2:17 痕跡

 わたしは発電機室を出て、階段をさらに下へと向かった。

 下には転送の間のフロアしかないんだけど、これがけっこう深いところにあって、五階分ほど降りないといけない。直通のエレベーターが使えれば良かったんだけど、給電はされてなかった。まあ、ドローンの体では疲労感はないからいいんだけど。


 ゾンビも、普通の遺体も見当たらない。しかし、かなり激しい戦闘の跡が残っていた。

 階段にも壁にも、さらには天井にまで、血らしき液体が飛び散っていて、干からびていた。銃弾によるものか、壁のコンクリートがあちこち抉られていて、床に転がった大量の薬莢はそのまま放置されてた。踏んづけて足を滑らせたらイヤだな。

 日誌によると、八月二〇日にここで戦闘があって、それで生身の人は全滅した。パーシアス一体もそのときに失われてる。

 遺体やゾンビの残骸などの肉片は、最後に残ったパーシアスの人が片付けたらしい。


 一番下までたどり着くと、横に20mほどの通路があって、その先に頑丈そうな扉があった。そして、通路の中ほどには、壁に背中を預けて、足を投げ出す格好で座り込んでいるパーシアスの姿があった。


 パーシアスは損傷がひどかった。外装は焦げ目がついてて、半分くらいが剥がれていた。左腕が肩から下が引きちぎられていて、右手の指は全部ひしゃげていた。腹部には穿りかえされたように大きな穴が開いていて、頭部は酸で腐蝕でもしたのか、スカスカに崩れていた。


 これじゃ修理して再利用ってわけにはいかないだろう。回収もされずに放置されたのも仕方ないかもしれない。

 てか、このパーシアス、ゾンビに破壊されたのか。人間業じゃなさそうだし。

 電子機器の異常で動けなくなるのは予想してたけど、これほどまでに直接襲い掛かってくるものとは思ってなかった。今まで一対一で遭遇してて、銃で問題なく対処できてたので危機感薄れてきてたけど、まともに組み合うのはヤバそうだ。



 通路の端にある金属製の扉はよっぽど頑丈にできてるのか、まったくの無傷だった。周囲のコンクリートはけっこう削れてるんだけど。

 扉はちょっと古い感じで、機械式の錠と、水密扉のように丸いハンドルがついてる形だった。カギは警備室から持ってきてたので、それで開錠した。ハンドルを回して、ひどく重たい扉を引いた。

 扉を開くと、自動的に天井の照明が点いて、中の様子が照らされた。


 月面基地にあったのと同じく、そこは直径100mくらいはありそうな半球状の空間だった。床の中央には、やはり直径10mほどの魔法陣が描かれている。魔法陣を取り囲むようにして、用途不明の様々な機器が置かれていた。

 整理はされてないけど、廊下と違ってここは綺麗だった。


 魔法陣、やっぱり地球側にもあったんだ。

 転送の間というくらいだし、片方向でなく双方向でやりとりしてるなら、地球側にも同じものがあってもおかしくないのかもしれないけれど。

 しかし、実際にそんなファンタジーなものが地球で動いていた、というのはやっぱり驚く。というか、理屈に合わない。たしかに、ニューホーツで使われてる他の魔法と違って、発動に魔法陣を使う『時空間魔法』はまったく別系統だという話はあったけれど。なんでこんなものが、地球でも機能してるやら。

 ますます時空間魔法ってものの謎が深まってしまった。



「田中さん、聞こえますか? 佐藤です。転送の間に着きました」


 田中さんはこちらのサーバーに来ているので、チャットでなくても、音声で通信できるはずだった。


『はい、聞こえます。あと、そこの備え付けのカメラからも視えてます』


 転送の間にはいくつかのカメラが設置してあって、警備室や仮想体サーバーからも視れるようになってるそうだ。カメラの一つが壁についてたので、それに向かってぱたぱた手を振ってみた。


「なるほど。時間速度設定の端末ってどれでしょう?」

『“ATTRIBUTES”って書かれてるはずです。そうだ、パーシアスの視覚、こっちに繋いでもらえます?』


 たしかに、直接見てもらったほうが早いか。わたしは設定を切り替えて、パーシアスの単眼カメラの映像を送った。


『そこの右手の端末、それですね』


 端末はあっさり見つかった。モノクロの液晶モニターに、キーボード、あと、各種スイッチなどが並んでる。電源はすでに入っていて、モニターには項目が表示されてた。パソコンの画面と違ってウィンドウとかアイコンとかはなくて、ただ文字が並んでいるだけのえらく簡素で無愛想なものだった。マウスも見当たらないし、年代モノなのか。


「これって、ここで直接入力できるんですか? やれるなら、やっちゃいますけど」

『できますね。じゃあ、そちらで先に倍率変更だけお願いできます? 項目の中に、“TIME SPEED MULTIPLIER”っていうのがあるはずなんですが』

「えーーーっと……、ああ、これね」


 項目と設定値が一覧で表示されていて、スクロールさせていくと、その中に目的のものがあった。項目の右側には、x10.0と表示されている。

 カーソルで選択して、キーボードで数字をx1.0に修正した。


「入力しました~」

『おk。それで大丈夫なはずです』


サトウ:時間速度倍率、等倍に変更しました


 月面基地側にもチャットで伝えると、音声での返信がきた。


『こちらフォレスト、キリコ、聞こえるか?』

「はい、聞こえます」

『ご苦労だった。以後、連絡は音声中心で頼む』

「りょうかいです~」


 わたしがこっちに来てからおよそ六時間というところだけど、ニューホーツ側では六〇時間過ぎちゃってる。これで、ようやく速度差がなくなったわけだ。あちらからのリモート操作も捗るんでないかと思う。

 その後、田中さんとこのサーバーでエラーが出た原因を調べたけど、物理的なスイッチの一つがOFFになってただけだった。





 日が落ちて、そろそろ外も暗くなってきた。

 太陽光発電で充電してたほうのバッテリーパックが充電完了したので、それでもう一台のパーシアスを起動した。載るのはクズネツォフさんだ。

 戦闘にも詳しいんで、頼りになる。ただ、彼はコントローラ操作だ。機体に組み込まれたモーションしか実行できない。


「いかんせん、のモーションまでは用意されてないので、いざというときはミス・サトウにお願いしますね」

「ははは……りょうかいです……」


 パーシアスに表情筋があったら、わたしのは盛大に引きつってただろう。

 たぶん、腕のみのマスタースレーブ操作でも解体できないことはないだろうけど、戦闘中には難しいだろうしね。その分、彼には強力な武器の扱いに期待したい。



 一旦ここで、司令たちと現状の確認や、今後の方針を検討することになった。

 まずはドローン関係をわたしが報告した。


「稼働してるパーシアスがわたしとクズネツォフさんで二体、あと一体はバッテリーの充電が今夜半には終わりそうです」

『そうか。警備で使ってて行方不明になっている分は?』

「一体は地下で破壊されていました。損壊が激しく、利用するのは厳しそうです。もう一体はまだ発見できてないです」


 未発見なのは最後まで残ってた人の分だ。たった一人になって、どこへ行ったんだろう。稼働中ならビーコンで居場所を把握できるんだけど、さすがにバッテリーが残ってるはずもないし。


「ほかにトップス二台、クアッドコプター二台、あと固定翼ドローンと小型ガードロボットが一台ずつあります」


 トップスは直接戦うのは無理だけど、弾薬を運ぶのにちょうどいいかもしれない。

 クアッドコプターはそんなに遠くまで飛べないので、施設周辺を上空から見張る形で使う予定。

 固定翼ドローンはエンジン式で、全長1mちょっと。航続距離が最大で50Km近くあるので、ボストンなどの近場の都市や、北部の森林公園がある地域を偵察しにいくことになりそう。ゾンビが集まるのは都市部の人口密集地で、もし生存者が残ってるとしたら、森などの人里離れた場所になると予想されてた。

 小型ガードロボットは侵入者の発見が主な用途だった。一応スタンガンも装備はしているけれど、戦力としては微妙だ。ゾンビが入ってきたら、警報を鳴らすくらいか。



 続いて、田中さんからはサーバー関連や、情報収集の一環として調べていた人工衛星の状況の報告があった。


『サーバーは現在正常に動作しています』

『ふむ』

『あと、警備のパーシアスに載っていた二名ですが、最後にバックアップが更新されたのは八月一八日でした』


 当人たちを起こして事情聴取しようにも、肝心の二〇日以降に何があったかは聞けないか。


『彼らをロードしますか?』

『このまま眠らせておくべきか……いや、一度起こしてくれ。改めて、開拓団に加わるかどうか確認してみたい』

『了解です』


 ここにいた仮想体の人たちはみんな、開拓団には加わらずに、地球に留まることを選択した人たちだ。サーバーが止まれば、仮想体もそこまでだというのは承知の上だったはず。死ねない仮想体にとって、それはある意味、消極的な自殺とも言える。そうして眠りについた人たちを起こすのも、ナンだけどもねえ。

 でも、志願して最後まで戦ってた人たちなら、開拓団に加わってくれればすごく心強いだろう。


『衛星については、気象衛星や通信衛星はまだ大半が動作してます。軌道修正しないと、いずれは駄目になるでしょうけれど』


 衛星からのデータはまだ解析されていないけど、やはり望みは薄そうだった。

 通信衛星は稼働していても、通信に答える人間は皆無だった。アマチュア無線も同様。

 ちなみに国際宇宙ステーションは、宇宙飛行士の一人がゾンビ化して、崩壊してしまったそうだ。アレが感染症じゃないという傍証のひとつと言えるかもしれない。



 クズネツォフさんからは、武器に関してだった。


「武器庫についてですが、まず弾薬は、鹿撃ちバックショットの散弾が五二〇発、7.62×51mmNATO弾が一,一五〇発。

 その他は、M2重機関銃が一丁、12.7mm弾が一,五〇〇発。M72グレネードランチャーが一丁、榴弾二〇発。MK3手榴弾一八個。使い捨てのM72LAWロケットランチャーが三本。RPG-7が五発。……他のも大概ですが、米国本土でRPGなんて、いったいどこから入手したんですかね」


 武器本体はわりと古めのものばかりらしい。警備員の一人が少々な伝手で、中古品を中心に掻き集めたそうだけども。


『データ転送が終わるまでのあと七五時間ほどの間、それだけの弾薬でどのくらいか?』

「ここの警備が対応していたレベルの襲撃なら問題ないですが、今はもっと総数が増えてますしね」

『連中次第ではあるか。周辺の偵察は密にしないといけないな』

「場合によっては、パーシアスを囮にして誘導する必要もあるかもしれません。ただ、もう一つ気になる話があります」


 クズネツォフさんが気にしていたのは、地下にあった戦闘の痕跡についてだった。


「日誌ではさらっと書かれてましたが、八月二〇日、転送の間へと続く階段にゾンビ数十体が入り込んでいたそうです。転送の間の扉前には、身動きできないくらいにゾンビがひしめきあってたそうで」

『誰かを追っていったのか?』

「八月一〇日以降、階段にも転送の間にも入った人はいませんでした」

『……すると、ゾンビどもは無人の転送の間を目指して、地下へ降りていったことになるのか』


 これまで、ゾンビは人間を襲う以外に、なにかしら目的や意思が感じられるような行動をとることはないと思われてた。その認識を覆す話だ。


「ゾンビが何を考えてるのかなんてのはさっぱりわかりませんが、あそこのに引き寄せられる可能性には注意が必要かと」

『なるほど、わかった。扉自体は破られなかったんだな?』

「それは大丈夫でした」


 転送の間で特殊なものといえば、魔法陣だろうか。しかし、あれがゾンビと何か関係があるのかというと、どうなんだろう。ものすごく気になるけど、検証する手段はなさそうだった。

 とりあえずは、転送の間前の扉と、階段前の防火扉は施錠しておくことになった。


 それから、敷地内の除雪、タンクローリーの移動と給油、それから敷地を囲う壁などについて話し合われた。





 明けて、こちらの暦で二月二六日。

 空が明るみ始めた頃合から、除雪作業を開始した。

 三体目のパーシアスもバッテリーパックの充電が終わって、今は保安部のカーターさんが載っている。


 ここいらは積雪がひどいときには2m越すこともあるらしいけど、幸い、今日は30cmちょっとだった。それでも、まったく手付かずで放置されてる雪は、ものすごく分厚く見えた。わたしが生まれ育った静岡市では雪がほぼ降らなかったんで、余計に感覚がわからない。


 さすがに敷地内すべてから雪を除去するのは無駄が多そうなんで、移動に支障がありそうなところを中心に行う。タンクローリーが置いてあるところから給油口付近までと、建物の正面玄関から外の正門までの間くらいで、あとは必要に応じてというところ。

 施設を囲ってる壁については、高さ3m以上あり、今の積雪量だったら恐らく問題ないと思われた。侵入してくるとしたら、おそらく正門からだろう。


 除雪車や除雪機といったものはないんで、作業はひたすらスコップで掘っていくだけだった。

 幅2mくらいを掘って、掬っては脇に投げ、掬っては脇に投げ、を延々くり返す。昨日の昼の間に幾分溶けたのが、夜の間に再び凍ったのか、けっこう硬く固まってるとこもあった。これ、生身でやってたら、疲労と筋肉痛と腰痛で数日動けなくなりそう。

 道の両側に雪で高い壁を作ったら、ゾンビたちの侵入経路を制限できて、タワーディフェンスゲームっぽくなったりするんだろうか。


 正門付近までたどり着いた頃には、昼を過ぎていた。

 スライド式の本来の正門はレールから外れてしまって、地面に転がっていた。警備の人たちはそれの代わりに、大きな貨物コンテナを置いてバリケードにしていたらしい。

 ただ、その貨物コンテナは端っこがずらされていて、人が通れるだけの隙間が空いてしまっていた。コンテナ内にはコンクリートブロックやら土嚢やらいろいろ詰め込まれて、ものすごい重量なんだけど、それでもゾンビは入ってきた。


 一旦、中の重量物は抜いて、その上でパーシアス三体で持ち上げてどうにか隙間をふさいだ。けど、それだけではきっとまた押し退けられて侵入してくる。

 対策として、駐車場に置かれていた乗用車をコンテナにくっつけて縦に積み重ねて置いた。

 これだけやってもまだ不安なんで、タンクローリーも給油が終わったら追加することになった。残った軽油に火をつけてゾンビを焼くか、それとも空いたタンクに水を詰めて重石にするかは、まだ決まっていない。軽油の残量次第か。





 固定翼ドローンからの偵察では、今のところ生存者はまったく見つかっていない。

 そして、半径1Kmほどの範囲では特に動くものはないそうだ。壁のすぐ外には住宅街があるけど、そこの住人たちは被害が大きくなる前に避難していたらしく、それでゾンビも少なかったらしい。


 しかし、セイレム市街地やリン、ピーバディ、マーブルヘッドといった近隣の町では、ゾンビがゆっくりとだけど雪の中を移動しているのが確認された。

 彼らの進行方向から推察すると、どうやら目的地はらしい。


 20Kmほど離れているボストンには、屋外にいるだけでも、ざっと見積もっておよそ数万のゾンビがいるらしいけど、幸い、そちらは今のところ動きはない。雪を被りながら、ただ突っ立ってるだけだそうだ。

 数万も来たらさすがにヤバかったけど、反応があったのはだいたい半径6Kmほどの範囲で、ボストンはその範囲外だった。

 とは言え、その範囲内だけでも、けっこうな数がいるわけだけどね。


 ゾンビたちは雪を掻き分けて進んでくるため、移動速度はものすごく遅い。最初の連中がここにたどり着くのは早くても明日、二月二七日の午前中くらいと推定された。忙しくなるのはそこからだろう。

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