第二章 世界を救うためなら、なんだってしていいのか?

また会えたから、また頑張れる

『どんな過去でも一つだけ、変える権利を君にやろう。滅びと引き換えに』


「おねがい、おとうさんを……おとうさんをたすけて……」


『おっ……思ったよりちっちゃい子だったな……ぼくどうしよ……』






 キタ。

 カイニ。

 ダネカ。

 チョウ。

 四人が、早朝の大通りにて邂逅した。


 ざわざわと、周囲の人々が反応している。

 この王都で、キタとダネカのことを知らない者はほとんど居ない。

 王都冒険者の頂点たるS級、その脳と心臓とも言える二人。

 そして今は、まことしやかに不仲が囁かれる二人だ。


 衆人環視の中、キタとダネカは睨み合う。

 いや、違う。

 睨んでいるのはダネカだけだ。

 キタは礼儀として、そして友情のため、視線を返しているだけ。


 不仲であると言うよりは、ダネカが一方的に敵対心を剥き出しにしていて、キタはむしろそれにどう対応して良いのか分からなくなっているということが、誰の目から見ても明らかであった。


「おい、なんだ。お前まだ王都に居たのかキタ」


「……まだ一日も経ってないからね」


「また俺に殴られるのが怖くねえのか? って言ってんだよ」


「っ」


 ダネカが鼻を鳴らして、黄金の剣の柄を指先で弾く。

 キタは追放時の拳の痛みを思い出し、やや身構えた。


 『早く王都から出てけよ』という響きがあった。

 『早く俺から逃げろ』という、もう彼の中に残っていない残滓の残照があった。


「へえ、知り合い? 紹介してよ、お兄さん」


「カイニ」


「まぁ紹介されなくても、もうなんとなく分かっちゃう気もするけど」


 カイニがキタを庇うように前に出る。

 チョウがカイニからダネカを庇うように……いや、ダネカを庇うような動きに見せかけて、ダネカの蛮行からキタを庇うために、チョウがダネカの前に出る。

 ダネカは噂の凱旋勇者に──キタがいつも言っていた幼馴染の勇姿に──舌打ちし、キタが得た新たな安全圏を知って苛立たしげになっていた。


 『僕のお兄さんを睨むな』と言わんばかりに、キタがダネカを睨む。

 『邪魔だな』と内心で企みを広げ、ダネカが今後の算段を始める。

 『キタさまが味方と出会えてよかった』と、チョウは内心ほっとしていた。


「帰んな勇者。こいつは俺達だけの問題だ」


「いやあ、お兄さんの問題はボクの問題だから」


「空気読めよ。部外者のお前が口出せることじゃねえんだ。帰ってミルクでも舐めてろよ、お兄ちゃんに甘えっぱなしの『カイニちゃん』?」


「へぇ」


 ダネカが表情を歪め、挑発的に勇者カイニを威圧する。


 周囲の一般人達がざわついた。

 真なる勇者、刻の勇者のことなど、一般の人間は誰も知らない。

 彼らにとって、勇者カイニこそが唯一無二の救世主である。

 誰もがカイニに感謝している以上、無礼な態度など取れようはずもない。


 にもかかわらず、狂ったダネカは明確に勇者カイニを煽っていた。

 『世界を救ってもらった恩』など、感じていないと言わんばかりに。

 周囲がダネカに向ける視線の色に、軽蔑の色合いがいっそう増した。

 ダネカはその視線に気付いていないが、気付いているチョウは、耐えられない何かの気持ちから逃げるように、視線を路面に向けた。


 カイニも退く気はない。

 キタは罪を憎んで人を憎まず、を地で行く勇者の心の者である。

 されどカイニは偽勇者。

 惚れた男がボコボコにされて追放されたと聞いて許すわけがない。


 そりゃあもう、内心は怒りでグツグツ煮え滾っていた。

 本来なら速攻ダネカの顔面に音速超えのパンチを叩き込んでいたところだが、キタの意見と優しさを尊重し、まだ手は出さないでいるようだ。

 まだ。


「いや、ね。ボクはこれでも勇者やってたんだけどさ」


「んだよ、知らねえやつはいねえだろ」


「色んな人と、彼らが果たしてきた役割の大切さを見てきたつもりなんだ。だからお兄さんに恨まれかねないやり方で、ヘタクソに、必要だったお兄さんを追放したのってどんな愚か者なのかなって思ってたんだけど……会って印象は変わったかな」


「……何?」


 カイニの瞳が、ダネカの瞳を捉える。

 狂って、壊れて、濁った目。

 その瞳には、カイニの狭く深い人生経験が培った幼い慧眼であればこそ見抜くことができる、今のダネカの本質があった。


「生粋の悪にお兄さんが騙されてたわけじゃなかったんだね。まあ、お兄さんは寛容なだけで、悪人を善人だと確信することはめったにしなかったもんなぁ」


「何が言いてえんだよ」


「いや、『かわいそうなわるもの』系の人だとは思ってなかったからさ」


「───」


「キミと似たタイプの人を何人か見てきた気がするけど、さて。キミは何がきっかけで壊れちゃったのかな?」


 カイニが、ダネカから、キタを庇って守っている。

 その時、ダネカの脳裏に記憶の断片が蘇った。


───お前がずっとお前のままでいたら、いつかきっと、『かわいそうな悪いやつ』がお前の敵になる。そしたらお前は手加減しちまうかもしれん。そういう時はな、俺が代わりに『かわいそうな悪いやつ』をぶっ飛ばしてやんよ!


 けれど、壊れ果てた記憶の残骸は、意識の上まで上がってこれない。

 ダネカがキタに捧げた誓いは、泡沫と消える。

 自分が何かを思い出していることに自覚を持てず、されど現状に対する不定形の苛立ちだけは募って、ダネカはギリッと歯を食いしばった。


「カイニ、あんまり喧嘩腰にならないでくれ。僕はダネカに聞きたいことがあるんだ。僕はまだ、僕が追放されるに至った経緯に違和感を持ってる」


「えー……まあ、いいけど。ごめんね、売り言葉に買い言葉しちゃって」


「いいんだ。庇ってくれてありがとう。でも僕は、ダネカを今でも信頼してる」


 キタは変わらない。

 成長するが、根幹の部分にある『誰かの救いになれる心』はそのままだ。

 裏切られても。

 追放されても。

 暴行されても。

 ダネカが言っていたところの『黄金の輝き』を、保ち続けている。


 今もなおキタは、ダネカを心のどこかで信じている。

 黒龍の企みなどものともせずに、ダネカの人生に敷かれている『救いのない終わり』へと続くレールに、無自覚に叛逆し続けている。

 それだけが、今のダネカに在る希望だ。


 けれど。

 ダネカは、変わらぬ黄金であるキタを見て、喜ばなかった。

 むしろ、苛立っていた。

 何をしても変わらないままであるキタに、ダネカの脳が沸騰する。

 『俺なんぞが何しても気にしねえってか、偉そうに』という怒りが爆裂する。


 キタにそう在り続けて欲しいと思ったあの日の自分さえ、ダネカは失っていた。


「その目で、俺を見るな」


 その時。

 一般人には、ダネカの右腕が消えたように見えた。

 ダネカは瞬時に腰の後ろに手を回し、安価な鋼鉄のナイフを投擲したのだ。

 キタの頭部、左目を狙って。


 流れるような投擲、デタラメな動作速度、針の穴を通すような精緻な技術。

 一般人では反応もできない。

 ダネカに背を向けているチョウも反応できない。

 ナイフはキタの左目に吸い込まれるように飛翔し───カイニの手刀が、ダネカを遥かに上回る動作速度にて振るわれ、ナイフを空中でへし折った。


 ギャリィッ、と、鉄が力で無理矢理引き千切られたような音と共に、折られたナイフがすっ飛んで建物の屋根の上に転がっていく。

 速度、腕力、技量。

 全てにおいてカイニはダネカを明確に上回っているということを、今の一瞬で見せつけたのだ。カイニが、ダネカに。


 それは、獅子の群れの威嚇に似ていた。

 強き獅子が群れの近くの肉食獣を攻撃し、力の差を見せつけ、群れの子供を守ろうとする時のような、そんな印象を受ける凄烈な手刀。

 勇者カイニは、容姿可憐なれどその在り方は獅子奮迅。

 群れの愛し子に手を出すことは許さない。


「可愛いご挨拶だね。どうしたの? 何かいいことでもあった?」


「……チッ」


 カイニのバカにするような声色に、ダネカの怒りが更に膨らんでいく。

 しかし、攻撃の意思は逆に萎縮していた。


 『今の自分の持つ攻撃手段ではどうやってもキタに傷一つ付けられない。勇者カイニが守っているからだ』。

 それが、壊れてなお優れた戦術眼を持つダネカの結論だった。

 殺したいが殺せない。

 そんな状況にダネカは歯噛みする。


「……」


 キタを守ってキタの前に立つ、そんなカイニを、チョウが見ていた。

 眩しいものを見るように。

 心の底から感謝するように。

 妬ましそうに。

 羨ましそうに。

 憧れるように。


 キタの隣に居る自分、好きな人を守っていく自分、幸せな未来の自分を諦めたチョウの瞳には、数え切れないほどの感情が入り混じって渦巻いていた。


 『私がそこに居たかった』という、少女の心がねじ切れてしまいそうなほどに強い羨望の視線が、カイニへと向けられていた。


 チョウはその気持ちを振り切るため、首を振る。

 押し込んでも押し込んでも、溢れ出してくる気持ちがあった。

 それでも抑えられなければいけないと、チョウは自分を戒めた。

 周囲のざわめきを獣の耳で拾い上げ、銀狼は褪せた黄金に語りかける。


「ダネカさま、人が見ています。このままだと『明日への靴』自体への深刻な悪評に繋がりかねません」


「だからなんだ」


「街中でS級PTリーダーと元仲間が戦闘行為をしたとなれば、ギルドも重い問題として扱います。どんな理由があっても、どんな言い訳をしても処罰は避けられないと考えられます。よくてS級からの降格、最悪の場合は……」


 ダネカはにこりと笑った。

 笑って、他の人間には聞こえないよう、チョウの耳元に口を添え、囁く。


「健気だな。好きな男を守りたい女ってやつは」


「───」


「今、逆らったな? 俺に」


 チョウの忠告がダネカとPTのことを思ってのものではなく、ただ『ダネカからキタを守りたい』というだけのものであることなど、ダネカはすぐに見抜いている。


 それが、ダネカを苛立たせる。


 だから、首輪はチョウを締め上げる。


「きゃっ……うっ……ぎゅぅっ……ぐっ、くっ、ゔっ……」


 チョウが苦しみ、倒れる。その手は首輪に伸びるが外れるわけがない。


 周囲の人々の間から、小さな悲鳴と義憤の声が上がった。


 カイニが不快そうに目を細め、キタが血相を変えてチョウに駆け寄る。

 キタが何をしても首輪はどうにもならなかったが、チョウは窒息という地獄の苦しみの中、チョウの手を握ってくれるキタの体温に、少しだけ救われたような、少しだけ幸せなような、そんな気持ちを感じていた。


 キタはチョウを助けようとしつつ、ダネカを睨みつける。

 おそらくキタは、ダネカがどんなに変わっても、『それだけ』はしないと、心のどこかで思っていたのだろう。


「ダネカ! 止めろ! !? 分かってるのか!?」


「そりゃあ、分かってるが?」


「……っ。ダネカ! 僕がなんでもする! なんでも渡す! だからこれをやめてくれ! 君しか解除できないだろう、首輪のこれは!」


「ちょっとお兄さん!?」


「だめ……で……す……きた……さまっ……」


 カイニは嫌な予感から止める。

 チョウは地獄の苦しみの中、確かな確信から止める。

 ダネカは、愉快そうに口元を歪めた。


「へぇ~。なんでもするのか」


「不可能はあるが、僕にできることならなんでもする! だからチョウを!」


「じゃあ、ここで土下座しろよ、俺に。誰もが見てる、ここで! 『僕は心の中で君をバカにして見下してましたごめんなさい』ってよぉ! 謝れっ!」


「え……僕は、そんなこと思ったことはない! ダネカにそんなこと!」


「言えよ! 言え! 思ってただろ! 言えよキタ! 言えっ!!」


「思ってない! 僕は一度もそんなことは思わなかった! 本当だ!」


「言えって言ってんだよクソ野郎っ! 言って、土下座して、謝れ!!」


 チョウの首輪が、更に強く締め上げられる。


 チョウを助けようと至近距離に居たキタは、チョウの首の肉が軋む音を聞いた。


 言葉にならないチョウの声が漏れ、チョウの苦しみを自分のことのように感じたキタの表情が一瞬くしゃっと泣きそうになり、キタは毅然とした表情でダネカへの嘆願を決断した。


「分かった! 言う! 言って土下座するから! チョウを先に解放してくれ!」


「お兄さんっ!」


 カイニは『こんなやつが約束を守るわけがない』と言おうとした。

 人質を取って、要求をして、散々痛めつけた後、約束を守らない。

 そんな悪人達の所業を、カイニは嫌になるほど見てきたから。

 先に首輪を緩めることなど絶対にしないだろうと、カイニは確信していた。


 けれどダネカは、普通に先に首輪を緩めた。


「けほっ、かほっ、げほっ、ゲボッ、けほっ」


「チョウ! ゆっくり、ゆっくりでいいから、喉に負担かけないように、まず吐くことを意識して。肺の中の悪い空気を吐き出すんだ。吐いたら肺は自然と吸うから」


「ありが、と……キタ、さま……」


「いいんだ」


 キタとチョウの触れ合いを、ダネカが舌打ちして忌々しそうに見ている。


 カイニは思った通りの行動を取らなかったダネカに、少々皮肉げな声色で、されど探りを入れるような意図で、話しかけた。


「お兄さんが約束を守るって信じてるんだ、キミ」


「は? 何言ってんだテメェ。わけわかんねえこと言ってんなよ」


「……」


 壊れているのか。

 狂っているのか。

 カイニには、その判別がつかなかった。


「約束は守れよ、キタ。きっちり額を地面に擦り付けろ」


「ああ、分かってる。ちゃんとやるよ。チョウを先に解放してくれてありがとう」


「……」


「でも。チョウを傷付けたことは、必ず後で反省させて、謝らせるからね」


「……テメェの、そういうところが、俺は……」


 キタがダネカに土下座すべく、膝を折る。

 キタとて、皆が見ている中で土下座して、思ってもいないことで謝罪させられ、自分の非を認めさせられるということに、思うことがないわけではない。

 それでも、約束を破るのは良くないと、キタはそう思うのである。


 遠巻きに見ていた市民の何人かが、それを止めようとした。

 彼らは、かつての依頼でキタによくしてもらった者達だった。

 だが、その誰よりも早く動いていた者がいた。

 カイニである。


「いや、ボクからすれば、その約束守る価値ある? って思うんだけど。意見と同じで、守る価値あるものと無いものってあると思うよ、約束ってやつには」


「カイニ、下がってて」


「いやいやいやいや、あのさぁ、お兄さん」


 カイニはキタを引き起こすように土下座を止めて、ダネカを睨む。


 カイニの中で、ダネカは既に許せる一線を越えていた。


 勇者の真珠色の髪の表面で、刺々しく弾けた魔力が、七色の光粒を揺らす。


「ボクにもお兄さんを尊重して我慢できることとできないことってあるんだよね」


 戦闘が、始まる。


 勇者カイニと黄金の戦士ダネカが戦う。


 その場の誰もが、その予感を得た、その瞬間。


 睨み合うダネカとカイニの間、ちょうどその中間の路面に、青い針が何十本と飛来して、路面に突き刺さった。


「こらー! けんかはやめなさーい!」


『ロウナ! 何やってんのロウナ! もうさいあくっ! ちょっとだけって言ったでしょ! あれ見てあれ! 刻の勇者だよ! ほらもうぼくら詰みかけてる!』


「でも! けんかはめーなのよ!」


『ロウナーっ!』


 近くの建物の屋根の上に、年齢二桁になるかならないか、という年齢の少女が腰に手を当て立っている。

 髪はふわふわの薄桃色。

 頬を膨らませ、そのポーズは『わたしおこってるのよ』と言わんばかり。


 その手の上に、青い針が何本か、不思議な力で浮かんでいた。

 どうやら今の針は、その女の子が飛ばしたものだったらしい。

 見たことのないタイプの魔力感と攻撃形式に、ダネカは目を細めた。


「……なんだ、あいつ? ガキ……か?」


 そして、カイニは。


 戦慄し、驚愕し、困惑していた。


「っんな、バカな……なにこれ、なにこれ……!? なんで絶滅存在ヴィミラニエが成立してすぐに過去に戻って時間改変してないの……!? なんで現在の時間軸で喧嘩の仲裁なんてやってんの!? こんなのボクは一度も……」


 かくして。


 勇者キタと絶滅存在ヴィミラニエの戦い、その第二幕が始まった。

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