第2話 息をしていただけ

 対面のソファに座り、ローテーブル越しに膝を突き合わせる。

 こうして座っている状態でも、大柄なグレニスの方がまだ頭一つ分大きい。



 連れてこられたのは執務室。


 堅苦しい部屋の雰囲気と相まって、グレニスの威圧感が二割増しである。


 こっそりお尻の重心を左右に動かして実家のベッドよりもふかふかなソファを堪能していた私は、頭頂部に刺さる鋭い視線に顔を上げた。


「答えろ。あそこで何をしていた」


「え、あの、えーと、ちょっと虫が———」


「何もしていない、と言ったな」


 答えろと言っておいて答える前に退路を断たれた。

 強い意志を宿す群青の瞳が『嘘は絶対に許さない』と言っている。


 これはあれだ。その場しのぎの嘘が自分の首を絞めているやつだ。


 咄嗟に何もしていないと言ってしまった以上、もっともらしい言い訳をして取り繕ったとしても『何もしていない』と言ったことが嘘になってしまう。

 まさに八方塞がり。


 この人には二度と嘘をつかないでおこう……。


 そんな心の誓いはともかく、今はなんとかこの場を切り抜けなくては。

 私はかつてないほどギュルギュルと頭を高速回転させ、決死の覚悟で口を開いた。


「……はい、何もしていません」


「なんだと?」


 グレニスがぐっと目をすがめる。

 射抜くような眼光が剣呑さを帯びて、めちゃくちゃ怖い。斬られそう。

 しかしここで止まってはいけない。


「私は、あの場で息をしていただけです! いて言い方を変えようとするのであれば香りを拝嗅していたとも言えるかもしれませんが要は鼻でそこにある空気を吸っていたに過ぎずそれは呼吸と同義であって一般的に考えて主人から何をしているのかと問われた時に『呼吸をしています』などと人を食ったような返事を返す使用人はいないのではないでしょうかつまりあの場で呼吸をしていた私には何もしていないとしか答えようがありませんでした!」


 ———っはぁ、はぁ、はぁ。


「……なるほど」


 よしっ! 納得してくれた!

 ピンチを脱し、心の中で汗を拭いながらふぅと息を吐く。


「その兜を見せてみろ」


「えっ?」


 あらやだいつの間に。

 見れば、手に兜がくっついている。


「どうぞ……」


 名残惜しみつつ、私になついてついて来ちゃったのかもしれない兜ちゃんを持ち主の元へ。


 グレニスは受け取った兜をめつすがめつ眺め、手で触れたり指で弾いたり、可動部の動きまで入念に確認をする。


「……特に何かを仕掛けたわけではなさそうだな……」


 コンコンコンコン


 ノックの音が鳴る。

 許可を得て入室した使用人は部屋に私の姿があるのを見ると、グレニスに歩みよって耳元でボソボソと用件を告げた。


 この部屋に来る途中、グレニスは至急甲冑の整備係を確認に向かわせるようにと指示をしていたので、その報告に来たのだろう。


 用を終えて退室していく使用人を羨ましく見送る。私も退室したい。


「甲冑のどこにも、異常は見られなかったようだ」


「……何もしていませんので」


「まあいい。何をしようとしているか知らないが、どうせ嘘などすぐに露呈する。リヴェリー、明日から朝の鍛練に付き合え」


 この流れでなぜ急に鍛錬??

 つつしんでお断りだが、私に許された返事は『はい』か『イエス』だけ。


「はい……、かしこまりました」


 一体何をさせられるのだろうか。

 窮地は完璧な機転で切り抜けたはずなのに。







 朝、日も昇らないうちから庭の一画にある鍛練場へ向かう。


「ふ、っく……ふゎ~あ……」


 噛み殺しきれない欠伸を連発しながら、昨日のうちにメイド長に聞いた通り、冷たい飲み物とタオルを乗せたワゴンを押していく。

 こんなに早起きさせられること自体が罰なのではとすら思う。


 鍛練場に着くと、そこにはすでに人影があった。


「!! 旦那様っ、おはようございます!」


 指示された時間には遅れていないはずなのに!

 あんなに全身にまとわりついていた眠気も一瞬で吹き飛ぶ。

 寝起きのグレニス。朝の眠気覚ましには最適かもしれないが、心臓に悪いので却下。


「ああ、おはよう」


 グレニスは鍛練の手を止め、こちらを一瞥してさしたる興味もなさそうに挨拶をくれると、また鍛練の続きに戻った。

 やはり時間は合っていたのか、遅いと叱責されることはない。


 常に怒っているような顔をしているし愛想の欠片もないけれど、それでも使用人相手に一々挨拶を返してくれるのだからなかなか律儀な人なのかもしれない。




 することもなく鍛錬場の片隅に突っ立って、ぼーっとグレニスを眺める。

 私が来た時にはもう鍛錬は始まっていた。一体何時からやっていたのだろう。


「うわぁ……」


 見るからに重そうな鉄の塊の付いた棒を剣のように構えて振るうのにも驚いたが、倒立をした状態で腕立て伏せをしだしたのには目を疑った。しかもよくよく見れば、手のひらを浮かせ十本の指だけで体重を支えている。

 手首足首に巻き付けてあるゴツゴツした黒い物体は、もしや重しだろうか……。


 淀みなく行われていく鍛練に、この一連の流れが日々のルーティンワークなのだと思い知る。


 一時間ほど眺めていると、鍛錬を終えたのかグレニスがこちらへやって来た。


「お、お疲れ様です!」


「ああ」


 涼しい朝方とはいえシャツが張り付くほど汗だくになったグレニスへ、慌ててゴブレットに注いだ冷たい果実水を差し出す。


 ごくり、ごくり、


 仰向けた顎の下、汗の伝う首筋に男らしく突き出た喉仏が上下する。

 なんだか見てはいけないものを見ているような気分になって、とりあえず目を見開いてガン見した。


 グレニスが受け取った果実水を飲み干すのを待ってタオルを差し出せば、それは受け取らずチョイチョイと指先で手招きをされる。


「……?」


 すでに三歩ほどの距離にいるのに、これ以上近くへ寄れと?

 はてなマークを飛ばしながらも、拒否権を持たない私は一歩前へ踏み出す。


 チョイチョイ


 指示されるまま、もう一歩前へ。


 あと一歩で触れてしまうという距離まで近づいた途端、逞しい腕がグッと肩を抱き、強引に私を引き寄せた。

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