第二話 おともだち

 二日目の朝。わたしと賢人は、早々に部屋を後にする。

 鍵を掛けると、階段を昇ってくる音がした。誰だろうと思って視線をやると、そこには迫音さこねさんがいた。セミロングに切られた金色の髪は頭頂部の辺りが黒くなっていて、俗に言うプリン髪が完成していた。


 迫音さんもわたしたちに気付いたようで、にっと笑って手を振ってくれた。わたしたちの近くまで来て、立ち止まる。


ひじりちゃんじゃん、おはよー。あれ、その子誰?」

「迫音さん、おはようございます。こちらは弟の賢人ですよ! 地元からはるばる遊びに来てくれたんです」

「へえ、ケントくんって言うんだ。山下やました迫音です、初めまして」


 迫音さんはそう言って、軽く屈んでみせる。賢人は楽しそうに、にかっと笑った。


「はじめまして、さこね! おれ、そとのけんと。こっちはねーちゃんの、そとのひじり!」

「あはは、君のお姉さんとは既に知り合いだよ。元気な奴だね」

「そうなんです、わたしとは大違いで……」

「まあ確かに、聖ちゃんは割とクールだよね。そういえば、これからどっか行くの?」


 小さく首を傾げてみせる迫音さんに、わたしはすぐに頷いた。


「はい! 大学の友達と三人で、遊びに行くんです」

「そうそう、あそぶんだ!」

「ふうん、いいじゃん。いってらっしゃい、気を付けてね」

「ありがとうございます!」

「ありがとなー!」


 わたしと賢人は、迫音さんに向かって手を振りながら歩き出す。迫音さんは「バイバイ」と言ってから、自分の部屋へと戻っていった。

 階段を降りている途中で、賢人が口を開く。


「なあなあ、ねーちゃん。さこねって、どんなひと?」

「ん、ああ、迫音さん? ええとね、わたしの隣の二○四号室に住んでて、年は確か二十四歳かな? フリーターだって前本人が言ってた。わたしのことを色々気に掛けてくれて、優しい人だよ」


「ふりーたーってなに?」

「えーと、アルバイトとかで生計を立てている人のことかな」

「へえー! おぼえといてやるよ!」

「ありがとうございます」


 わたしは微笑んで、お礼を言った。

 ふと見上げた空は、今日もどうしようもないほどの青さだった。


 ◇


 待ち合わせの場所に、既に果奏かなではいた。ショートボブにされた赤茶色の髪には、今日は銀色のピンが付けられている。ノースリーブのワンピース姿で、夏らしい装いだった。


「果奏、お待たせ!」


 声を掛けると、スマホの画面に視線を落としていた果奏が、顔を上げた。ぱあっと表情を明るくして、わたしに抱きついてくる。


「久しぶり、聖ー! 大学終わってから中々会えてなくて、寂しかったー!」

「あはは、そう言って貰えて嬉しいな」

「あ、そうだ! 賢人くんに自己紹介しなきゃじゃん!」


 果奏はそう言って、わたしから身体を離す。それから賢人に向けて、にこっと笑いかけた。


「こんにちはー、賢人くん! 聖の大学の同級生やってます、宇田うだ果奏です! どうぞよろしくねー!」

「おお、よろしくな! おれ、そとのけんと! こっちはねーちゃんの、そとのひじり!」

「迫音さんにも言われてたけど、果奏は既にわたしのこと知ってるよ……」


 半笑いで言うわたしに、賢人はきょとんとした顔をする。わたしたちのやり取りに、果奏が可笑しそうに吹き出した。


「ぷっ、あはははは! 面白ー、いいね! 聖の弟って聞いてたから、どんな穏やか少年がやってくるのかと思ったら、かなりの元気少年だった! うけるわー」

「だから言ったでしょ、わたしとはそんなに似てないよって」


「かなで、めっちゃわらってんな!」

「うん、だって面白いんだもんー! というかさ、本当に私いてよかったん? 姉弟水いらずの方がよくなかったー?」


「いやいや、そんなことないよ。わたし正直、都内のスポットとかわからないから、果奏が案内してくれるって言ってくれて、すごくありがたかった。本当に感謝」

「あははっ、気にすんなよー! まあ、それならよかったわ! 都会育ちの矜持きょうじにかけて、しっかり案内役果たすからねー!」


 親指を立てる果奏に、わたしは「助かります」と笑った。賢人も続けて、「たすかります!」と頭を下げる。果奏は満足そうに、笑顔を浮かべてくれた。


 ◇


 浅草、スカイツリー、水族館――そんな様々な場所を、果奏は案内してくれた。暑いので外の移動は大変だったが、それを上回るくらいに楽しかった。特に、明るい果奏と元気な賢人はすぐに打ち解けて、面白い会話を繰り広げてくれた。聞いていて、何度思わず笑ってしまったことか。


 楽しい時間はあっという間に過ぎていき、夕暮れどき、わたしたちは帰りの電車に乗り込んだ。


 ◇


「すう……すう……」


 右から果奏、わたし、賢人の順番で座席に腰掛けながら、電車に揺られていた。はしゃぎすぎて疲れてしまったらしく、賢人はわたしに寄り掛かりながら寝息を立てていた。

 わたしと果奏は、声量を抑えめにしつつ会話を交わす。


「今日は本当にありがとう、果奏。あなたのお陰で、賢人も東京を楽しめたと思う」

「あはは、お礼なんていいよー。私からもありがとね、聖の弟くんに会えてすっごい嬉しかったわ」

「なんていい人なんだ、果奏……」

「えー、今気付いたん? 私は最初からめっちゃいい人だったじゃん」

「確かに」


 わたしと果奏は、くすくすと笑い合う。


 ふと、果奏の手に目が留まる。夏らしい水色のネイルには、きらきらとラメが散りばめられていた。彼女の手を見ていると、ふと、昨日賢人が言っていた言葉を思い出した。



 ――ここ、てがあるよ!



 その響きを頭の中で繰り返すと、背筋の辺りが微かに、ぞくりとした。


「……あのさ、果奏」

「ん、どーしたの?」

「自分には見えないものが、他の人に見えていることって、あるのかな?」

「え、どゆこと? 何の話?」


 不思議そうに尋ねる果奏に、わたしは少し逡巡してから、昨日起こったことをかいつまんで説明した。果奏の表情が、どんどん陰っていく。


「……それ、なんかやばくない?」

「そう思う?」

「だって聖、前言ってたじゃん。あんたが借りてるアパートの部屋、事故物件なんでしょ?」


 果奏の問いかけに、わたしはゆっくりと、頷いた。

 確かにわたしの住んでいる部屋は、事故物件だ。だから、広さや交通の便の良さの割に、随分と安い家賃で借りることができていた。


「でも、春から住んでたけど、特に何も起こらなかったし……」

「うーん、なんかでも危ないんじゃない、その部屋? 気を付けなよ、聖」


 真剣な表情を浮かべている果奏に、わたしはそっと首肯した。

 寄り掛かっている賢人が、少しだけ重みを増したかのように思った。

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