第9話 食堂車で朝食を食べて通学した京都帝大生

「今度は私がおごります」

 そういうが早いか、若い助教授がウエイトレスにビールを注文した。

 程なくビールが運ばれ、彼女によって目の前で瓶の栓が開けられた。


「こちら、お下げしてもよろしいでしょうか?」

 ウエイトレスが、空瓶を下げてよいか打診してきた。

「お願いします。あと、伝票は別にもうひとつ」

 ここは、若手助教授が依頼した。


「じゃあ、お次は堀田先生の埋蔵金で、ごちそうになりましょう」

 面白おかしく元大尉が言うのに合わせ、かつての学徒兵候補がビールを注ぐ。

 そしてまた、両者揃ってビールを飲む。


「先程の渡辺さんの先輩で、うちの研究室に来られていた工学系の助教授さんが、学生時代、すごいことされていましたよ、当時の急行の食堂車で」

「大酒でも飲んだとか、記録的な大食いでもされたとか、そんな話かな?」

「いえいえ、そんなことはされていません。その方は神戸一中の御出身ですけど、帰省して京都に戻るときなんか、わざわざ急行列車に乗りまして、それで食堂車に行って、朝食をお召し上がりになっていたそうです。仲間も何人かいて、その人らと京都駅で合流したらタクシーに乗合わせて、講義に間に合わせたことが何度かあったそうですよ」

「はあ、それにしても、頭のええ人らのすることは、まったくわけがわからんわ、少なくとも、関西中出のわしには(苦笑)。それで、食堂車の朝飯は、どんな感じだったのか、その先生から、聞かれた?」

「ええ。その列車は和食堂車で、しっかりした朝食が出てきたそうです。まだ戦前の、昭和で一ケタの頃のお話です。なんか、うらやましかったですね」

「しかし、通学中に食堂車で御朝食とは、さぞかし、お偉くなられたのでしょう」

 苦笑交じりに述べて、山藤氏は、ビールを一口すすった。

「そういう方ですから、順当に工学部の機械工学科で教授をされています。教授になられた今でも、神戸の実家から戻るときに、わざわざ急行の食堂車で一杯飲むか、珈琲を飲むか、そんなことをして戻って、そのまま、大学に来られているようです」

「なんていうのか、その先生、システマティックに粋なこと、されているねえ」

「そんな方ですから、昔からいささか太り気味です(苦笑)。痛風に気をつけろと、名誉教授になられた私共の研究室の元教授が、今も心配されていますよ」

「笑い事じゃないぞ、明日は我が身かもしれんからな。お偉くなって旨いものを召し上がる機会が増えたら要注意だ。堀田君も、そろそろ注意し始めたほうがよかろう」


 弁当箱は空になり、程なくして、取り皿もきれいに片付いた。

 ビールのまだ残った瓶の横に、王冠が2つ添えられている。

 要は、会計を間違えないための措置であろう。


 列車は、加古川を通過し、さらに西へと進んでいる。

 あまり揺れもせず、煙もまったくと言っていいほど、車内には入ってこない。

 まだ扇風機を使う時期でもないので、窓は、基本的に閉められたまま。


 食堂車を、乗客専務車掌が通り抜けていく。

 彼は食堂側から入って、制帽をとって頭を下げて調理室側に抜け、調理室横の通路の前で改めてあいさつし、それから再び制帽を被り、先頭に向けて進んでいく。

 その車掌はさほど年配ではなさそうであるが、いかにも業務において優秀そうな人物である。

 なお、食堂車での車内検札は、基本的に行わないこととなっている。


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