1:12 遭遇

「♪いちっ、にぃっ、さんっ、しぃ~、ごぉ~、ろっく、腕のぉ運動ぉ~、腕を~、伸ばしぃ~――」


 原始の大自然に囲まれた中で、傍らに置いた音声再生デバイス―――技術部がなぜか製作し保有していた、前世紀のラジカセを模したものを借りた―――から流れ出る軽快なピアノの音と、動作解説ナレーションに合わせて、ハーキュリーの体を動かす。

 要はラ○オ体操だ。

 ラ○オ体操なんて、小学校以来か。てか、よくそんな音源がここにあったもんだわ。



 異世界生活一四日目。

 わたしたちは昼間に開拓基地02でドローンの訓練をして、夜は月面基地に帰って休む、という生活をしていた。


 最初は基地02に割り当てられた部屋で寝泊りしていたんだけど、どうにもあの部屋は殺風景なので、結局、月に戻ってわたしのホーム空間で寝るようになった。せっかく部屋増やしたんだしね。さらに、ホームには昔の家庭用ゲーム機を再現した仮想ゲーム機もあるし、映像ソフトや電子書籍もいくらかある。仮想ご飯も食べられて、仮想風呂もあり、比べるまでもなかった。

 開拓基地への転送は、二度目以降は差分を送るだけになる。そのため、通信量の負荷とかは気にする必要はないそうなので、遠慮なく使わせてもらってる。


 そうして、今日もわたしは開拓基地02に降りて、ハーキュリーの訓練をしている。

 操作もだいぶ慣れてきた。指や手のひらも、動かせるようになった。

 このくらい動かせれば、周辺地域で活動しても問題ないだろうということで、あっさりと外出許可も出た。ただし、何かあったらすぐに回収できるようにと、基地のゲートから4Kmほどの範囲に限られるけれど。


 ちなみに、七海ちゃんやマギーたちのように飛行型ドローンで訓練する場合は、ある程度飛べるようになったらもっと広い範囲での活動が許可されてる。空にはそうそう障害になるようなものがないし、移動すること自体が飛行型ドローンの主目的でもあるからだ。


 そんなこんなで、わたしは基地のある丘の麓にある、林と草原の混じったあたりに来て、ちょっとだけ草むらを踏み均して運動できるスペースを作った。どうせなら、自然の中で運動してみたいと思ったし。



 なんで体操なんてしてるのかというと、長期にわたる仮想空間引きこもり生活による運動不足を解消し、不摂生によって弛みきってしまった体を引き締め、健康を取り戻すため―――というわけではない。

 複雑に体を動かすことで、仮想体の脳をハーキュリーの感覚に馴染ませるためだ。意味合いとしては、機能回復訓練リハビリに近いかな。


 ハーキュリーの見た目は、全体としては人体に近いけど、関節の位置も自由度もぜんぜん違う。

 たとえば胴体は、人間みたく小さな背骨が連なっているのではなく、胸部・腹部・腰部の三つのパーツに分かれていて、そのパーツ単位でしか動かせない。回転軸の位置も背中側中央ではなく、胴体の真ん中寄りだ。

 その代わり、首と、腹部~腰部の関節は三六〇度以上の回転が可能になっている。配線による制約もない形で設計されてるんで、やろうと思えば何回転でもできる。

 この感覚がどうにも人体と違いすぎていて、違和感が大きい。いやまあ、これはこれでちょっと面白かったりするんだけども。


 それと、ハーキュリーの筋力は極めて強い。開発した技術部の人はピーキーとか言ってたけど、実際はそんなもんじゃなかった。全力だと、直径20cmはありそうなスギの木を叩き折れるレベルだった。それをやった結果、拳が損傷した。試作品のため、リミッターも掛けられていない。

 力の制御に慣れて、常に思ったとおりに体を動かせるようにしておかなければならない。でないと、何かの拍子に事故が起きかねない。相手が生き物だったら、致命傷もありえる。


 それで、体操やその他の運動によって、体を馴染ませようということになったのだ。

 だいぶ慣れてきたとはいえ、まだまだ完全とはいえない。

 データ取りのテストパイロットとしては、ただ動かせるというだけでは不十分なのだ。完全にマスターし、生身の運動選手並みに動かせるくらいの水準が要求される。


 訓練メニューは技術部考案のものだ。基礎的な体操のほか、ランニングとか、腕立て伏せ、逆立ち、ブリッジとか、棒持って平均台とか、ロープで懸垂とか、ムーンウォークとか、コサックダンスとか、匍匐前進といった運動もやってる。

 肉体的な疲れはないんで、苦にはならないんだけども、なんか妙なことをやってるような気がしてならない。……てか、匍匐前進って本当に必要なの?



『よっ……わわっ、ひゃぁ~~ッ!?』


 上体ねじりの運動の際、勢いがつきすぎて、腹から上がぐるぐると回転してしまった。

 上半身が二回転半したとき、ふと、わたしの後ろにいた『何か』と目が合った。


『え……?』


 もう二回転したところで、ようやく回転が止まり、背後のそれと向き合った。

 いつの間に現れたのだろう。またも気配察知というか、〔近距離探知機ショートレンジセンサー〕に気を配るのを忘れていた。

 相手は、わたしを見ながら、くいっと首をかしげた。



 そこにいたのは、直立するイグアナとしか表現のしようのない生き物だった。

 身長は1m半くらいか。同種と思われる恐竜はときおり見かけるけど、大きいものでは8~10mくらいありそうなので、これはまだ子供なのだろう。

 顔というか頭部はイグアナそっくりだ。ただ、地面を這うイグアナや、胴体を地面に水平にして駆けるラプトルとかと違って、二本の脚から腰、胴体、首までが地面からまっすぐ垂直に伸びている。

 顔は背骨とは直角になってて、前方に向いている。脚も横方向に動かすんじゃなく、前後に動かす構造のようで、完全な直立二足歩行に適応してるようだ。

 後頭部から尻尾までは、背筋に沿ってふさふさで柔らかそうな白い毛が生え揃っている。

 短い足に比べると、腕はけっこう長い。なんか、全体的にぽっちゃりした感じで、体形だけ見ると、着ぐるみを着たおっさんぽいかもしれない。……ガ○ャピンをリアルにするとこんな感じになりそうな。

 そして、イグアナっぽいやや半目で、濁りのない達観しきったような瞳がハーキュリーわたしを見ていた。


 ここに来るようになってからずっと、少し離れた所でわたしが運動してるのをじっと眺めてる子がいるんだけど、たぶん同じ個体だろう。

 ラ○オ体操の音楽に惹かれたのか、あるいはわたしの体操に興味をもったのか。音楽はもちろん、あんな動きしてるのって他にいないしね。好奇心旺盛か。

 いつもよりずっと傍まで来てて、5mもないところで無警戒に立ってる。危険はなさそうと判断して、近寄ってきたのかな。

 わたしはどう反応したものかわからず、両腕を広げて上半身と下半身が逆向きになった姿勢で固まっていた。

 ラ○オ体操の音楽が流れる中、わたしとその子は無言のまま見つめあってた。ちょっとシュールな絵面かもしれない。

 とりあえず、下半身が逆向きのままというのもなんかアレな気がして、上体はそのままに、腹から下だけを足運びで回転させて向き直った。


『えーーっと……』


 どうしたものか、リアクションに困る。ふと呟いた声が、ハーキュリーに備わってる外部スピーカーから漏れた。

 すると、不意にその子が口を開いて、一声鳴いた。


「にゃぁあ~~~」


 !?

 この子たちが鳴いてるのを初めて聞いたけど、なぜか鳴き声は猫そっくりだった。見た目は恐竜というか、イグアナっぽいのに。いや、もちろん、見た目が似てても中味は別物なんだから、おかしいってことはないんだろうけど。

 ちょっと想定外すぎて、思考がフリーズした。


『にゃ……にゃあ?』


 つい、猫を相手にするときのように、声まねしてみた。


「にゃぁ~~ぁ?」


 すると、その子もなんだか鳴き返してきて、くりっと首をかしげた。

 なんだろう。なんかわからんけど、ほんとに猫相手のコミュニケーションっぽい?


 その子はわたしを見ながら、その場にぺたんと腰を下ろした。手に握った草の葉っぱを口元にもっていき、むしゃむしゃとかじってる。なにげに、親指の向きが物を握るのに適した形になってるのか。

 そうしている間も、わたしの方を興味津々(?)に見ている。どうも、わたしに対しては警戒してないようだ。


 野生の動物が寄ってくるのは、なんかうれしい。地球ではそういう機会なかったしね。

 というか、これは異世界で野生動物をテイムするという流れの、テンプレの一種なのか?

 ……いやいやいあ、スキルとしてシステム化されたテイムなんてものがあるわけないし。現実でテンプレ展開なんて、期待してもしょうがない。

 良くて、顔馴染みになるくらいがいいとこだろう。近所の野良猫と顔馴染みになって、たまにモフらせてくれるくらいの関係と似たようなものになれれば、御の字か。それだったって、野生動物が相手なら、ものすごく癒されそうだけど。


 触ってみたい気もしたけど、こちらの野生動物にはなるべく干渉しないよう司令部から言われているので、ここは我慢しよう。

 そのままわたしは体操を続けた。


 ふと、その子は立ち上がると、両腕を前に伸ばし、上半身を横にひねった。


『おろ?』


 動きはすごくぎこちないけれど、両腕を揃えて左右に振ったり、ひざに当てて屈伸ぽい動きをしたり。まるでわたしの体操の動作を真似ているみたいだ。懸命に手をバタバタ動かしてる感じが、なんとも微笑ましい。


 やがて音楽が終わった。

 わたしがその場に座り込むと、その子もトコトコと近寄ってきてすぐ隣に座って、ハーキュリーわたしの顔を見上げて、首を傾げた。


「にゃあ~?」


 意味はわからないが、こっちを見てなんか呼びかけてる感じだ。


『にゃ……、にゃあ?』


 わたしは猫の声マネをしてみた。


「にゃああ~~」


 それに対して、その子が鳴き声を返してくる。

 意味はわからないけど、これもコミュニケーション、なんだろうか。


 というか、言語こそないけども、この子、けっこう知能高いんじゃないだろうか。なんか猫というより、人間の子供を相手にしてるみたいな気がしてくる。

 この子は自発的に、見よう見まねでわたしの体操を模倣したようだった。同種ならまだしも、異種で体の構造が違う相手の動作を真似るのって、脳内でわりと高度なことやってるんじゃないだろうか。自他の認識だとか、抽象化だとかそんな感じの。

 ただの野生動物だったら、そんなことはしないだろうし。


 恐る恐る、わたしはその子に触れてみた。干渉するなって言われてるけど、ちょっとくらい、いいよね?

 その子はちょっとピクっとしたけども、逃げるわけではなさそうだ。小さな鼻の穴をひくひくさせて、ふんふんとハーキュリーわたしの臭いを嗅いでる。

 傷つけないよう気をつけて、そっと撫でてみる。

 皮膚は細かいうろこで覆われてるけど、センサーの感じからするとけっこう滑らかっぽい。

 ハーキュリーの手のひらには温度センサーがないので、感触からは体温がわからない。赤外線センサーで見ると、人間と同じくらいの体温があるようだ。爬虫類っぽいけど、恒温動物らしい。

 わたしがその子の背中のふさふさの毛をなでてみると、その子は目を細めた。


 これはかわいい! と言わざるを得ません。

 ああぁ~~~~~~~なんか癒されるぅ。たまらん。


 わたしは爬虫類がニガテということもない。蛇でも毒持ってなければだいじょうぶなくらい。わたしが絶対に許容できない生物といえば、その名を囁くのさえ憚られる、忌まわしく悍ましい、冒涜的で不快極まりない台所の黒い悪魔、Gだけだ。(※決して加速度のことではない)


 無人の惑星だから、現地で出会いとかありえんと思ってたけど、これはこれで一つの出会いだと言っても過言ではないだろう。

 異世界に来てよかったかもしれない。



 と、その時、近くの茂みでガサガサと音がした。


『な、なに!?』


 シャァァァァッ!


 吼え声とともに茂みから飛び出してきたのは、大きさも形も映画でよく見るラプトルっぽい恐竜だった。


『わわっ!?』


 わたしがびっくりして立ち上がると、ラプトル風はビクっとして立ち止まった。ハーキュリーの姿を見て警戒したのか。メカなんてこれまで見かけたことないだろうしね。

 ラプトル風は「シャアァァッ」と吼えて、爪を構え、顎を目一杯開いて威嚇してる。鳴き声はこっちのほうが断然恐竜っぽい。


『こ、怖っ!』


 ハーキュリーは頑丈なので、このサイズの恐竜になら噛み付かれたり引っかかれても大丈夫なはず。けど、映画のイメージもあったし、間近で見る本物の肉食恐竜の迫力はハンパない。

 体が機械なせいか震えたりしなかったけど、生身だったらもう全身ガクブルで腰が抜けてただろう。


 ふと気がつくと、イグアナっぽい子はわたしの後ろにしがみついていた。ブルブル震えてるのが、センサーを通じて伝わってくる。

 野生動物ってこういう時は、一目散に逃げ出すもんなんじゃないだろうか。けれど、この子はなんだか人間の子供みたいな怯え方してた。


 この子を置いて逃げる、って選択肢はナシだよね。ラプトル風は今はわたしをターゲットしてるみたいだけども、わたしが逃げたら、間違いなくもっと弱そうなターゲットを襲うだろう。

 ハーキュリーは壊されても替えが効くし、わたしはリロードされるだけだ。技術部の人たちには怒られるかもだけど。

 けど、この子はそうじゃない。この子はまだ小さく、きっとラプトル風に襲われたらひとたまりもない。被捕食者の側だ。


 開拓団の方針としては、当面は生態系への干渉は可能な限り避け、弱肉強食の場面に遭遇しても手は出さないように、ということになってる。でも、こんな風に怯えてる子をほってはおけない。


 いやまあ、こういうシチュエーションに憧れてなかったと言えば、ウソになるけども。


 ちょっと不安もあるけど、だいじょうぶ。生身だったら無理だけど、今や、わたしがハーキュリーだ。ネタじゃなくて、ほんとにそのものと化してるのだから。

 ハーキュリーの型番MHDX-11のM、Multipurpose用途というのには、現住生物を相手にした格闘戦用途も想定されている。追い払うくらいはできるはず。というか、そのくらいできないといけない。


 わたしの腹は一瞬で決まった。

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