銀麗奴隷チョウの過去回想 2

 チョウは、後になってから知った話が多いです。

 『ああ、あの時のあれはそうだったんだ』と後になってから何度も思いました。


 魔王の五覚は、それぞれが単独行動をしています。

 思うがまま戦場を荒らし、思うがまま人間の領地に現れ、思うがまま人間の英雄を殺して、思うがまま王城を落として去っていく。

 意識的に、のように振る舞っているようなフシがある魔族です。


 だから人は勝てません。

 『無知全能の眼』の配下部隊に援護された魔王の五覚が撤退している時、それを追い詰めるのは、どんな人類にも叶わないからです。

 その場にある戦力で迎撃することしかできないから、勝てないのです。


 魔王の五覚はそれぞれがバラバラに動いて、思うがままに破壊します。

 逆に言えば、各個撃破できる可能性がある……なんて、戦略的主張はずっとあるらしいですけどね。

 魔王の五覚は、国という単位で選りすぐられた英雄達を含む国軍ですら、単騎で殲滅する化物達。

 加えて、万人単位の軍勢を投入する準備をしている内に、魔王の五覚はさっさと消えてしまいます。


 フットワークに優れた数人の精鋭部隊を編成して、魔王の五覚が現れたらすぐ投入して倒すしかない、のですけれども。

 数人じゃ戦力が足りません。

 魔王の五覚は倒し切れません。

 論理の上で、魔王の五覚は絶対的に無敵と在るのです。


 一人を倒すだけでも歴史的偉業。

 五人を倒した勇者カイニは生ける伝説。

 そういう論理があります。


 まあ。


 チョウにとっては、別の意味で記憶に残っている存在ですが。






 あの老人に運命を告げられて、数年が経った冬の日だったと思います。

 雪は降っていませんでしたが、空を曇天が覆っていました。

 刺すような寒さを、仄かに覚えています。


 チョウは老人のことを憶えていられませんでしたが、心の奥底には、あの老人に言われた内容が刻み込まれていました。

 チョウは幸せになってはいけない。

 チョウは子供を作ってはいけない。

 チョウは誰とも愛し合ってはいけない。

 チョウは世界の敵。

 勇者がいつか、チョウを殺しに来る。


 チョウは毎日のように怯え、眠るたびに寝ている間に殺されることを恐れ、夢の中で『恐ろしい勇者』に追いかけられ、岩の影が人影に見えるだけで飛び上がるような、臆病者の毎日を送っていました。


 誰にも相談なんてできません。

 だって、誰もチョウとなんて話してくれませんでしたから。

 チョウはあの老人に言われたことからようやく、チョウが家族や同族から距離を取られている理由を理解しました。


 彼らにとってチョウは、チョウが不機嫌になるだけですぐさま食べられてしまうという、恐怖の対象だったのです。

 子供は何も知らないまま本能的に『自分と違う同族』を嫌い、大人達はチョウから距離を取り、村長はチョウを縛ろうとして、家族は言いつけを守らせようとして。

 誰もが、チョウをおぞましいけだものだと思っていたのです。


 そして、チョウは。

 愚かしくも、『嫌だ』と思ってしまったのです。

 絶対に幸せになれず、誰とも深く繋がれず、最後に勇者に悪者として殺される人生を……『嫌だ』と思ってしまったのです。

 何年も、何年もかけて。


 チョウは、谷を飛び出しました。

 谷の外にある、外の世界に期待して。

 とにかくここから出れば、どうにかなると希望を持って。

 今より悪くなることはないと、何の根拠もなく明日を信じて。


 皮肉ですよね。

 チョウは、初めてために、絶望から逃げるために、チョウを助けてくれる希望を求めて、生まれて初めて希望を求めたのです。

 絶望を知って初めて、希望を知ったのです。


 でも。


 外にはきっと良いものがあるだなんて、チョウは何故信じていたんでしょうね。






 谷を出てすぐ、チョウは一人の男と出会いました。


 冒険の書の記録に残された記憶として在るこのチョウだからこそ、今だからこそ、思えることですが……あの老人が何かの形で情報を流して、谷に隠れ住んでいた皆のところまで、あの男を誘導したんじゃないかって思います。


 直接は殺せない、とかそういうことを言ってましたから。


「やぁ、お嬢ちゃんよぉ、この辺の子?」


「え……だ、誰ですか……?」


うらぁ旅人でねぇ、ちょいと道を聞きたいんだがぁね」


 優しそうなお兄さんに見えたのです。

 本当に。

 今振り返ってみると、魔道具で見た目を変えていたのですよね。

 『存在に一本棒を差し込むように正体を偽装する魔道具』……あれは希少で入手困難な魔道具ですが、人間でも魔族でも使えるという話を聞いたことがありますから。


 だからチョウは自分の人を見る目を信用していません。

 キタさまが信じた人を信じています。

 チョウだけの判断で……目の前の人の善悪を判断するのが怖いから。


「え、村への道……ですか……?」


「そんな警戒するこたぁないんだよぉ、ちょちょいと教えてくれればねぇ?」


「……」


 チョウは警戒……いえ、極端な人見知りから、その男を優しそうなお兄さんだと思いながらも、信用して会話することができませんでした。

 たぶん、この頃のチョウなら、誰が相手でもそうしていたと思います。


「まいったなぁ、『お嬢ちゃんが信頼できると判断できるものなんて持ってない』……おんやぁ、たまたま持ってたようだねぇ」


「あ……そ、それ、おとうさんとおかあさんが言ってました。右上にその形のマークがあったら、冒険者ギルドの偉い人なんだって。その人が村に来てたら、村長のおうちに連れて行くようにって。冒険者ギルド偉い人だったのですね」


「へぇ……こわぁいこわぁい魔獣でも出た時の話でもしたかったんかねぇ、ひひ」


「?」


「いんやぁ、そうさそうさ。ギルドの偉い人さぁ」


 本当に、あっという間に、チョウはその男を信用して、村に案内しました。

 後から聞いた話ですが、人は操れないんだそうですね、あの舌は。

 物や、大まかに形の無いものしか操れないとか。

 だから、能力も恐ろしいですが、あれの恐ろしさは使い手が悪辣で悪知恵が回るという、その一点に宿ってるんだと思います。


 それから、少しして。


 村は燃えました。

 いえ、正確には、チョウ以外の全員が殺されてから、村が燃やされました。


 ぐちゃぐちゃになっていた気持ちを憶えています。


 自分の迂闊な行動のせいで、その事態を招いてしまった自責。

 家族がバラバラにされたのを見た衝撃。

 肉塊に変えられた同族を見て、自分もこうなるんじゃないかっていう恐怖。

 どうすればいいのかまるで分からない困惑。

 何かをしなければいけないのに何をすればいいのか分からない焦燥。

 チョウを虐げてきた人達がもういない、という歪んだ喜びに似た解放感。

 突然世界に一人で放り出されたみたいな、自由と裏表の不安。

 昨日まで話していた人達がもういない悲痛。

 それをやった男への怒り。

 それをやった男への怨恨。

 それをやった男への畏怖。

 それを引き起こしてしまったチョウへの……憎悪。


 ああ、でも。

 本当に、悲しかったから。

 チョウは、ずっと、ずっと……同族や家族に受け入れて、認められて、許されて、あの村に自分の居場所ができることを、願っていたのかもしれません。


 それを壊したのも、チョウだったのですけどね。


「あ……あ……あ……あぁぁぁ……」


「いやぁ、人間と魔族の戦争してんだからさぁ、盤上全部ひっくり返すような大魔獣を復活させかねない血統はぁ、加熱殺菌しておかないとねぇ」


 知らなかったのです。

 人類にとっても、魔族にとっても、魔獣の時代の魔獣が大敵だったなんて。

 世代交代で魔獣の脅威を忘れている人も多くなってきた人類より、魔族の方がずっと、魔獣の時代の魔獣を脅威に見ていただなんて。

 だからあの男は殺しに来たのです。

 蒼月の銀狼を、一匹残らず。

 それが一番妥当な、先祖返りを出さないための方法だから。


 あの男は笑っていました。

 舌をだらりと垂れ下げて、魔道具でも隠しきれない顔をして。

 笑っていたのです。


「あんがとぅねぇ、君のおかげだぁ、うらぁ本当に助かったともぉ。おぉ、そうだぁ、お礼をしてあげねぇとなぁ」


 男は笑って。いや、嘲笑って。


 チョウの額に、人差し指を当てた。


「『君は絶対に幸せになれる』! 自信を持って生きなさい! まぁ、殺すが」


 ささやかに運命に干渉して、未来を確定させる。

 そのくらいのことなら、あの男はできるそうです。

 たとえば数秒後に相手を転ばせるくらいなら、相手は勇者が相手であってもできると、そう本人が言っていました。


 あの男が『幸せになれる』と言ったということは、チョウは『幸せになれない』ということ。


「あっ……あっ……あぁぁぁっ!」


 チョウは必死に逃げました。


 でも、地面で滑って転んで。

 逃げようとした先は、燃えて折れた大木が塞いでいて。

 倉庫の裏に隠れようとしたら、倉庫が崩れて、

 チョウが逃げようとすればするほど、逃げられる所が無くなっていって。


 まるで、と言っているみたいに。


 どこにも、逃げ場はありませんでした。


「あっはっはっは、うらぁ鬼ごっこは好きさぁ」


 チョウはがむしゃらに逃げました。

 本当に……なんで、あんながむしゃらに逃げたのか、その時のチョウには全然分からなくて、自分で自分を不思議に思いながら、恐怖と焦燥に背を押されて、何度も転んで、何度もぶつかって、何度も炎に炙られて、走って逃げました。


「はぁっ、はぁっ、やだ、やだぁっ……!」


 死にたくなかったのです。

 チョウは。

 死を前にして……人生に何もいいことがないまま死ぬのが、怖くなったのです。


 チョウは生きたかった。

 チョウは幸せになりたかった。

 チョウは誰かに抱きしめてほしかった。

 殺されそうになって初めて、それを強く自覚しました。


 でも、幸せになれないことを確定されたチョウは、上手く逃げることもできず。

 泣きながら、とにかく必死に逃げました。

 何度も転んで、腕も足も擦り切れて。

 折れた木や、砕けた石が、お腹とか、足とかに刺さってて。

 ぼろぼろ泣いて、必至に走って。

 その時は気付いていませんでしたが、いつからか、あの男の声は聞こえなくなっていました。


「はぁ、あぁ、あぁぁっ、あああああっ……!」


 空から何か降ってきたような気がしました。


 何かが戦って爆発していたような、そんな音が聞こえた気もします。


 ただ、何かを判断できるようなことが憶えていません。


 全てに背を向けて必死に逃げていたチョウは、何故チョウが逃げ切れたのか、その肝心な部分を何も憶えていないのです。


「ワタシの魔力探知に引っかかるレベルの魔力を使ってから足踏みとは、珍しい」


「───ぃッ!!」


「ここで貴様が何をしていたかワタシの知ったことではないが」


 ただ、とにかく逃げて、逃げて、逃げて。


 走って、走って、走って。


 谷の外の世界へと、チョウはようやく踏み出しました。


 それまで知っていた世界の全てと、欲しかったものの全てを代価にして。


 もう、父や母に認められる奇跡も、同族と分かり合い手を取り合う奇跡も、チョウは皆を傷付けないと知ってもらう奇跡も、起こる余地はなく、皆死んで。


 チョウは、ひとりぼっちになったのです。


「発見。抹殺する。これ以上人間の領土を我が物顔で歩き回られても困る」


「上等だァ! テメェ程度でうらぁを殺せるとでも思ってんのかぁ?」


「失笑。でかい口を叩くようになったな。若造」


「てめっ……! 『空を埋め尽くすほどの炎は其処には無い』!」


「消失。凍結。我が前に全ての炎は在れずEECEDEABEAEAEAEEEEAFECAECEA


 何時間走ったかも憶えていません。


 とにかく走りました。


 谷の外の世界なんて知りません。どっちに何があるかなんて分かりません。


 逃げる途中で靴が脱げていて、足の裏にいっぱい石や鉄の欠片が刺さって、それでも走って、足の裏の皮が剥がれて、土と血が混ざったものがびっしり足の裏に張り付いて、幸運が無くなってるチョウは何度も転んで、それでも走って。


 カイカヒ村に、そうして辿り着いたのです。


 誰も出入りしていない村外れの小屋の中に、こっそり忍び込んで、倒れるように寝転んで、気絶するように眠りました。


 浅い眠りと一瞬の覚醒を何度か繰り返して、何度も何度も、殺された時の両親の声、燃やされていく子供達、八つ裂きにされる老人達、チョウを責める同族の言葉を……悪夢に見て。涙を流して、飛び起きました。


 チョウが体を起こしたその時、小屋の外に、雪が降っていたのです。


 手を伸ばして、雪を手に乗せてみました。

 チョウの人生で唯一、綺麗だと思ったそれを。

 そうしたら、雪は溶けてしまったのです。

 当たり前のことだったのですけどね。

 でもその時のチョウには、涙が止めどなく溢れ出すくらい、悲しかったのです。


「あ……あああ……あああっ……」


 美しいものにチョウが触れたら、消えてしまう。

 チョウが触れようと思わなければ、この雪だって消えなかったのに。

 チョウが希望を持たなければ、何かを望まなければ、それを欲しがらなければ、それが失われなかったかもしれないのに。

 家族も、同族も、雪も、何もかも。

 チョウが何かを求めようとしたせいで、消えて、失せた。

 チョウのせいで。


 そう思ったら……チョウは、自分が嫌いで、嫌いで、仕方がなかったのです。


「うっ……」


 色んなものを感じました。


 孤独。

 空腹。

 寒さ。

 乾き。

 不安。

 自責。

 憎悪。

 憤怒。

 悲嘆。

 苦痛。

 喪失。

 失意。

 恐怖。

 絶望。


 でも、たぶん、チョウに与えられた罰としては、軽すぎるくらいでした。


「うっ……ええっ……うえええっ……ぐすっ……あああっ……」


 お腹が減って、喉が乾いて、足は痛くて、転んだ時に擦りむいたところから血が流れて、ボロボロの服に血と泥が染み付いて、上着も無いからずっと寒くて、寒さに震えて……ああ、そういえば、爪も割れていた気がします。


 奴隷として捕まっていた時より、この時のチョウの方が、ずっとみすぼらしくて、みじめだったと思います。


「なんで、なんでっ……チョウが悪いの……チョウが悪いなら……ごめんなさいするから……ゆるしてっ……チョウが全部悪いから……全部戻してぇっ……」


 何に謝っていたんでしょうね、チョウは。


 誰に謝っても、もう戻らないものは戻らないのに。


 過去を変えて死んだ人を救うことなんてできないと、知ってたはずなのに。


 ……幼いチョウは。浅ましくも、自覚が無かったのです。


 に、まるで自覚が無くて。許されるためだけに、虚空に向けて、謝り続けていたのです。


 何一つ償わないまま、謝り続けて、泣き続けるだけの悪しき幼子だったのです。


「ああうっ……えぐっ……うええっ……えうっ……あっ……ああああっ……」


 泣いて、嘆いて、嗚咽を漏らして。


 泣き疲れたらそのまま眠って。


 カイカヒ村の片隅で、犯した罪に比べたらあまりにもささやかな罰を、受けていました。そのくせ、チョウは救えないことに、『当たり前の罰だ』と思わずに、『夢なら醒めてほしい』だなんて、思っていたのです。ただ、辛いというだけのことで。


 あの老人が言っていた、チョウは世界の敵で、皆のために死ななければならないという話は、皆のために勇者に殺されなければならないという話は、チョウは皆を害するという話は、正しかったんだと……確信してしまったのが、悲しかった。

 チョウは、同族も、家族も、老人も子供も何もかも、全員殺した、最悪の悪魔。


 チョウの愚かさのせいで、皆殺された。

 チョウの愚かさのせいで、チョウは一人ぼっちになった。

 チョウの愚かさのせいで、チョウはこんなに苦しんでいる。


 いつか、正しい人に……勇者に殺されなければ、善悪の帳尻が釣り合わないと、そう信じるようになっていました。




 そしてこれが、という、チョウの風聞の正体。

 あの能力と初見で戦った人達と、チョウは違います。

 チョウはただ初見のふりをしていただけなのです。

 あの能力を知っていたから対応できただけなのです。


 魔王の五覚と初見で単独で戦い、生き残った人類はいない。

 少なくとも、表向きはそうなっています。

 だから生き残っていたチョウは王都最強であると、そう語られました。

 それは虚偽です。

 チョウは……皆の前で、あの五覚とかつて会ったことがあると言い出せなかっただけなのです。

 恐れから、自分の罪を、皆の前で語ることができなかっただけなのです。


 チョウはただ、浅ましく、保身しか考えてない、許されぬけだもの。


 それ以外の何かではないのです。


 運命をなぞって、どこかに生まれているという英雄と両思いになって、魔獣に堕ちて、勇者に討たれ、その罪の報いを受ける。そうならなければならなかった。


 チョウは幸せになってはならなかった。


 でも、あの人は───

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