■Deorbit burn(5)
寝覚めは、最悪だった。
脳裏に、呼び出し音が響いている。機動捜査官のならいとして、リンクスに届く通話の呼び出し音は、常に最大だ。緊急連絡を聞き逃すわけにはいかない。
「ああ……寝ちゃって、ましたか」
〈コーシカ商会〉での一件の後、休暇で部屋に戻りいつの間にか寝入ってしまったらしい。バイクスーツから着替えてもいない身体を起こす。
ティコさんが逃げた後、〈コーシカ商会〉の鷹見社長たちは特別捜査係が連行した。証拠隠滅の恐れあり、という判断だ。私は反対したものの、特別捜査係の嵯峨根警視の方が権限が上だ。特別参考人としての連行は、警察企業の権限のうちだった。
「ふぁい……こちら鞍掛……」
寝ぼけた、気分の悪い思考のまま、半ば無意識に通話を繋ぐ。脳裏にこだまするティコさんの声――『最初からちゃんと守ってよ』――先輩の声――『お前じゃ勝てない』――を押し流すように、リンクスが聴覚神経を震わせた。妙な姿勢で寝たことを咎めるように痛みを訴える首をさする。
『鯨井です。お休みでしたか』
「く、鯨井課長! いえ、寝ていません、全然」
『そう……ですか。ともあれ休暇中の連絡、申し訳ありません。ひとつ報告があります』
「はい。お願いします」
思考が一気に目覚める。首の痛みも忘れて耳を傾けた。左手はベッドの上に転がっていた眼鏡を掴んで顔に掛け、音声のテキスト化を走らせておく。
『参考人、鍋島 綴子の行方はいまだに掴めていません。特別捜査係の指示で、各部署が捜索を行う旨、通達がありました』
「了解です」
『その件で、貴女が持っている鍋島 綴子に関するデータの供出指示がありました。明日は出勤でしたね。その際に提出してください』
「……了解しました」
何故か、一瞬だけ応答に躊躇した。当然の指示だ。ここ最近彼女と一番接触している捜査官は私なのだから。
『そうそう。そちらに、彼女からの接触はありませんでしたか?』
「へ?」
あまりにも唐突な質問に、変な声が出てしまった。彼女のことを考えていたところに不意打ちだった。
「あるわけないじゃないですか!」
『そうですか。同年代ですし、積もる話もあるかもと思いまして。もし連絡があった場合は速やかに報告してください』
「勿論です」
『報告事項は以上です。しっかりと休暇を取るように』
鯨井課長との通話が終わると同時にベッドから立ち上がり、素早く身支度を整える。顔を洗って眠気ともやもやした感情を冷たい水で洗い流せば、多少はマシな表情になった。
もちろん、休暇を楽しんでいる暇はない。
「私も捜索に加わらないと……、あら?」
かけなおした眼鏡の片隅にメッセージの通知が届いていた。差出人は……『不明』。幾重にも
攻性ウェアが含まれていないことを確認し、念のためにリンクスではなく眼鏡型端末の方で、スタンドアロンモードにして開封する。
内容はたった一行。
『熱い夜を過ごしたホテルで会おうぜ♡』
……表現が、もう!
▼
〈
数日前、ティコさんを逮捕した場所だ。全く、奇妙な縁だった。
六階の廊下。柔らかい絨毯を踏んで、彼女と相対する。
「来たね、キヌ」
「ええ、ティコさん」
彼女の姿は……一日前、オフィスを出た時のままだ。髪はほつれ、服はしわだらけ。それでもしっかりと荷物を背負っている。私を見つめる視線には力があった。
「一人で会いに来てくれた?」
「
「よろしいわけあるか、ばーか」
べー、と舌を出して見せるティコさん。そのあどけなさに、思わず笑みがこぼれそうになって、顔を引き締めた。
腰の後ろに提げた電磁警棒を意識する。ティコさんの出方次第では、強引にでも確保しなければならない。それが私の……職務だ。
「キヌ」
ティコさんが私の名を呼び、身構える。視線が周囲を確認するように揺れる。彼女のスピードは脅威的だ。一瞬でも動きを見逃さないよう見つめる。眼鏡の動体検知が捉える枠の中で、彼女が勢いよく――頭を下げた。
「ごめん!!」
「……へ?」
「この前、〈
ティコさんの声は僅かに震えていて、絞りだすようだった。私の方はといえば予想外の展開に頭が真っ白で、なんと答えるべきか全く思いつかない。
「あの、えっと……あ、頭を上げてください……」
「…………うん」
わたわたと無駄に手を振って顔を上げてもらう。ティコさんの顔は赤く染まっていて、少し不安げに私を見ていた。その表情を見て、ようやく少し落ち着く。彼女が本気で謝ってくれているのだから……答えなければ。
咄嗟に私も謝ろうとして、唇を開きかけて、閉じた。謝るとは、誤りを認めることだ。そうでないのに口先だけで謝罪するのはむしろ無責任だろう。
あの場で、私は誤ったことを口にしただろうか。数秒考えての結論は、否、だった。
「どういたしまして。私は……撤回はしません。市民を守るのが私の職務です」
「うん。わかってる。キヌは『正しい』」
……苦笑されてしまった。お見通しという感じだ。頬が赤くなるのを感じる。
「あの場で正しかったのはキヌだけだ。だから、その……謝りたかったのと、助けて欲しい」
「助けて……ですか」
声が厳しくなりそうなのを抑える。もちろん、理解している。彼女が謝罪してくれたのは言い過ぎたという点だけで、素直に守られてくれるとは言っていないのだ。
「うん。荷物を届けたい。でも、私だけじゃどうしようもない……悔しいけど。すっごい悔しいけど」
本当に悔しそうな声。本音だと全身で告げるように力が入った立ち姿。
そこにプロフェッショナルを見たというのは、少々大袈裟な表現だろうか?
「NFL-セキュリティには頼れない。でもキヌなら、と思ったんだ。お願い……助けて」
「……、私は、機動捜査官です。重要参考人である貴女を確保して、本社に同行してもらうのが一番『正しい』」
わかりきった答えだ。常識でもそうだし、鯨井課長からもそういう指示が出ている。
「でも」
――でも、と。脳のどこかで、声が強く響いていた。
NFL-セキュリティの
目の前の少女は、市民を襲う脅威か?
それとも、今まさに権利を奪われようとしている、守られるべき市民か?
「わかりました」
「……キヌ?」
「本当は荷物を渡して欲しい。ですが、どうしても渡せないというのなら……私が随行します」
厳密にいえばちょっとだけ命令違反かもしれないが。先輩たちから教わった機動捜査官の心構えは、助けを求める少女を見捨てるなと強く命じていた。
……それに。正直なところ、今回の特別捜査係の動きは少々強引すぎる。荷物を確保したいのは確かだが、無辜の市民を犯人扱いしたり、〈コーシカ商会〉の従業員を拘束したりするのはやりすぎに思えた。
「ありがと……」
ティコさんの身体から少しだけ力が抜けるのがわかった。義足からも脱力を感じるのは、彼女の神経が『
「どういたしまして。……そうと決まれば、まずは移動しましょう」
「うん。あ、ちょっと行きたいところがあるんだけど、遠くてさ。バイク乗せてくれる?」
「……タクシー代わりに使わないで欲しいのですが」
「頼りにしてるってことだってば」
ホテル地下の駐車場へ移動し、
「――、――!」
風を切って走るバイクの上では、会話は難しい。何を騒いでるんだか。無線で返答する。
『どうしました?』
『やっぱりバイクも気持ちいいね!』
『……それだけですか?』
『え、うん』
……呑気というか、大物というか。
『私が裏切って、あるいは追跡されて、危機に陥る……とは考えないのですか?』
『もちろん、心配はしたけどさ……キヌなら頼れるかな、って、勘』
ハンドルを握る手に、少し力が入る。
『私を捕まえに来た時さ』
『いえ、決して捕まえに行ったわけでは』
『こんなの全然納得できません、ってすっげー嫌そうな顔してたじゃん、キヌ』
『…………本当ですか?』
『無自覚かよ。かわいいか』
ばんばん、と背中を叩かれた。パワーアシストを身に付けているからその程度で運転が乱れることはないが、鼓動は乱れっぱなしだ。
『信じるって判断したのは私。騙された時は自分の判断が違ってた、相手が上手だった、ってそれだけだよ』
『自立した考え方、ですね。……市民の方からの信頼には、答えなければなりませんね』
アクセルを開き、夕方から夜へと移り変わっていく都市を走り抜ける。徐々に伸びていく影を追って、西へ。
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