第3話 液体金属の上手な使い方

(重い……重い……体が金属のように重い)

 

 いつもと同じく、鉛のような体を起こそうとする銀次。普段通りそれが心因性のものだと思い込んでいたが、夢から覚醒して十数秒。違和感を覚える。体の起こし方がわからない。これは彼の人生でも前例のない出来事であった。


(あれ? 僕の手は……)


 ようやくうつつの世界へと舞い戻ってきた銀次。状況を整理する。彼の現状は手がない、足がない。そんな次元の話ではないことに気づく。狭い部屋の一面全て「を」水銀のような液体金属で埋め尽くしていた。それが自分だということがわかるのに要した時間はたっぷり一分間。奇声をあげそうになるのをグっとこらえる。


 慌てて元の人間の姿を形どるために全ての液体金属を集めるように試みた。掃除機に吸い込まれていくように部屋いっぱいの液体金属は人の姿を模す。水瀬銀次の肉体の大きさまで圧縮され、再び人間としての生活を送れることに安堵を覚えたのもつかの間。あれだけの体積の液体金属を人間大まで圧縮したのだ。当然密度は途方もないものになる。彼は左足で床板を踏み抜いてしまう。


「敷金が……ッ!」


 悲痛な声をあげ膝から崩れ落ち、おまけで両膝のぶつかった二か所にも穴をあける。もう敷金が返ってくることを完全に諦め、賠償額が膨らむのを防ぐよう彼はつとめた。これ以上床をぶち抜かないために、再び液状に戻り、部屋いっぱいに水銀を敷き詰める。


「あー……本物だったんだあのスレ……どうするべ」


 最初に抱いたのは激しい後悔の念だった。こんな能力、「過去にさかのぼって少年を殺害する」以外に使い道があるだろうかと。こんな世の中ならば、心を読める能力を賜ったほうが何倍も有用だったろうと。カジノで荒稼ぎ、探偵、警察、いくらでもある。なんでよりにもよってこんな汎用性に乏しい能力を選んでしまったのか。頭を思い切り掻きまわしたいが、今は頭も腕もないためかなわない。


「ん? こんな世の中……?」


 今日も世界は平常運転だ。満員電車に揺られて通勤するサラリーマン。泣きわめく我が子をあやす母親。一握りの天才は常人には考えられないような速度で金を稼ぐ。そんな日常が今日まで続いてきた。それはこれからもずっと続いていくのだろうか?


「いや、違う。あのスレが本物だったとしたら、いいや現に本物だった。そして憶測だが、スレがあれ一つではなかったとしたら……この能力で正解だ」


 そう半ば確信した銀次はさっそく行動に移る。まず人間形態にならなければ指針もえられない。液体金属を部分的に固体へと変えていき、床との接地面積の広い円錐状にしていくつも置いていく。部屋の大半にそのオブジェを置いたのち、改めて人に擬態する。今度は床をぶち抜くことはなく変形することに成功した。


「よし、では実験だ」


 元研究者としての習性か、あるいは矜持か。こんな状況で最初に出た言葉はそんな一言。まず彼が取り掛かったのは体重の測定である。別に全部の金属をはかりに乗せることは必要ない。たったひとかけら体重計に乗せ、それが全体重の何分の一かを調べられれば概算は出る。液体金属を結晶化させ固体にする。1cm^3の大きさしかないその立方体は、銀次のもとの体重とそう変わりはしなかった。


「そりゃあ、踏み抜くわけだ。こんなぼろアパート。一階でよかったよ」


 次に防御性能。包丁を取り出し、力を込めないで腕を切ってみる。腕はぱっくりと割れ中からは銀色の液体が滴る。元の形状に戻そうとしたら、逆再生するビデオのように液体金属は元に戻り、簡単に腕は接着できた。逆に硬化した状態ならば、包丁のほうが欠け、腕には傷一つつかない。


「防御能力は無敵だね。……弱点とかはあるのかな? あの有名な映画の敵キャラは溶鉱炉に落とされて撃破されたが……。要検証だな」


 ここで一つ疑問に思ったことがある。普通ならば人間は脳があって初めて意識を持つことができる。だが起床時にはすべてが液体だったにもかかわらず、意識はあった。銀次の視線が大量の円錐オブジェに向けられる。物は試しと意識を移せるか念じてみた。するとどうだろう。一瞬で視界が切り替わり自分が自分を見つめていた。どうやらほかの金属にも意識の転嫁ができるみたいだ。これには大きく喜んだ。何らかの理由で本体が行動不能になっても、予備の金属があれば行動可能だからだ。


「忙しくなりそうだ。次は状態変化だな」


 当然の疑問であろう。液体から固体の変化ができるのならば、気体にもなれるのではないか。その読みは当たっていた。当たっていたが。問題点がひとつ。気体になった金属には意識を移すことができなかったのだ。


「弱点その一発見。すべての金属を気化した、もしくは気化されると僕は消滅する。その認識で大方間違っていないだろう。あくまで“液化金属”ね」


「しかし、いったいこの金属の沸点が何千℃なのかはわからないが、今現時点でそこまで高温にする設備は整ってはいないな。後回しだ」


 あと何が弱点足りうるか、候補になりそうなものを片っ端から検証をしていく。


 例えば電気。コンセントにピンセットのようにした金属を差し込み感電させる。通電はしたが、人間と同じように感電による死亡リスクはないものだと判断。ただあまりに高出力ならば電熱により気化する可能性あり。注意度中。


 例えば炎。コンビニで買ってきたライターであぶってみる。火傷による死亡リスクはないものだと判断。電気と同じく気化には警戒。注意度高。


 例えば毒。身近に手に入るものだと煙草から抽出した溶液が一番毒性は高いだろう。一気飲みをする。身体機能に異常なし。だが小動物と人間で致死量が違うように体重によって致死量が違う可能性あり。注意度中。


 例えば窒息。風呂場に水を張りそこにもぐる。何十分経ってもチアノーゼにならない。注意度低。


 例えばウイルス。スーパーで買ってきた加熱用牡蠣を生で食べる。三日たっても異常なし。ただウイルスにも様々な種類があるため、要検証。注意度低。


 例えば……。


 この実験は一週間にも及んだ。だが、なんといえばよいか。月並みな表現になるが銀次は楽しんでいた。未知を既知に変えていく。あの悪夢の日よりすっかり忘れていた感覚を思い出させてくれた。神などの存在を信じてはいなかった銀次だが、生まれて初めて感謝の念をささげた。


 そして様々な実験の副産物だが、この能力の有用な使い方も分かってきた。一番便利なのは「体内収納」だろう。自分の体積より小さいものならば、たとえ精密機器でも壊さず収納できる。スマートフォンやノートパソコンをしまったまま一度眠り、次の日の朝取り出したが全く問題なく機能する。体積を超えるものも収納は可能だったが、圧縮してしまっているのか、原形は保っていなかった。


 次に「変身能力」リアルでもネット越しでも構わない。自分の知っている顔や身体ならば、完全に模倣することができる。だがあくまで外見の変化だけらしい。というのもよくテレビに出演している一流アスリートをコピーしてみたが、運動能力の上昇はからっきし認められなかった。ただ声は変化させられるので、演技力さえ高ければこちらの能力も大いに役立ってくれるだろう。


 そしてもう一つ大事なことを確認しに行くために、アルバイトの面接以来全く使っていなかったスーツに腕を通す。変身能力さえあればアルビノゆえに目立つ銀髪も紅目も自由に変えられる。黒染めやカラコンを使う必要もなくなったのもメリットの一つだ。これで牛丼代もいくらか浮くというものだろう。


 □□□ 札幌市某所 カーディーラー


 何台ものピカピカの車が展示されている華々しいショールーム。その中でもとりわけ、もうバカ丁寧と形容できるほどの愛想のいい営業マンが銀次に駆け寄ってくる。髪を七三に分け、いかにも仕事ができそうな風貌の男性であった。


「いらっしゃいませ。本日はどんなお車をお探しで?」

「一番馬力の高い車ってなんですか?」


 営業マンがぎょっとする。何人も奇天烈な客の応対はしてきたつもりだったが、開口一番そんな質問をしてくる人間には出会ったことがなかった。若干の動揺を隠しつつ紳士的に応対する。


「え、えーと。まずご予算などをお聞かせいただければそれに応じて……」

「いや、いいんです。一番馬力の高い、できれば積載量も多ければ尚よしなんですが」


「……でしたら、NISEN社のMISMOなんてどうでしょうか。これは国産車の中では一番馬力が高いですよ」

「なるほど。見せてもらっても?」

「かまいませんよ。よろしければ試乗いたしますか?」


 銀次は首を横に振り否定する。


「いや、どんな形か知られればいいだけなので」


 MISMOの周りをグルグルと回りながら、一つの見落としもないように。まるで受験でケアレスミスの一つも見逃さないように。その車をまじまじと見つめる。営業マンはその奇怪な客にも一切笑顔を崩さなかった。流石プロである。


「ありがとうございました。購入も検討してみますね」

「はい、お待ちしております」


 銀次がカーディーラーから出ていった直後、その営業マンは先輩から叱責を受ける。


「あー、ダメダメ。あの客のスーツ見たか? 大学生が就活で着るような安物。時計だってしていねえ。冷やかしか、宝くじでも買って夢見てるバカか。どっちにしろあんなのは適当に流していればいいんだよ」

「申し訳ありません、次からは改善いたします」


 その営業マンは深々と頭を下げ、「学習」する。流石エリートといったところだろうか。


 □□□


 次の日の朝、銀次はバスに揺られていた。リュックサックには大量のスナック菓子と携帯食料、水が入っている。バスの中は閑散としており、平日の朝だとはとても思えないほどだった。それもそのはず。このバスの向かう先は山。どんな暇人だったら平日に登山にいそしむのだろうか。銀次も連日の実験続きで気分転換に登山に来た、当然そんなことではない。今回のこれも実験の一部である。人目につくところではすることのできない危険な実験。


 バスを降りて周りを見渡すが人っ子一人いない。あまり有名ではなく登山客も滅多に寄り付かない雑木林。そのロクに整備もされていないけもの道に足を踏み入れる。正常な人間に見られたら、間違いなく「命を簡単に捨てるんじゃない!」と叱責を受けるだろう。幸いにもそんな人物はいなかったため、その考えは杞憂に終わったが。


 これから行うのは攻撃実験。なぜそんなことをする羽目になったのかというと、端的に言って職探しである。最初はなんとかこの能力を金に換えられる天職はないかと考えはした、あくまで合法的に。戦闘に特化しているこの能力、最初に思いついたのは格闘家。


 だが即行棄却。相手を殺したら捕まって終わりだし、防御だけ異常に高くともレギュレーション違反だろう。同様にボディガードも不可。最後まで選択肢に残っていたのは傭兵。ほとんどの攻撃を無効にし、一方的に敵に銃弾を浴びせられるのは戦場において圧倒的に有利であろう。だが能力が露見する。そうしたら対策も練られるし、そこにほかの能力者も加われば地獄だろう。だから彼の求める職種は「暗殺者」しかなかった。


 銀次の左手が変容し日本刀を模す。そのまま木に向かって振り斬る。彼にとってみれば大木の表皮に傷でもつけばいい、程度の認識。護身術程度の威力を期待していたが事実は予想のはるか上を踏み越えていった。刃が当たる音も立てずに両断し木を倒す。明らかに「殺人特化」の能力だと確信を得る。


「……つよ。世が世なら剣豪じゃん。宮本武蔵。佐々木小次郎。そんな傑物と相対しても負ける気がしない」

 

 そんな軽口をたたきながら、彼の戦闘実験は半日ほど続いた。


 例えば刀、この切断能力をもってすれば剣戟で相手は鍔ぜりあうことすらできないだろう。近接戦闘ならばほぼ無敵。基本武装はこれか。


 例えば鉄杭。これも近接戦闘特化だが、無手の状態から即時攻撃に移られるのは高評価。


 例えば鉄鞭てつべん。破壊力ならば申し分はない。中距離戦闘にも対応。ただうまく扱うには練度が必要。


 例えばナイフ。戦闘能力は刀の下位互換だが、隠密、工作、はたまた暗殺の際に役に立てるだろう。


 例えば鉄線。糸の太さにより拘束にも、切断にも使える。罠のようにあらかじめ仕掛けておくことも可能、汎用性が売りになるだろう。


 例えば……。


 太陽が沈みかけ世界を赤く照らす。半日の実験を終えてくたくたになりながらバス停まで戻ってくる。もうすでに汚れた服は体内に収納しており、他の服に着替えていた。普通にバスに乗っても怪しまれない風貌だろう。が、時刻表を見て目を見開く。


「次のバスまで二時間もあんの?! 流石北海道。勘弁してくれよ……。あーもう」


 彼の悲嘆は誰の耳にも入ることはなく、夕暮れの空に消えていった。

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