第五十一話・癒えた心

 山奥にあるシェルターに到着したのは夕方近い時間帯だった。渋滞に何度もハマり、行きよりも時間が掛かってしまった。道路を埋めていたのは物資や瓦礫を積んだトラックがほとんどで、支援のために近隣の県からやってきた消防車や救助工作車なども時折見られた。


 道中ずっと寝ていた井和屋いわや兄弟と江之木えのき親子は、車が山道に入った段階で目を覚ました。シェルター上層に乗り入れ、車から降り、エレベーターで地下の居住区まで降りる。

 通路を徒歩で移動する途中、どこからか子ども達の笑い声が聞こえてきた。明るい声に惹かれて近付き、開け放たれた扉から中を覗くと、そこにはたくさんの机が並べられていた。前方には大きなホワイトボードが置かれ、教卓まである。学校の教室を模して作られた空間だ。

 その教室の真ん中で、小学校低学年くらいの子から中学生くらいの少年少女達が一人の大柄な青年を揉みくちゃにしていた。


「あれってもしかして……」

「ああ、彼ですよ」


 さとるが尋ねると、真栄島まえじまはにこやかに微笑んだ。

 子ども達に飛び掛かられて床に尻餅を付いているのは右江田うえだだった。困ったように笑ってはいるが、どこか嬉しそうでもある。そこに、小さな女の子の声が響いた。


「先生が困ってるでしょ! 早く退いてあげてよ」

「いーじゃん、勉強飽きたし遊ぼうよぉ」

「ダメ! まだプリント終わってないもん」

「え〜っ」


 群がる子ども達を止めたのは、ひなただ。彼女は座り込む右江田の前に仁王立ちで陣取り、彼らを再び席に着かせた。


「ありがとう、ひなたちゃん。助かるよ」

「んもう、右江田先生がしっかりしてないからみんな甘えるんだよ。ちゃんとしてよ!」

「ご、ごめん」


 右江田は謝りながら立ち上がった。二メートル近いスーツ姿の大男で、しかも強面である。そんな彼が何故ここまで子ども達から懐かれているのか分からず、さとるは驚きを隠せなかった。


「教育担当者が居なくなったので、教員免許を持っている右江田君に未成年者の勉強を見てもらうことにしたんですよ。最初は見た目のせいで怯える子も居ましたが、間にひなたちゃんが入ってくれたおかげですっかり打ち解けたようです」

「へぇ……」


 居なくなった教育担当者というのは尾須部おすべのことだ。真栄島は気を遣って名前を伏せたが聞けば分かる。少し寂しそうに教室内を見つめるりくとの手を、みつるがそっと握った。りくともまた握り返し、現実を受け止める。


「あ、みつるお兄ちゃん!」


 ひなたがみつるに気付いて扉まで駆け寄ってきた。さっきまでの強気な表情ではなく、屈託のない笑顔だ。


「おかえりなさい!」

「ひなたちゃん、ただいま」

「よかった、戻ってきてくれて」


 ひなたは心底安堵したような表情で微笑む。

 みつる達がいなくなったと聞き、ずっと心配していた。同じ地域からシェルターにやってきた仲間であり、優しいみつるをひなたは密かに心の頼りとしていたからだ。


「今から授業だけど受ける?」

「えーと、どうしようかな」


 迷う素振りを見せると、ひなたが見るからにしょぼんと肩を落とした。気丈に振る舞っていても、ここは慣れない場所だ。知った顔が近くに居るほうが心強いのだろう。その様子を見て、さとるはみつるとりくとの背中を押して教室に押し込んだ。


「オレらは向こうで話聞いてくるから、お前らは晩メシの時間まで勉強してこい!」

「う、うん」





「右江田君は教員志望でしたが、外見が怖いという理由で子ども達から拒絶されて夢を諦めていたんです。ですが、ひなたちゃんが平然と右江田君と話をしているので周りの子も彼が怖くないと分かったんでしょうね。それからはずっとあんな感じですよ」


 多奈辺たなべとの別れで初めて言葉を交わして以来、ひなたは右江田に懐いた。いや、大人の癖に泣き虫な右江田を放っておけないと思っているのかもしれない。先ほどのように、彼が子ども達からからかわれていると必ず間に入って止めているらしい。

 小さな女の子に守られている姿を見て、子ども達は完全に右江田への警戒を解いた。見掛け倒しの大男だと侮っているのだろう。彼は訓練された兵を一撃で殴り殺すほどの猛者であるが、教室内でへらへらと笑う姿からは想像もつかない。


 一度は諦め掛けた夢がこんな形で叶い、右江田は幸せを噛み締めていた。そして、子ども達と打ち解ける切っ掛けをくれたひなたに感謝していた。無人島での任務と多奈辺の件で傷付いた心は、シェルター内で教師の真似事をすることで癒されていった。


「右江田君、笑えてたね〜」

「ひなたちゃんのおかげですよ」


 三ノ瀬みのせ葵久地きくちは右江田がボロボロだった時のことを知っている。彼の精神が安定するには相当の時間が必要になると覚悟していたが、思わぬ形で心のケアを受けている。仲間の順調な回復を二人は喜んだ。


 教室を通り過ぎ、一行は空いている部屋に通された。そこは長机が四角く組まれた対面型の会議室だった。


「……さあ、貴方がたが留守の間に何が起きたかお話しましょう」


 全員に椅子を勧めてから、真栄島は話し始めた。

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