あゝめくるめく碌でもないこと日記

月見 夕

とある就活の日 ―勇者編―

 それは春先の頃だったと思う。

 何せはるか昔の話だから、もうそれがいつだったかなんて記憶は薄れつつある。

 しかし面接会場の最寄り駅に降り立つと桜が出迎えてくれたから、きっとあれは春だった。


 その頃は本命企業の最終選考を控え、しかも先方の反応も上々だったので浮かれていた。だから、あんな遊び心も生まれたのだろうと思う。

 一社会人となった今ならば「クソ学生が」と唾棄すること間違いなしだが、当時の私は行く気のない企業にエントリーしまくっていた。


 何故か。暇だったからだ。

 いや、当時の私の言葉を臆せず借りるのであれば、怖かったのだ。自分の将来に向かって伸びる道が1本しかないと自覚するのが。

 小学生の時なんかは無限にあった選択肢が、文理選択で減り、志望大学への出願で減り、そして今こうしてエントリーシートの提出の如何でまた減ろうとしている。

 身体と意識は一人の人間に一つしかないのだから一つの企業にしか就職出来ないのは当たり前なのだが、当時はそんな未来への危機感が漠然と横たわっていた。


 まあそんなメンタリティだったので、とにかく就活という一大イベントに乗っかり、ここに就職したらどんな人生を歩む可能性があるのか、と思いを馳せるために、全然行く気のない企業にエントリーシートを送り付ける生活をしていた。

 どうせ一度しかない人生だし、就職してからたくさん転職をするのも疲れるし、ならば身軽な内に色んな企業を覗きに行こうと思ったのだ。


 前置きが長くなった。

 その企業は全国でも有名なアニメ関連会社で、オタクを自覚する人間であれば絶対に聞いたことがあるだろう、業界最大手だった。

 有名大の出でもない私が面接を受けられたのだから、大手企業には珍しく書類選考が無い企業だったのかもしれない。その辺は覚えてない。


 兎にも角にも数時間列車に揺られて大都市に揉まれ辿り着いた面接会場には、100人近い学生がひしめいていた。9割が女子学生。

 受付で採用担当者に大学名を伝えると、私がその日で最も遠方から来た学生だと教えてくれた。そうだろうそうだろう。往復数万円かけて行く気のない企業へ遊びに来る学生もそういるまい。

 それでも交通費を全額出してくれたのだから、本当に良心的な企業だった。誠に申し訳ない。


 面接は集団面接ということだった。まあ人数が多いからそうなるだろうとは思ったが、まさか12、3名ずつやるとは思わなかった。中小企業ばかり受験していた私は、そんな大規模な集団面接は初めてだった。

 面接官は確か3人だったと思う。全員が4、50代の男性で、席に案内されながら「ああ父親くらいの世代だな」、とぼんやり考えていた。


 最初は何を聞かれるだろう。月並みに出身大学と自己PRとかだろうか。一番右の席に掛けた私は想定問答を頭に浮かべた。

 さすがに興味のない企業でも、事業規模や業界での立ち位置、今後の方向性や社長からのメッセージくらいは調べてきていた。あとはそれらにヒットしそうな自己PRを語ればいい。

 そこは礼儀作法の一環だ。私は真面目に遊びに来ているのだ。


 さあ来い、面接官達よ――

 角張った眼鏡の面接官は、大真面目な表情で語りだした。

「それでは――まず、皆さんには好きなアニメ・漫画などの2次元のキャラクターについて3分間語って頂きます。その人物の好きなポイントとその理由について、思う存分語ってください。時間はこちらで測ります」

 そう来たか。想定外だった。私は平静を装いつつも内心面食らっていた。こっそりと他の就活生に目配せすると、噴き出す者、口の端を上げて笑う者、きょとんとする者、反応は様々だった。無理からぬ事だった。

「まずは文川ふみかわさんからどうぞ」

 あろう事か私がトップバッターだった。私の返答次第で、後に続く10数名の生き死にが懸かっている。しかし残念な事に、私はアニメ・漫画コンテンツに疎かった。超有名どころしか知らない。なのに何故ここを受けようとしたのだろう。最低である。


 えも言われぬ緊張が走る中、私はとっさに当時爆発的に世間で流行っていた国民的アニメのメインヒロインを挙げた。そのヒロインが作中でどんなにひたむきに努力をしたのか、主人公の成長にどう寄与したのかを滔々とうとうと語った。

 有り体に言えば、置きに行ったのだ。それはそうだ。ここで本当に好きなものを挙げるのなら、学生時代に魂を売ったマイナーゲームのどマイナーなキャラクターを推しただろう。

 ただ私には勇気がなかった。性癖を晒す勇気が。そして残り10数名の人生を背負う勇気が。

「――以上です。ありがとうございました」

 模範解答ではなかろうか。面接官は生真面目な顔のままメモを取り、なるほど、と小さく漏らした。


「次に、佐藤さんお願いします」

「はい」

 次に向け、私は最高のパスを回したはずだ。

 さあ隣の女学生よ、安心して回答するが良い――

「私は、〇〇の××くんが好きで……常々その白いワキをペロペロしたいと思っています」

 正気か。彼女が挙げたのは見目麗しい男達がアイドルを目指すゲームのキャラクターだった。確か金髪碧眼のあいつ。

 ゴールポスト手前で浮き上がったサッカーボールで場外ホームランを打たれたかのような衝撃が走る。なんてことをしてくれたのだろう。

 面接官は眉一つ動かさず、なるほど、と小さく漏らす。何がなるほどなんだという怒りすら感じる。さすがは大企業の面接官、表情筋がよく訓練されているようだ。

 その後も隣の彼女は意中のキャラクターを如何に性的な目で見ているかを語り続けた。多分このメンタルがあれば就活は百戦錬磨だろうと逆に舌を巻くほどであった。

 絶対に噛み合ってない問答のように感じられた地獄の3分間が終わった。


 そう思っていた。次に続く女学生たちの告白を聞くまでは。

「私は△△に出てくる○○くんの胸板にキュンキュンしてて――」

 ひとつ前と近い路線で来た。だから誰が性癖を語れと言った。

「私も△△の○○くんが好きなんですけど、性的な目で見るのはちょっと違くて」

 回収が面倒だから同担拒否を起こすな。

「◆◆×□□はもう目の保養っていうか……二人の絡みは見るタイプの点眼液で」

 突如BL語りが始まる。受け入れ側の難易度が上がった。

「□□×◆◆こそが正義であって、逆はちょっと受け付けないっていうか……」

 逆カプで揉めるな。

 次々に出るわ出るわ、己の欲望のままにキャラクターや作品への愛が語られた。知らず知らずのうちに、私は性癖暴露大会の会場に紛れ込んでしまったようだ。この様子をすべて録画したうえで全員の実家に送り付けてやりたい。



 桜舞う帰り道を往く同士勇者達は、誇らしげな顔でお互いの趣味を称えあっている。同じ場で胸に秘めていたものを晒し合い、何かが吹っ切れたようだった。皆一様に表情が晴れ晴れとしている。

 後れ毛ひとつなくぴっちりと髪型をキメているあの子も、意志の強そうな目元を強調するアイラインのあの子も、パンツスーツを隙なく着こなしたあの子も……仮初の笑顔を浮かべながら、胸の奥に獣のような本性を飼い慣らし生きているのだ。

 それが私には恐ろしく、そして人間の業の深さを思い知るきっかけになった。

「ね、文川さんは誰推し?」

 そう聞く彼女の言葉にすら、街角で突然フリースタイルラップを挑まれたかのような緊張を感じる。適当な笑顔を浮かべ、やり過ごした。

 私にはまだ足りなかったようだ、人生の経験値というものが……。


 翌日、私はその企業に選考辞退の連絡を入れた。

 私は自分が彼女らに揉まれて働けるような勇者では無いと判断したからだった。

「ええ、誠に申し訳ございませんが……」

 辞退の電話も慣れたものだ。


 勇者の剣は、別の者に抜いてもらう事にした。

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