4.ハコちゃんと遭遇した朝①


 もうすぐ年暮れなのに中途半端な季節に、新しい上司が来たなと葉子は思っていた。だが、クリスマスディナーがある繁忙期でもあるので、彼がそれを考慮してすぐに駆けつけてくれたこともわかってしまった。


 仕事の時の彼は、凜々しい佇まいになるとキラキラとした空気を放ち、女性客の視線を釘付けにする。丁寧な言葉遣いでも、男性客との会話のテンポも軽快で淀みなく、どんな質問にも的確に返答する。すらっとした長身での黒ジャケット姿は見栄えがして、彼のキビキビとした動作は小気味よく美しい。そんな彼のサービス接客に、ゲストが見とれているほどだった。


 それを知った父が満足そうにしている。『間違いなかったな。秀星同様、あれは一流の男だ』。そう言ったのだ。しかも、また新しいパートナーが出来て、父の笑顔も増えてきた気がしている。

 まあ、でも。それは営業中、彼がメートル・ドテルという仕事に没頭している時だけのことでもあった。


「ぎゃーーーっ! これが吹雪!! すっげ、真っ白じゃん、見えないじゃん、なんにも見えない!!」


 ランチタイム終了後、夜営業のディナータイムに向けてシルバーのカトラリーを各テーブルへと葉子は揃えていた。そんな時にまた篠田の喧しい声に顔をしかめる。


 なんでいちいちリアクションが大きいかな。静かにコーヒーを飲みながら窓辺をじっと見つめていた秀星をまた思い出していた。ほんっとに正反対!


 おなじようにパリッとした白シャツ姿は凜々しく、むしろ篠田のほうが背が高くて顔つきも男前で見栄えする。なのに、あのようにぎゃあぎゃあ大声で騒ぎ立てる落ち着きのなさ。葉子はひそかに額を抱えてため息を吐いている。それも、彼があのテンションで葉子に話しかけてくるからだ。


「葉子ちゃん! もしかしてこれがホワイトアウトってやつ!?」

「は、はい。そうですね」

「さっきまで大沼も駒ヶ岳も見えていたのに、いきなりこんなふうになるもんなの?」

「なりますね。冬の間は天候が変わりやすいです」

「ふーん」


 あんなに騒いでいたのに、篠田給仕長は急に真顔になって外の吹雪をじっと見つめて黙り込んでしまった。急にホールに静けさが漂う。


「いま、外の気温って何度?」

「え? えーっと、ですね。天気予報アプリをお昼に見た時は、マイナス3℃でした」

「真冬は何度まで下がるの?」

「マイナス8℃、たまに13℃まで下がります。でもこの暴風だと2℃ほど低く感じるかもしれません」

「真冬の暴風だとマイナス10ぐらいってことか」


 そのまま篠田給仕長は、静かに押し黙った。

 葉子もきょとんとして、彼を見つめる。なんで急にあんな真剣な横顔になってるの? 仕事の時より怖い目つき……。すごい高いテンションで話しかけられるのも困惑するが、こんなふうに急に秀星と同じような怖い雰囲気を醸し出されても戸惑う。


「信じられないな、まったく」


 そう吐き捨てると、篠田は給仕長室へと姿を消してしまった。


 葉子も改めて窓の外を見つめる。篠田給仕長が初めて見たという『ホワイトアウト』を。

 雪が横殴りで吹きつけ『白』に圧迫されるような景色になるホワイトアウト。北国に住んでいれば日常的なもので葉子は驚かない。

 ただ、ホワイトアウトを見つめていると、その向こうにカメラを構えて暴風に踏み耐えている秀星が浮かんでしまうのだ。


 そこで。若輩者である葉子はやっと気がつく。

 ホールでのテーブルセッティングを終えた葉子は厨房へ向かい、コーヒーを一杯分入れて給仕長室へ向かう。


 ドアは開け放たれていたので、葉子はそのまま覗き込む。

 秀星が座っていた椅子に、いまは篠田給仕長が腰をかけている。でも彼は椅子を回転させて入り口には背を向け、窓があるほうへと視線を馳せている。いつもは白樺木立に、その隙間から青い湖面が見えるのに、ホワイトアウトの雪にかき消され、目の前の白樺数本しか見えない状態だった。


 彼がまだじっとそのホワイトアウトを見つめている。その心境が葉子にもわかってしまったから。


「篠田給仕長。一杯、いかがですか」


 コーヒーの薫りが届いたのか、篠田給仕長が椅子を回転させてやっとこちらへ向いてくれた。

 その目にうっすらと涙が浮かんでいたので、葉子は固まった。


「ごめんね。わかっちゃった? 俺、わかりやすいって先輩によく怒られていた」


 コーヒーカップを持ったまま、ドアの入り口で佇むだけ。大人の男性が泣いている。どんな言葉を返せばいいのか、若い葉子には戸惑いばかりで言葉が浮かばない。

 だから先にこの空気を打開しようと動き出すのも大人の彼からだった。


「あ、シルバーのセットが終わったなら休憩時間だろう。デスクを使っていいよ」


 篠田給仕長が椅子から立ち上がった。

 休憩時間に秀星が使っていたPCデスクをつかって、SNSに写真をアップする作業をしても良いという許可をもらっていた。


 篠田給仕長が来るまでは、葉子が一人で気ままに使っていたのだが、さすがに給仕長が来たとなれば勝手には使えない。しかし、篠田は葉子が日中に写真をアップしていることを知ってくれていたので『いつ作業しているの。え、休憩時間に? 先輩が使っていたPCから? わかった、わかった。休憩時間なら使っていいよ』と許可をしてくれ、葉子のオンライン活動も容認してくれていた。


「お邪魔します」


 写真をアップするために給仕長室に来たわけではないのに。

 あのホワイトアウトを見て、彼は亡き先輩がどのような情景の中で逝ってしまったのか、葉子のように重ねてしまっていたはずなのだ。


「給仕長も休憩ですよね。よろしかったらどうぞ」

「ありがとう。ちょうど欲しかったよ」

「篠田給仕長も、桐生給仕長とおなじ、ブラック派なんですね」

「そう、お揃い」


 まだ目が潤んだままの彼が、葉子の手元からソーサー&カップを受け取ってくれる。

 そのまま、デスク椅子ではなく、そばにある小さな丸椅子を引き寄せて、そこに腰を下ろした。


 葉子も日課である午後の休憩中に、本日アップする秀星の写真を閲覧する。


 ルールを持っている。『SNSにアップする日付とおなじ日に撮影されたものを選ぶ』ことにしている。

 十二月のこの日の日付に撮影されたものを、葉子は秀星が遺した写真データから検索して探し当てる。


 白鳥台セバット。そこで飛来してきた白鳥が優雅にくつろいでいる写真を見つける。

 いや、これは春先にも同じようなものをアップしたな。ほかにないかなと葉子はこの日と同じ日付の写真を閲覧する。


「あー、俺が初めてハコちゃんのアカウントを見つけた時も、白鳥が湖にいる写真だったな。白鳥台セバットという場所なんでしょ」


 窮屈そうな丸椅子に座ったまま、後ろから葉子の動向を眺めていたようだった。


「え、篠田さん。そんな早めに、私のアカウント見つけてくれていたんですか」

「もっちろーん。今年の五月ぐらいだったかなあ~。北星は自然にも敬意を払っていたと思うというコメントがあったんだ」


 父が秀星の遺産相続人として特別縁故者になったのは今年の二月。三月の秀星命日を初日として葉子のアカウントで写真画像をアップする活動も開始。白鳥台セバットの写真を投稿したのは、それからすぐのことだったと思う。


 そのあとしばらくしてすぐの五月、篠田給仕長は神戸で葉子のSNSアカウントを見つけてくれていた?


「ええっとね。この日の写真だったかな」


 篠田給仕長も、スマートフォンを取り出し、彼の画面には『ダラシーノ』アカウントが開かれる。


「ハコちゃんを発見した日に見た写真をブックマークしているんだ」


 SNSアプリのブックマーク欄から、その日の写真を彼が表示して葉子にスマートフォンを差し出してきた。

 覗くと、そこには白鳥台セバットの写真と、葉子が写真に合わせて付け加えたコメント表示されている。


『雪解け前の白鳥セバットにいる白鳥たちです。北星はとても穏やかで静かな人でした。ですが、仕事には厳しい方で、対価をくださるお客様、食材や生産者への敬意を忘れない方でした。自然のひとつひとつにも敬意を払っていたのだと思います。この白鳥が飛び立つ前に、別れを惜しんでいたのかもしれません』


 覚えのあるものだった。これをブックマークまでしてお気に入りにしてくれているらしい。


「これを見てすぐに思ったのは『先輩がまだそこにいる』だったよ」

「そうだったんですね……。秀星さんの面影を感じてくれたんですね」

「うん、その時も涙でちゃった」


 篠田給仕長は笑顔でも、まだ泣きそうな目をしている。

 騒がしい人だと思っていたが、もしかすると喜怒哀楽がはっきりと表に出ちゃう人なのかもと葉子は初めて感じた。

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