殺人洗浄《マーダー・ロンダリング》

そうざ

Murder Laundering

              1


 誰かの為に花曇り、誰かの為に泣き出しそうな空。

 午後の待ち合わせに指定されたのは、都内の某大手ホテルの一室だった。

「これは衝撃的な記事になりすよ」

 道すがら、後輩の多米来ためらいは大ネタの予感に鼻息を荒くし続けていたが、俺は社を出る時から至って冷静だった。

 編集部が広く門戸を開いている投稿フォームに送られて来た匿名情報には、或る国際的な秘密組織の内部告発をしたいとの主旨が記されていた。が、肝心の秘密組織とやらについて具体的な記述がなく、まるで要領を得ないものだった。

 このメールに無邪気に食い付いたのは、入社して未だ間もない多米来ためらいだった。功名心に駆られ、どうしても取材をしたいと言い出したら聞かなかった。

 俺は後輩の育成の一環として同行を買って出たに過ぎないが、その一方でメールに全く興味が湧かない訳でもなかった。

 金目当ての偽情報ガセネタにしては杜撰過ぎる。もっとこちらの興味を引くような、如何にも尤もらしい具体性を帯びた内容にする筈だ。


 目的のルームナンバーを再確認し、廊下に人の通りがない事を確認した後、ドアを軽くノックした。

 ドアの向こうで人が動く微かな気配がする。ドアスコープからこちらを覗いているのだろう。

 ワンテンポあってドアが開いた。

 室内はカーテンが引かれていて薄暗かった。出迎えたのは小太りの小柄な男で、大き目のサングラスが不似合だった。

「夏冬社の坂白さかしらです」

 男は俺の名刺に軽く目を通すと、直ぐに招き入れた。多米来ためらいの名刺には一瞥もしなかった。

 ノーネクタイにジャケットの男は、貴金属や時計の類も一切身に付けておらず、サングラスを無視すれば七三分けの会社員という佇まいだ。

 混血なのか、人種は特定し辛い。それでも日本語を解すと言うので、取材はスムーズに始まった。

「先ずは、どうして我々にリークしたいのか、その理由を聞かせて下さい」

「オ小遣イ、欲シイ」

 男の口調は幾らか横柄だったが、決して威圧的ではなかった。だが、余りにあっけらかんに謝礼が目当てだと言われ、俺は改めて身構えた。

 対照的に多米来はずけずけと問い掛ける。

「貴方が関わっているビジネスの全貌をお聞かせ頂けるとか?」

「殺人ヲ、買イ取ッテ、売リ捌クヨ」

「……どういう事ですか?」

「殺人犯カラ殺人ヲ、買イ取ッテ、綺麗ニ洗ウネ。ソレカラ、殺人ヲシタイ奴ニ、売リ飛バス。利鞘デ、儲ケル。解ル?」

「洗う、とはどういう意味ですか?」

洗浄ロンダリング

 ロンダリングの発音はネイティブっぽい。

 しかし、話が一向に見えて来ない。傍らでメモを取っている多米来は、目を丸くしたままだ。

「貴方は殺し屋という事ですか?」

「違ウ違ウヨ。買イ取ル、ソシテ売ル。解ル?」

「死体の処理を請け負う訳ですか?」

「死体ニ用ハナイヨ。殺人ヲ買ッテ、売ルダケ。解ル?」

 まるで禅問答だ。余り日本語が堪能でないから説明が下手なのか、それともやっぱり詐欺師の類いだろうか。

 多米来が天井を仰ぎながら言う。

「要するに、殺人犯から殺人を買い取って洗浄して第三者に売る。その売買の差額で儲けるって事ですね」

「お前、よく理解出来たな」

「理解した訳じゃありませんが、彼の話を纏めるとこういう説明になりますよね」

「ソウソウ、貴方ハ頭ガ良イヨ」

 男が満足そうに頷いている。

 勢い付いた多米来がインタビューを先導する。

「どうやって依頼を受けるの?」

「ダークウェブニ、受付フォームガ、アルヨ」

「幾らで買い取るの?」

「十万デOK」

「たったそれっぽっち?!」

「沢山ノ殺人、欲シイカラ、アンマリ出セナイヨ」

「それで買い取って、幾らで売り捌くの?」

「十万チョット」

「大した儲けにならないじゃん」

「ソウソウ、貴方ノ頭グルグル回転、早イネ」

 いつの間にか友達のような雰囲気になっている。多米来にはこういう才能があるらしい。

 俺も負けじと口を挟んだ。

「でも、殺人を売っても殺人の事実は消えない。依頼人は大して得をしないな」

「警察来ナイ、逮捕サレナイ、ホントホント、ダカラ無罪」

 もしこの話が全て本当だとしたら、彼等は警察や検察、法曹界から政治家、官僚等まで幅広い人脈に支えられた組織という事になる。幾ら何でも荒唐無稽過ぎる。


 取材は一時間程度で終了した。これ以上、戯言に付き合うのは時間の無理だと判断した結果だった。

 記事にするかどうかは編集部での検討次第である事を伝え、事前に示しておいた低額の謝礼を渡すと、男は軽くアリガトと言った。

 男は最後に言った。

「誰デモ、人ヲ殺ス事ガアル。解ル?」


              2


 それから半年程が経った或る日の早朝、俺は始発電車のシートで脱力していた。

 何故、自分がこんな時間に縁も縁もない電車に揺られているのか、失念しそうになる。眠気と興奮とが格闘し、全てが夢の出来事のようにも思えた。

 しかし、これは紛う事なき現実だ。何度目かの汗が噴き出し、冷たく乾いた着衣をまた濡らし始めた。


 ほんの数時間前まで、居酒屋で社の連中と酒を酌み交わしていた。芸能ネタを物にした俺を囲む、編集部主催の祝賀会だった。

 売れっ子の若手清純派女優が深夜のホテル街で不倫密会デート――これが一大スキャンダルに発展した。

 相手のベテラン俳優は配偶者に平身低頭の詫びを入れて事なきを得たようだが、うら若き女優のイメージダウンは大きく、数社のCM契約を打ち切られた上に、好評だったテレビドラマの映画化は凍結、その後の追跡取材の結果、自殺未遂騒動の末に違法薬物の使用疑惑まで飛び出し、今では芸能界への復帰は絶望的と見られている。

 一方で、うちの雑誌は創業以来一番の部数を叩き出した。

「何だ、酒が進んでないじゃないかっ」

「あぁ、はい……」

 俺は、浮かない顔の多米来を小突いた。

「おいっ、先ずはタレ込みを見極める目を持たなきゃ駄目だっ」

「はい、頑張ります……」

 結局、〔殺人洗浄マーダー・ロンダリング〕のネタは没になった。編集部の判断を仰ぐまでもない。俺の独断で決めた。その事が気に食わないらしい。

「社会ネタの方が格好良いなんて思ってんじゃないだろうなぁ」

「そういう訳じゃないですけど……」

「芸能ネタだろうと何だろうと、読者に受けた者勝ちだっ」


 何軒か梯子をし、社の連中と別れて自宅アパートに帰った事までは何とか憶えている。

 その後、強かに飲んでいたにも拘らず車に乗り込んだのは、スクープの成功で興奮した脳が暴走を求めていたのかも知れない。

 時刻は午前二時過ぎ頃だったろうか。

 俺は街灯のない堤防沿いを走らせていた。対岸の工場夜景が川面に逆さの図像を揺らしているだけだった。

 ここがほぼ直線の一本道なのは知っていた。人気のない時間帯とあって自然と速度が上がっていた。

 車体に衝撃を感じた。

 そこでやっと自分が睡魔に魅入られていた事に気付いた。

 車を停車させるや否や、嫌な汗が噴き出し始めた。直ぐに降りて車体を確認すると、バンパーが凹んでいた。猫でも轢いたのかと思い、ふらつきながら来た道を引き返した。

 スマホライトでアスファルトを照らしながら進むと、闇の中から不定形な染みが浮き上がった。更にその先の闇に、明らかに猫よりも大きな物体が道路の真ん中を陣取っていた。

 擦れたスポーツウエアが赤く染まり、シューズの片方は何処かに飛んでいた。ランニング中だったと思われる俯せの男は、微動だにしない。

 過去に何度も事故現場を取材した事があるが、記者はどんなに悲惨な現場でも常に一定の冷静さを持ち合わせているものだ。

 しかし、それは職業意識がそうさせているに過ぎない事を、今はっきりと思い知らされている。

 被害者の顔を確認する度胸もなかった。スクープを物にしたばかりの人間が直ぐ様、逆の立場になるなど悪い冗談だ。

 忽ち去って行く酔いの代わりに正気が頭を擡げる――否、違う。酩酊から一足飛びに狂気の領域へ迷い込んでしまったのだ。

 俺は、まだ息があったかも知れない被害者をそのままに車を走らせた。

 纏まらない思考で罪状を想像し、広告面に自分の見出しが踊る悪夢に押し潰されそうだった。自首という単語と明滅し合うように、の顔が脳裏を掠めた。


              3


 自宅アパートに転げ込んだ俺は眠る事も出来ず、テレビやネットを注視し続けた。

 果たして轢き逃げ事件の一報は、その日の午前中にはもうメディアを飾った。早朝の通勤者に発見された被害者は既に冷たい状態だったと言う。

 俺は、心の中の小さな灯がふっと消えるような感覚に陥った。

 俺は殺人犯に成ってしまったのだ。

 被害者が一命を取り留めれば、少なくとも人殺しには成らずに済んだ。心を占める何割かの部分では、助かってくれ、と思っていた。

 だが、いざ死んだとなれば、死んでくれて良かったと胸を撫で下ろす自分も居る。被害者の口から事故直後の様子が語られたら、益々こちらの身が危うくなる。

 既に死んでいたのならば、遺体を車に載せて何処かに埋めて来てしまえば良かった。事件解決の糸口になる遺体が見付からなければ、未解決になる公算が大きくなる。

 今の所、事故の目撃情報はなく、警察は捜索中であるとニュースは締め括られた。

 それでも、何食わぬ顔で出社する勇気はなかった。社には二日酔いが激しいと連絡を入れ、迎え酒を呷って震え続けた。


 昨夜、事故現場から一目散で逃げた俺は、そのまま近県の山中まで行き、そこで車を乗り捨てた。深夜だったから誰にも見られていない筈だ。それから徒歩で近隣の駅まで行き、始発電車で逃げ帰った。

 ナンバープレートを外したり、手当たり次第に指紋を拭き取ったりと、直ぐに思い付く隠蔽工作はした。それでも、事故現場には何かしら手掛かりが残っているのだろう。鑑識係の手に掛かればタイヤ痕や車体の塗膜片の他、どんな些細な痕跡からでも犯人に辿り着く。

 それでなくとも、ありとあらゆる場所に監視カメラが目を光らせている時代だ。行き当たりばったりの悪足掻きで逃げおおせる訳がないのは、仕事柄よく解っている。今からアリバイ工作をしても無駄だ。

 逮捕は時間の問題だろう。

 それでも自首に踏み切れなかったのは、俺の脳裏に一縷の望みが巣食っているからだった。

 とコンタクトを取ったのは、その日の内だった。ダークウェブには実際に受付フォームが存在した。今の今迄まるで信用していなかった事を詫びたい気分だった。

 男からの返信は即日で、殺人の買い取りに応じる旨を伝えられた。

 だけが世界にたった一人の味方だ――それが包み隠さざる俺の本心だった。


              4


 小春日和の児童公園。

 所狭しと設置された遊具に姦しい子供達。そして、ペンキの剥げ掛かったベンチに腰掛けるサングラス姿の中年二人組。

 待ち合わせ場所が前回とは打って変わって人目のある場所、それも真昼間だったので、俺は面食らい、躊躇もしたが、今は男の判断を信じるしかなかった。

「ドウゾ」

 男は穏やかな笑みで茶封筒を差し出した。

「それは、受け取れない」

「貴方、殺人ヲ私ニ、売ッタ。取リ引キ。ダカラ、私ハ、オ金、払ウ」

 不用意に人を殺して金を貰う立場になるというのは、何とも落ち付かない。

 無理に握らされた十万円の厚みを感じながら、俺は問うた。

「事件は既に報道されてるけど、大丈夫なのか?」

「ダイジョブ、ダイジョブ」

「もしかして、俺の代わりに誰かを犯人に仕立てるとか?」

「違ウ違ウ。未解決ニナルダケヨ。解ル?」

 見ず知らずの善良な市民に害が及ばないようで少しほっとしたものの、安堵には程遠い。

「もし、もし警察が訪ねて来たら、どう惚ければ?」

「来ナイヨ。ダイジョブ、ダイジョブ」

 子供が蹴ったボールが男の足下にゆっくり転がって来る。

洗浄ロンダリングと言ったね」

「ソウソウ」

 男が子供に優しくボールを手渡す光景を見詰めながら、俺は想像した。

 俺の犯した殺人が洗浄され、見知らぬ誰かに売買される――何度その方程式を復習しても、歪な数式が茫洋とした虚空を漂うだけで決して腑に落ちない。

 子供は男の顔を見ても怯えず、きゃっきゃと走って行った。

「たとえ捕まらなくたって、俺は一生、罪を背負って生きて行くんだ」

「ノーノー、貴方ノ殺人ハ、モウ貴方ノ物ジャナイ。私ガ、買イ取ッタカラネ」

「解らん」

「死ンダ人ハ、別ノ世界ニ行ッテ、キット幸セダヨ」

 気休めなのか、冗談なのか、禅問答に付き合うのに疲れた俺が居た。

「ソレニシテモ、コノ国ガ、コンナニ平和ダナンテ。殺人ガ少ナイカラ、アンマリ洗浄ロンダリング出来ナイ。商売、上ガッタリネ。モウ別ノ国ヘ行ク事ニスルヨ」

 そう言って破顔した男のサングラスの奥に、妖しい光を宿した人懐こい瞳が透けて見えた。


              5


 それから一ヶ月、半年と、仕事に追われながらも月日は淡々と過ぎて行った。

 その間、被害者家族が目撃者を探そうと駅前でビラを配っている事や、皆から愛されていた被害者の感動エピソード等が、メディアを介して耳に入って来た。それでも俺は冷静に受け取れるようになっていた。

 事件が迷宮入りの様相を呈し始めている事は、今以て身の回りに警察の影すら感じられない日常が物語っている。

 うちの雑誌でも、警察の不甲斐なさをあげつらう記事を載せた事があるが、あり来りな轢き逃げ事件に世間の関心はもうとっくに薄れている。そうなれば警察の士気も自然と弛緩して行くだろう。

 これは本当にが動き、秘密組織が裏で手を回してくれたお蔭なのだろうか。

 何れにしろ〔殺人洗浄〕を誌面で取り上げなかった事は大正解だ。一見、荒唐無稽に思える怪し気な記事でも、それが破綻のきっかけになる恐れがある。この業界に長く居るとちょくちょくそんな事例に出くわすのだ。

『では現地からの中継です』

 編集部のテレビが外電を流している。

 聞き覚えのない遠い国でクーデターが起きたらしい。軍服を来た男達が歓喜のシュプレヒコールを挙げる姿が繰り返し映し出される。軍事政権が樹立し、首謀者である国軍の大将が初代大統領に就任すると目されているらしい。

 クーデターの犠牲者は数千人単位に上るが、その大半は独裁的な政治家や腰巾着の高官、そして甘い蜜に群がる政商達であると、番組の論調は政治の腐敗を強調したものだった。

 が、大虐殺とも呼べるやり方で政権を奪取した人間が民衆の圧倒的な支持を集める現実は如何なものか、と賢しらな解説が入り、最後は次の言葉で締め括られた。

『人を一人殺しても唯の殺人犯ですが、大勢を殺したら英雄になる事があります……次は気になる週末のお天気です』

 一転、表情を和らげるアナウンサーを余所に、俺は鳥肌を抑えられなかった。

 が世界中から買い取った殺人が洗浄され、海や国境を、人種や民族を越え、遠い地の英雄にではなくの殺人として有意義に再利用されている。あの大虐殺の中に俺の殺人も含まれているのだろうか。

 理屈ではない納得が俺を平伏させた。


              6


 すっかり気持ちの良い酒を飲める日が戻っていた。俺は今、自分が本当に無罪になった事を実感している。

 今も〔殺人洗浄〕の仕組みは理解出来ていないし、心の底からは信じ切れていない。それでも厳然として平穏な生活を否定する事は出来ない。

 今にして思えば、は内部告発ではなく組織の便益を拡張したいが為に広報活動としてコンタクトを取って来たに違いないのだ。

 活動の内容が内容だけに大っぴらには出来ないが、弱小ゴシップ紙の記事であれば警察も真に受けないだろうし、知る人ぞ知る程度には宣伝になると踏んだのだろう。

 何れにしろ、真相は永遠に藪の中だ。間違いないのは、手付かずの十万円がある事、そして俺の人生が破滅していない事だ。

 千鳥足でアパートの外階段を上り、鞄から部屋の鍵を捜すのに梃子摺っていると、背後に人の気配を感じた。通行の邪魔になると思い、俺はふらふらと廊下の端に避けた。

 次の瞬間、人影が勢い良くぶつかって来た。

 何をしやがると怒鳴るつもりが、言葉が喉につかえて出て来ない。途端に脇腹が熱くなり、代わりに低い呻き声が口元まで上って来た。

「よくよく考えましたが……やっぱり許せません。彼女は僕の女神だったんですっ」

 聞き覚えのある声が俺の耳元でぶるぶると震えている。

「貴方は彼女の芸能生命を絶ちました。彼女を殺したも同然ですっ」

 鋭利な物が幾度となく俺の身体に捩じ込まれた。大量の血液が出て行くのを感じる。

 今の所、この国で〔殺人洗浄〕の存在を知っているのは俺ともう一人――多米来。

 多米来あいつが俺のスクープ祝賀会で虚ろな目をしていた理由が判った。俺は、あいつが〔殺人洗浄〕を利用するきっかけを作ってしまったのだ。

 の人懐こい笑顔が蘇る。

 も何れこの世界の何処かで誰かが有効利用し、新たな価値を持つのだろう。

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殺人洗浄《マーダー・ロンダリング》 そうざ @so-za

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