第3話ワ・スゲネデア(私は寂しいです)

「ちょ、ちょっと先輩! どこ行くんですか!」

「宿など取らねぇ。田舎さる」

「どうやって!」

歩いてあさいでいぐさ。二本の足でな」

「何を言ってるんですか! 落ち着いてくださいよ!」


危なっかしい足取りで王都郊外へ歩いていこうとするオーリンの前に回り込みながら、レジーナは大声を出した。


「いいですか!? 落ち込んでるのはわかりますけど、落ち着いてください! 大体歩いていけるわけがないでしょう!? なんの用意もなしに、お金も持たずに!」

お前ったごでねぇ。とにかくほっといでけで」

「ほっとけません! ギルマスの命令なんです!」


レジーナは粘り強く言い張った。

あくまで諦めるつもりのないレジーナに、ほとほと呆れたというようにオーリンは言った。




「わごどあんつでけでるのばわがるけどよ、わんつかすつけで、なよ。なすておらだけんたこものさかがわりあいになんだば? マツルダさんさはなんどでもしゃべれるべや。ほっどげっつの」

【俺のことを心配してくれているのはわかるけれど、ちょっとしつこいぞ、お前。何故俺のようなつまらない人間に関わってくるんだ。マティルダさんにはなんとでも言い訳ができるだろう。放っておいてくれと言ったんだ】




「あなたがそれでよくても、私はあなたを放っておけないんです!」


なんで私がこんな田舎者の説得なんか――。

あまりに頑固なオーリンの言葉に、業務上の命令だとわかっていても、なんだか腹が立ってきた。

レジーナは小さな体を精一杯背伸びさせて、1.5倍は背の高いオーリンの顔を怒鳴りつけた。


「本当に先輩はいいんですか! お父さんとお母さんの期待を背負って田舎から出てきて! それでいいんですか!」


つい、言わないでおこうと思っていた言葉が口を衝いて出たのは、その時だった。

父と母。その言葉に、オーリンの碁石のような黒い瞳が激しい動揺に揺れた。


「ギルマスから聞きましたよ! 先輩は五年前、田舎から王都に出てきたそうですね! お父さんとお母さんの期待を背負って! せっかく王都で五年も頑張れたのに、ちょっと挫折したからって諦めて家に帰る、それが本当に先輩の望んだことなんですか!?」


その言葉に、オーリンの顔がぐしゃっと歪んだ。

途端に、今までのほろ酔い気分とは違う、殺気のようなものがオーリンの身体から放たれる。

しばらく、レジーナの顔を怒ったように睨みつけてから、オーリンは思いがけないことを言った。


「――おらほのごどば、お前ってらか」

【お前、俺の田舎のことを知っているか】


レジーナは首を振った。

オーリンは静かに語り出した。




「わの田舎ば、アオモリどいう」

「アオモリ――?」




思わず、オウム返しに訊いてしまった。

アオモリ――それはこの国で使われている言語のどれとも違う、不思議な語感。

レジーナも知らない秘境の名前だった。




「知ゃねべな。東と北の間の、この大陸一番の辺境だ。ふともあまり住んではねぇ。もぢろんギルドなんつものもねぇ。王都でばあるものが、アオモリだばなんにもねぇのさ。東には広大なおそろすね砂漠、西は人ば寄せつけよさらせねぇ深い森、南には巨大なでったらだ湖、北の果てには、この世の地獄――。砂と山ばりの土地で、冬は何メートルと雪コば積もる不毛の大地だ」




レジーナの顔から視線を外し、オーリンは遠くを見つめながら言った。




「懐かすぃなぁ、もう五年もってねぇのが――。アオモリにはトラやコブラもいるし、ゾウもいて、そらだは大きく、太古のままに生きている――。わの子供わらすの頃の遊びといえば、オイワキ山やハッコーダ山から降りてくるドラゴンの子っこを捕まえで遊ぶごどであった――」

「ど、ドラゴンがいるんですか……?」

「へ、お前には想像もつかねぇべな」




オーリンは魁星が輝く地平線の向こうを眺めた。

奇しくもそれはオーリンの故郷がある方角――東と北の間だった。




「わはそこのツガル村どいうどごで生まれ育た。平和などこでさ、リンゴやとうもろこしキミ美味くてな――わのばリンゴ屋であった。全体そうだども、おら家は村でも特に貧しがった。それでも、わのお父どおっ母はおらを何不自由なぐ育ててあずがってくれだ」




はぁ、とオーリンはため息を吐きながら言った。




「この国でば、十五歳のどき、儀式でスキルっつうものを覚醒させるべや。さば【魔導師】のスキルがあってった。おとおっかぁは喜んでくれでな。お前の才能ばツガルで腐らせるあめらしぇるわげにはいかねぇ。きっとお前は都会で眩しくまんつこぐ輝く星コさなってこいど――借金して支度して、立派におらを送り出してくれた」




それも、今日で終わりだ――。

そう言うように、ガックリとオーリンは俯いた。




どうやってどすて謝ったらごめんすたらいいべ、お父どおっ母さ――」




その時、レジーナの印象が間違いでないならば――。

オーリンはおそらく、隠さず泣いていたと思う。




「村だ総出で送り出してくれだのに、アオモリの訛りが元で追い出されたぼださえだなんて、おら、申し訳もしゃげなくて親さも友達けやぐさも言えしゃべらいねぇよ――」




オーリンは頭を抱え、胎児のように体を丸めて慟哭した。


今までの苛立ちもどこへやら――レジーナは情けなく背中を丸め、深く絶望しているオーリンに、なんだか深い同情を覚えた。

今までは単なるうだつの上がらない田舎者だとばかり思っていたが、オーリンの絶望には、とても同情せずにはいられない切実な背景があったのだ。


そうだ、彼にとってお国訛りとは、単になかなか取れない障害ではなく、遥か先にある故郷を誇りに思う気持ちそのものだったのだ。

だが、皮肉なことにその訛りが彼の将来を閉ざしてしまうなんて――それは考えただけでとてもつらいことであるに違いない。


「先輩……」


思わずレジーナがオーリンの背中に手を回し、その広い背中をさすった、その時だった。




「おっ、お前、オーリンじゃねぇの?」




ガラの悪い声が聞こえ、レジーナは顔を上げた。



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