5.ハコちゃんと遭遇した朝②


 秀星の写真を毎日紹介している『ハコチャンネル』のアカウント。

 まだ見知らぬ篠田給仕長は、神戸で既に『ハコ』を見つけてくれていた。


「SNSで写真のアップを始めたのは、先輩が亡くなって一年が経ったころだったよね。どうしていきなり、俺になにも言わないで死んでしまったのかって、一年間俺も悶々としていたんだよね。連絡がいきなり途絶えて……。DMメッセージを送っても返信が来なくて胸騒ぎがしたんだ」


 秀星と後輩の篠田がSNSメッセージで常日頃やりとりしていたことは、葉子も目にして来た。彼にとっても、その日常的習慣がある日突然途絶えたことになる。それは不安になったことだろうと葉子にもわかる。


「今日こそ大沼にある『フレンチ十和田』に直接連絡するぞという日に、矢嶋社長から亡くなったと聞かされて、ショックでさ。だって、十日前まで一緒にバカみたいなやりとりしていたんだよ。そんな俺の、いきなり捨てられたような気持ちを、ハコちゃんのSNSが救ってくれたわけ。これを見ることで、まだ俺から離れていない先輩をそばにいさせてくれたってかんじだったんだ」


 いきなり連絡が途絶えた。ある日から急に秀星の写真アカウントの更新もなくなった。あんなに楽しそうに連絡を取り合っていたのに、突然、篠田給仕長の目の前からも秀星は忽然と姿を消したことになるのだろう。


「いまでも思っている。なんで、俺も、大沼のレストランも、十和田シェフも深雪さんも、葉子ちゃんも捨てていったんだって――」


 また彼の顔が険しくなった。『信じられないな、まったく』。先ほど、ホワイトアウトを初めて見た後に彼が見せたあの表情だった。


 あんな激しい吹雪の中に飛び込んでいったんだと、彼も初めて実感したのだろう。

 そんな危険な撮影を望んで、なにも告げずに逝ってしまった。俺たちを捨てて。篠田給仕長はそう思っているのだ。


 葉子もおなじだ。その日までなんら変わらず、秀星と仲良く過ごしていた。ほんとうに兄妹のようにと今なら思える。親戚のおじさんみたいで、歳が離れた従兄みたいで。葉子とおなじ、夢へのわだかまりが常に心の重しになっていて、でも、自分の好きなことを全力で愛おしむ日々を重ねている。音楽と写真という違いはあったが、表現に取り憑かれた者同士の疎通もあった。

 もうそんな日々でいいとさえ、葉子は思っていた。秀星もどこかでそう思い始めているのではと、勝手に思っていた。


 でも違った。彼は最後の欲望に手を伸ばしていたのだ。

 あれが彼が大沼で最後に狙っていた『被写体』だ。

 取り憑かれて、秀星はその魔の囁きに傾いて逝ってしまったのだ。

 彼は夢への思いを遂げたのだ。


 そのために葉子を捨てた。親友でもあっただろう後輩の篠田も捨てたのだ。

 一年経っても、葉子はこの想いに到達すると、口惜しさでぎゅっと拳を握ってしまう。

 でも初めて。篠田給仕長も、おなじような一年を送っていたと葉子は知る。


「どうやって私の『ハコチャンネル』と、SNSアカウントを知ることになったのですか」

「ああ、『北星秀』のアカウントを、先輩が亡くなった後も時々覗いていたんだよ。俺、毎朝、先輩のアカウントを覗いてその日の写真に『いいね』をタップしていたから、名残というか。時々、確認しちゃうというか――。その習慣が残ったままの五月ぐらいかな。秀星先輩の写真に『いいね』がぽつぽつ増え始めて、どんどん増えて『なんじゃこりゃ!』と驚いたのがきっかけ」


 後輩さんはもう『北星秀』のアカウントは見ていないと思っていた葉子だったが、そうではなかった。

 彼も時々、なにも更新されなくなったアカウントでも覗いていたと知り、この人も一年間、もういない秀星の面影を追っていた。それだけ、この男性ももがいていたことになる。


「ハコちゃんが秀星先輩の写真をSNSにアップしはじめたおかげで、秀星先輩の写真掲載用アカウント『北星秀』に掲載されたままの、ぜーんぜん『いいね』がつかなかった写真に、急に『いいね』がつき始めたことに、ある朝、気がついてね。しかも一晩でフォロワーが急増していたからさ。あ、これ、矢嶋社長が教えてくれた『特別縁故者』になった大沼のシェフのお嬢様がしてるのかも。引き継いで、先輩の写真を紹介しはじめたな? だったら彼女のアカウントを探せって検索して見つけたんだもん」


「えー! そうだったんですか! てっきり矢嶋社長さんから教えてもらって知っていたのかと……」


 矢嶋社長から教えてもらったのではなく、秀星のアカウントを習慣的に眺めていて、これまたある日突然『自分以外のいいねが激増』していたことで、『ハコ』に辿り着いていたと知り、葉子は吃驚――。


「いや、矢嶋さんより俺のほうが先に知っていたね。葉子ちゃん、取材で『北星秀は神戸のレストランで優秀なメートル・ドテルだった』と答えていたでしょう。取材の話が来た時に、矢嶋さんも初めて『ハコちゃん』の活動を知ったわけなのよ。大沼で何度も会っていたのに知らなくて、『葉子さんが、いつのまにか、動画配信を開始していて、秀星の写真をわんさかSNSにアップしているらしい。なんだかうちに取材が来た!!』って慌てていたんだよ」


 それは葉子も父から聞いていた。

『おまえが、北星秀がメートル・ドテルだったとインタビューで伝えてしまったから、調べをつけられて矢嶋社長のところにも、生前はどんなメートル・ドテルだったか取材したいと申し込みがあったんだってさ。どうする?』

 と、矢嶋社長からインタビューを受けていいかと、父にお伺いの連絡が入ったとのことだった。


「そうだったんですね……。北星秀が写真を続けていく信念の中には、仕事も一流に極めていたと伝えたかったんです。それで『神戸の有名レストランにいた』と箔をつけたかったことがあのようなことになって……」

「あの時、驚いた矢嶋さんが俺を社長室に呼んでまで『篠田は知っていたのか』と突っ込まれたからね。俺はプライベートの名残で、秀星さんのアカウントを知っていたから、それ繋がりでハコちゃんを発見したんだけどね」

「葉子ではなくて『ハコ』という名でよくわかりましたね」

「うん。むしろハコちゃんって名前を先に知っていたほどだよ。大沼のシェフのお嬢さんのことを『ハコちゃん』と先輩が呼んでいたことも知っていたからね。『葉子』という名は矢嶋さんから取材がきた時に初めて知ったんだ。大沼で唄うチャンネル『ハコ』と目に入った時、俺ってば、通勤電車の中だったのに『うっそだろ!!』って大声で叫んじゃったんだからなー。めっちゃ注目された~でへへ~」


 その時の気恥ずかしさを思い出したのか、また篠田給仕長が『えへ』と黒髪をかいて照れている。


「その時ですでにフォロワー8000人で、よけいに声が出ちゃったんだよ。先輩の写真に『いいね』が百単位以上、多くて千単位でついてて、ひぇ~~えぇぇ!? って声も出ちゃってた」


 わあ……。この給仕長の声なら、さぞかし都会の電車の中では目立ったことだろうと、何故か葉子のほうが頬が熱くなってくる。


「しかも、動画の登録者数はその時で4万人。これまたひっくり返っちゃったもんね。それで……。そこで初めて、葉子ちゃんの唄を聴いたんだ」

「通勤中に、ですか」

「そう。自分のためじゃなかっただろ。唄って惹きつけて、SNSに引き入れて、『北星秀』の写真を見てもらう。一年間、自分が獲得した閲覧者を、秀星先輩の写真を見てもらうために集めていたんだろう」

「そこまで考えていませんでした。ただ、秀星さんとおなじことをしたら、どうして逝ってしまったのか知りたかっただけで……」


 篠田が目を見開いて黙ってしまった。

 そんな計算なんかしていなかったことに驚いているのだろうか。


「そっか。先輩の気持ちを、あの場所で探っていたんだね」

「まだ、ちょっとしかわかりません。だって、私、秀星さんほど大人じゃない。大人の男性がなにを思っているかなんてわからない……」

「そりゃ、この年齢の俺にだって、先輩がどうしてこんなことになったのか、わかんないもん。でも、なにかわかるといいね。俺も知りたい」


 そこで二人で黙り込んでしまった。

 外はまだ吹雪いている。

 この日、葉子は白鳥台セバットの写真ではなく、秀星がレストランのホールから撮影した結氷した大沼と駒ヶ岳が雪を被って陽射しでキラキラとしている写真を選んでアップした。

 今日は吹雪で、二年前のこの写真は眩しい雪の大沼。その時その時で違う顔を見せる大沼。秀星が言っていたとおりの写真が並んでいる。

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