2-03

 彼の喘息発作が治まるのを待ってわたしは食事をいったんストップし、てててと小走りで先輩のほうに向かいながら途中でパイプ椅子を一脚つかんだ。


「おはようございます、レト先輩。よかったら使ってくださいね」


 ぺこん、軽くお辞儀して椅子を窓際に立てた。


 開かれた窓からちょっと強めの風が吹きこんだ。彼の赤い髪が風に煽られ目にかかり、先輩は鬱陶しそうにかたちのいい眉をしかめる。それでなくてももともと人相が悪いのに、鋭い眼光がさらに険悪になって、そのままわたしを敵でも睨むような目つきで睥睨した。


 この魔法社会で「正常に」取り繕うことすらもせず剥きだしにされた無骨な黒い義手はどっからどう見ても明らかに機械仕掛けで、その腕で髪を目から払いのけると、不機嫌まるだしで煙を外に吐きだした。わたしはまっすぐに先輩を見あげて微笑んでみせる。


「脚によくないですし、お昼休みなんですから、せっかく一服するならぜひ座ってどうぞ」


「……」


 一瞬、彼が腰のホルスターに手を動かしかけた。


 わたしは笑った。


 撃ちたきゃ撃てばいい。


 後ろのほうで「ジェトゥエさん今日も懲りずに……」「あんな社会不適合者なんか放っておけばいいのにな……」とひそひそ聞こえてくる。


 わたしはほかの人たちみたいに彼をこわがらない。みんながこわがっているのは死だ。誰彼構わず発砲しまくる「絶対零度の復讐者」ことレト・∨。世界に十人ちょっとしかいない優秀なSランク国際戦闘資格者。機構屈指の死刑執行人。


 撃ちたきゃ、撃てばいい。


 機密情報がぎっしり詰まった魔法管理機構は全館が原則〈セキュリティー〉で窓を施錠されているけど、一一〇階の執行課は〈分煙〉をかけられない先輩一人のためにわざわざ昔ながらに窓を開ける。窓はもちろん魔法無しでは開かないので〈セキュリティー解錠〉をして、窓からの侵入を防ぐ〈セキュリティー〉もそのたび余計にかける規定になっていて、執行課の先輩たちが当番制で毎日代わり番こにやっている。


 とんでもなく特別待遇だ。機構がそれを許すくらいレト先輩は上に気に入られた人物なのだ。目立つもんね。レト先輩も同僚たちに窓のことでいちいちお礼を言ったりしない。いつもあたりまえだって様子だ。


 先輩がまた喘息を起こしかけて吸入器をつかんだ。頻繁に発作になるのに煙草を吸うのは一種の自傷行為だとわたしはおもう。心底からこの人を嫌いだと再確認する。


「……失せろ」


 発作が落ち着いてきてから短くわたしに命じた。


「あはは、レト先輩ってば頑固なんだからぁ」


 わたしは彼がいっこうに座ろうとしない椅子を彼の脚にごんごんぶつけた。


「そちらも大概だな」


 死刑執行人というよりどちらかというと執行される側みたいな悪人顔で吐き捨ててくる。


「いいじゃないですか、先輩たまにしかここにいないし、わたしお喋りしたいです。今日はどんな現場に行っていたんですか?」


「休憩時間なんだろ。休憩したいから話しかけるな」


「休憩時間だから休憩らしい日常会話しましょうよ。わたし先輩のこともっと知りたいです。そのうちバディ組むんですよ、知りたくて当然でしょ? ね、今日はどんな現場だったんですか? Sランクの武勇伝とか聞かせてください」


「こちらは別にあんたを知りたくない。知ってもらいたくもない。失せろ」


 ――あ?


 てめえ社会人だろうが。と、わたしはおもったのでめっちゃにこにこ満面の笑みを浮かべた。


 愛想よく振る舞うことも社会人として最低限の義務だ。常識だ。人間は支えあって生きていく。一人では窓を開けることだってできなくてみんなが代わりにやってくれているのに、職場の人間関係をなんだと考えてるんだろう。


 自己中心的で、自分だけが優秀で、自分が世界一可哀想。喘息発作を起こすのに堂々と人前で煙草を吸ってみせて、怪我だらけで職場をうろつき、義手だって自然な肌の色とやわらかさのやつをいくらでも選べるのに、黒い機械を袖に隠しもしないでわざと見せびらかして、事件被害者であることを延々と主張する振る舞いで、みんながみんな自分を尊重してくれるべきだと信じて疑わない自己憐憫。


 わたしには現時点でそう見える。材料不足だから断言はしないけども。


 話しかけるのは、こんなクズを変えてあげるためではなかった。人間は変わらない。誰がなにをしようと彼は勝手にクズであり続ける。わたしは学びたかった。人間関係の完全攻略は不可能なんだけど、できる限りいろんなタイプの視点を持ち、思考回路を理解し、人と人のあいだに立って翻訳できるような大人になりたかった。


 ちょうどいいサンプルだ。


 レト先輩が拳銃をホルスターからゆっくりと抜いて躊躇無くわたしへ向けてくる。


「もう一度言う。迷惑だ。失せろ」


 撃つ気までは無さそうだ。わたしをビビらせたいんだろうな。後ろで「ジェトゥエさん……!」と何人かが叫んだ。視線だけで刺殺できそうな睨みにさらされながら、わたしはのんきににっこり微笑み続けた。


 ――あの貧乏人、登校してくるだけで迷惑だよねー!


 ――それな! マジ存在が迷惑う!


 ――あははははは!


 ――ねーえ、ジェトゥエさぁん、迷惑だから世界平和のために死んでくんない? 貧乏臭くて、カビとゴミの臭いで空気汚染されちゃって、クラスメート全員が病気になりそうなの……。ね、いのちを救うとおもって、死んでくれないかなあ?


 ――ふはっ、はっきり言いすぎ!


 ――死ーね! 死ーね! 死ーね!


 銃口の穴がわたしを正面からとらえている。


「わあ、銃って間近で見るとすっごくかっこいいですね! これはレト先輩の私物? 支給品でしょうか? あの、ちょっと持ってみてもいいですか? 引き金は触らないので! レト先輩お願い!」


 死は、黒よりも黒い。上から何色の魔法を重ね塗りしても意味なんて無い。人間は生まれてから百年かそこらまでのどっかで確実に死ぬ。「出生とは死に至る病気である」的なことを言った有名人いなかったっけ。魔法は決して万能じゃなくて、一回死んだらどんな魔法をかけたって二度と生き返らない。現代社会で数少ない「取り返しがつかない項目」の筆頭だ。


 撃てばいい。


 わたしは自分を不幸だとはおもわなかった。世界には比べものにならないくらい不幸な人なんてごまんといるし、というかなんにも苦労していない人間は一人もいない。生きるということはそれだけで全員等しくしんどい。みんないろんなものをかかえたまま学校や職場などの社会生活に支障がでないよう笑顔を浮かべて頑張っている。


 此処は地獄ではないのだ。わたしは殺されかけることに慣れているただの天国の住人だもん。


「先輩が話さないならわたしが話すので聞いていてくださいね。あの、さっき国営放送で最新映画の特集?っぽいのやってたんですけど、わたし気になることがあって、」


 銃声が耳元をかすめていった。わたしは話を続けた。


「奇形の天使事件覚えていますか? 被害者に魔法で無理やり縫いつけられていた羽根について、以前資料をちらっと見せていただいたんですけど、映画の特集にでてきた地名が」


「休憩時間中だ」


 再度銃声が耳元をかすめていった。

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