第四十八話・親子の絆

 船室内にいる江之木えのき親子には会話がなかったが、間に三ノ瀬みのせが入ったことで場の空気がガラッと変わった。


「でさぁ、デートの途中で彼氏が逃げ出しちゃって〜」

「そ、そうなんですか……」


 ケラケラ笑いながら自分の過去の失敗談を繰り出す三ノ瀬に、りくとは愛想笑いを浮かべながら相槌を打っている。時には思わず吹き出してしまうようなエピソードもあり、徐々にではあるが、作りものではない笑顔を見せるようになっていった。


 本当はりくとから色々聞きたいこともあるのだが、三ノ瀬はぐっと堪えていた。

 これまでの生活。

 親子関係。

 尾須部のこと。

 シェルターを出た経緯。

 何を聞いても地雷しかなさそうな親子である。何も尋ねることが出来ず、差し障りのない、無関係な自分の笑い話で場を盛り上げることに徹底した。


「ははっ、三ノ瀬さん可笑おかしい」

「こんなオトナになっちゃダメよ〜!」


 しばらく話すうちに、りくとは三ノ瀬に少し心を開いた。明るくて話しやすく、余計なことを聞いてこない。笑っている間だけは嫌なことを考えずに済む。

 隣に座る江之木も、重い空気を取っ払ってくれた三ノ瀬に感謝していた。口を開けば尾須部おすべのことばかり質問責めにしてしまいそうで、りくとに話し掛けられなかったからだ。

 笑いながら話していた三ノ瀬だったが、突然何かを思い出したかのように顔色を変えた。焦った様子で立ち上がり、船室の低い天井に頭を打って悶絶する。先ほどのみつると全く同じ失敗に、りくとは笑いを堪えた。


「……ヤバ、葵久地きくちさんに連絡すんの忘れてた! ちょっと電話してくるわね!!」

「わ、わかりました」


 三ノ瀬がバタバタと出て行った途端、船室内は再び重苦しい空気に包まれた。先ほどまでとの落差が激しいぶん、余計に気まずくなる。

 その沈黙を、江之木が破った。


「…………何があったかは聞かない。黙っていなくなったことも怒らないから、もう危ないことはしないでくれ」

「え」


 その言葉に顔を上げ、隣に座る父親を見た。

 以前よりやつれ、顔色も悪い。隠しきれない疲労が滲み出ている。任務を終えた後ほとんど休む間も無く、りくと達を追って遠い那加谷なかや市まで来た。そんな状態の父親に気を遣われたのが悲しくて、りくとは思わず反発した。


「な、何があったのか聞いてよ。勝手なことしたって怒ってよ。……父さんは、なんでいつも話をしてくれないの……?」

「りくと」

「僕は、ずっと寂しかった……!」


 生まれてからずっと田舎の祖父母に育てられ、父親と暮らし始めたのは中学に上がる直前。慣れない環境。新しい学校。父親は毎日仕事で忙しくしていて、学校であったことや日常の小さなことを話せるような雰囲気ではなかった。

 せめて手を煩わせないようにと家事を手伝えば、やらなくていいと取り上げられ、塾に入れられた。一人で留守番をすると勝手に炊事やら掃除をやるからだ。


「僕になんにもさせてくれなかった」

「それは、俺のいない間にケガしたりボヤ起こしたりしたら困るからで」


 実際りくとは一人で料理中に包丁で指を切ってしまい、台所を血まみれにしたことがある。帰宅した直後に半泣きで血を流している息子の姿を見た時、江之木は背筋が凍り付くほどの恐怖に襲われた。りくとの母親の死因は出産時の出血多量。包丁の使用はすぐに禁止した。


「面倒ばっか掛けて、役にも立てなくて、そのうち捨てられるかもと思って、すごく不安だった」

「そっ……捨てるわけないだろ」


 泣きながら、これまで心の奥底に押し込めていた感情を全てぶちまける。一度たがが外れてしまえば簡単に止めることは出来ない。困らせるだけだと分かっているのに、りくとは父親に対する不満を吐き出し続けた。


「僕がいるせいで父さんが自由になれないんなら、シェルターなんか入らずに死んだほうが良かった!」

「──りくと!!」


 江之木が初めて声を荒げた。

 大きな声に驚いたりくとはビクッと身体を揺らして黙り込む。恐る恐る隣を見上げれば、手のひらで顔を覆って俯く父親の姿があった。指の間からぽたぽたと涙が滴り落ちている。


「……面倒とか、迷惑なんかじゃない。俺が不器用なのが悪いんだ。自分のことばっかで、おまえの気持ちをちゃんと考えたことなかった」

「父さん」

「そのせいで寂しい思いをさせたんなら謝る。だから、し、死んだほうが良かったなんて言うな……!」


 江之木の妻はりくとを産む代わりに命を落とした。最愛の妻を忘れることが出来ず、江之木の心の傷は癒えることなく今も残り続けている。そして、田舎の両親の相次ぐ入院と病死。死はいつも大切なものを奪っていく。

 だから、杜井どいから勧誘された時にその場で協力すると決めた。りくとを生かすためなら何でもやる、と。


 本当に欲しいものを何ひとつ与えないまま、衣食住と勉強する環境だけを整えて、それで親の務めを果たしたと思い違いをしていた。

 りくとを責めているのではない。そう言わせた自分を江之木は責めている。


 声を震わせて泣く父親の姿に、りくとは何故か安堵していた。嫌われ、疎まれていたわけではない。単に愛情の伝え方が下手だったのだと分かって嬉しくなった。


「父さんとこんなに話をしたの、初めてかも」

「……そうか。そうだったか」


 泣き笑いの表情を浮かべながら、江之木はりくとの肩に腕を回して抱き締めた。

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