第四十三話・内通者

『このような理不尽がまかり通って良いのでしょうか!』


 声高らかに政府の批判を続ける阿久居あぐい

 彼は会場である体育館内にいる聴衆の反応を見ながら言葉巧みに怒りの感情を操り、その矛先を現政権へと向けさせている。

 ステージの上で晒し者のように立たされたまま、みつるとりくとはひたすら耐えていた。心に余裕があったなら、もしかしたら会場内にいるさとるや江之木えのきの姿に気が付いたかもしれない。しかし、二人は大勢から向けられる好奇の視線を避け、足元の床を見つめるだけで精一杯だった。

 そんな二人を気遣い、脇に控えていた尾須部おすべが小さな声で話し掛ける。


「大丈夫かい? 江之木君、井和屋いわや君」

「へ、平気です、これくらい!」


 りくとがぎこちない笑顔で答えると、尾須部は満足そうに頷いた。そのやり取りを横目で見ながら、みつるは大きく息を吐き出した。

 みつるは本来ここへは呼ばれていなかった。シェルター内で尾須部がりくとに話を持ち掛けている現場に居合わせ、無理やり同行した。りくとを危険な目に遭わせたくなかったからだ。

 尾須部はもっともらしい理由をつけ、りくとをシェルターから連れ出そうとしていた。保護された経緯や外の状況を考えれば有り得ない。それなのに、りくとは何の疑問も抱いていない。尾須部を盲信しているからだ。


「もうすぐ終わるからね、あと少しの辛抱だよ」

「はいっ」

「……」


 ステージに立たされるためだけに丸一日以上かけてこんな遠くまで連れて来られたのか。自分達がここに居ることに果たして意味があるのか。演説をぼんやりと聞き流しながら、みつるは兄のことを考えていた。

 兄が生還したと確かに尾須部は言った。再会前にシェルターを出てしまったから、きっと心配を掛けているだろう。ここでの役目が終われば会える。それだけを心の支えにして、みつるは耐えた。


「──やれやれ、何ですかこの騒ぎは」


 その時、長々と続く政府批判の演説を切り裂くような声が会場内に響き渡った。低い男性の声だ。マイクを使っておらず、怒鳴っているわけでもないのに充分な声量があり、よく通る。

 演説を妨害された阿久居は喋るのをやめて辺りを見回し、体育館後方にある出入り口に立つスーツ姿の男性を見つけた。その男性が足を前へ進めると、聴衆が道を譲るように左右に割れた。彼の堂々たる姿に気圧けおされているのだ。

 カツ、カツ、と一歩一歩ステージへと歩み寄るのは、上等な仕立ての細身の背広がよく似合う初老の男性。後ろに三十代前半くらいの青年を連れている。こちらもスーツ姿だ。

 誰だろうと思いながら、さとる達は男性二人が目の前を通り過ぎて行く姿を見守った。


「随分と楽しそうにお話されていましたねえ?」

『……暮秋くれあき! 何故ここに』


 ステージのすぐ目の前で立ち止まった老紳士を、阿久居は『暮秋』と呼んだ。それを聞いて、三ノ瀬みのせが目を見開いた。


「えっ、暮秋せいいち?」

「誰だっけ」

葵久地きくちさんが教えてくれた、尾須部の親が支援してるっていう国会議員よ」

「はァ? なんでソイツまで那加谷市ここに?」


 ここは地方都市。国会議員の活動拠点である東京からは遠く、しかも彼の地元ですらない。何の縁もないはずの暮秋が何故このタイミングで現れたのか。

 周囲が茫然としている間に暮秋せいいちと連れの青年がステージへと上がった。暮秋と阿久居は演台を挟み、舞台の左右に分かれて睨み合う。連れの青年が会場スタッフから予備のマイクを貰い、暮秋せいいちに手渡した。


『講演会の邪魔をしないでもらおう』

『これが講演会? 面白い事を言う』


 突然始まった国会議員同士の対立に、聴衆はただ戸惑うばかりだった。先ほどまで阿久居の言葉に感情を揺さぶられていた人々の支配が徐々に解けていく。


『被害に遭われた方々を前にしての政権批判……貴方がそれを言える立場ですか? そもそも、便。──阿久居せんじろう議員』







 暮秋せいいちの言葉に、会場がしんと静まり返った。そして、波が押し寄せるように、ざわざわと阿久居に対する困惑と疑念が湧き上がる。


『敵対国に内通し、己の権力を利用し、近海の島々に兵器が運び込まれるのを敢えて見逃した。これは国民に対する裏切り行為。ここに避難されている方々は、みな貴方の身勝手な行いの犠牲者です!』


 ぴしゃりと言い放つ暮秋せいいちを眉間に皺を寄せて睨み付けるが、すぐに阿久居は笑顔を取り繕った。


『これはおかしなことを。内通? 裏切り? この私がそんなことをするわけがないじゃありませんか……証拠も無しに言い掛かりをつけるのはやめて頂きたいですな』


 さとる達は事前にアリから聞いていたから知っているが、確かに証拠がない。情報の出所がはっきりしない以上、単なる誹謗中傷と変わらない。大勢の前で真偽の定かではない話で責め立てれば、下手をすれば名誉毀損で訴えられてしまう。

 しかし、何の根拠も無しに他者を糾弾するほど暮秋は愚かな人物ではなかった。


「──アレを出せ」


 暮秋せいいちの後ろに控えていた青年が対面に立つ尾須部に声を掛けた。すると、尾須部は舞台脇に置いてあった鞄から数十枚の紙束を取り出してみせた。


「これは、阿久居せんじろう議員が敵対国の役人と交わした密約と通信記録です。直近三ヶ月ぶんに関しては音声データも残っております」


 自分の陣営からのまさかの告発に、阿久居は狼狽えた。マイクを投げ捨て、鬼のような形相で後ろを振り返る。胸ぐらを掴まれた拍子に尾須部の手から紙束が落ち、ステージ付近に散らばった。聴衆やマスコミが手にする前にと阿久居の側近達が慌てて回収に向かう。

 足元に落ちている証拠書類をわざと踏み付けながら、阿久居は尾須部に詰め寄って胸ぐらを掴んだ。


「貴様、誰の許可を得てこんな真似を!」

「……申し訳ありません」


 不敵な笑みを浮かべて謝罪する尾須部に対し、阿久居が拳を振り上げる。それを見て、りくとが阿久居に飛び掛かった。


「先生を虐めるな!」

「やかましい、この餓鬼ガキが」


 振り払う手に押され、小柄なりくとはすぐに弾き返されてしまった。床に倒れる直前、みつるがりくとの身体を抱きとめる。会場内に居る江之木は、それを見てほっと息をついた。


『おやおや、見苦しいことこの上ないですなあ。子どもにまで暴力を振るうとは』

「暮秋ぃ……、おまえの差し金か!」


 もはや阿久居の視界には暮秋と裏切り者の姿しか映っていない。聴衆の存在を完全に忘れ、怒りの感情を露わにしている。


「貴方の秘書は僕が送り込んだ内通者スパイです。短期間のうちにすっかり信頼してくれたようですね? おかげで十分な情報が集まりました」

「なっ……!」


 目を細めて微笑む青年。彼は暮秋せいいちの息子、暮秋とうまである。支援者の息子である尾須部とうごを阿久居陣営に送り込み、こうして内通の証拠を得た。思い通りに事が運んで満足している様子だ。


「とうご君、よくやった。ご両親も喜ぶことだろう」

「は、ありがとうございます。暮秋先生」


 暮秋せいいちから労われ、尾須部はうやうやしく頭を下げた。


「尾須部が暮秋のスパイ……?」

「空白の三ヶ月の間に阿久居の秘書になってたのか」

「つまり、ええと、どういうこと???」


 目まぐるしく変わる状況に付いていけず、さとると江之木、三ノ瀬は困惑していた。

 これまでの不可解な行動も、阿久居を陥れるために仕組んだと言われれば理解は出来る。みつるとりくとを巻き込んだのは、講演会を盛り上げる材料を提供して阿久居からの信用を得るためか。


『君達の保護者が危険な目に遭ったのは、そこの阿久居せんじろう議員を始めとした売国奴が敵対国の侵略行為を黙認し、手を貸していたからだ。……許せないだろう?』


 暮秋せいいちから話を振られ、みつる達は手を取り合って後ろへ退がった。緊張でまだ理解が追い付いていないが、みつるは掛けられた言葉に違和感を覚えた。

 先ほどの阿久居と同様、暮秋も怒りの矛先をコントロールしようとしている、と。


「〜ッ!」

「りくと君」


 突然りくとがみつるの手を離し、阿久居に向かって駆け出した。小さな握り拳を振り被り、再び殴り掛かろうとしている。それを見て、みつるは咄嗟に腕を掴んで止めた。


「落ち着いて、利用されちゃだめだ!」


 暴れる身体を後ろから羽交い締めにしながら、小さな声で諭す。しかし、みつるの懸念はりくとに届かない。


「それでもいい、先生の役に立てるなら!」

「りくと君!」

「先生は、とうご先生は僕の話を聞いてくれた。僕は、僕はずっと誰かに必要とされたかった!」


 りくとを必死に押さえ込みながら、みつるがちらりと視線を向けると、口の端を歪めて笑う尾須部と目が合った。その表情を見て、みつるは下唇を噛んだ。

 舞台と観客を用意して『可哀想な少年』を『悪者』に立ち向かわせる、これこそが彼の描いた講演会のシナリオ。そのために尾須部は自分を慕うりくとの気持ちを利用した。

 取材のテレビカメラも、この映像を撮るために事前に手配したのかもしれない。


 りくとの悲痛な叫びは江之木の耳にも届いた。

 息子があそこまで思い詰め、他人である尾須部に精神的に依存しているのは自分の責任だと悟った。


 ──必要とされたかった。


「……りくと……!」


 そんな風に考えていたことにショックを受け、江之木はがくりと項垂れた。

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