第1話/パートタイム・ソルジャーのつぶやき

 ――今作は、高橋源一郎【著】『優雅で感傷的な日本野球』(河出書房新社刊)から強い刺激を受け、執筆したものである。


 私はついこの間、殿堂入りを逃したベースボール・プレイヤーである。全盛期はリーグで最も新しく、都会的で、最もスマートなチームの主力投手だった。

 ファンは親しみをこめて、私を赤ら顔ラディ・フェイスと呼んだ。ビールの匂いだけでクラっとくるほどの下戸だが、まるでサケを飲んだような紅色の頬をしているのだ。

 今年からはチームを移籍した。万年最下位の、偉大なるチームのエースピッチャーとなったのだ。ベースにまで磯臭さが染みついた、古臭いスタジアムが本拠地だ。

 ファンは乾いた声で、私を雇われ兵パートタイム・ソルジャーと呼んだ。


 今年の秋、プロ野球界を引退した。現在はタクシー・ドライバーをしている。他の運転手と違うのは、左手の指先だ。

 長年ボールを握っていたせいか、サイの皮膚のように硬化しているのだ。もっともその左手も、今はハンドルを握るか、使のだが。

 私は正直のところ、今乗っている中古のキャブ相棒が好きではない。

 譲ってくれたベテランのドライバーは、ひどいヘビー・スモーカーで、どこもかしこもタバコの臭いが染みついているのだ。丁寧に拭き掃除もしたし、タバコ用の消臭剤も試したが、さしたる効果はなかった。

 それでも、私の相棒だ。

 においで友人を選ぶことはしない。それに、フロント・ミラーに提げられたストラップは、なかなかに愛嬌がある。小さな硝子細工のヤギだ。夜の明かりをたっぷりと吸い込んだような薄紫色をしている。

 いつものように、夜のネオン・タウンを走り、客を探す。

 週末とあって、私と同じような赤ら顔の奴らが、能天気にタクシーを探している。

 高架下の郵便局の前で、若い女が手を挙げていた。サテンのドレスからこぼれそうなほどの豊かな胸を揺らし、私に手を振っている。

 車を停めると、彼女は品なく股を広げ、後部座席に乗りこんできた。

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