なのか、どうして国を離れたのか、全部知っていた。

 最初は知らなかったかもしれないが、それでも何処かで確実に把握していたのだろう。 そういう人だ。



「つまり、あの二人と私が会ったらどんなことが起きるのか、閣下は分かってたってことですよね。 なのに、全部分かってて、放置したんですよね……?」

「分かりませんよ」

「まさか」


 そこまで分かっておいて、では三人が会ったらどうなるのか考えるまでもない。

 きっと向こうでのラッセルとエリーザがどういう評価をされているのか、二人とがどういう関係だったのかも、知っていたはずなのに。


 キャサリンが二人と話しているのを把握していたくせに、分かっていて放置していたのだ。



「貴方は、旧友との久々の再会に喜んで仲良くお話をしていたかもしれません。 だとしたら邪魔が出来るわけがない」

「そんなこと、有り得ません」

「人の心とは移ろうものですから。 貴方が『帰る』と突然言い出していたかもしれませんね」

「まさか……」


 有り得ない、と思った。

 良い思い出だってあったが、嫌な思い出の方が今は勝っている。

 

 ラッセルとエリーザはどうなるのだろう。

 どうなるにしても、今後二度と会うことは無いはずだ。


 キャサリンは、もうかつての故郷へと足を踏み入れることもない。

 気になるのは父の墓参りが出来ないことぐらいである。



「でももし本当に『やっぱり帰る』と言い出されたら、私はとても困ってしまいますね」

「……国益の為に、ですか?」

「そうですね。 そうなれば、はてどうしたものかと」


 ほらやっぱり、とキャサリンは思った。


 

 結婚の話を言い出したのはキャサリンではなく、ウェンドリア皇子の方だ。

 聡明なはずの彼が、何処の誰とも知れぬ平民の女などと結婚するなんて酔狂にも程があるが、結局は国益の為である。


『何処かからやってきたキャサリン博士は、何かあればすぐに何処かに消えるだろう』という目で見られているのはキャサリンも自覚していた。

 金や地位が欲しかったわけでもなく、確かにまた同じようなことがあればキャサリンも消えるつもりだったので、その噂は間違っていない。


 それを分かっているからこそ『キャサリン博士』を国内に閉じ込めるための結婚なのだ。

 キャサリンだって、公爵との結婚により様々な権力を得られて、必要な素材を集めるための手段が増えるという利点を感じている。



 現皇帝には既に妻が居り、彼女は懐妊中ときている。

 よって皇帝の弟である彼に子が出来てしまえば余計な政争を招くので、結婚したところで子を設けるつもりは無いと堂々と言い切っていた。


 だから決して、何も知らない平民が嬉々として噂するような、大恋愛の末にあった結婚ではない。




 キャサリンは息を吐いて立ち上がった。

 もう気分は快復している。 そろそろ戻らなければならない。


「お待ちなさい」


 立ち上がったキャサリンの腕を掴み、無理やり隣に座らせる。



「まだ反省会は終わっていませんよ」

「……でも、早く行かないといけないのでは?」

 

 婚約発表以上に、ハーツ生地を着ているキャサリンが居なくてどうするというのだろう。


 そのことをさっきまでウェンドリア皇子自身から言われていたというのに、キャサリンを会場まで行かせない理由が無い。

 しかしウェンドリア皇子の怖すぎる無言から、はっきりとした拒否を感じた。



「私達、結婚こそしますけど、閣下が欲しいのもやはり私の技術と魔法であって、私自身には大して興味なんて無いでしょう? だったらおっしゃる通り、このハーツ生地をお客様に見せに行かないと。 倒れてる暇なんて、無いのでは?」

「……どうやら、未だ互いに意見の食い違いがあるようですね?」

「食い違ってなんて、居ないはずです」


 まだ何か言う気か、とキャサリンは大人しくなる。

 


「この期に及んでまだ『これは政略結婚だ』と思い込んでいる貴方に、改めて腹が立ちました」

「違うんですか」

「違いません。 私は貴方の持つ能力に、魅力を感じている。 でなければ私は、貴方に会うことは無かったかと思います」

「じゃあもういいじゃないですか」


 だったら、わざわざ此処で長々と聞く意味がまるで無い。

 そう思って立ち上がろうとしたキャサリンの腕を、それでも皇子は掴む。


 思ったよりも強い力だ。

 優美で繊細そうな見た目とは裏腹に、性別上の腕力の違いがあるのだとはっきりと思い知らされる。



「ですが、いくら優秀なキャサリン博士を国内に留まらせるためだからって、の利益のため生贄になるほど、私は自分を安い存在だとは思っていませんよ」

「…………」


 研究所には他にも近い年齢でかつ独身の男は居るし、キャサリンと仲良くする女だって居た。

 だから自分と結婚させる必要はなく、権力で他の良さそうな人間を使えば良かったはずだ。


 とはいえこの人は自分のことも駒扱い出来る人で、そんなことを言われたからってはいそうですかと信じられるわけがない。

 これはやっぱり政略結婚だ。



「……つまり貴方には、私にとってはそれほどの価値があるということで………………ところで」


 ウェンドリア皇子は怖いくらいの冷淡な笑みで呟いた。


「この私に此処まで言わせておいて、なのにまるで『自分は何も知らない純粋な少女です』という反応をするのは辞めていただけませんか?」

「どういう意味ですか?」

「まだ分かりませんか?」


 

 キャサリンは困って視線をそらす。


 この結婚は政略結婚であって、決して幸せな結婚ではないわけで。


 だからキャサリンが今何を求められてるのか、さっぱりと分からない。

 そういう心の機微というものに疎いから、ラッセルに『つまらない』と言われたのかもしれない。


 何を求められているのか考えて、キャサリンなりに大真面目に考えた結果、まだ大切なことを言っていないことに気がついた。



「さ……先程は助けてくださって、ありがとうございます……」

「はあ」


 肩透かしでも受けたかのような、気の抜けた反応だ。


「まあ、貴方の性格や過去を把握しておいて彼らと接触しているのを放置した私にも、責任はありますが……それで私が、どう助けたと?」


 ちゃんと分かっているくせに、わざわざ聞いてくる。



「あの二人は私が何を言ったところできっと信じなかったと思います、もし信じたとしても、利用されようとしていました。 ……だから、閣下が来て、私のこと助けてくださらなかったら、どうなっていたか分かりません」

「自身の優秀さを証明したのは、貴方自身の実力によるものです。 あの場でスーレル生地の話も自分で出来なければ、彼らは信じなかった。 よく出来ましたね」

「ははあ……ありがとうございます」


 突然誉められて、悪い気はしなくてそうキャサリンは返事する。


 しかしそれだって、皇子が居たからだ。

 キャサリンが一人で訴えたところで、彼らは信じなかっただろう。

  

 

「それはそれとして、やはり六十点」



 何故か減らされた。


 端正で優しげな顔立ちの人だが、中身は別にそうでもないし、本人は自分の性格と顔面に自覚がある。

 おかげで妙な、有無を言わせないほどの迫力をもってキャサリンにせまっていた。



「私のことは『閣下』や『シェネル公爵』ではなく、ちゃんと名前で呼んでください。 貴方がこれを政略結婚だと思っているのなら尚更、建前は重要ではありませんか」

「…………」

 

 キャサリンがなんとなく躊躇っていると、ウェンドリア皇子は「やれやれ」などと言って諦めた風に、キャサリンから手を離した。

 


「でも生意気な反応が出来るぐらいには元気になったようなので、カテリーナさんには戻ってもらいましょうか」

「なっ」


 改めて本当の名でを呼ばれて、どきりとキャサリンの胸が高鳴った。


 一応、政略結婚。

 そういうことになっているし、敵に回すと非常に面倒で厄介な相手だが、ラッセルに呼ばれるよりはずっと好ましい、とは思う。


 だが顔面に騙されないよう、我を取り戻すようにキャサリンは首を横に振った。



「……ですから閣下、カテリーナなんて名前の人はもう居ませんよ」

「だからと、名を捨てる必要はないでしょう? なら私には自由に呼ばせてください」

 

 ウェンドリア皇子はキャサリンの手を取り、軽々と立ち上がらせる。

 無理やりではなくキャサリンを誘導するように、負担をかけない実に手際の良いやり方だった。

 

 そして手を繋いだまま、まるで幼い子供みたいに二人で部屋を出る。

 点々と武器を持った衛士が立っている廊下の向こうからは音楽が聞こえて、多くの人が居るような気配を感じられた。


 

「まさか貴方が誰なのか分からず話しかけるような不埒者がこれ以上居るとは思えませんが……誰にでも分かるように夫婦らしく戻りましょうね、カテリーナさん?」

「ですから閣下、その名前を何度も何度も言うのはっ」

「ああそうだ、私が貴方を抱き上げて行くというのはどうでしょうか。 きっと皆さん大層驚きますよ」


 皇子は半ば本気みたいな顔で言った。


 見た目よりはちゃんと鍛えている彼だから、貧弱なキャサリンの体くらい平気で持ち上げるだろう。

 だがそんな格好で、帝国での知り合いも含む高貴な人々の前に現れたくはない。

 


「そ、そんなの、恥ずかしいから止めてください……」

「おや、何が恥ずかしいので? 私達、夫婦ですよ?」

「だからって、そういうの――」


 キャサリンの話など構いもしない。

 ウェンドリア皇子はキャサリンの体を軽々と横向きに抱き上げてしまった。

 そんな状況で、ふらつくこともなく歩き出す。


「ひ、人が見てるッ……!」

「見せつけています」


 廊下に立っている衛士が見ている前だというのに、皇子は堂々としすぎている。

 と言っても衛士も仕事だからか、あるいはこういうのは見慣れているのか、ちらりと二人に視線は向けたものの職務に忠実に、何処か無機質に監視を続行した。


 

「ど、どうか私を降ろしてください、ウェンドリア様……」


 意を決して、名を呼んでみる。

 照れるし、夫になろうと何だろうと相手が相手なだけに妙に緊張する。

 

「嫌です」


 が、降ろさない。

 点数を上げておきながら、皇子はキャサリンを抱きかかえたまま、すたすたと平気で会場へと向かっていく。

 降ろす気配はまるで無く、このまま会場に戻るつもりなのは変わらないようだ。


「名前で呼んだのだから、降ろしてくださいっ!!」


 キャサリンが顔を真っ赤にしてウェンドリア皇子を軽く叩くが、相手には何の影響もない。

 やはり降ろしてくれる気配は全く無く、むしろ子供の反抗程度にしか思われていなかった。



「呼べば降ろすなどと、誰か言いました? むしろそんなに恥ずかしがられたら、もっと続けたくなりますよ」

「……嘘つきじゃないですか!」

「約束した覚えはありません」


 ひどすぎる。


 最初から、キャサリンがラッセル達に絡まれていたのを黙って放置していた時、いいや最初に会った時から、彼は本当に嗜虐的な人だ。

 キャサリンが困っているのを分かっていて、その上で遊んでいる。 本当に酷い人だと思う。

 


「では聞きますけど。 貴方、いったいこの状態の何が恥ずかしいのですか?」

「めちゃくちゃ目立つじゃないですか! 確かにこの生地のアピールとか結婚とか見せつけるのには良いかもしれませんが、私は目立つのが苦手なんです! ウェンドリア様も、それはよく知ってるでしょう!?」


 だからこそ、そこをエリーザにはつけ込まれてしまったわけで。


 

 それを反省して自主的に表へ出るようにはしているが、やはりラッセルとエリーザのあの結婚発表の時に受けた扱いのせいで、もっと苦手になってしまっている。

 今回だって、研究所にはもっと可愛く若々しい女性達が居るのだから彼女達にドレスを着てもらうべきだとキャサリンは主張した。


 が、『婚約発表の場で花嫁より目立つ女性が居て良いわけがないでしょう』と一刀両断されてしまったのである。

 

「貴方が過去に受けた扱いのせいで、自分に自信が無いのは知っていますよ。 確かに彼女、顔だけはお綺麗でしたね。 でも、それが何だと?」

「何って……」

「私が貴方を自分好みに着飾って他人に見せびらかしたいと思って、何が悪いのでしょうか?」

「…………私は着せ替え人形ではありません」

「おや、着せ替え人形程度ならもっと違うものを選びますよ」

 

 それはどういう意味なのかと、キャサリンは大真面目に悩んだ。

 


 キャサリンには、人を見る目が無いのだろうか。

 それとも、男運というものが無いのだろうか。

 あるいは、こんな扱いをされる自分に、キャサリンは実は喜んでしまっているのだろうか。


 ラッセルとエリーザのことは、考えれば考えるほど嫌な人だと思うし、その上であんな裏切りさえ無ければ好ましいと思っていたのではないかとすら思う。


 自分で自分に嫌気が差してきた。

 こんなのに捕まるし、人を見る目が無い。



 いずれにしても、キャサリンはもう国には戻らない。

 だから、ラッセルとエリーザが今後どうなるのかなど知らないし、知りたくもない。


 もしかしたら見捨てたことをキャサリンが後悔するようなことが彼らの身に起きるかもしれないし、反対に意外にも軽く終わり、また会ってしまうのかもしれない。

 帝国から言えば確実に重い罪になるかもしれないが、そんなことをわざわざするほどの勇気も覚悟も、キャサリンにはない。



「あの、ウェンドリア様は先程『意見の食い違い』とおっしゃりましたよね」

「言いましたね」

「じゃあウェンドリア様にとって、この結婚は恋愛結婚だとでもおっしゃるのですか?」

「…………今更、何を?」


 ウェンドリア皇子が黙った。

 露骨に黙ってしまった。


 まるでキャサリンの素朴な疑問が、絶対に開けてはならない箱を開ける行為だったとでも言わんばかりに。


「……ウェンドリア様が欲しいのは、私の技術と魔法だけで……つまり、帝国の発展の道具としての結婚ですよね?」


 まさか、恋愛なわけがない。

 思い返せば思い返すほど、ウェンドリア皇子にとってキャサリンが女として魅力的であった瞬間など無いという確信がある。

  

 しかしこういう人が黙る時は、大抵めちゃくちゃ怖い。

 キャサリンがそっと顔を見ると、しかし意外にも、相手は普通だった。



「そんなにも、私にこうやって抱き上げられて目立つのが嫌であるのなら、降ろそうかと思いましたが――――」

「本当ですか!?」

「やめました」

「ええ!?」


 それは何故かと、キャサリンは動揺の声を反論するようにあげた。 

  

 だが皇子は何も恥じるところはないとばかりに、笑顔で会場へと向かう。



 抵抗したところで相手の力は強いし、きっとこのまま衆目に晒されてしまうに違いない。

 帝国に来てから少しは慣れたとはいえ、化粧とか綺麗な格好とはしたものの、やっぱり注目されるのは不慣れで仕方ない。


「う、ウェンドリア様、私は何か不快にさせることをしましたか?」

「いえ、申し訳ありません。 むしろ今までの己の言動を真剣に反省しているところです。 どうやら婉曲な表現では理解してもらえないようだ、研究に関してあんなに冴えている人だというのにね」


 その辞書には『後悔』と『反省』という文字なんて無い人のくせに、いったい何を反省するというのか。


「一度しか言いませんよ」


 しかしウェンドリア皇子は顔色一つ変えない。

 変えない上で、溜息を吐いた。


「私は貴方を愛しています」

「………………玩具として?」



 何故そんなことを突然言うのだろう。


 まさかこういう人が本音から、恋愛という意味で『愛してる』などと言うわけもないし。

 他人のことなどどうせ自分にとって使える道具とか玩具としか思ってない人なのに、愛を囁くなど絶対に有り得ないし。


 キャサリンが素直な感想を口にすると、ウェンドリア皇子は苦笑いをして呟く。


「その物言いは……流石に堪えますね」


 だがウェンドリア皇子は、今度こそ呆れた顔をしていた。

 その様子はまるでキャサリンが何か酷いことをしたかのようで、しかし何か妙なことを言ったとも思っていない。

 

 とにかくキャサリンは今すぐ降ろしてほしいので、改めて声をかけた。



「……あの、それで降ろしてはもらえないんですか?」

「ダメです。 今日はこのままです」

「えっ」


 しっかりと抱き上げられて、会場へ。

 そしてそのまま、大勢の高貴な人間にこんな様子を見られて、キャサリンが恥ずかしさのあまりに顔を隠してしまうまで、あと少し。

 

 

 

 

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「お前はいつまで俺に未練があるんだ」と言われましたが、貴方はいったい何を言っているのですか? 馴染S子 @NajimiSko

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