第三十二話・信用の基準

 漁港の係留場から防波堤の横をすり抜けて沖へと出る。前回乗った小型自動車運搬船より小さな漁船は波の影響を受けやすく、したがって揺れも激しい。さとるはすぐに船酔いの症状を訴え、酔い止めを飲んだ後は甲板デッキの片隅に座り込んでいた。


「なんだ、若いのにだらしねェな」

「すんません、どうも慣れなくて」

「ま、こんだけ揺れてりゃ無理もないか」


 そう言う江之木えのきもやや顔色が悪い。平然としているのはアリと三ノ瀬みのせだけだ。


 波間中はまなか港を出て那加谷なかや市の埠頭を目指す。近くはないが、この船の速度ならば半日もあれば着く。何事もなければかなり余裕を持って到着出来るだろう。

 何も講演会が始まるまで律儀に待つ必要はない。その前にみつるとりくとを見つけて保護してしまえば済む。


尾須部おすべと面識があるのはウチのりくとだ。おまえの弟は巻き込まれただけかもしれねェ。すまん」

「うーん……そうかもしれないけど、決めたのはみつるなんで」


 隣に腰を下ろし、江之木が申し訳なさそうに切り出すが、さとるはそれを流した。

 詳しい事情も分からぬうちから責任の所在を追及しても仕方がない。そうだとしても、無理やり連れ去られた訳ではない。その場にいて判断を下したのは本人だ。


「そういや、おまえんとこ親は? いないのか」

「あー……母さんがいる、けど」


 さとるとみつるの母親の安否はまだ分かっていない。自宅のアパート付近は無事だが、あやこがよく遊び歩く駅前一帯は壊滅している。避難所に身を寄せていれば安否が分かるが、そうでなければ確認は出来ない。

 言葉を濁すさとるの様子を見て何となく察したのだろう。江之木はそれ以上は聞かず、今度は自分の話をし始めた。


「ウチはな、りくとが生まれた時に嫁さんが死んじまったんだ。出血が止まらなくてな」

「え……」

「子どもなんか当たり前に生まれてくるもんだと思ってた。親子三人で普通に暮らせるって。でも、生まれたばっかの赤ん坊を残して嫁さんだけいなくなった」


 思わぬ話に、さとるは伏せていた顔を上げて江之木の方を見た。思い詰めた表情で語る横顔に何も言えなくなる。


「仕事と赤ん坊の子育てが両立出来なくて田舎の親に預けて代わりに育ててもらった。会うのは月に一回かそこら。親が入院するまで預けっぱなしだった」


 夫婦二人でなら乗り越えられることも一人では難しい。最愛の妻を突然亡くしたことで江之木の精神状態は良くなかった。そんな状態で妻を失う原因となった子どもを側に置いていたらどうなるか。だから距離を置いた。


「一緒に暮らし始めてまだ二年くらいでさ、正直まだ完全には打ち解けてないんだよ。りくとは自分のことは何でも出来るし家事だって率先してやろうとしてくれる。それに引き換え、俺は父親らしいことなんか全然出来てねェ。……でも、こんなことになるなら……」


 もっと早く一緒に暮らせばよかった。

 もっとたくさん話をすればよかった。

 もっと何かしてやればよかった。

 江之木の頭には後悔ばかりが浮かぶ。


 険しい顔で俯く江之木の姿に、さとるは父親のことを思い出していた。

 遠い記憶の中にある父親は優しく子煩悩な男だったが、あやこの浮気が発覚してから態度が急変した。みつるが生まれ、さとるが小学校に上がるくらいの頃の話だ。父親は途端に冷たくなり、離婚が成立する前に家から出て行った。それ以来一度も会っていない。


 父親という存在はあっさり子どもを見限り捨てるものだと心の中で思っていた。そう思い込むことで、さとるは自分自身の精神を守っていた。


 しかし、江之木を見ていたら違う気がした。大人でも後悔するし、正しい選択が出来る訳ではないし、どうにもならないことで心を傷めているのだと分かった。父親の選択も、きっと悩んだ末のものなのだろう。子どもと大人の間にある垣根は思っていたより低いのかもしれない。


「江之木さんでも悩むんですね」

「おい、そりゃどーゆー意味だ」


 さとるの言葉に、江之木はハハッと軽く笑って小突いた。





 さとると江之木がデッキで話をしている時、狭い操舵室の中で三ノ瀬みのせとアリが情報交換を進めていた。


「ふうん、いなくなった保護対象者って、あの二人の身内なんだねー」

「そうなのよ! せっかく任務を終わらせたっていうのに、入れ違いで行方不明になっちゃって」

「……弟と息子、かぁ。なるほどねー」


 潮の跡がこびりついた窓越しに前方に広がるのは大海原。太陽が沈み掛け、水平線を赤く染めている。


「それで、唯一の手掛かりがコレなのよ〜!」


 三ノ瀬がカバンから取り出したのは、国会議員阿久居あぐいせんじろうの講演会のポスターをコピーしたもの。阿久居の名前と写真を見た途端、アリは口の端を歪めた。


「……ああ、そーゆーコトねー」

「え、なに?」

「たぶんアタリだよー。居なくなった子達は確実に講演会に連れて来られる」

「ホント? なんで!?」

「この国会議員、アッチの偉い人には有名。……どーゆーコトかわかる? 三ノ瀬サン」

「??? 全っ然分かんない」


 ポスターを見ながら三ノ瀬は首を傾げた。

 元々趣味以外に興味関心もなく、政治や国際情勢にも疎い。流石に現総理大臣の名前なら知っているが、この国会議員のことも今回の件が起きるまで知らなかったくらいだ。


「コイツは『裏切り者』だよー」


 三ノ瀬が広げたポスターに印刷された阿久居せんじろうの顔写真、そのど真ん中をトンと指差し、アリがくつくつと笑った。

 意味が分からない、といった表情でアリを見上げる三ノ瀬。彼女にも理解出来るようにと言葉を選ぶ。


「日本人でありながら外国に都合のいい政策やら何やらを通そうとしてる人、って言えば分かるー?」

「そんな国会議員いるの!?」

「いるんだよねーそれが」

「ええ〜っ、何それ!!」


 アリの言葉に驚いた三ノ瀬が大きな声を出したので、さとると江之木が操舵室までやってきた。


「おい、何騒いでんだ」

「三ノ瀬さん大丈夫?」

「ごっごめんなさい、びっくりしちゃって」


 もしやアリが不埒な真似をしたのでは、と疑いの目で江之木が睨み付ける。しかし心配したようなことはなかった。


「今アリさんから怖い話を聞いちゃって……二人も知っておいたほうがいいかも〜」


 掻い摘んで説明されたさとる達は、最初に話を聞いた三ノ瀬のようにしきりに首を傾げた。


「えっと、阿久居っていう議員が外国贔屓びいきのことをやってたってことだよな。それが戦争と関係あるのか?」

「あるよー、もちろん」

「国会議員が何するってんだ」

「例えば特定の外国籍の船の領海侵入を見逃す、とか。……おかしいと思わなかったー? 離島とはいえ、決して小さくはない兵器を持ち込めたのはなんでだろうって」


 さとるは島の山頂にあった地対艦ミサイルの搭載された軍用トラックを思い出した。あんな大きなトラックを運ぶには大型船でなければ無理だ。誰にも見つからずに出来るはずがない。それも一、二箇所ではない。誰かが圧力を掛けて報告を揉み消したか、あらかじめ警備艇の巡回ルートを敵側に教えていたか、もしくはレーダーに感知させないようにしたか。

 そのせいで太平洋沿岸の市街地が被害を受けた。


「ちなみに、こういう奴は一人じゃない。日本政府に何人もいるし重要なポジションに就いてる奴もいるよー」

「……そんなバカな話」


 ただでさえも信じ難い話だ。さとるにとって、アリは厭味でいけ好かない信頼には値しない人物。どうせ揶揄からかっているだけなのでは、と疑う気持ちがある。

 でも、こんな嘘をつく必要があるのか。



『だから、アリ君は命懸けで協力してくれます。貴方がたとなんら変わりませんよ』


『心配は要りません。彼は信頼のおける仲間ですから』



 ふと、以前聞いた言葉が脳裏に浮かんだ。

 日系人だからという理由でアリの裏切りを心配したさとるに対し、真栄島まえじまが諭すように掛けた言葉だ。

 アリは胡散臭いが真栄島は信用できる。その真栄島が信じているのだから自分も信じなくては。そう思えた。

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