第十三話・リタイア不可能


 人を撃っても平常時と変わらぬ三ノ瀬みのせの様子に、さとるとゆきえは顔を引きつらせた。

 しかし、これだけでは終わらなかった。

 一人を縛り上げている間に、何者かが何処からか発砲してきたのだ。甲高い銃声が聞こえた直後、ゆきえの身体がぐらりと傾いた。


「うっ、……!」


 三ノ瀬が撃った人間を見つけて即座に撃ち返す。物陰の向こうで何かが倒れた音がした後は何も起こらなかった。この辺りの見張りはこれで片付いたようだ。


 ゆきえはアスファルトに膝をつき、撃たれた箇所を服の上から手で押さえている。苦痛に顔を歪める姿を前にして、さとるは立ち尽くすしか出来なかった。

 三ノ瀬が車の後部座席から手荷物を取り出して駆け寄り、ゆきえの側にしゃがみ込んだ。


「大丈夫? 撃たれたのどっち?」

「あ、あの、左足、です」


 銃弾は左足の脹脛ふくらはぎを僅かに掠っていた。ズボンが裂け、布の隙間から傷口が覗いている。周辺の皮膚が裂け、まるで火で炙られたかのように赤黒い。痛々しい傷口を覆い隠すように手拭いで軽く縛る。

 応急処置をしながら三ノ瀬は笑った。


「右足が無事なら


 それはつまり、この程度の怪我ではリタイア出来ないということ。

 さとるが肩を貸して車の運転席に座らせてやると、ゆきえは笑顔で礼を言った。額には脂汗が滲み、呼吸はまだ整っていない。時折苦痛に顔を歪ませながらも心配をかけまいとする彼女の姿に、さとるは何も言えなくなった。


 先ほど撃たれた時、周辺への警戒を怠っていた。三ノ瀬が易々と一人制圧したのを見て、これは簡単なミッションかもしれないと思ってしまった。撃たれる直前、ゆきえはさりげなく立ち位置を変えていた。いち早く物音に気付き、側にいたさとるを庇うために動いていたのだ。

 本当なら血を流していたのはさとるのほうだった。


「オレが油断したせいで……!」


 弟を助けるためにと意気込んでおきながら、この体たらく。最悪何も出来ずに死ぬ可能性もあるのだということにようやく思い至った。

 ぼんやりしていたことを責めもせず、庇ったことを恩に着せもしない。ゆきえの優しい態度が逆に辛くて、さとるは拳を握り締めた。






 各自車に乗り込み、障害物の無くなった場所から山道を登り始める。

 先頭を走るのはゆきえだ。支給されたこの車はATオートマ車で、負傷した左足は運転には使わない。しかし、身体を動かしたり力を入れる度にズキズキと痺れるような痛みが走る。止血してはいるが、ずっと傷がある部分を下ろしているので血が滲み出てくる。


「……ここが山道で良かった。ずっとアクセルを踏んでいれば済むもの……」


 軽自動車は馬力がない。常にアクセルペダルをベタ踏みしてエンジンを噴かせ続けていないと傾斜に負けてしまう。特にこのルートは広い山道ではない狭い裏道。ややキツい坂が続いている。

 ひとりひとり車が別だから、窓さえ締めていれば声は誰にも届かない。それが今ほど有り難いと思えたことはない。


「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……ッ」


 うわごとのように口から溢れるのは、やはり先ほど負った怪我の痛みに耐えるための言葉。最年少であるさとるの前では吐けなかった弱音がボロボロとこぼれ落ちた。撃たれた直後より時間が経った現在のほうが痛みを感じている。

 かすり傷ひとつでこれだ。

 命を懸ける覚悟でここまて来たはずなのに、実際に怪我を負えばその苦痛に決意が揺らぐ。


 ゆきえは下唇を噛んで堪えながらアクセルペダルを踏み込み、意識を前方へと集中した。





 安賀田あがた率いるメインルート班は、バリケードを退かして再び車を走らせていた。

 山道は舗装されているが、カーブ以外にガードレールもないような道だ。島の住民が居なくなって数年。道の端には落ち葉が溜まり、アスファルトのひび割れ部分から雑草が伸びてはいるが、車を走らせる分には不便はない。


 エンジンをふかし過ぎると音で接近がバレてしまうが、ゆっくり進めば相手に備える猶予を与えることになる。事前の打ち合わせで、メインルートを進む安賀田たちには短時間で作戦を遂行すると決まっている。

 最速で現場に駆けつけ、最速で軍事施設とされる建物や兵器を破壊する。それが一番の目的だ。

 だが、そう易々とはいかなかった。


「ま、そりゃバレてるか」


 先頭を走っていた右江田うえだのオフロード車がハザードランプを点滅させてから急停止し、後ろに続く安賀田と多奈辺たなべの車もすぐにブレーキをかけて止まった。

 山頂まであと僅かの位置。傾斜のある曲がりくねった道の少し先に、通行を阻むように軽自動車が一台斜めに停められていた。その車の陰に人影が見える。侵入者に気付き、急遽道を塞ぐためにここに停めたのだろう。


「邪魔だなー。でも、こんなトコで時間食うワケにゃいかないんすよね」


 目の前を塞ぐ軽自動車を見て、右江田は目を細めた。そして、ブレーキを掛けた状態でアクセルを強く踏み込み、エンジンの回転数を一気に上げた。ブォン、と大きくふかしてから、ブレーキペダルから足を退かす。

 急発進からの突撃。

 激しい衝突音と共に前方を塞いでいた軽自動車の横っ腹にバンパーがめり込み、呆気なく道の脇にある斜面へと押し出されていった。そのまま突っ込んでくるとは思わなかったのか、車の後ろにいた人影は慌てて山頂方面へと走って逃げ出した。


 右江田の車が頑丈で重量のあるオフロード車で、フロントグリルガードを装備していたからこそ出来た無茶だ。軽自動車は側面のドアが大きく歪んだが、こちらは全くダメージを受けていない。

 障害物を退けることに成功した右江田は、窓を開けて後ろの二人に軽く手を振ってから再び山道を進み始めた。その後に付いて、安賀田のSUV車と多奈辺のセダンも発進した。


 山頂の開けた場所に学校跡地がある。幸い校門に柵は無かった。山道からそのまま校庭内へと車で侵入する。

 二階建ての小さな校舎と物置きらしき建物。雑草だらけの校庭の片隅には古びたブランコや鉄棒などの遊具。

 そして、運動場の中央にはトラックが停車してあった。離島には不釣り合いないかつい暗緑色オリーブドラブの大きな車体。明らかに軍用車だ。荷台に積まれた幾つかの筒が破壊対象のミサイルだろう。車体を水平に保つためのアウトリガーが張り出し、地面にしっかりと降ろされている。


 だが筒はまだ上を向いていない。

 つまり、すぐに発射されるような状態ではないということだ。ならば事前に考えていたより時間に余裕がある。

 また車で突っ込むもうかと考えたが、先ほど山道を塞いでいた軽自動車とは違って大きさも頑丈さも桁違い。ぶつければこちらが負けてしまう。どうすべきかと右江田は迷った。後続の安賀田、多奈辺も同じように感じたのだろう。車を横付けして窓を開ける。


「あれ、三台分のロケットランチャーぶっ放せばワンチャンあるかなーと思うんすけど」

「うーん……いや、心許こころもとないな」


 フロントガラスに貼られた透明なフィルムには、助手席に積まれた無反動砲ロケットランチャーの照準が示されている。右江田の車は車高が高いが、安賀田や多奈辺の車はやや低く、ミサイルの筒部分に直接当たる位置にない。破壊するには火力が足りないと安賀田は考えた。


 二人が窓越しに相談している間、多奈辺は拳銃を構えて周囲を警戒していた。先ほど逃げた一人が仲間を呼ぶ可能性がある。恐らく校舎が根城になっているはずだ。


 安賀田は校庭をぐるりと見回した後、視線を校舎へと向けた。

 この小学校は数年前に島民がいなくなる前から廃校となっていたという。古めかしい木造の建物には蔦が這い、窓ガラスは何ヶ所か割れている。その割れ目から見える数人の人影。こちらの様子を窺っているが、何故か攻撃してこない。


「あちらの人員と装備がどれほどのものか、まずは私が直接確認してみよう」

「ホントに行くんすか、安賀田さん」

「うん。なんか君がさっき車で突っ込んだの見たら覚悟が決まったよ。もし私が撃たれても、構わず標的の破壊を優先してくれ」


 単なる会社員に過ぎないが、虚勢をはることだけは得意だ。それは過去の仕事やここ数年の彼の状況がそうさせた。


「アポなし訪問は流石に初めてだな」


 車から降りた安賀田は、穏やかな表情を浮かべながら校舎に向かって歩き出した。

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