第7話 渡米

 時刻は午前六時過ぎ、漸く空が明るくなり始めた時刻。銀次がもともと住んでいたぼろアパートの一室。その扉の前に三人の男性が立っている。パッと見ではわからないが、全員が防刃ベストと拳銃で武装している。その中で一番年の若い新米刑事が生唾を飲み込み、ごくりと喉を鳴らす。彼の腕はかすかに震えていた。それを先輩刑事が見るに見かねて声をかける。


「まあ、落ち着け。まだ水瀬みなせは被疑者じゃあない。重要参考人だ。捜査状況に鑑みた俺の推測じゃあ9:1でシロだ」

「はい……」

「でも即座に拳銃を取り出せるようにはしておけよ」


 目つきが鋭くなる先輩刑事。彼もこんなことは言いたくなかった。しかし、当然「9割安全ならば大丈夫」だと楽観して生きている捜査一課(殺人対応)の人間の寿命は長くはない。



(あんなにすっぱりと頭と指を切断する。そんなことは工業用切断機でも使用しないと不可能だ。この事件はおそらく組織犯罪、単独犯ではないだろう。だが水瀬には反社会的勢力とのつながりを確認できなかった。)


(だからこそ捜査四課(対暴力団)も動いているんだ。それらから集積できた情報をまとめると、どうにも腑に落ちない)


(まず、抗争などで裏切者の粛清の線が上がった。それならば顔は残す。それじゃあないと見せしめの意味がない)


(逆に被害者の身元を隠したかった? それならば切断した場所から直で山なり海なりに死体を運ぶだろう)


。この事件の犯人は。ともかく水瀬の生死にかかわらずこのアパートで手に入る情報は捜査を進展させる)


 インターホンを押す先輩刑事。数々の修羅場をくぐってきた彼の額にもうっすらと汗がにじむ。


「水瀬さん。北海道警察のものです。お話をお伺いしたいんですけど」


 返事はない。耳を澄ましてみても部屋の中からは物音ひとつ聞こえない。再度インターホンを鳴らすが結果は同じ。


「捜査令状が出ています。入らしていただきますよ」


 ドアノブに手をかけると拍子抜けするほど簡単に扉は開いた。カギはかかっていない。拳銃を握りしめ、室内に侵入していく三人の刑事たち。入り口に仕掛けてあった「不可視の切断線」が三人をサイコロステーキにする、ことはなかった。五体満足の状態で居間まで到達する。彼らを出迎えたのは静寂だけだった。


「誰もいない……?」


(逃げた……? いやおかしい。水瀬とコンタクトをとるのはこれが最初。警察内部に内通者がいなけりゃあ不可能な芸当……。それにこの生活感のなさ)


「先輩! ゴミ箱にレシートがありました! “事件以前”のものしかありません!」

「窓はカギがかかっているな……。なんだこの穴? 重いものでも落としたような……」


(間違いない……! 巻き込まれたのは水瀬のほうだ……!)


「水瀬銀次は行方不明! 至急本部とご家族に連絡を!」


 □□□


「ほんと、日本の警察ってば優秀。横着しないで胴体まで全部回収するべきだったな」


 九頭竜のマンションから自分の元部屋を俯瞰している銀次。刑事たちの姿も声も全て彼には筒抜けだった。刑事たちのいる部屋、そのクローゼットの上においてある安っぽい指輪。それの素材は液体金属である。それは彼の目となり耳となり、必要とあらば“矛”となる。


(レシートはあの日以前のものはあえてゴミ箱に戻してきた。パソコン、携帯電話は破棄。生活痕も残っていない。九頭竜の家を拠点としていたからな。あと一番心配だったのは、円錐オブジェを回収するために車であの家を訪れたことだったが。臆病さが功を奏した。車は無形の車。色もナンバーも適当。運転する僕の姿もほかの人間をコピーしただけだ。警察は延々と町中の監視カメラに映った存在しない車とまったく無関係の人間を探すことになる)


(九頭竜と取り巻きは僕が定期的に顔を大学に出したり、SNSに投稿させたりしている。だから失踪者は彼らではない。“僕だ”)


「まあ別に拳銃持ち三人とやりあっても負ける気はしないが、国家権力にたてつくと後々面倒くさい。“彼女”がいてくれてよかったよ」


 ■■■ 4日前 ススキノ居酒屋


。さっき大事なことを伝え忘れちゃったんですけど……。この後時間割いてもらってもいいですか?」


 酒がいくらか入り頬を紅潮させて銀次に対して語り掛けるのは黒崎切羅くろさきせつら。先程多目的トイレで銀次に詰め寄り、詰め寄られた女性である。


「……。重要なこと、なんだね?」

「はい。貴方のためのことです」

「わかった。ショーゴ。俺はこの子と帰るから、いくら出せばいい?」


 切羅は銀次に取られたと諦め、二番目におっぱいの大きい子に猛アプローチしている彼は鬱陶しそうな顔をする。


「あー。今度でいいよ、今度で。楽しんでらっしゃいよ。……それでな! そのバイクがスゲーのよ!」

「ありがとう。行こうか、黒崎さん」


 二人の「能力者」はその喧騒を置き去りにして居酒屋を出ていく。


 □□□ 九頭竜自宅


「うわあ、やっぱり実際見てみると、めちゃくちゃでかいですね! この部屋!」

「……僕は雑談をするために君を自宅……ではないな。この家に連れてきたわけではないよ。まあ……」


 食い気味に切羅が口を挟む。


「もうばれているから、拠点を公開しても問題ない。さらに言えば私の言う“重要なこと”いかんでは『私の』殺害後の処理がやりやすくなる。ですよね?」

「君のその言葉の先を言う癖治んねえのな! まあいいよ。慣れたわ」


「ふふふ。せっかくの能力なんだから存分に使わないともったいないでしょう?」

「僕は別に戦いが好きなわけではないよ。むしろ大嫌いだ。合理的ではあるんだけどね。この能力をほかの誰かに取られたら蹂躙されるわけだから」


 広い部屋の中央で切羅はくるりと回転して、あでやかな黒い髪がいい香りとともに広がる。そして両手を大きく開き銀次の紅い瞳を見つめる。


「そんな貴方に耳より情報です。このままだと嫌でも戦闘になりますよ?」

「は?」

「“山菜のメモ”これだけで伝わるでしょう。あのメモの燃えカスと監視カメラの映像から警察は貴方にたどり着きつつあります。自宅の“切断線”を解除しないと警官たちを斬り殺すことになっちゃいますよ」


 銀次は自らの銀色の髪を掴みうつむく。そのまま頭を抱えるような体勢となる。


「あー……。ありうる。というか君がそういうんならそうなんだろう。捜査が僕に到達するのは何日後だ?」

「ごめんなさい、そこまでは。ただ遠くはないうちでしょう」

「……。本当にありがとう。助かった」

「だったら……」


 金を要求されるのか? 情報を要求されるのか? 圧倒的な戦力差の前にそれが可能なのか? 銀次の中に一瞬でよぎった疑問は10を超えた。だが彼女はただ一言。


「頭。撫でてください……」


 お酒が入った時よりさらに赤みを増した顔で「にひひ」と笑みを浮かべる切羅。あっけにとられる銀次だったが、そういえば彼女はそんな人物だったと居酒屋での出来事を思い出す。銀次は細長い息を漏らしながら彼女の頭をなでる。この上なく嬉しそうに顔をほころばせる切羅。


「あ、そうだ。せっかくだから君の体をまさぐらせてもらってもいいかな?」


 唐突な銀次の変態宣言。早くも自分の恋が成就したのかと切羅の脳内はピンク色に染まるが、よくよく“視て”みると別段そういった意図はないのだということがわかる。落胆のため息をこぼしながら彼女はそれに応じる。


「いいですよぉ~。でもそれ、私を普通に犯したいなんて欲望よりずっと変態チックですよ」

「“”なんて。どうぞ可愛い私を存分に飲み込んじゃってください!」

「変な言い方をするなよ……。僕がまるで変態みたいだろう」

「……。十分変態なんですけどね……」


 これで銀次は正確な女性の肉体を模倣することが可能となった。つまりハニートラップができる暗殺者となる。切羅の完全模倣によって、着々と彼の可能なことが増えていく。より悪辣で、打倒不可な化け物へと変貌していく。


「でも銀次さん。ヤリチンの振る舞いをネットで検索するのはどうかと思いますけどね」

「あぁーッ! やめてくれ! 誰にも知られたくなかったのに!」


 くすくすと小ばかにした笑いを浮かべる小悪魔的な美少女。それに対して今度は銀次が顔を赤らめる。銀次は咳払いをして場の主導権を取り戻す。


「ではまた逢う日まで。しばしのお別れだ。能力の使用には細心の注意を払うんだよ」

「はい!」


 ■■■


「さて、一応僕は『行方不明者』となったわけだが、警察の捜査能力がここまでとは、恐れ入ったよ」


 九頭竜のパスポートを見つめながら、これから行う暗殺者への道を頭の中で整理していく。まず日本じゃだめだ。ならばどこがいいか? その国は前から決めてある。世界最強の国家、アメリカ合衆国だ。ただ正規の手段だと空港の金属探知機に引っかかる。そこも考慮する必要がある。警察の情報通り銀次は裏社会とのつながりはない。だからこそ裏ルートで密入国をするのは難しい。


「じゃあ忍び込むしかないな、日本からアメリカ行きタンカーの貨物室に」


 銀次は自由な乗用車に変態できる。そして自由な人間の姿を模すことも容易だ。さらに日本の自動車の多くは米国に輸出される。果ては自分の体積以上のものでも破壊すれば体内に収納できる。ここまで来ればバカでも組み立てられる簡単なパズルだ。調査に三日、準備に二日の合計五日をかけて。タンカーに積載されている車の一部にすり替わった。


 ■■■ アメリカ合衆国 カリフォルニア州 ロサンゼルス


「I’m here!(到着したぞ) ロス・エェンジェルスッ!!」


 カンカン照りの太陽。アメリカ西海岸の波止場には所狭しと大量のコンテナが積んである。タンカーから多くの自動車とともに一人の“女性”が自分は密航者であることを隠すこともなく大声を張り上げながら、タラップを降りてくる。彼女はくせっ毛のセミロングの銀髪を揺らしながら、紅い瞳で困惑している船員を見下ろしている。


 彼女の名は水瀬銀子みなせぎんこ。言うまでもなく銀次のオリキャラである。銀次の特徴をそのままに切羅の体をモチーフに完成させた女性体である。髪が少し長くなっているのと、胸が大きくなっているのを除けばほぼ銀次である。


 こんなことを切羅に話せば「二人の愛の結晶だね……///」みたいな反応をすると予想できた。対応に面倒くさいと思った彼は勝手に彼女のボディを使用している。端的に言って肖像権の侵害である。いやそれ以上かもしれない。


 銀子はナイフで指に傷を入れて血を溢れさせる。右方向にあった日本車に指で何かを書きなぐる。その後左に用意しておいた“無形の車”に乗り込み発車させる。


 あっけにとられた船員が警察に通報したのはもう車の姿が見えなくなってからだった。10分後現場に到着したロス市警が発見したのは一文の血文字。


『Skill: Copy human』

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