第五十話・朝靄の別れ

 子ども達を船室で寝かせ、大人達は交替で休みながら夜を明かした。行きのような邪魔が入ることもなく、船は予定通り明け方近くに波間中はまなか港へと到着した。


「皆さん無事で良かったぁ〜!」


 船が岸壁に係留されるのを今か今かと港で待っていたのは葵久地きくちだ。大きな怪我もなく戻った六人の姿を見て涙ぐんでいた。船から降りた三ノ瀬みのせに抱き着き、心から無事を喜んでいる。


江之木えのきさん、おかえりなさい」

「……どうも」


 杜井どいの控えめな出迎えの言葉に、江之木えのきは少しバツが悪そうに応えた。りくとが行方不明になったと報告された時、八つ当たりをして怒鳴り散らしたことを思い出したからだ。

 保護したという連絡を受けても、実際に自分の目で無事を確認するまでは安心出来なかったのだろう。ここ数日気が休まらなかったのか、杜井はやや疲れているようだった。


「りくと君も、おかえりなさい」

「は、はい」


 急に名指しで声を掛けられ、りくとは反射的に父親の陰に隠れた。杜井とは保護された当日にマイクロバスで顔を合わせたきりだ。ほとんど言葉を交わしたことがない。勝手にいなくなったことで怒られるのではと恐れていたが、ここでもりくとは肩透かしを食らった。


「お疲れ様、さとる君」

真栄島まえじまさん」

「みつる君もお疲れ様」


 出迎えには真栄島も来ていた。

 船から降りたさとるを労い、そして、彼の隣に立つ少年にも笑い掛ける。優しい祖父のような眼差しに、みつるは自然と笑顔になった。


「アリ君、今回もありがとう。助かりました」

「いいよいいよー、楽しかったし」


 そう言いながらも、謝礼入りと思しき分厚い封筒と物資をサラッと受け取っている。

 彼はこれからまた何処かへ行くのだろう。身体の怪我のこともある。借り物の船を返しにまた那加谷なかや埠頭に向かうのかもしれないし、ほとぼりが冷めるまで何処かに身を隠すのかもしれない。


「……アリ! またどっかで会えるか?」


 再び船を出す支度を始めたアリに向かい、さとるが声を掛けた。

 散々世話になっておいて、悪態ばかりついてまともに礼を言えていない。単なる言葉だけで済ませるわけにはいかないが、今のさとるは何も持っていない。落ち着いたら日を改めて礼をしたいと考えていた。


 デッキの上で作業していたアリが顔だけ振り返るが、朝日の逆光のせいで表情は見えない。


 講演会の会場で、さとるはナイフを抜かなかった。

 極限の状態にありながら怒りと衝動を抑え込んだ。

 無人島での任務中、何度も『あちら側』へ堕ちかけたが、さとるはギリギリのところで踏み止まった。

 それに、彼の隣には弟がいる。

 みつるは兄の手をぎゅっと握り、不安げな表情で見上げている。怪しい男アリに対して警戒をしているのだ。これが普通の人間の感覚。彼らとは見ている世界が根本的に違う。


「坊主とはもう会いたくないなー」


 アリから明確に境界線を引かれ、さとるは少し寂しく感じた。だが、それが彼なりの配慮であると今なら分かる。

 裏稼業の者と親しくしていては害にしかならない、と。人間関係を損得で考えるほど愚かではないが、周りからそう見做されれば不利な立場に置かれるのは表社会で生きる者たちだ。アリは彼らの足枷となることを嫌った。


「元気でな!」

「ん、じゃあねー」


 初めて会った時と変わらぬ軽い返事を残し、アリは再び朝靄あさもや煙る海原へと船を走らせた。







 帰りは二台の車に分かれ、シェルターに向かった。

 ステーションワゴンを運転するのは杜井。後部座席には江之木親子が乗っている。もう一台のバンは葵久地がハンドルを握り、助手席に真栄島、後部座席には井和屋兄弟と三ノ瀬が乗っている。


「君達が出ている間に色々あったんですよ」

「色々って?」

「敵対国に対する国連の制裁が始まりました。一方的に我が国の市街地を破壊して、多くの一般国民に被害が出たことが一番大きな理由だろうね。だから、これ以上攻め込まれることはもうありません」


 渡航禁止、輸出入禁止、そして国家を跨ぐ金融規制。これにより、敵対国の人間は国外に逃れることも資産を海外に移すことも出来なくなった。輸出入を制限されれば外貨を稼ぐことも出来ず、長引けば国力の低下は免れない。敵対国が非を認め、武装を完全に解除し、補償の交渉の席に着くまで各種の制裁は続くだろう。


日和見ひよりみ外交なんて言われてますが、日本には長年培った信用と信頼があるんですよね」


 下手をすれば再び戦場に連れて行かれるのではと心配していたさとるは、真栄島の言葉に安堵した。


「疲れたでしょう。少し休んでください。詳しいことはあちらに着いてから改めてお話させていただきますので」


 シェルターに着くまでの数時間、さとる達はずっと眠り続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る