第二話 おともだち
二日目の朝。わたしと賢人は、早々に部屋を後にする。
鍵を掛けると、階段を昇ってくる音がした。誰だろうと思って視線をやると、そこには
迫音さんもわたしたちに気付いたようで、にっと笑って手を振ってくれた。わたしたちの近くまで来て、立ち止まる。
「
「迫音さん、おはようございます。こちらは弟の賢人ですよ! 地元からはるばる遊びに来てくれたんです」
「へえ、ケントくんって言うんだ。
迫音さんはそう言って、軽く屈んでみせる。賢人は楽しそうに、にかっと笑った。
「はじめまして、さこね! おれ、そとのけんと。こっちはねーちゃんの、そとのひじり!」
「あはは、君のお姉さんとは既に知り合いだよ。元気な奴だね」
「そうなんです、わたしとは大違いで……」
「まあ確かに、聖ちゃんは割とクールだよね。そういえば、これからどっか行くの?」
小さく首を傾げてみせる迫音さんに、わたしはすぐに頷いた。
「はい! 大学の友達と三人で、遊びに行くんです」
「そうそう、あそぶんだ!」
「ふうん、いいじゃん。いってらっしゃい、気を付けてね」
「ありがとうございます!」
「ありがとなー!」
わたしと賢人は、迫音さんに向かって手を振りながら歩き出す。迫音さんは「バイバイ」と言ってから、自分の部屋へと戻っていった。
階段を降りている途中で、賢人が口を開く。
「なあなあ、ねーちゃん。さこねって、どんなひと?」
「ん、ああ、迫音さん? ええとね、わたしの隣の二○四号室に住んでて、年は確か二十四歳かな? フリーターだって前本人が言ってた。わたしのことを色々気に掛けてくれて、優しい人だよ」
「ふりーたーってなに?」
「えーと、アルバイトとかで生計を立てている人のことかな」
「へえー! おぼえといてやるよ!」
「ありがとうございます」
わたしは微笑んで、お礼を言った。
ふと見上げた空は、今日もどうしようもないほどの青さだった。
◇
待ち合わせの場所に、既に
「果奏、お待たせ!」
声を掛けると、スマホの画面に視線を落としていた果奏が、顔を上げた。ぱあっと表情を明るくして、わたしに抱きついてくる。
「久しぶり、聖ー! 大学終わってから中々会えてなくて、寂しかったー!」
「あはは、そう言って貰えて嬉しいな」
「あ、そうだ! 賢人くんに自己紹介しなきゃじゃん!」
果奏はそう言って、わたしから身体を離す。それから賢人に向けて、にこっと笑いかけた。
「こんにちはー、賢人くん! 聖の大学の同級生やってます、
「おお、よろしくな! おれ、そとのけんと! こっちはねーちゃんの、そとのひじり!」
「迫音さんにも言われてたけど、果奏は既にわたしのこと知ってるよ……」
半笑いで言うわたしに、賢人はきょとんとした顔をする。わたしたちのやり取りに、果奏が可笑しそうに吹き出した。
「ぷっ、あはははは! 面白ー、いいね! 聖の弟って聞いてたから、どんな穏やか少年がやってくるのかと思ったら、かなりの元気少年だった! うけるわー」
「だから言ったでしょ、わたしとはそんなに似てないよって」
「かなで、めっちゃわらってんな!」
「うん、だって面白いんだもんー! というかさ、本当に私いてよかったん? 姉弟水いらずの方がよくなかったー?」
「いやいや、そんなことないよ。わたし正直、都内のスポットとかわからないから、果奏が案内してくれるって言ってくれて、すごくありがたかった。本当に感謝」
「あははっ、気にすんなよー! まあ、それならよかったわ! 都会育ちの
親指を立てる果奏に、わたしは「助かります」と笑った。賢人も続けて、「たすかります!」と頭を下げる。果奏は満足そうに、笑顔を浮かべてくれた。
◇
浅草、スカイツリー、水族館――そんな様々な場所を、果奏は案内してくれた。暑いので外の移動は大変だったが、それを上回るくらいに楽しかった。特に、明るい果奏と元気な賢人はすぐに打ち解けて、面白い会話を繰り広げてくれた。聞いていて、何度思わず笑ってしまったことか。
楽しい時間はあっという間に過ぎていき、夕暮れどき、わたしたちは帰りの電車に乗り込んだ。
◇
「すう……すう……」
右から果奏、わたし、賢人の順番で座席に腰掛けながら、電車に揺られていた。はしゃぎすぎて疲れてしまったらしく、賢人はわたしに寄り掛かりながら寝息を立てていた。
わたしと果奏は、声量を抑えめにしつつ会話を交わす。
「今日は本当にありがとう、果奏。あなたのお陰で、賢人も東京を楽しめたと思う」
「あはは、お礼なんていいよー。私からもありがとね、聖の弟くんに会えてすっごい嬉しかったわ」
「なんていい人なんだ、果奏……」
「えー、今気付いたん? 私は最初からめっちゃいい人だったじゃん」
「確かに」
わたしと果奏は、くすくすと笑い合う。
ふと、果奏の手に目が留まる。夏らしい水色のネイルには、きらきらとラメが散りばめられていた。彼女の手を見ていると、ふと、昨日賢人が言っていた言葉を思い出した。
――ここ、てがあるよ!
その響きを頭の中で繰り返すと、背筋の辺りが微かに、ぞくりとした。
「……あのさ、果奏」
「ん、どーしたの?」
「自分には見えないものが、他の人に見えていることって、あるのかな?」
「え、どゆこと? 何の話?」
不思議そうに尋ねる果奏に、わたしは少し逡巡してから、昨日起こったことをかいつまんで説明した。果奏の表情が、どんどん陰っていく。
「……それ、なんかやばくない?」
「そう思う?」
「だって聖、前言ってたじゃん。あんたが借りてるアパートの部屋、事故物件なんでしょ?」
果奏の問いかけに、わたしはゆっくりと、頷いた。
確かにわたしの住んでいる部屋は、事故物件だ。だから、広さや交通の便の良さの割に、随分と安い家賃で借りることができていた。
「でも、春から住んでたけど、特に何も起こらなかったし……」
「うーん、なんかでも危ないんじゃない、その部屋? 気を付けなよ、聖」
真剣な表情を浮かべている果奏に、わたしはそっと首肯した。
寄り掛かっている賢人が、少しだけ重みを増したかのように思った。
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