第4話ナリデ・ズブンサナル(なりたい自分になる)

ひと目見てその意地の悪さがわかる顔つきの、金髪の男は、さも面白いものを見つけたというように肩を揺らしながら歩いてきた。

その顔に見覚えがある。この人は確か――。


「ヴァロン――? あなた、どうしてここに――?」

「あァ、誰がひっついてるかと思えば、お前、お茶汲みのレジーナかよ?」


ゲヒヒ、と小馬鹿にしたように笑い、ヴァロンはぐい、とレジーナの顔を覗き込んだ。


「なんだァお前、なんでこんな田舎モンと一緒にいるんだ? 股でも開いて小遣い稼ぎでも始めたのかよ? 一見してもコイツは上客じゃなさそうだけどなァ」


下品な物言いと共に、ヴァロンは拳でオーリンの頭を小突いた。

厄介な人間に捕まった――レジーナは内心に歯噛みした。


ヴァロン・デュバル――巨大冒険者ギルド・イーストウィンドで第一線を張るSランクの剣士である。

この国でも希少な【魔剣士】のスキルを持ち、その天才的な太刀筋と圧倒的な魔力量で幾多の死線を掻い潜ってきた歴戦の兵。

王都どころか大陸一円に名声が轟く冒険者の中の冒険者だ。


だが――その性格はお世辞にも、人の範となるべきようなものではない。

己の希少なスキルを鼻にかけ、ギルドメンバーを完全に見下し、弱いやつは仲間ではないとコケにして恥じない性格。

仲間の背中越しに攻撃を放つこともしばしばと言われ、何人かは実際に彼の手にかかって命を落としたのだとまことしやかに囁かれる評判の悪い男だ。

圧倒的な実績がありながらも、その素行の悪さからギルドマスターのマティルダにとってはまさに目の上のたんこぶとなっている男だった。


レジーナはなるべく平静を装いながらヴァロンに言った。


「ヴァロン、悪いけど今は取り込み中なの。絡むなら後にして」

「なんだァお前、いつからS級に意見するようになったんだ、ランク外のお茶汲みの分際でよ、ええ?」


厄介なことに――その時のヴァロンの声からも、強く酒の匂いがした。

参った――レジーナは自分の不運を呪った。ヴァロンはその性格の悪さ以上に、それに倍する酒癖の悪さを王都中に知られている男なのだった。

虫の居所が悪ければ見境なく客をぶちのめすこともしばしばで、一度暴れ出したら王都の衛兵隊が束になってかかっても敵わない。

畢竟、この男が酒場で暴れるたびにイーストウィンドの名声は地に堕ち、その巨額の賠償はいつもギルドの方で負担することになるのだ。


「ところでオーリン、聞いたぜ。お前、マティルダからギルドを追放されたんだってなァ」


ヴァロンはごつごつと拳でオーリンの頭を小突いた。

ゲヒヒ、と、ゴロツキそのものの笑い声を上げ、ローブの中のオーリンの顔をさも面白そうに覗き込む。


「しかも追放理由が笑っちまうじゃねぇか。なに喋ってるかわからねぇから追放って――俺は笑いが止まらなかったぜ、えェ? こんな理由でクビになった人間はこの世にお前ぐらいだろうな、おい」


オーリンが顔を上げ、ヴァロンの顔を睨むように見た。

無表情の中にも、明らかな軽蔑を潜ませた視線がカンに触ったのか、ヴァロンの眉尻が痙攣した。


「んだよお前。なんだそのツラは? なんか言いたいことあるのか、ええ? 言ってみろよ、どうせなに言ってんのかわかんねェだろうけどなァ」


途端に、ヴァロンの身体から猛烈な勢いで酒の匂いが漂い始めた。

ただでさえ赤い顔が更に赤黒く変色し、オーリンに食いつくように顔を寄せる。


「俺は慰めてやろうとしてんだよ、あァ? これからどうすんだ、お前。背中丸めて田舎に帰るんだろ? 餞別に俺が笑ってやろうってんだよ、ありがたく笑われんのがお前らザコの仕事だろうが、違うか? おい、なんとか言えよ――」


それでも、オーリンの表情は筋一本動かない。

まるで彫像のような無表情でヴァロンの顔を睨み続けている。

それを見ながら、ヤバいヤバい、とレジーナは言いようのない緊張を覚えた。


この流れはよくない。何しろ、ヴァロンは性格は最悪だが実力は本物だ。

ここで殴り合いにでもなればオーリンといえど全く敵わない実力者なのは間違いない上、一度暴れ出したら気が済むまで暴れ続ける――そういう男だ。


咄嗟に、レジーナはオーリンの腰のあたりに抱きつき、ヴァロンから引き剥がそうとした。


「ね、先輩。気にしちゃダメですよ。お互い酔ってるんですから、ね――?」


その一言に、ヴァロンがレジーナを睨みつけた。


「んだよお前、俺が難癖つけてるとでも言いたいみてェだな」

「あ、いや、そんなことは――とにかく先輩、行きますよ! ほら――」

「待てってんだろうが!」


ヴァロンに髪の毛を掴まれ、有無を言わさずに引っ張られる。

突然捻じ曲げられた首の痛みを呻く間もなく、酒臭いヴァロンが顔を寄せてきた。




「そういやお茶汲み、お前のスキルも確かクズみてぇなスキルだったな。【通訳】――だったか、お前のスキル? こりゃ傑作だよ。そんなクズスキル持ちのくせに、よくイーストウィンドの門を叩けたもんだって、俺たちよくお前のこと噂してんだぜ?」




せせら笑うヴァロンの声に、じりっ……と、レジーナの心の底が燃えた。


そんなことはわかっていた――自分は、根本的に冒険者などには向かない人間であることは。

オーリン以上に、自分の持っているスキルが、冒険者向けではない、何の役にも立たないスキルなのは、自分がよく身にしみてわかっている。




なにしろ、十五歳で行われるスキル覚醒の儀式で発現した自分のスキル。

それは憧れだった【回復術士】でも【魔導師】でも、【剣士】ですらない――【通訳】という、意味不明なスキルだったのだから。




そのせいで友達はレジーナのことを遠巻きにするようになった。

露骨に馬鹿にされるようになり、今まで仲がよかったはずの友達さえ、レジーナの周りからあっという間に離れていった。

十五歳で人生が一変した後、レジーナのもとに残った友達らしい友達は、【通訳】のスキルを使って意志が汲み取れるようになった犬猫などの動物たちだけとなった。




人間がどれだけ軽薄で、能力や素質で人を差別して恥じない、残酷な生き物なのか。

まだ十九歳でしかないレジーナは、既に骨の髄まで知っていた。




けれど――どれだけ馬鹿にされても、自分には夢があった。

立派な回復術士になり、傷ついたり、苦しんだりする人々を助けるという夢が。


如何に自分にその才能がなくても。

求められていない人材であったとしても。

必死に努力し、経験を積めば、いつかは芽が出るかも知れない――。

それに一縷の望みを託し、王都の回復術士の下で数年の下積みを経てから、レジーナは冒険者ギルドの中でも最大のギルドであるイーストウィンドに加入したのだ。


「おお、そうだそうだ。お前のクズスキル、この何言ってんのかわかんねぇクソ田舎者とはお似合いじゃねぇの? どうせコイツと一緒にいるってことは、お前もマティルダに一緒に追放されたんだろ、な? 今からこいつの馬の糞だらけの田舎に帰って世帯でも持ちな。餓鬼でもこさえりゃそこそこ幸せに――」


その一言に、レジーナの怒りが燃え上がった。

ギリッ、と歯を食いしばり、ヴァロンのニヤケ面めがけて唾を吐きかけてやる。


びちゃっ、と頬に汚れが張り付いた途端、ヴァロンが一瞬で青ざめるほどに激昂した。


「このアバズレが――!」


その怒声と共に、レジーナの顔に鋭く痛みが走る。

うっ、と顔を背けて手で覆うと、ぬら、と鼻から滴った鮮血で掌が汚れた。


思わず、キッ、とヴァロンの顔を睨みつけ、レジーナは涙目で吐き捨てた。


「このクズ!」


その一言に、ヴァロンの両眼が零れ落ちんばかりに見開かれた。


「このアマ――! 今なんつったァ!?」


馬鹿、殴られたぐらいで済むならまだマシじゃないか――!

冷静になれと叫ぶ頭を無視して、レジーナはなおも言った。


「クズ、って言ったのよ! このチンピラっ! アンタみたいなクズ男に馬鹿にされる筋合いなんてないんだから!」


真正面から罵声を浴びせ、レジーナは殴られた頬を押さえながら叫んだ。


「才能がない、スキルがない、だからなに!? だったらむしろ上等だわ、私は努力してちゃんとやりたいことをやる! なりたい自分になってみせる! アンタみたいにスキルを鼻にかけただけで偉ぶってるドチンピラとは見てる世界も考えてることも違うのよ! わかったらさっさとどっか行け、この酔っ払いのドクズ男ッ!」

「言わせておけばざけやがって――!!」


完全に正気を失った目を剥いたヴァロンが、大きく拳を振りかぶった。

殴られる――! レジーナがぎゅっと目を瞑った、その瞬間だった。




「【拒絶マネ】」




その声は鋭く、雷鳴のように響き渡った気がした――。


いくら待っても、殴られる衝撃が来ない。

え――? と薄目を開けたレジーナは、次の瞬間、驚愕に目を見開いた。




「なによ、これ――?」




目の前にあったのは、光り輝く幾何学模様の魔法陣。

不思議な色に発光した障壁魔法がレジーナの目の前にあり――自分の鼻を潰すはずだっただろうヴァロンの拳を、真正面から受け止めていた。



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