第13話 フミコミカオス

「はあぁ……」


 月曜日が憂鬱なのは周知の事実だが、今日の片頼かたらいいつきは、学校に来て早々ため息をつくなど、ひどいものだった。

 下駄箱から上履きを取り出し、いつもは床に置いているものを、今日は雑に落として履き替える。

 原因は昨日の風莉だ。

 あの笑顔を思い出すとひどく落ち着かない。


「なんなんだ……ほんと……」


 こんなに落ち着かないのは初めてのことだった。

 イライラ……いや、もやもやに近いだろうか。

 不意に心臓が揺れそうな、不安定な胸の疼きがずっと抜けない。

 1つ、深呼吸をした。

 それで何か変わるわけではない。気休め程度のものだ。

 むしろ状況的には油断を招くような、つまりは逆効果だった。


「樹さん?」

「うぉぃ!?」


 不意に背中から声を掛けられて飛び上がる。


「どうしたんですか?」


 振り返ると、そこには織咲おりさき風莉かざりが立っていた。

 白い肌に右頬に火傷の痕。ジトりと不審なものを見るように、赤い瞳を少し細めて樹を見ている。

 いつもは先に教室にいるはずなのに、何故かこの時間に登校している。


「か、風莉……いや、なんでもない」

「そうですか? あ、おはようございます」

「ああ、おはよう」


 ちょうど風莉のことを考えていたせいで、恥ずかしさから顔を見ることが出来ない。


(いや、だからこそ……!)


 ここで避けていては、この先も風莉に後ろめたさのようなものを感じてしまう。

 樹はあえて逆に、風莉の赤い目を見つめる


「…………どうかしましたか?」


 当然ながら、そんなことをすれば風莉は疑問を抱く。

 赤い瞳は真っ直ぐに、樹の視線に対抗して見せる。

 無意味な睨み合い。風莉の方は全く動じずいつもの無表情。

 樹の方は少し奥歯を噛むような強がった表情をしていたが、それもすぐに落ち着きを取り戻す。


(大丈夫だ。そんなに慌てることはない)


 風莉の顔はいつもと同じ無表情。あの時の不意を突かれた笑顔とは違う。

 そもそも人の顔を見て、慌てふためくなど失礼極まりない。

 樹は今一度、風莉の顔を見て冷静になる。

 白い肌、白い髪、赤い瞳に右頬の火傷痕……その容姿はおよそ普通とは言い難い、特異な存在。

 当の本人はそれを微塵も気にしていないかのような、堂々とした風莉の立ち振る舞い。

 織咲風莉は今日も自分を貫いている。


「私の顔になにかついてますか?」

「いや……なんか安心するなって」

「安心、ですか?」


 樹は先程まで慌てていた自分に、呆れるように苦笑した。


「初めて言われましたね。わりと人外寄りだと思うのですが」

「自分で言うな。流石にいかないだろ」

「……そう、ですね」

「どうした?」


 樹の言葉を聞いて、風莉は虚を突かれたかのように、目をぱちくりとさせた。


「いえ、樹さんも遠慮がなくなってきてくれましたね。と」

「……いや、お前に言われたくないんだが?」


 樹の気の所為でなければ、風莉は少し嬉しそうに見えた。

 一体、風莉が何に対してそんなことを思ったのか。

 樹は顎に拳を当て、先程の自分の言葉を思い返すように、斜め上を見る。

 それは樹が見せた隙だった。


「俺なんか変なこと言っ──」


 答えが見つからず、風莉に確認しようと顔を下げたときだった。

 風莉は樹に身体を寄せてきた。


「風莉!?」


 密着、とまでは行かないが、少し動けば触れてしまう程、風莉は物理的に距離を詰めた。正確に言えば顔を近づけて来た。

 177cmの樹と158cmの風莉。

 その20cm近い身長差を補うように、風莉はつま先立ちをして顔を近づける。


「何して──」

「私の顔を見ると安心するんですよね」

「……は?」

「なので近づけば、もっと安心出来ると思いまして」

「出来るか!」


 いつかの購買での出来事のように、甘い花のような香りがして、樹は再び慌てふためく。

 風莉の方は相変わらずのポーカーフェイスを貫いている。


(だからなんでこいつは平気なんだよ!)


 たまらず樹が後ずさりをすると、風莉もそれ以上詰めることはしなかった。


「気持ちだけ受け取っておく……」

「そうですか? もし必要になったら言ってください。文字通り、顔を貸します」

「お前さぁ……」


 そこで樹はハッとする。

 ここは全校生徒が行き交う、生徒玄関である。

 誰もが通り過ぎながら、樹と風莉のやり取りを見せつけられていた。

 樹は目だけを動かして、周囲を伺う。

 チラチラとこちらを見ながら、通り過ぎる生徒たちを見て、頭を抑えた。


「最悪だ……」

「必要ですか? 私の顔」

「もういい!」


 風莉は距離を詰めようと前屈みになる。

 それが不意を突く上目遣いになり、樹はもう気が狂いそうだった。

 落ち着かせるように深いため息を1つ。


「月曜日からなんでこんな疲れなきゃならないんだ」

「月曜日は憂鬱なものですからね」

「それはそうだけど……」


 風莉はそこで「あ」と何かを思いつく。


「でも今日は朝から樹さんに会えたので良い日ですね」

「……お前、わざとやってるのか?」

「何がですか?」


 風莉はまるでわかってないのか、首を傾げた。

 いちいち気にしてたらきりがない。

 樹は自分にそう言い聞かせて、なんとか平静を保とうとする。

 2人は周囲の生徒からチラチラと見られながら、教室に向かった。




 教室に入ると、久屋くや光善みつよしが樹の机に座ってスマホを弄って待っていた。


「おはよう樹、織咲さん」

「おはようございます。久屋さん」

「ああ……おはよ」


 樹は大分参った様子で、かろうじて声を出した。


「朝からすんごい疲れてるね」

「そりゃ、な……」

「でもさ見せられる方の気持ちにもなってよねー」

「おま──」

「ちょっと、盗み見したわけじゃないからね。あんなところじゃ、そりゃ目に入るでしょ」 

「なら助けろ」

「真顔で情けないこと言わないで」


 まさか光善にも見られているとは思わなかったが、きっと光善以外のクラスメイトにも見られていたのだろう。

 樹は死んだような目で、机の上に座った光善を手で払い、机の上にバッグを置いた。

 朝のホームルームもそろそろ始まるので、風莉も自分の席につく。

 光善はまだ何か話したいことがあるのか、残っている。


「なんでここにいたんだよ」

「えー? 樹の顔を見るため?」

「あぁ?」


 樹が睨みつけるも、光善はニコニコと笑顔を向けてくる。


「というか、さっき海凪みなぎさんとも話したんだけどさー」

「海凪と?」


 樹は「ん?」と引っかかる。

 光善と海凪みなぎ夏帆かほはそこまで仲が良かったのだろうか。

 だとすると夏帆が樹なら、夏帆の家について知ってると思っていたような、含みのあった口ぶりはここが関係しているのかもしれない。


「いや、やっぱり何でもないや」

「は?」


 そう言って、光善は振り返って背中を向ける。


「今は樹も楽しそうだなーって」


 そんな捨て台詞を残して、光善は自分の席へと戻っていく。

 時計を見ると、既にホームルームが始まる時間だ。

 周りの生徒達も、それぞれ自分の席について、少し不真面目な担任が来るのを待つ。

 

「楽しいわけ……」


 樹は誰にも聞こえないような小さな声で、ぽつりと呟いた。

 そうだ、楽しいわけがない。

 朝からこんな振り回されて疲れるのはごめんだ。


「楽しいわけが……」

 

 そのはずなのに。

 後に続く言葉は、何故だか口から出ることはなかった。

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