第30話「アンタを砕かないっ!!」


 最強のヒーローは怒りの感情を蒸気に変えて全身から噴出し、射殺すような眼光をオレに向ける。


「ハハハ。怒った? 当然だよね。オマエの大事な思い出を汚されたんだから、コロシタイくらい憎いよね?」


 挑発に挑発を重ねてメテオキックを煽ると、眼前に立つ破壊の化身の気配がさらに苛烈となり、圧倒的な怒気を向けて来ているのが分かる。


「ほら、どうするヒーロー? お得意の蹴りで、いつもみたいに砕いてみる?」


 もう少し、もう少しだ。

 あと一押しで砕華は決壊する。


「オマエの素敵だった思い出ごとさァ!」


「あああああああああああああああああああああッ!」


 怒号と共にメテオキックは地面を蹴り、凄まじい速度で俺に肉薄する。


 瞬きの間に鼻先まで接近された。

 このまま回避行動を取らなければ、神速の流星一蹴によって体を粉砕されるだろう。


 それでいい。さあオレを砕けよ、メテオキック。


 そうすればオレも、シロも――。


「やめてよ、衛士」


「……あァ?」


 しかし、蹴りはやって来なかった。


 メテオキックは目の前に立っているが、得意の蹴りを繰り出す素振りがない。

 あまつさえメテオキックは変身を解いていて、浴衣姿でオレの前に立っていた。


 そして何を考えたか、砕華はオレの右手を掴んで見つめて来る。

 必然と砕華の表情が目に入り、途端、オレは呆然とした。


 彼女の目から涙が零れ落ちていたからだ。


「お願いだから……これ以上、自分を傷つけないでよ」


 オレは体を動かすことが出来なくなった。


 何を言っている?

 オレが傷つけているのはオマエだ。


 理解できない。

 理解したくない。


「な、なに言ってんだオマエ……オレはバリアンビーストだ! 人造の獣だ! 人間の感情なんて最初から持ち合わせていないんだよ!」


「なら! なら、どうしてアンタは泣いてんのさ!」


「は?」


 砕華に指摘されて咄嗟に右目を拭うと、手が濡れていた。

 いつの間にかオレの右目は、頬を伝って滴り落ちる滂沱の涙を流していたのだ。


 違う。泣いているのはオレじゃない。


 泣いているのはシロだ。


 甘かった。

 オレが表に出ていれば、シロの心は封じることが出来ると思っていた。

 だが砕華と過ごした日々の記憶の重さを、それに対するシロの感情を見誤っていた。


 シロも砕華と同じ気持ちだった。

 あのかけがえのない日々を、二人の関係を、続けていたかったのだ。

 だからこそ、全てを切り捨てる覚悟をしなければならなかった。

 真にビーストになる必要があった。


 それがオレ達にとって、そして砕華にとっての幸せだと、そうシロが結論付けたのだから。


 オレの手を握る砕華の力が強くなる。


「衛士、本当はアンタも辛いんでしょ? こんなことアンタは本気でしたいの? ねえ!」


 砕華は縋るように、願うように、オレに真意を問う。


 悟られてはいけなかった。

 見抜かれてはいけなかった。

 全てが台無しになってしまうから。

 それだけは避けなければならない。


 オレは砕華の手を振り払い、たおやかな体を突き飛ばす。


「あぁっ」


「ふざけたこと抜かすなッ! オレはオマエ達人類の敵だ! バリアンビーストだ! オレはオマエの大事な思い出を台無しにしたんだ! 憎いだろ!? コロシタイだろ!? ならかかって来いよ! いつもみたく壊してみろよ! 砕いてみろよ! メテオキック!」


 オレは左手の黒爪をナイフ大に伸ばし、地面にへたり込む砕華に切先を向ける。

 明確な敵意、襲撃者の気配、黒い意思。向けられれば人間は本能的に対抗せざるを得ない。

 いくら最強のヒーローといえど、メテオキックも人間。例外ではない。


 だがオレの思惑とは裏腹に、砕華は戦う意志を示さない。

 その場でゆっくりと立ち上がるが、ただ強かな眼差しを向けて来るだけだった。


 まるでオレの中にある善意に訴えっているかの様だ。

 オレは激しい苛立ちを覚えた。


「……いやだ」


「あァ!?」


「いやだ! アタシは、アンタとは戦わない!」


 砕華は涙を拭い、強固な意志でオレの前に立ちふさがる。


 ダメだ。

 それではダメなんだよ。


「ふざけんなよォ……ふざけんなよォッ!」


 オレは右拳を振り上げ、砕華の顔に向かって勢いよく殴り抜ける。


「うっ!?」


 砕華は避けることもせず、オレの拳をもろに受けて十メートルは吹き飛んだ。

 吹き飛んだ砕華の体は地面に転がり、白を基調とした浴衣が土埃に汚れていく。


 バリアンビーストの一撃は、並の人間が受ければひとたまりもない威力だ。

 メテオキックといえどそれなりのダメージを負うはず。


 それだというのに砕華はその場でゆっくりと立ち上がり、再びオレを正面に見据えた。

 左頬を赤く腫らし、口の端から僅かに血を零している。


 ボロボロながらも力強く立ち上がる砕華の姿を見て、美しく凛々しいと思った。


「戦わ、ない……アンタとは、戦わない……絶対にっ!」


「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなあああああああああああああああああああッ!!」


 激昂し、衝動に身を任せたオレは再び砕華を殴った。


 砕華の可愛らしい顔面。

 砕華の柔らかい体。

 砕華の細い腕や足。


 容赦なく、なりふり構わず、怒涛の如く、ひたすら殴り続けた。


 だが、砕華は何度も立ち上がった。

 何度倒れて傷だらけになっても必ず立ち上がった。


 痛いだろう。

 苦しいだろう。

 憎いだろう。

 今すぐオレをブチ壊したいだろう。


 なのになぜ、どうしてオマエはオレを壊しに来ないんだ?

 どうしてオレを殺さないんだ?


「絶対に……アタシは、絶対に……!」


 オレはますます苛立ち、黒い爪で砕華の白い浴衣を切り裂く。

 砕華の小麦色の肌を外気に晒させ、辱める。

 反撃を誘うために。


 それでも、それでも砕華は反撃して来ない。

 ただゆっくりと、その場で立ち上がるだけだった。


 羞恥に負けず、晒された肌を隠すこともせず、力強く立ち尽くす。

 意味が分からない。


 どうして砕華はオレを攻撃して来ないんだ?

 どうしてされるがままなんだ?

 どうしてオレじゃなくオマエが傷付いているんだ?


 気が狂いそうになる。


 オレは、オマエを傷付けたいわけじゃないのに――。


「なんなんだよ……なんでッ! どうしてッ……お、おお、おおおおおああああああああッ!」


 オレの喉奥から怒号と慟哭が混ざった絶叫が轟く。

 すると砕華は片足を引きずりながら、ゆっくりと歩み寄って来る。

 その眼差しは変わらない。


 オレの善性を信じるかのような、鬱陶しい目だ。


「……アタシは、今までずっと自分のために戦ってきた」


 砕華がゆっくりと口を開く。

 言葉を紡ぐたび、彼女は一歩ずつ近寄って来る。


「ママについて行ったのも、パパに反抗してるのも、メテオキックやってるのも、全部、全部アタシ自身のためだった。アタシがやりたいからやってた。でも……衛士は違った」


 一歩、また一歩、砕華はゆっくりと距離を詰めて来る。

 オレはその姿に釘付けになり、動くことが出来なくなっていた。


「衛士は……アタシが知ってるアンタは、いつも誰かのために行動してた。笑顔が見たいからって理由で、自分を顧みず他人のために体を張って、アタシのことも守ってくれた。そんなアンタの姿が眩しくて、自分のためにしかヒーローやって来なかったことがすごく情けなくて……少しでも衛士みたいになりたいって思った」


 砕華は、秘めていた想いを迷いなく伝えて来る。

 その心気は燃え盛る炎の如く、勢いを増しているようだった。


「だからアタシは決めたんだ! アタシは自分だけのために力は使わない。衛士みたいに、誰かの笑顔を守るために使うんだって!」


 いよいよオレの目前まで近付き、砕華はまたオレの腕を掴んだ。

 先程より力はなく、振り解こうと思えばすぐにでも解けるだろう。


 だが、出来なかった。

 向けられた眼差しが許してくれなかった。


「だからアタシは、アンタを砕かないっ!!」


 砕華は深く息を吐き、そして想いを叫ぶ。


「何度だって殴られたげる! アンタの笑顔を守りたいから!」


 瞬間、砕華の体が夜空から伸びる眩い光に照らされ、大きな音が空を貫いた。

 砕華の叫びから一拍遅れて、天に打ち上がった火の大輪が華やかな轟音を響かせたのだ。


 その姿はとても幻想的だった。

 オレは完全に目を奪われていた。


 心を揺さぶられ、決意を脅かされ、心の中でシロが泣き崩れるのを感じた。


 こんなことしたくない。

 今すぐ止めたい。

 そういう感情が苦しくなるほど湧き上がって来る。


 だが、それでもオレはこの拳で、この鋭利な爪で、このビーストの体で、砕華を痛めつけなければならない。


 そうすることでしかオレ達の願いは果たされないのだから――。


「なら……なら望み通り殴ってやるよォ! オマエが壊れるくらい全力でなァッ!!」


 オレは砕華の手を振り払い、右拳を高く振り上げる。




超・本気解放スーパー・ディスチャージィ!!」



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