ショートケーキムラムラ

りつりん

ショートケーキムラムラ

 ショートケーキにムラムラし始めてかれこれ一週間が経った。

 きっかけは些細なことで、とあるバラエティ番組で取り上げられたとある名店のショートケーキを見た瞬間からムラムラが止まらなくなったのだ。

 生まれ落ちて二十五年。

 初めての快感を得て十二年。

 ショートケーキに対する欲情という未知の感覚に、俺はただただ戸惑うしかなかった。

 戸惑うしかなかったが、とりあえずこのムラムラを収めるためにそのショートケーキを見ながら自らを慰めてみた。

 しかし、それがいけなかった。

 あの時もしそのムラムラが落ち着くまで我慢していれば、このようなことにはならなかったのかもしれない。

「なんで、どうしてこんなことに……」

 俺はテーブルに置かれた数えきれないほどのショートケーキを前に絶望していた。

 最初の慰めが終わった後、俺はどうにも煮え切れない感覚を抱いた。

 俺は確実にショートケーキに欲情していた。

 だからこそ人生で初めてショートケーキをおかずに自らを慰めたのだ。

 まあ、たまにはこんなこともあるだろう。

 そんな軽い気持ちで。

 しかし、慰め終わった後俺に残されたのは恐ろしいほどの違和感を孕んだモヤモヤだった。

 それまで澄み切っていたはずの心を覆う分厚い雨雲。

 辛い時も悲しい時も、慰めれば自然と前を向けた。

 なのに、ショートケーキをおかずに行為を済ませた自身の心の中のどこにも光は差し込んでこなかった。

 俺は、確実にショートケーキにムラムラしていた。

 なのに、ショートケーキをおかずに慰めてもスッキリしない。

 初めは静止画で抜いたから駄目だったのかと思い、映像で試してみた。

 でも駄目だった。

 もしかして生で見ていないか駄目なのかと思い、幸い近くに紹介されていた名店があったので買いに行き、行為に勤しんだ。

 しかし、それでもモヤモヤは晴れなかった。

 そこからは試行錯誤。

 見る角度。

 時間帯。

 天気。

 精神状態。

 体勢。

 部屋の明るさ。

 BGM。

 速度。

 圧。

 ケーキの残り具合。

 苺の有無。

 苺の数。

 ホールケーキ。

 ケーキの温度。

 断面の在り様。

 皿。

 様々、条件を変えながら時にシンプルに、時に複雑に入り組ませながら試し続けた。

 そして悩みに悩み続けて三日後。

 俺はとうとうショートケーキの中に入れてしまった。

 もう、これしかないと思って。

 これまでもなんやかや入れればどうになってきた。

 今回もそうだろう。

 そう、信じて。

 俺は名店の店主の顔を思い浮かべながら入れてしまったのだ。

「俺は何をしたんだ! お母さん! ごめん!」

 終わった瞬間、俺は俺を殴った。

 お母さんに全力で謝りながら殴った。

 生まれてきてごめん。

 そう考えすらした。

 そう考えてしまうほどの光景が目の前に広がっていた。

 見るも無残にぐちゃぐちゃになってしまったショートケーキ。

 汚れた俺の俺。

 手にまとわりつくなんとも言えない気持ち悪さ。

 まるで初恋の人を穢してしまったかのような罪悪感。

「俺の馬鹿野郎……」

 その日は荒れた。

 普段飲まない酒を飲み、道端で潰れ、朝を迎えるころにはカラスが周りに何十羽と群れていた。

「……もっと誠実になろう」

 それから俺は心を入れ替えて、シンプルにショートケーキを見ながら慰め抜くという方向に絞ることにした。

 ただ、変化はつけた。

 これまでお世話になってきた名店のショートケーキだけでなく、異なる店の異なるショートケーキにチャレンジした。

 多様性である。

 ショートケーキという軸をブらすことなく、俺はビジュアルを変えながらトライをし続けた。

 通常の慰めでもそうだからだ。

 褐色ギャルがいい時もあれば、色白ギャルがいい時もある。

 豊満な方がいい時もあれば、スレンダーがいい時もある。

 ある程度固定された好きなシチュエーションの中で、そこに存在するアクターを変える。

 その事によって満足度を高めていく。

 普段なら当たり前に行っていること。

 そんな当たり前を俺は見落としていたのだ。

 ショートケーキに入れるという行為はいわば邪道。

 普段なら見向きもしない素材で無理やりに自らを奮い立たせ慰めるというのは十年に一度あるかないかの冒険日。

 そんなことをショートケーキに俺は求めていなかったのだ。

 それなのにそうしてしまった。

「我ながら我を清々しいまでに見失っていたものだ」

 俺は確信していた。

 この緻密かつ根気のいる作業の先に光が差し込むことを。

 そして四日後。

 最初の光景にたどり着く。

「これじゃあただのショートケーキ風俗じゃねえか!」

 俺はあまりの絶望に再び叫んだ。

 なぜなら、どのショートケーキで慰めても心のモヤモヤが微かにも晴れなかったからである。

 まるで好きでもない相手といたしてしまった後のような悲しさ。

 整然と並べられたショートケーキは、俺の尻軽さを蔑むようにこちらを見つめてくる。

 だが、今回は頬を殴りはしなかった。

 なぜなら、自身の行いが間違いではないと信じていたからである。

 食べ物を粗末にしてはいけない。

 四日前に犯したショートケーキに入れるという行為は明確な食品ロスを生み出してしまう行為である。

 ただでさえ行為の後は賢者モードになる。

 その上、社会的に問題となっている食品ロスを生み出してしまっていては心が持たない。

 しかし今回、行為後にショートケーキを食べることができる。

 俺はテーブルに乗るショートケーキを時間をかけて完食した。

「このままじゃ……うぷっ、駄目だ」

 俺は再びアプローチを変えることにした。



「ここに来るのは高校生以来か」

 俺は市立図書館へと足を運んだ。

 もしかしたらこのモヤモヤを晴らすのは、俺の俺を慰めることではないのかもしれない。

 そう考えたからだ。

 ムラムラの対象はショートケーキ。

 そうであるのなら、その解消法も通常とは異なる可能性が高い。

 そこでまずはショートケーキのことを知ることにした。

 俺は図書館に入ると検索用パソコンの前に立ち、キーワードを打ち込んでいく。

『ショートケーキ 歴史』

 エンターキーを押すと同時に表示される検索結果。

 俺はその結果をプリントアウトした後、美しいまでに整然と並べられた書架の間をすり抜けて行く。

 まるで初恋の相手と浜辺で追いかけっこするような、胸をきゅりりと締め付ける感覚が俺をいたずらに刺激しては通り抜けていく。

「ふふっ……」

 俺は思わず笑みを零す。

 待っていてくれ、ショートケーキ。

 必ず君との輝かしい未来をつかみ取ってみせる。

 複数の本を手にした俺は柔らかな日差しの差し込む席に座り、軽やかな手つきで書をめくり始めた。

 そして数時間後。

 俺は得も言われぬ知的満足感を胸に図書館を後にした。

 これまでなんとなく知っていたショートケーキの子細を知ることができた。

 それだけで俺の知的好奇心を満たされていた。

 そう、知的好奇心だけは。

「駄目か……」

 ムラムラとモヤモヤは一切収まっていない。

 むしろショートケーキのことを知れば知るほどムラムラとモヤモヤは積み重なっていった。

 その後も様々なことにトライした。

 ユーチューバーによるショートケーキASMR。

 ショートケーキを題材にした小説執筆。

 ショートケーキの歌作成。

 ショートケーキのスケッチ。

 ショートケーキを友人にプレゼント。

 ショートケーキの写真撮影。

 ありとあらゆることを試した。

 しかしそのどれもがムラムラとモヤモヤを解消してはくれなかった。

 俺は苦悩した。

 一体全体、どうすればいいんだ。

 モヤモヤはたまり続け、とうとう仕事にも支障をきたすようになってしまっていた。

 そして、悩みに悩みぬいた結果、俺は近所にあるショートケーキの名店にキッチンスタッフとして入ることにした。

 見ても駄目。

 触っても駄目。

 知っても駄目。

 その他もろもろも駄目。

 そうなると最早作るという行為にすがるしなかった。

 考えてないわけではなかった。

 しかし俺は絶望的に料理が下手だった。

 練習を重ねても目玉焼きすらまともに焼けない俺。

 そんな俺が意を決して名店の扉を叩いたのだ。

 面接で名店の店主が問うた。

「どうして料理に苦手意識の強い君がこの店の、しかもキッチンスタッフで働きたいというのかね」

 ちなみに店主は俺のお母さんの小学校時代からの友人で、俺も小さいころよく遊んでもらっていた。

 俺はそんな彼の問いに曇りなき眼で答えた。

「ショートケーキにもっと、もっと、それはもうショートケーキと一つになるくらいに近づき理解をしたいからです」

 嘘は言っていない。

 実際一度一つになっている。

 申し訳ない。

 即日採用された俺は名店のエプロンを身にまとい、ショートケーキのために汗を流す日々を送り始めた。

 ちなみに採用決定の理由はごりごりに縁故である。

 最近しんどそうにしていた俺を心配したお母さんが店主にお願いしてくれたのである。

 これまた申し訳ない。

 


 そして一年後。

「っしゃいませー」

 俺はチョコレートケーキ専門店を開いていた。

 三か月前に開いたこの店は近所でも評判で、いつも開店前から行列ができるほどだ。

 店主もお母さんも喜んでくれた。

 さて、なぜこうなったのかを説明しよう。

 多くのことを試し続けた俺は、一度原点に立ち返ろうと改めてきっかけとなった番組を見返した。

 何度か見返していくうちに違和感を覚えた。

 俺はそれまでその番組で紹介された名店のショートケーキの存在にムラムラしていると思い込んでいた。

 しかしよくよく見返していくと、俺は特定の瞬間に興奮を覚えていることに気づいた。

「えー、私チョコレートケーキ食べたことないんですよ。物心ついてからずっとショートケーキしか食べたことなくって……。これってショートケーキを裏切ることになりませんか?」

 俺がムラムラを発症した場面は、とあるアイドルが大好きなショートケーキを前にチョコレートケーキを食べる瞬間であった。

 そう、俺はショートケーキが好きと言いつつ、チョコレートケーキを食べている人を見て、その行為に興奮していたのである。

 さらに言えば、好意を向けられていたショートケーキがチョコレートケーキに意中の人を奪われるショートケーキNTRに興奮していたのである。

 実はその番組を見ていたとき、俺は別のことをしながら片手間に見ていた。

 そのため細かなシチュエーションを把握していなかった。

 どうやら俺は無意識に先ほどのアイドルのセリフを耳に取り込みつつ、ショートケーキだけを画面上で捉えてしまったがゆえに勘違いを起こしていたようだ。

 ショートケーキに興奮していると。

 それに気づいてから俺はチョコレートを作り、食した。

 瞬間、満たされた。

 ムラムラとモヤモヤはこれまでの鬱屈が嘘のように消え去り、俺の心には穏やかな日の光が差し込んできた。

 そのあと俺はすぐさま店を辞め、チョコレートケーキ専門店を開いた。

「今日のおすすめは?」 

 既に常連さんもいる。

「もう、奥さん。今日のおすすめもチョコレートケーキですよ」

「あらやだ、そうよね。だってここチョコレートケーキ専門店だものね」

 ショートケーキごめん。

 俺は心の中でショートケーキに謝る。

 実は半年以上もショートケーキに関わり続けた俺は心の底からショートケーキを愛するようになっていた。

 そう、ムラムラとモヤモヤを解消するための行為によって、ショートケーキNTRのための下地が自然と培われていたのである。

 今日も俺はチョコレートケーキを作り、チョコレートケーキを売る。

 ショートケーキを心の真ん中に置きながら。

 ああ、ショートケーキ。

 愛しのショートケーキ。

 チョコレートケーキの方がいいのーっ!

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ショートケーキムラムラ りつりん @shibarakufutsuka

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