■■■■■■■■ 3

 目が覚めた時、ダネカはシサマと名乗った黒龍アンゴ・ルモアとの記憶も、その前に見たアオアとヒバカの記憶も失っていた。

 それどころか、いくつかの感情も欠損していた。

 ダネカはダネカのまま、ダネカらしさのいくつかを『銃殺』され、自分が何を失ったかも分からないまま、人生を再開した。


「んあ、なんでこんなとこで寝てたんだっけ俺……」


 ダネカは帰路につき、朝の市場でキタとチョウを見かけた。

 二人で並んで、楽しそうに歩いている。

 時折、チョウが見惚れるように、ぼうっとした目線をキタへと向けていることが、遠巻きに見ているだけでも分かった。


 デートかよ、とダネカが思って。

 黒い気持ちが、胸の奥から吹き出して。

 それを普段問題なく抑えきっている理性が、力なく押し負けた。

 ダネカの瞳に、ドロっとした憎悪が浮かぶ。


 ギリッ、と噛み合わされた歯が軋む。

 ダネカは道端に痰を吐き捨てた。

 昨日までのダネカなら、決してしないような振る舞いだった。


「よう、お二人さん! 仲良いじゃねえか、おい」


「おはよう、ダネカ。朝帰りとか珍しいね。今日は三人で朝の市場巡ろうと思ってたのに、君が居ないから二人でうろうろすることになっちゃったよ」


「おう、悪かったな! 昨日、でっけえ剣頭虫がいてよ、追いかけてたらな」


「……え、でっかい剣頭虫? 虫決闘で言うとどんくらい?」


「ギラファノコギリ剣頭虫やヘラクレス剣頭虫よりデカかったぜ」


「うおっ……マジか……そりゃ仕方ないな……おつかれ、ダネカ」


「男子二人だけの会話だと急に知性が引き下がるのは何故なのですか、キタさま」


 されど、ギリギリ踏み留まった。


 ダネカでなければ、相手がキタでなければ、横でチョウが見ていなかれば、踏み留まれていなかったかもしれない。


「おはようございます、ダネカさま。今日の朝ごはんはダネカさまの好きなハイパーアルティメッドレッドチキンスープですよ」


「おお、いいな!」


「このチョウのオリジナル料理、名前だけが慣れない……」


 キタがうんしょうんしょと買い物を荷台に積んでいく。

 大食いのメンバーも居るPTで、五人分の食料となるとそこそこの量だ。

 こうしてまとめて買い出す時は、荷台が必要な時もある。


 キタが荷物を積んでる後ろで、ダネカとチョウがこそこそと話しだす。


「デートは楽しかったか、チョウ」


「デっ……! そ、そういうのではありません。チョウは従者。キタさまは御主人様です。身の程は知っています。忠義を尽くすことさえ許していただければ、それ以上にチョウが求めるものなど何も……」


「好きなのは否定しねえんだな」


「あ」


「……気付いてなかったよ。お前、こんなに好意隠すの苦手だったんだな」


「あ、あぅあぅ」


 チョウが顔を真っ赤にして、銀色の髪とメイドのヘッドセットで顔を隠す。


 ダネカは陽気に笑って、その下の心の顔をひび割れさせていた。


「なあ、チョウ。なんか平等じゃなくね?」


「……? えと、平等というのは」


「キタを贔屓して俺のことは軽く扱ってんなぁ、って話」


「え。そんなつもりはありませんが、そう感じられたなら、チョウが至らなかったせいです。申し訳有りません。誠心誠意、今後もお仕え致します」


「キタのことが好きなんだろ? じゃあ俺のことはどうでもいいんだよな」


「そ、そんなことは! ダネカさまも間違いなくチョウの恩人です! ダネカさまを軽く扱うことなど、他の誰でもなくチョウ自身が許しません!」


「でもよ、たとえばさ、誕生日プレゼントとか選ぶ時さ、俺のを選ぶ時とキタのを選ぶ時で、キタのを選ぶ時の方が長かったりしてねえか?」


「え……」


「そういうのあるだろ? って話」


「……それは……もしかしたら……チョウが気付いていないだけで……そういうこともあるかもしれませんが……」


 ダネカはチョウが好きだった。

 チョウとキタに対して昏い気持ちを持っていた。

 だからダネカはそれをそのまま吐き出した。

 チョウが困ると、困った顔も可愛いと思う気持ちが湧いてくる。

 もっとやろう、という気持ちが湧いてくる。

 普段のダネカなら、発言する前に思い留まっていただろう。


「なあ、チョウ。お前の首輪に刻まれてる主人の名前ってなんだっけ?」


「……ダネカさまです」


「なんで俺の名前が入ってんだっけ?」


「それは……ダネカさまがお金を出して、チョウを買ってくれた、書類上の主人であるからです。でもダネカさまは一度もチョウを無理矢理従えようとはせず、首輪の力も使わず、仲間として扱ってくれて、それが嬉しくて……」


「普通さ、キタより俺の方を大事に扱うもんじゃねえのか?」


「……え?」


「お前が奴隷市場から助かったのは俺が金を出したお陰だろ?」


「……ダネカ、さま?」


「相応の態度ってあるんじゃねえか、チョウ。常識的な範囲でよ」


 くしゃっ、と。


 先程まで笑っていたチョウの表情が、苦しげに潰れた。


「失礼します。先に帰っていますね」


 チョウが荷物の積み終わった荷台をひったくるように奪い、荷台を引いて駆け出していく。

 見たくないものから目を逸らすように。

 認めたくないものに背を向けるように。

 後に残されたダネカが鼻を鳴らすと、難しい顔をしたキタがその肩を叩いた。


「ダネカ」


「よう相棒、どした?」


「今のは、良くなかったんじゃないか」


「あ?」


「チョウは君に感謝して、尊敬してた。それは君の恩を着せない振る舞いに、親しい距離感に、救われた気持ちになってたからだ。それを……」


 自分が間違った時にキタが止めてくれる。

 だからダネカはキタを相棒として信頼していた。

 だが、今のダネカは違う。

 ダネカはキタの忠告に耳を貸す気がなく、キタのダネカを思っての言葉に、鬱陶しげな表情を見せた。


「チョウが俺に失望したって?」


「いやそこまでは言ってないよ。今後気を付ければ全然……」


「どうでもいいんだよンなことは」


 肩に乗ったキタの手を乱暴に振り払い、舌打ちしたダネカは歩き出していく。


 キタは振り払われた手とダネカの背中を交互に見つめて、首を傾げた。


「……んん?」


 違和感はあっても、『機嫌が悪いのか』程度の印象に留まり、ダネカの最大の理解者であるキタでも気付くことはできない。


 何故ならば、この行動も言動も、ダネカの中に最初からあったもの。ダネカがおおっぴらに表に出さないようにしてきた気質にすぎない。何年もダネカと一緒にいれば、今のダネカを思わせる振る舞いの兆しを何度か見ているはずだ。

 ダネカは操られているのではない。

 いつもなら堪えている場面で、言ってしまう。やってしまう。それだけだ。


 理解者であればあるほどに、「ダネカは機嫌が悪いとそういうことをする時もある」という認知を得てしまう、黒龍が仕組んだ最悪の構図。


 チョウはダネカの悪い部分をあまり理解していなかった。

 だから「彼がそんなことを言うなんて」とショックを受けた。

 キタはダネカの良い部分、悪い部分をよく理解していた。

 だから「ダネカはこんなことを思ってることもある、普段は絶対言わないけど」という受け止め方をする。


 黒龍アンゴ・ルモアの『壊し方』は、「理解者であればあるほど違和感を持てない」という極めて最悪の壊し方である。


 それでも僅かに違和感を持てたのは、キタとダネカが、魂で認めあった相棒だったがゆえの、何かがあったからだろうか。






 極めて段階的に、ゆっくりと、誰も違和感を持たないペースで、ダネカの変化は進んでいく。

 正確には、既に破壊は終わっている。

 水面に投げ落とされた石の波紋が、ゆっくりと全体に広がっていくように、既に終わった破壊が、ゆっくりとダネカそのものへと影響を現していく。

 そういう風に、黒龍の銃弾は破壊した。


 何故ならば黒龍は、『この世界における基本知性レベルにおいてどの程度の人格変化ならば違和感を持たれるか』という研究を、何百年と繰り返してきた、人格破壊を極めた絶滅存在ヴィミラニエであるからである。


 神王歴2494年。

 仕事で知り合ったジャクゴを仲間に加え、『明日への靴』は躍進を続ける。

 病巣を抱えたままに。

 頭部に病巣を抱えたダネカが、リーダーというチームの頭部の病巣になってしまっていた。


 キタとダネカは15歳に、チョウは13歳になった。


 そして毎週のように、キタとダネカは二人で楽しく遊びに行っていた。

 今日は『投げ当て屋』である。


 人間の身体構造は投擲に向いており、狩猟や戦闘では長らく投擲が使われてきたという。当然、この世界でも様々な武器を投げる戦闘技術が定着している。

 そして戦争で銃撃が発展すれば、射撃が娯楽になっていくように、この世界では投擲という娯楽が発展していった。

 剣投げ、槍投げ、ダーツ投げ、等々。

 参加料を支払って、指定の武器をぶん投げて、的に当たれば大商品。


 今また、ダネカが投げた剣が動く的の中心に突き刺さった。


「ヒュ~!」


「イェ~!」


 キタの拍手と歓声が上がり、ダネカはぐっと拳を構えでドヤ顔を披露。


 ダネカは、自分の心が砂の城のように崩れていっている実感を持ちながら、その実感に対して自覚的になることができず、自分で自分を理解できていなかった。


 それでも、親友と遊んでいる時だけは、自分らしい自分で在れているような気がしたから、そんな時間をとても大事にしようとしていた。


 それは、砂になって水に流れていく自分の心を拾い集めようとするような、何もかもが無駄な足掻きであった。


 楽しいだけの、無駄な足掻きであった。


「ダネカ本当に多芸だよね……黄金の剣を振り回しながら、隙を見せた相手に短剣投げつけるのとか、惚れ惚れするくらい動きがキレキレだと思うよ」


「へへ。お前も中々のもんじゃねえか、上手いもんだぜ双剣投げ」


「そもそも僕が今使ってる剣投げの技術は君の真似だろ」


「あん? そうだっけ」


「ええ!? 特訓しただろ!? 僕とダネカで! 才能のない僕が君にめちゃくちゃに鍛えられて、『生き残るために憶えろ!』って君が……!」


「ケッケッケッ、憶えてねーや。なんかあったっけ?」


「こいつ……! もういいよ、僕が憶えておけばいいことだ」


「おう、そうしといてくれや」


 黒龍に撃たれる前のダネカは憶えていた。

 今のダネカは、本当に憶えていない。

 それが、キタとの大切な記憶であったがために。


「ダネカ。僕さ、普段は絶対に言わないんだけど」


「おう、なんだ」


「親友と男二人だけで遊びに行く時にしかない『味』ってのがあると思ってて……やっぱ女子がいると『大切に扱わなきゃな』みたいな意識が邪魔になっちゃうっていうか……その女子が嫌いとかそういうことはないんだけど、やっぱ違うよね!」


「分かるぅ~~~! 行くぜぇ相棒! 今日はパラダイスツアーだ!」


「ああ!」


 二人で駆け回る。


 ダネカはこの頃、自覚を持っていなかった。


 『キタの前でかっこ悪い自分を見せられない』『キタの前では今までの自分を見せていたい』という、撃たれる前の決意の残滓が、自分をギリギリ繋ぎ留めていたということに。


 相棒が、砂のように崩れていく心を繋ぎ留めてくれる綱だった。


「ダネカ! あれを!」


「ゴリラふれあい広場ってなんだよ」


「最近南方で発見されたフワットルゴリラじゃないかな。人間に対して本当に穏やかに接するっていう。行ってみる? ゴリラと触れ合って遊べ……ああいや、フワットルゴリラは冒険者の戦いの匂いを感じ取って攻撃するって噂だ。おそらく僕らは優しく迎え入れてもらえないだろう、どうすれば……」


「俺達も……ゴリラになればいいんじゃねえか!?」


「僕達も……ゴリラに!?」


「仲間として……認めてもらおうぜ!」


「仲間として……認めてもらう!?」


 ダネカが、本当に致命的な一線を越えていくまで。


 二人はずっと、楽しく遊び歩いていた。


「ウホッウホッウホッウホッゴリリラララ?」


「うっ……僕もやるのか……ウホッウホッウホッウホッゴリリラララ」


「うぎゃあ! 殴られた!」


「ぐへぇっ! 僕のこれは完全とばっちりだろ!」


 ダネカは砂で出来た人形のようだった。

 走って、ついていく。

 走って、一緒にいる。

 走って、もうとっくにグズグズのはずの自分を保とうとする。

 砂で出来た足で走れば走るほど、自分を失っていった。


 そして最後には、残らない。






 神王歴2496年。

 キタとダネカは17歳に、チョウは15歳になった。


 月が輝く夜空の下、地方領主の館の前で、ダネカはキタに突っかかる。

 遠巻きに、他の仲間達がそれを見守っていた。


「おいキタ! なんでデブ領主なんかに頭下げてんだよ! 見てなかったのか!? 俺が豪快にあのデブ領主をぶん殴ってぶっ飛ばしたのをよ! ありゃあ間違ってねえことだろ! お前が謝ったら……俺が間違ったことしたみてえじゃねえか!」


「ダネカ、今僕らはあの領主の悪事の証拠を集めてるんだ。暴力沙汰になってゴタゴタしたら証拠を先に始末される可能性がある。もうちょっとだけ大人しくしててくれないか? 君、領主だけじゃなくて執事まで殴り飛ばしてたじゃないか」


「イラっとすること言われたんだよ、カス野郎にな」


「……なんか懐かしいね。9歳くらいの時のダネカは気が立ってた時そんな感じだった気がするよ。いつからか大人になって、大人しくできるようになっていったと思ってたけど、昔のダネカに戻ったみたいだ。でも今は昔に戻らないでほしいかな」


「うるせえな!」


「本当に最近のダネカは時々昔に戻ってるような、そんな感じだね……普段は結構落ち着いてるのに……」


 キタが頭をぽりぽりと掻き、苦笑する。


「でも正直、ダネカがアイツ殴ってくれてスカッとしたよ。やっぱダネカみたいなのが居ないとダメなんだよね」


「何気ぃ使ってんだよ」


「……ん、まあ、暴力は最終手段にしとかない? って思うけどね」


 苦笑するキタの襟をダネカが掴み、壁に押し付ける。


 かつての、常のダネカであればしない行動。


 自制が、理性が、まともに機能していなかった。


「テメェのそういうところが気に食わねえ!」


「……ダネカ?」


「俺に譲ればそれで話がつくと思ってるところが、俺の意見なんざ捨てて自分の意見を通そうとしねえところが、気に食わねえ! テメェにはテメェの意見と主張と譲れねえもんがあるだろ! それを……」


「……『明日への靴』は、君が始めたもので、君がリーダーだから」


「───」


 ぐっ、と。


 ダネカは、己の中に僅かに残されたものを燃やすようにして、キタの襟を掴んでいた己の手を無理矢理引き剥がした。


「そんなに魔王領に行きてえのか? 得点稼ぎだろ、今のお前の目標は」


「……ああ。カイニはもう、世界で一番の地獄に入ってるんだ……」


 何かを噛み潰すような表情で、キタは拳を強く握る。


 昨年度、神王歴2495年。

 勇者カイニ、魔王領突入。

 彼女は魔族領に囲まれた、魔王の最奥拠点へと到達していた。


 しかし、戦争の激化、魔族の止まらない戦力強化によって、冒険者の魔族領、魔王領への突入は制限されるようになってしまった。

 カイニ魔王領突入の翌年であるこの年、『明日への靴』はS級PTに昇格したが、それでも魔王領へ行くことは許可されず、現在以上の功績を積むことを求められた。


 キタは魔王領に入ったカイニの後を追うことができない。


 意気消沈するキタを見て、ダネカは。


 笑っていた。


 嬉しそうに。






 孤児院への支援は、本当は最初はダネカが始めて、キタが手伝い始めたことだった。いつからかダネカはやめてしまって、キタだけが続けるようになっていた。キタだけが教会に金を渡し、孤児院の経営を改善してもらうことを続けていた。


 ロボトが興味を持ったのは、彼が善人を嫌っていたから。

 キタの偽善の結果を見て、嘲笑してやろうとしたからだった。

 そうして、孤児院付きの教会に入ったのだが。


「おやおやおや! モテそうな長身のイケメン雰囲気のそこのあなたぁ! まあ、キタちゃんのお仲間!?」


「なんだこのシスター!」


 恋愛脳シスターおばちゃんに捕らえられたロボトは、だらだらと街の恋愛事情を聞かされてうんざりしていたが、途中からちょっとノっていった。


「ほうほう! で、その街角の少年の恋は……?」


「それが……今なのです! 現在進行系なのですよロボトちゃん!」


「ほう!」


 けれど、そのシスターの恋愛トークが、本題に入る前の場を暖めるジャブだったことには、本題に入るまで気付かなかった。


「ダネカちゃんは大丈夫? 最近気が荒れてないですか?」


「ああ、アレな。……まあ、ようやく気付いたんだろうよ。昏い気持ちを持っちまう自分と、持ってねえキタが、違う世界の住人だってな……」


「まあ! なんてこと言うのですか!」


「痛っ、痛っ、箒で叩かないでくれ! シスター!」


「あの二人が違う世界の住人なわけないでしょうスットコドッコイ! 怒りますわよぉ! 一時間に十回のペースでぇ!」


「わかった、わかったから!」


「この孤児院はキタちゃんとダネカちゃんのおうち! いつだってあの二人を迎えて一緒にごはんを食べるのです! そしてあわよくば、あの二人の女の子との恋愛事情を余すことなく把握し、教会にてお二人の結婚式をこの手で……グフフフ」


「本音漏れてんぞ」


 シスターは、ダネカが元に戻るのを待っている。

 ダネカが壊れていることに気付けるわけはない。

 ただ、彼がかつての自分を取り戻す日を、待っている。

 あるいは、かつてのような彼が戻って来ることを、信じている。


「私は、グレちゃった男の子を引き戻すのは、その友達の男の子の役目だと思いますから。こう……河原で、ぐわぁーっと、ばこんばこんと。そして寝っ転がって、『お前やるじゃねえか』『へへ、お前もな』って感じで……」


「お、おう、そうなのか」


「なのでキタちゃんを信じて待ちますわ。この身は聖職者ですもの。聖職者は信じて待つものでしょう? 『とびっきりの奇跡で全員が笑う未来』を」


「……」


 ロボトは皮肉を言おうとした。

 シスターをバカにしようとした。

 けれど、言えなかった。

 シスターの『よい未来』を信じ切った笑顔に一礼して、ロボトは教会を出る。


 そこで、子供に囲まれてしまった。


「ねーねーあんちゃん」「ねーねー」「ちょっとー」「まってー」「にゃにゃ」


「おう寄るな寄るなガキンチョども、散れ散れ」


「ねーねーあんちゃん! だねかはいつくるんだよ! あそぶやくそくあんの!」


 歩き出そうとしたロボトの、足が止まった。


「いつくるんだよ!」


「……あいつもその内来るから、気長に待っとけ」


「ほんと!? いつ!?」


「お前が勉強頑張ったら、頑張った分だけ早く来てくれるらしいぞ」


「まじー!? うおー、やるしかねー! きらいだけどー!」


 わいわい囲んでくる子供達の合間を抜けて、ロボトは教会と孤児院を離れる。


 かつて、キタとダネカで支えた孤児院。


 今はダネカに見捨てられ、キタだけに支援されている孤児院。


 けれども誰もが、ダネカを見限ってなどいない、暖かな場所。


「オレと違って、帰る場所も、待っててくれる人もいるんだな、ダネカは……」


 自分の匂いを消し去る煙草を吸って、ロボトは歩き出した。






 自分の部屋で、ダネカが苦しんでいる。

 自分がしたことに。

 自分が言ったことに。

 自分が選択したことに。

 延々と苦しんでいる。


 彼は二重人格ではない。

 操られてもいない。

 部屋で落ち着いて座っている時、ごくたまに良心が蘇り、その時これまでしてきたことに正気で向き合うことになり、地獄の苦しみを味わうだけ。


 良心無き人間は悩まない。悔いない。苦しまない。

 それでは駄目なのだ。

 黒龍の怨念は、黒龍の怨念は、それでは晴れない。

 黒龍が人間を苦しめる時、そこには苦しむための良心が無いといけない。


 それが、ダネカの中にズタボロの良心を遺した理由でもあった。


 ダネカがしたことは、操られてやったことではない。

 彼が自分で決め、自分の意志で、自分が望むままにしたことである。


「はぁっ、はぁっ、はぁぁぁぁっ……!」


 脳裏に、キタの瞳が蘇る。


 ダネカは凄いやつだと、信じ切った信頼の目。


 その目があったから、ダネカはここまでやって来れた。


「見ててくれ、キタ、俺が、俺を、分かんなくなっても、俺は……!」


 その目が忌々しくて、ダネカは苛立つ。


「その目で俺を見るな、虫唾が走る、苛々する、殺すぞ……!」


 ダネカを信じ切っている瞳が、ダネカの内に憎悪を育てていく。






 ダネカは毎日のように酒場に居た。

 死の恐怖が頭の隅っこで育っていき、それが加速度的に気を狂わせていく。

 気分を紛らわす飲み物だけが、金と引き換えに無条件で肯定してくれる酒場のバニーガール達だけが、ダネカを死から逃避させてくれた。


「はっはっは! いいねいいねぇ!」


「ダネカさん良い飲みっぷりー! ねえねえ噂なんですけど、ダネカさんと比べたらキタさんが全然大したことないって本当なんですかー!」


「あーそうそう! あいつ全然雑魚! 無能だよ無能! あっはっは! だから俺が居ねえと話にならねえんだ! あいつには絶対に俺が必要! だから俺は無価値なんかじゃない! 俺があいつを置いてやってるからあいつはうちのPTに居られてるだけなんだよ! 弱っちいから! 俺が守ってやってんの!」


「きゃー! ダネカ様、やっさしー!」


「もうね、あいつ要らねえんだ! 前衛なんて全然足りてるしな! あいつがやってた罠解除はロボトがやりゃいい! 交渉とか依頼準備とかも商人のジャクゴがいる! そんでリーダーはこの俺、ダネカ様! はっはっは! キタなんざもう邪魔なくらいだよ邪魔なくらい! あいつができることは他のやつができんだからよ!」


「へー、じゃあ、追放とかしちゃうの!?」


「あっはっは! その内な! 俺の気分次第だ!」


 口からでまかせ、心にもないこと、けれど一部は本心で。


 そんな積み重ねが、ダネカの周りの世界を変えていく。






 人の口に戸は立てられない。


 名もなき冒険者の男が、ギルドの受付で真剣な顔をしている。


「受け付けのねーちゃんよぉ、ほっといていいのかよ、ダネカのやつ。やべーだろ、もう夜にあいつ見たら逃げろって忠告が広まってるくらいだぞ」


「……あまりよくないとは、思っているのですが」


「ですが?」


「明確なルール違反がない限り、ギルドも、他のPTも、関係のないPTに過干渉をすることは規約で禁止されているのです。メンバーの素行、追放、勧誘など、人事に関することはそのPTのリーダーが責任を持つのですが」


「あのPTのリーダー、ダネカなんだって? キタだと思ってたぜ。なんでダネカになんて任せてんだ? 去年以前のダネカならともかく、最近のダネカは……」


「そこに口を出してはいけない。そういう規約です」


「……」


「冒険者の貴方にちょっと、意見を求めたいのですが。キタさんにダネカさんの悪い噂を言ったところで、聞いてくれると思いますか?」


「聞いてはくれる。あいつが他人の話を適当に扱うわけねえだろ。だけどなぁ、ダネカのやつ、キタの前だと昔のダネカみたいになってることがほとんどじゃね?」


「まあ、はい。そうですね」


「あれで悪い噂聞けっていってもなあ。何より、キタとダネカの間にゃ培った信頼関係があるだろ。もしも論争になっても、ダネカの言うこと信じるんじゃね?」


「分かりません。しかし、その可能性もあります」


「もし、キタのやつが薄々は勘付いてて、それでもダネカの味方をしてて、ダネカの再起を待ってんなら……もしもの話でしかねえけど、それなら、俺達にはもう何も言えねえだろ、受け付けのねーちゃん」


「……そうですね」


「ダネカがやべー違反をした時になったら、また考えるべきなんかな」


「はい。不安ですが、そうしてみます」


「キタとダネカの最高コンビが戻ってくりゃ、それより最高なことはねえしな!」


「……ふふ。そうですね」


 歯車がズレていく音を、皆が聞いていた。


 けれど、歯車がズレているという確証を、誰もが持っていなくて。


 感じていた違和感を、時間が解決してくれると思っていた。






 カイニが魔王領に突入して一年以上が経過した今、キタが隠している焦りも、仲間達に伝わっていた。

 ジャクゴはそれを解決し、皆で魔王領に突入し、ついでに兼ねてからしようと思っていたことをしようとしていたが、中々上手くは行かず。


 仕事で協力関係にあった『ムンジの子ら』のムキムキマッチョハゲ軍団と色々と計画の話をしていたジャクゴは、筋肉の圧で要求を飲まされかけていた。


「正直今のダネカは嫌いだな! 何があったか知らねえけど、いっつもイライラしてんのは正直印象悪いぜ! 俺の視界に入ってくんなって感じだ!」


「なんで自分に言うのですか……?」


「お前が言って聞かせろジャクゴぉ! そして、ダネカに方方に土下座させるのだ! 何事も謝罪と許しから再スタートするのだ!」


「無茶をお言いになる!」


「ダネカは俺達が筋肉の波に飲み込んで連れて行こうとすると逃げるんだ!」


「そりゃあそうでしょうよぉ!」


 全員揃ってハゲでマッチョでタンクトップ、そんな男達の壁が迫って『ダネカにビシッと言え』という要求をぶつけてくるもんだから、ジャクゴは泣きそうだった。


「謝罪とは最もわかりやすい贖罪だ!」「うむ!」「区切りに良い!」

「今のダネカは正直何もかもが好かん。だけどよ、男が心を改めて謝罪をしたなら、許してやるのも男の度量というものだ」

「そうだそうだ!」「そうそう!」「ダネカー! 待ってるぞー!」


「ええと……ダネカさんに一からやり直させるのに協力しろ、と?」


「そうだ!」「そうだそうだ!」「ヤツを許さん者もいるかもしれん!」

「そん時は俺達が一番に示してやらねえといけねえだろうさ! 人は、生きてりゃいつか許されるし、またやり直せるもんなんだってよ!」

「ダネカはいいやつだ!」「いいやつだった!」「まだ戻れるはずだ!」


「……はは。ははははっ!」


 並び立つハゲマッチョ達が口を揃えてそんなことを言うものだから、ジャクゴは人生で初めてと言っていいくらい、思い切り笑った。

 細い目を曲げて、目の端から涙を流すくらい笑った。


「羨ましいですねえ、ダネカさん。こんなに同性に想われて心配されて、ちゃんと戻ってこいと思われてる人、そうそういませんよ」


 細い目の端を布で拭って、ジャクゴは胸を叩く。


「お任せ下さい。ええ、そうですとも。自分も……許す者がこの世に耐えない限り、人が人を救っていくという円環の永続を、信じているのです」


 ダネカという男が、ジャクゴにとって勇者であったから。


 ジャクゴはその願いを、全身全霊をかけて果たそうと、そう思ったのだ。






 神王歴2497年。

 キタ18歳、ダネカ18歳、チョウ16歳。

 時代は、あと少しで『勇者カイニによる魔王時代の終焉』を迎えようとしていた。一般人の多くが、それを知覚してはいなかった。

 時代の境界が迫っていく。






 ある日、ダネカはチョウに問い詰められた。

 チョウに距離を取られているという自覚はあった。

 だが、気にしていなかった。

 気にしないダネカになってしまっていた。


 チョウとダネカで、二人きり。

 深夜に王都の外の草原で、チョウはダネカを問い詰める。


「チョウはキタさまの陰口やでまかせの悪評、そういうのを言い触らすのをやめてほしいのです。それだけです。それと、キタさまにも謝ってほしいのです」


「は? おいおい、なんだそりゃ、俺は知ら……」


「いつまで、チョウを何も知らない奴隷の子供だと思っているのですか?」


「……」


「チョウは、信じていませんでした。ずっと無視していました。聞かなかったことにしてきました。絶対にありえないと。そんなはずがないと。信じるまでに一年ほどかかって、真偽を確かめるのに数ヶ月かけました。そのくらいにはチョウは……ダネカさまとキタさまの絆を、繋がりを、信じていたのです」


「へぇ」


「チョウを拾ってくれた二人の絆は、永遠で! 永遠に輝いていて! 決して失われない繋がりがあって! ここでならチョウも、何かが見つけられるかもしれないって! 二人の絆だけが黄金だって、信じていたのに! 貴方は裏切った!」


 チョウは真摯に、真剣に、全力の想いをぶつけ、掴みかかる。


 ダネカはそんなチョウを見下みおろしている。

 いや、見下みくだしている。

 ダネカはチョウの真剣な話を、適当な姿勢でしか聞いていない。

 間近に迫ったチョウの話を真面目に聞かず、美しく育ったチョウのメイド服の胸の谷間を下卑た視線で見ているのが、今のダネカであった。


「くっだらねぇもんを信じてたんだな、お前」


「───」


 チョウは激昂した。

 咆哮の如く、肺の空気を全て吐き出した。

 怒り、悲しみ、絶望、諦観、多くが入り混じった表情を浮かべる。

 チョウの目の端には、うっすらと涙が流れていた。


「なんで、なんで……私がかっこいいって思ったダネカさまは、どこに行ったの」


「ここにいるだろ」


「違う!」


 叫ぶと同時に、涙が飛び散る。


 狼の耳は悲しみに強く立ち、狼の尾は怒りで強く逆立っている。


 チョウは眼前のダネカを睨んだ。


 こんなダネカを見たくはなかったはずなのに。


 こんなダネカを今は見据えて叫ぶしかない。


「なんで、なんで、なんで!」


 そうして。




「昔のかっこよかったダネカさまを、今のダネカさまが台無しにするの!?」


「───」


「思い出に唾を吐かないで! キタさまの最高の相棒は、そんなんじゃ……」




 チョウは、を踏んだ。


 それがどういう理屈でダネカの地雷になっているのか、チョウには分からない。他の人間にも分からない。ひょっとしたら、ダネカにさえ分からないだろう。

 だがそれは、確かに今のダネカの地雷だった。

 踏むことで、最悪の起爆をしてしまうものだった。


「黙ってろよ」


「きゃっ……あっ……!」


 チョウの首輪が、ギュッと締まる。


 この首輪は、ダネカの

 主人が事前に命じておいた内容に逆らうと、首が締まる。

 主人の命令に逆らうと、その場で首が締まる。

 条件を厳しくすれば、本当に些細なことでも首が締まるようになる。

 奴隷をそうして従える仕組みだ。


 だがこれまで、一度も締まったことはなかった。

 ダネカが、チョウに命令なんてしなかったから。

 チョウが反抗しても、ダネカの意図を汲んだ首輪は締まらなかったから。

 ダネカが、どんな苦しみからもチョウを守ろうとしていたから。

 そして何より、ダネカのことを素晴らしい主だと仰ぎ見るチョウが、ダネカにめったに反抗なんてしなかったから。


 そんな『昔』は、もうここには欠片も残っていない。


 首輪が締まり、息が詰まり、チョウを地獄の苦しみが襲う。

 息を吸おうとしても、息が入ってこない。

 息を吐こうとしても、喉に感じる内側からの圧力が増すだけで、出ていかない。

 チョウが必死に食い込む首輪を外そうとしても、外れない。


 首輪を外そうとして必死に喉をかきむしるチョウの手の爪が、チョウの喉の肌を削り剥がしていく。


「がぅっ……きゅぅっ……あっ……あっ……ぐっ……」


「お前さ、自分の身分相応を分かってるとか言ってた話はどこに言った? 俺はよ、金を出してお前を買ったご主人様なんだよな? 何楯突いてんだ」


 ダネカの手が、チョウの胸に触れた。

 昔は小さかった胸。

 今は普通くらいにはある美しい形の胸。

 ダネカは圧倒的に上の立場から、逆らえない、動けないチョウの胸を揉みしだく。『前のダネカ』の中の恋慕を、射殺によって捻じ曲げた心理。

 それがこれだった。


 好きだから触れたい。

 好きだから性的なことだってしたい。

 好きだからそういうことで結ばれたい。

 誰だって思う、自然な気持ちだ。


 そこに、『人間として大事なものを射殺された』という事実が相まると、こうなってしまう。

 思春期の少年なら誰もが妄想する内容が、邪悪に捻じ曲げられて表に出たというだけで、途方もなく救いのない状況が生まれてしまっている。


 嫌がるチョウの胸に触れるダネカは、長年の悲願を叶えた人間のように、恍惚とした満足感に満たされていた。

 そして、それでもまだなお、満足しきっていなかった。


「俺が命じたら従え。俺の言葉には逆らうな。俺の意見は肯定しろ。お前、俺が体を捧げろって言ったらちゃんと捧げるよな? 奴隷なんだからよ」


「やっ……きゅぅっ……苦し……さわらな……いでっ……」


 強く胸を握り締め、ダネカは鬼気迫る表情でチョウを恫喝する。


「そうだろ! お前は奴隷なんだから! ずっと俺の傍にいろ! 二度とキタと親しくするな! キタと仲良く話したりするな! キタと触れ合うな! キタと結ばれようとなんかするな! 俺以外の男の誰とも楽しく話したりなんかするな!」


「い……いやっ……チョウは……キタさっ……撫でて……抱きし……」


 更なる反抗の意思を感じ取り、首輪が締め付ける力を上げる。


 ミキッ、と小さく嫌な音がした。


 もはや呼吸を止めるに留まらない。声を出せるギリギリの調整をしつつ、首の骨を折りに行くような、首の肉を押し潰すような、凄まじい力が首輪からかけられ、チョウの首を締め上げる。


「ぁ」


 死ぬ。

 チョウの脳裏に、その確信が生じた。

 チョウはこんな卑劣で下卑た強制に従いたくはなかった。

 体を穢されるくらいなら、その前に舌を噛んで死んでやるつもりだった。


 でも、『死んだらもうあの人に会えない』と思ってしまった。

 そう思ってしまえば、チョウはもう、意地を張れない。


「……わ……わかり……死……たすけ……わかりま、したっ……」


「……ははっ! なんだオイ、こんな簡単なことだったのかよ! こんな簡単にお前って手に入るんだな! やっすい女だ! 難しく考えてた俺がバカみたいじゃねえか、なぁ! 最初っからこうしてれば良かった! なんで昔の俺はそんなこと考えもしなかったんだ!? こんなに簡単だったってのによぉ! 昔の俺はバカだったってことか!? はっ、はははっ! ハハハハッ!!」


「……う、ううぅっ……うええっ……えうっ……」


 首輪が緩み、チョウの落涙が草原に落ちる。

 ダネカは夜空を見上げて笑い、振り返りもしない。

 チョウが泣いていることよりも、チョウが手に入った達成感の方が大きい。

 チョウの悲しみより、自分の喜びの方が優先されている。

 今のダネカは、そういう人間だった。


 この日、この時、この場所で。


 銀麗奴隷チョウは、敬愛していた主、ダネカを見限った。


 草原で涙を隠し、チョウは呟く。


「チョウは、キタさまが大好きだったダネカさまが、大好きでした」


 そう、






 アオアは服屋を訪れていた。

 キタのオススメの服屋である。

 アオアは普段から魔導効果のある服を身に纏っている。

 自動防御性能のない私服を着ている時に狙撃、奇襲、罠を受けると、あっさり即死するということを経験で知っているからだ。


 魔導時代、魔剣時代、魔王時代、三つの時代の戦乱に参加してきた大魔導師アオアは、基本的な思考からして他人とは違う。

 そんな彼女が、何の防御力もない私服を選んでいる。


「ふむ」


「らっしゃせ! 好きなの選んで下さい!」


「難儀。好き嫌いで服を選んだことがない」


「えっ」


 黒龍は何の痕跡も残していない。

 彼の暗躍は完璧に近い。

 神の視点を持つ者であろうと、感知術に長けた者であろうと、直感に優れた者であろうと、違和感を持つこともできないだろう。数年かけて毎日悪に寄っているダネカのことなど、皆「人は変わるものだ」と苦々しく受け入れている。


 ただアオアは、経験からくる『何か』を感じていた。

 経験とは、過去という時間の集合体が生む判断力である。

 これまでの時間が彼女に正しさをくれる。


 アオアはなんとなく『こういう流れ』に既視感があるような気がした。

 悪意も感じず、作為も感じないまま、落とし穴に向かっているような感覚。

 『こういう流れ』の時は、とにかく自分が普段しないことをしてみたりして、『他人の予想と予定』を外してみたりすると、誰かが尻尾を出すということを、アオアは経験則で学んでいる。


 たとえば、防御力の無い私服をいきなり着て、一般人に変装して市井に紛れ、街などを隠れて彷徨き、そこから更に予想できない行動に移る、とか。


 それは一見して1000年を生きるエルフが痴呆から走った奇行のようにも見えるものだったが、彼女の人生の中で何度か現れた策士達の予想を外し、何度か交通事故のような陰謀発覚をもたらした、一番されて嫌な行動であった。


「この服は? 仕立てが妙に手をかけてる」


「ああ、それは……その、おれの自作服でジョークみたいなもんっていうか、笑い話のネタにしようとしてたら、あんま笑えなくなってきたもんなんで捨てようかなって思ってたものなんすよね」


「ふむ?」


 アオアは廃棄予定の服が積み上げられている一角に置かれたショーケースと、そこに入れられた二着の服を見て、首を傾げた。

 茶をベースに金の刺繍を入れた柔らかいシルエットの服と、金をベースにして茶のライン取りをして堅く雄々しいシルエットに仕上げた服。

 どことなく、茶の髪のキタと、金の髪のダネカを思い出す色合い。


 服屋の男は照れて、服の裾をぱたぱたしだした。


「えー、おれは、昔から、夢みたいなもんがありまして。世界を救った勇者に『さあ好きな服持って行って下さい! タダです!』って言いたいんですよ。なんていうか、定食屋とかにも、勇者にタダで食事を奢りたいみたいな気持ち、あると思うんですね。自分のとこの店の個性で勇者に感謝の意を示す、みたいなの」


「素敵な夢」


「そ、そうですかね? でへへ」


 服屋の男は更に照れて、服の裾をもっとぱたぱたしだした。


「おれ、おれが生まれる前から戦争してるって知ってっから。だからそれを終わらせてくれる人が出て来るとしたら、そいつはすっげえやつで、おれが感謝してもしきれる人じゃないと思ってんすよ。……で、んと、でへへ、おれ、そうやって世界を救うのは勇者カイニじゃなくて、キタとダネカだと信じてたんすよね」


「……」


「だから、ほら。酒の勢いで二人の凱旋の日の衣装なんか作っちゃったりして。うわ恥ずかし! 顔から火が出る!」


「否定。何一つとして恥ずかしいことはない」


「……あざす!」


 ショーケースの服を見据えて、服屋の男はしみじみつぶやく。


 何故、その服を今捨てようだなどと思ったのか。


 アオアは、その理由を聞かなかった。聞かない優しさがあった。


「バカなんすよ、あいつら。ダネカもバカで、キタもバカ。でも助け合えるから誰より強いバカ達だったんです。俺も、服の仕入れの帰りに魔物に襲われたことがあって。でもめっちゃ派手な黄金と、めっちゃ地味な茶色に助けられて。おれ、あん時からかな、あいつらに夢を見るようになってて……でも、どうやら叶わなそうで」


「……」


「おれはキタとダネカを見てると、伝説の勇者アマンジャと、一緒に冒険してたっていう親友の英雄ノークのこと思い出したりしてたんすけど、まあ夢は夢って感じで」


 その言葉には、どこか寂しそうに過去を懐かしむ色があった。


「この前、だいぶ遅れて、出版が出してた冒険者特集をいくつか読んだんす。キタのやつを弱い冒険者のお手本と紹介してるやつと、ダネカのやつを強い魔法剣士のお手本として紹介してるやつを」


「ふむ」


「笑っちまいましたよ。なんで笑っちまったのか、その時自分でも分からなかったんす。でもすぐに気付いたんですよね。弱い冒険者、普通の心の冒険者、そういうヤツの参考になるのがダネカのハートで、キタはどっちかというと英雄のハートなんだって俺は思ってたもんで、あべこべに感じて笑っちまったんですよ」


「……」


「普通の人間のメンタルに近いのはダネカの方で、だから俺はずっとキタじゃなくてダネカの方が心配なんす。キタもダネカも、まあ、気に入ってたもんで」


 服屋の男は逡巡してから、アオアに頭を下げる。


「あの、アオアさん。今日のお代は結構です。あいつが本当に変になってたら、せめて……あいつが最後に後悔しないように、何かしてやってくれませんか」


 それが、彼が言いたかった唯一のことであり、今日ずっとアオアに言い出しにくかったことだと、アオアは理解した。


「ワタシにできることは多くない」


「はは、そうすよね」


「……運命を、信じなさい」


「へ? 運命?」


「運命は残酷ではない。運命は否定すればいいものではない。時に味方し、時に敵対する、我らが隣人。時に蹴飛ばす必要はあるが、運命とは善を報われる結末に、悪に報いのある結末に向かわせるもの。善なる者は、運命によって報われる」


 アオアは金貨を何枚かカウンターに置き、店を出る。


「肯定。貴方の夢は叶うかもしれないし、叶わないかもしれない。……服、代金はここに置いていく。かわいい服。気に入った」


「あ、ちょっと! 多いすよ!」


「貰っておいて」






 アオアとヒバカの企みも、いよいよ大詰め……などと、いうことはなく。


 ようやく、まで辿り着こうとしていた。


「再論。そもそもキタくんとダネカは高確率で離別するというのがワタシと貴方の予想だったはず。ダネカならあるいは奇跡を掴んで成長して……とも思ったが。残念ながら予想の通りの方向に進んでしまっている」


「そですね! 今のダネカさんだいぶ性格悪悪の悪! キタさんへの劣等感とか諸々ってそんなに悪影響なものなんですかね!?」


「不明。ワタシと貴方に思春期の少年の苦悩は分からない」


「ですよね!」


「結論。ワタシと貴方はダネカに追放を選択させるよう誘導、助言を行う。可及的速やかに。今のダネカはキタくんを斬り殺して終わらせる可能性さえある」


「そしたらそこまでの誘導! 及びそれが終わった後の誘導! そのへんを調整して取り返しのつかないことを避けつつ! 勇者キタの覚醒を促す窮地の演出を行い! キタさんが何らかの形の覚醒を迎えたら! キタさんとダネカさんを一定期間引き離した状態で頭を冷やさせて! キタさんとダネカさんとの仲直りが成せるように上手いことやる! そんなんでいいですかね!」


「肯定」


「結構! 難しい! というか人の心を操るとかそこそこの罪悪感がありますね! 嘘です! あたしにはないです! でもアオアさんにはある! 顔を見れば分かります! かわいそう! やりたくなさそう! でも使命ですもんね!」


「……」


 始まりの前までは来た。


 あとはどうにかこうにかして、始まりに至らせるのみ。


「あ! じゃあ手分けしましょうか!」


「手分け?」


「あたしがキタさんの完全な敵でダネカさんの味方として振る舞います! そりゃもう結構アレな感じに! そしてアオアさんは心情的にはキタさんの味方風味に同情してる感じに振る舞う! あたしはキタさんの敵になる! ダネカさんからの信用を得る! アオアさんはいざという時キタさんを助けても全然自然なポジションを手に入れる! こうしておけばあたしはダネカさんに助言可能! アオアさんはキタさんの味方に復帰可能! あの二人の将来の仲直りを仕込むなら! あの二人にそれぞれ信用される役割を手分けした方が効率が良いと思います!」


「否定。貴方にだけ汚れ役を押し付けるわけにはいかない。ワタシの方が年長者。恨まれるようなことはワタシがすべき。ワタシがキタくんの敵を請け負う。貴方がキタくんの味方をしなさい」


「アオアさんは罪悪感が顔に出るし演技が下手なので無理です!」


「言葉を選んで」


 ふんにゃっ、という風に、ヒバカは笑った。


 屈託のない、なんの躊躇いも感じさせない笑みだった。


「あたしアオアさんみたいに大事な人から嫌われても別に全然平気ですよ! アオアさんみたいに1000年生きてても微妙に打たれ弱い人とは違うので! あたしがその人を好きであればいいって女ですから! 相手に嫌われてもあたしの好きって別に変わりませんからね! でもアオアさんは気になるんですよね! 好きになった人に嫌われると結構凹むんですよね! かわいそう! 打たれ弱いのかわいそう! しょうがないのであたしが全部引き受けてあげます! よかったですね!」


「言葉を選んで」


 屈託のない笑みだった。


「あっ! そうだ! もし追放の流れになったら! あたし魔族領への追放を提案してみますよ! 魔族領は普通に入るなら許可証が必要ですし! 魔族領は一人で入ったら高確率で死にますけど! 今の勇者カイニが居る魔王領まで非常に近い場所でもあります! 上手くそこにキタさん捨ててこっそりあたし達が合流できたら! そのまま勇者カイニとキタさんを再会させられるかも! そのままシームレスに魔王討伐の援軍として参加できるかもしれませんよ!」


「……それは流石に……上手く行くとは思えないが……」


「行くかもしれませんよ! だってあたしキタさん大好きですもん! それなら上手く行くかもしれまん! 大好きだから!」


「怪訝。理屈が通ってい無さすぎていなさすぎて困惑の極み」


 多くの企みがあった。


 多くの思惑があった。


 多くの願いがあった。


 そうして、あの日の追放に至った。


「追放で暴力沙汰になったらどうするか。そこも詰めておくべき」


「あたしがコントロールしますよ! 冒険者にリンチとかされたら最低骨折! 普通は血みどろ! 最悪死んでるもんですからね! でも大丈夫! あたしがちゃんと手加減した上で殴ります! ヤバそうな攻撃はあたしが杖ぶん回して妨害すればまあまあどうにかなると思いますからね! 後遺症は残らないけどボロボロに見える感じの演出は任せておいてください! キタさんに一生残るような傷は残しません! 扇動者アジテーターのなり損ないのアジですが! 精一杯頑張ります!」


「感謝」


 まだ。


 彼女らにとっては、始まってすらいない。






 王国の隣国、某所に隠れ家を持つ黒龍アンゴ・ルモア───聖職者シサマは難しい顔をしていた。


 そんな彼を、アジの長女にしてアジの裏切者、アバカが心配する。


「どうか致しましたか、シサマ様」


「いえ、ね。ウバカがアオアに見つかりかけ、追跡され、ギリギリのところで振り切ったそうです。顔は見られていないとのこと」


「ええ!?」


「アオアは完璧な変装と魔力隠蔽でウバカの警戒を掻い潜り、一般人にしか見えない姿で高度な探知術式を常時起動し、『明日への靴』を監視していたウバカを発見したと……これは王都の秘密監視体制を解除しなければならないでしょうね」


「え、ええっ……そ、そんなアオアの行動、ここ1000年の記録の中では一度も!」


「そういうことをしてくる女なのですよ、あのエルフは」


 アバカと一対一で向き合い、シサマは忌々しげな顔を見せる。


「やはり予定通り"私"達の妨害行動は必要ですね。アバカ、予定していた通りに。我々の仕業であると気付かれぬよう、事故や偶然を装って、大魔導師アオアらの事前準備を台無しにして、絶滅存在ヴィミラニエの時間改変付近のタイミングで勇者キタを助けに行けないように妨害してください」


「はっ。彼女らを逆恨みしている冒険者や貴族を動かします。幸い、シサマ様の予想通りに、黄金のダネカが暴走し、暴力を我慢できなくなっています。人間の社会を利用して、アオアとヒバカから順に動けないようにしていきます」


「うん。戦力も集めておいてくださいね。最初のSTAGE IIがどの種になるか分かりませんが……初戦くらいは勇者だけで戦ってもらいましょう。フフッ。上手く立ち回ろうとして妨害された時の大魔導師アオアは、どんな顔をするのでしょうね」


「……」


「新世代の絶滅存在ヴィミラニエ。"私"にとっても完全に未知数の存在ではある、が……能力の推定はできる。フフッ。過去に移動した勇者キタと偽勇者カイニが、時間改変による偽勇者カイニの消滅を迎え、アオア達も助けられない場所で勇者キタが一人で戦い、無様に死を迎える……ああ、ちょっと見たくなってきました」


 暗闇の中で、龍は微笑む。


 人間に嘲笑われながら殺された黒龍は、人間を嘲笑っている。






 魔王軍最上級幹部、『魔王の五覚』が全て勇者カイニに討たれたという報が流れ、人々は息を呑み、次に来るであろう『最高の知らせ』を息を呑んで待つ。






 夕日に照らされる冒険者ギルドの一角で、王都冒険者ギルドの冒険者管理長マメハは、今日は黄金色をしている夕の陽光の中、キタと向き合う。


「黄金の戦士ダネカを追放なさい。そうしたら『明日への靴』の改善の余地を報告書に上げられる。そうすれば私の裁量で、活動は相当に限定されると思うけれど、魔王領へ立ち入り許可を発行できるはず。今の貴方達が魔王領に入って勇者の援軍になることが許されていないのは……今やなのよ」


「……」


「勇者カイニを追いたいのよね? これが最善。貴方だって最近のダネカの噂を聞いていないわけではないでしょう。ダネカは昔のように、貴方の前ではいつもの自分のようであろうとしているようだけど……もう昔の彼ではないわ」


「……」


「力か、金か、賞賛か、劣等感か、痴情のもつれか、判断はつかないけれど、何かが彼を少しずつ変えていってしまったのは間違いない」


「彼の悪い噂の半分はデマでしたよ。僕も確かめましたから」


「でも、残り半分は本当ね」


「……」


「貴方達のことはよく知ってる。ずっと面倒も見てきた。貴方の気持ちも分かるつもりよ。口を出すつもりはなかったけど、これを機会にして、貴方が決断するべき時がきたの。ダネカを追放して、貴方が王都を代表するS級冒険者PT『明日への靴』を率いなさい。そして貴方の幼馴染のカイニを助けに行くの」


 マメハは御歳55歳という、冒険者ギルドの重鎮たる女性である。


「キタ。夢見た未来を手にしなさい。貴方にはその資格がある」


 始まりの街で副ギルドマスターとして、キタとダネカという元気なガキの面倒を見るお母さん代わりとして、彼女は二人に接してきた。

 王都にキタ達が拠点を移して、ようやくガキ達のお守りから解放されたと思ったら、功績が認められて王都に栄転することが決まり、そこでまた再会した。

 その日、マメハは呆れたように、楽しそうに、大いに笑った。


 始まりの街で、どろんこで帰って来たキタとダネカを洗ってやったこともある。

 王都で、まだ子供のキタとダネカに夕飯を作って泊めてやったこともある。

 キタとダネカの伸びていく身長を毎年測ってやって、喜ぶ二人の少年の頭をくしゃくしゃに撫でてやったこともある。


 そんな彼女が、キタに『ダネカを捨てろ』と言っている。

 その胸中には、悲しみと虚しさが広がっていた。

 けれどそんな気持ちにも耐え、大人が子供に言うべきことを言えるからこそ、彼女は大人なのだろう。

 嫌われ役を、彼女は引き受けたのだ。


「ダネカとカイニを天秤にかけて、カイニを選ぶ覚悟を決めなさい、キタ」


 キタは、困ったように微笑んでいた。

 恩人の大人に愛想よく微笑もうとして、けれど言われていることに賛成できなくて、曖昧になっている表情。

 そんな表情を一変させて、キタは言い切る。


「僕はダネカと歩いて行くと決めました。ダネカが居ないと意味がないんです」


 『そうよねぇ』と、マメハは納得してしまった。

 マメハの意見が却下されたのに、何故か嬉しく思っているマメハがいた。

 『このままではいけない』と思っていったのに、キタの返答に嬉しさを憶えてしまうマメハがいた。


「僕はカイニを追いかけたいという気持ちで冒険者になりました。でも、ダネカのことを待ってたい気持ちもあるんです。あいつはまだまだ全然成長しますよ。大人になって、落ち着きを得て、皆にこれまでのことを謝罪して、今のあいつのことだって思春期のやらかしとして笑い話にして、そうして進んで行けるはずです」


「ダネカがこじらせた思春期から戻るまで、いつまで待つつもり? ダネカが『いいやつ』に戻るまで、一番被害を受けて、一番尻拭いをするのは貴方なのよ?」


「あいつが何をやらかしたって、僕は心のどこかでダネカを信じてると思います。だって相棒ですから。遠回りしたって、ぶつかり合ったって、最後にはどこかで手を取り合えると思ってます。もし、僕とダネカの道を誤らせる何かがあったなら、そいつをぶっ壊してでも進んで行きますよ」


 迷いなく、相棒と共に歩く未来を信じる言葉に、マメハはまいってしまった。


「僕とダネカの思考が一致したことなんてないです。ただのイエスマンになったこもないです。喧嘩しなかった時期なんてないです。意見なんてしょっちゅう分かれてます。それでも、最後には……一緒に居ることを選んできました」


 青臭すぎる若い言葉に、マメハは負けを認めてしまった。


「だって僕らは、違うからこそ手を取り合った、そんな相棒ですから」


 若さに敗けたような、不思議な感覚が彼女を満たしていた。


夢見るような幻想ファンタジーの話ね。でも、いいわ。嫌いじゃない。だって誰だって、愛と絆が最後に勝つファンタジーは好きなものだものね」


 マメハはキタの意見を尊重した。


 波乱はあるだろう、とマメハは予想していた。


 ダネカは何度でもキタを傷付けるだろう、とマメハの理性が断言していた。


 そして、キタがダネカを引っ張り上げるだろうという、確信があった。


 キタという勇者の生きる姿勢には、そんな確信を与える『何か』があった。


「ダネカがどうなるか、賭けますか? きっと僕が勝ちますよ」


「……ふふっ。そう言われると、私が負ける気がして来るわ」


 笑顔になってしまったから私の負けだ、と。


 キタとダネカの母親のように過ごしてきたマメハは、思った。






 信頼は主観である。

 『信じ合う』も主観である。

 『人の気持ちが分かる』も主観である。


 他人の気持ちが分かる気質とは、精度の高い勘以上のものではない。

 他人と築いた絆というものは、自分が在ると信じている幻でしかない。

 信頼という主観は、幻想の上に築かれている。


 真なる悪魔とは、その幻想をもてあそぶ者である。


 されど、人が悪魔に負け続けるとは限らない。






 ダネカの拳が、ダネカ自身の頬に突き刺さる。

 壁にぶち当たったダネカが息を切らして、掴んだ魔道具を握り締めた。


 超長距離連絡用の魔道具。

 情報を発射する魔道具だ。

 ダネカは以前、ギルドで先輩冒険者のギーアから噂話を聞いたことがあった。


 心が非常に弱った人間の頭部に向けて、この魔道具で千回以上同じ情報を繰り返し送信すると、その情報が脳に焼き付いてしまったことがあった、と。

 洗脳などには使えないし、健全な人間相手だと意味がない。

 だが、心が弱った人間に特定の短い情報を書き込み、誘導することはできた……という、出所不明脳技話であった。


 これが、ダネカの最後の希望。


 『これで自分に最後の方向性を書き込む』───それが、何年もの間自分を制御しきれず、良心の欠片で正気に戻る度に自殺寸前まで自分を責め続けた、ダネカという男が選んだ、良心の最後の選択だった。


「追放、だ。キタを、追放、する。キタを逃が、すんだ。俺の手の届かないところまで逃がす。あいつはみんなに慕われてる。俺が、追放、して、『メンバーをリーダーが管理する』って、名、目、を、無くせば……周りがなんとかしてくれるっ……」


 震える唇で、ダネカは叫んだ。




「俺が……俺から……キタを……守るっ……!」




 そうして。

 永遠に共に在ることを誓った二人の少年は。

 別れを選んだ。


「舐めてんじゃ、ねえぞ、ボケが……俺なんぞに、キタを、傷付けさせるかっ……俺、なんぞに、チョウを、無理、矢理、汚させたり、させるかっ……! 俺の、最高の仲、間は、俺に優しくしてくた分、幸せになるんだよッ……!」


 魔道具を起動して、ダネカは何度も情報を送信する。


 未来の追放へと繋げるために。


 それがキタを、そしてチョウを救ってくれると信じて。


「逃げろっ……キタっ……俺からっ……逃げてくれぇっ……!」


 子供の頃、巨大な魔物を前にしてキタを庇った時と似たような気持ちで、血を吐くようにダネカは叫び続ける。


「チョウを、連れてっ……チョウを、お前が、幸せにっ───」


 そうして、彼の最後の良心は、時間切れによって消え去った。


 後に残ったものは、黒龍アンゴ・ルモアが目論んだ通りの、醜悪なる『ダネカの残骸』。勇者キタを苦しめるためだけに生きる、ダネカだったものだった。






 かくして。


 を間に挟んで。


 剣士キタの追放は、実行される。






 キタを追放するという一点において、PTの意思統一は完了していた。


 その内実と裏側が、どんな形であったとしても。


 キタの視界の内側で、あるいは外側で、PTメンバーは各々の反応を見せていた。


「さて、PT除名か、死か。さっさと選べ、無能のキタ」


 変わり果てたダネカの言動を、チョウが信じられないものを見るような目で見ていたが、やがて失望と軽蔑を瞳に浮かべ、目を逸らす。

 ロボトは忌々しげにダネカを見やり、吸い殻入れに煙草を捨てていた。


「一応、理由を聞いてもいいかな。ダネカ」


「妥当。貴方には実力がない」


「……アオア」


「補足。貴方の能力は有用な面もあるが、我々が今戦っている領域の敵の強靭さを考えれば、それだけで仲間に置いておくのにはリスクがある」


 アオアは冷たい目をキタに向け、あらかじめ決めていたセリフを喋る。

 だがその発言の目的は、キタが問うて、ダネカが答えるという流れの妨害。

 ここでダネカが『理由』を答えれば、ダネカが口汚くキタを罵れば、それがキタを傷付けてしまうかもしれない。


 真の勇者を追い詰めて、覚醒させ、力を与えるのがアオアに千年前与えられた使命だと言うのに、アオアはまたしても日和ってしまった。


 ヒバカが生暖かい視線をアオアに向ける。

 アオアはバツが悪そうにした。


「忠告。『冒険の書』程度の能力で前線に出ても、他人に迷惑をかけるだけ」


「……うん。そうかもしれない。すまない、アオア。迷惑をかけたかもしれない」


「……ワタシは、別に……」


 アオアは複雑そうな表情を浮かべ、頭に被ったローブを引っ張り、顔を隠した。


 ヒバカが散々言ってきたことだ。


 アオアの罪悪感は、顔に出ると。


 その助言を活かし、アオアはローブで顔を隠した。


「おっおっおっ、もっとハッキリ言って差し上げたらどうですかな。我々はもっと上に行く! なんでもっと早く自主的に出ていかなかったのか! 我々にこうして言わせないと自主的に出ていくこともしないとは、なんたる無能! とね?」


「ジャクゴ。沈黙」


「おやおや、すみませんねえ、アオアどの」


 ジャクゴが、アオアのそういう意図を汲み、それに乗った。

 ジャクゴにはジャクゴの目的と事情があった。

 ゆえに、ダネカの追放に賛同した。


 されどダネカにキタを罵倒させたくない、という意見は一致していたらしい。

 キタよりは『この場の裏側の事情』を知っているジャクゴは、芝居ぶった言動で『ダネカが言いたいこと』をある程度曖昧で棘のない言い方に変え、先んじて自分から発言する。


 咄嗟にアオアが合わせて、ジャクゴを責める。

 アオアに心中で感謝し、ジャクゴは陽気に謝罪する。

 上手い具合に、『キタだけを責める空気』が和らいだ。


 狂ったダネカは自分の心中を仲間が代弁してくれたこと、仲間が自分と考えを同じくしてくれたことを嬉しく思い、機嫌をよくする。

 狂ったダネカは、自分がまだキタを責めていないことにも気付いていない。


「……」


 チョウはダネカとキタを交互に見ている。

 キタを見て、何かを言おうとしている。

 その目は何かを伝えようとしている。

 されど彼女は、キタにも、キタを笑う仲間にも、何も言うことはなかった。


 チョウの予想に反して、仲間達は皆、キタの追放に賛成だった。

 これでは、駄目なのだ。


 ここでもし、チョウがキタを庇えば、チョウは首輪が締まって倒れる。

 そして激昂したダネカが、キタを斬り殺しかねない。

 今のダネカには、それをしかねない危うさがあった。

 仲間の誰かがキタを庇ってくれる可能性が見えない以上、チョウはキタの死に繋がる迂闊な行動を取ることができない。


 けれど、その選択をしたことで、チョウの胸中には無限にも思える『ごめんなさい』が湧き上がっていた。


 かつて大好きだった恩人が、初恋の大好きな人を追い詰めようとしていて、自分には何もできない。見ていることしかできない。

 守ると誓った初恋の人を、自ら望んで見捨てている。

 それを超える苦しみなどそうそうあるものではないだろう。


 チョウは、思う。

 『ここで彼を見捨てたチョウは彼の隣にいる資格を失った』と。

 チョウは心の奥で、痛みを伴う確信を得ていた。

 自分は、愛する人と結ばれる権利を、自らの意思で投げ捨てたのだ、と。

 彼女の罪悪感が、そうさせた。


 一年前まで、チョウは自分の首に巻かれた奴隷の首輪を忌々しいと思ったことさえ無かった。

 恩人が自分に与えてくれた、誇りの証であるとすら思っていた。

 今は、そうではない。


「魔族領に捨ててきましょうよ! ねえダネカリーダー! あたしこんな人と街でもう一度会いたくないですよ! 追放には賛成ですけど追放した後に街で顔合わせて気不味くなるのはちょっと嫌です! なんならあたしが捨てて来ますよ! 魔族領に! 任せてくれれば行ってきます!」


「ヒバカ。やらなくていい。というか何故お前はそんな人殺しに躊躇がないんだ」


「あたしですので!」


 赤い髪を振り回し、にこにこと笑う僧侶ヒバカが物騒な提案をし、却下される。


 ダネカより物騒な提案をして場を動かす、提案に賛同されたら魔族領追放からのこっそりキタに合流ルートを展開する、つもりだったのだが。


 思ったより自制ができているダネカに、ヒバカは拍子抜けしてしまった。


「なあ、キタ」


「なんだい、ロボト」


「今まで黙ってたけどよ、オレお前のこと嫌いだったわ。心底な」


「……」


 ロボトがキタを嘲笑する。


 今の彼がキタに向ける言葉には、普段彼が発している軽い冷笑とは違う、正体不明の重みがあった。


「いやぁ、心底ざまぁ見ろって感じだな! ヒャハハハハ!」


「ロボト。僕は……君と分かり合えてると思っていた」


「ああ? バカな思い上がりご苦労さまだな。現実見ろよ」


 そうして、各々の企みによって、追放に至る道程は完成した。


 場にて追放を宣言したダネカは、鼻を鳴らして、キタを睨みつけて言う。


「じゃあ、さっさと出ていけ。ギルドでの手続きは俺達がしておく」


「……もう少し、話をしていったら駄目かな? これまで仲間だったじゃないか。何度も命を助け合ったじゃないか。ダネカ、僕は……」


 苛立ったダネカが立ち上がる。

 ダネカの指先が一瞬、背中の黄金の剣に手を伸ばす気配を見せた。

 あの日、キタに誕生日プレゼントとして貰い、それからずっとダネカの命を守り続けた、友情を証明する黄金の剣。その名は希望ミライ


 チョウが、命を捨ててでも相討つ覚悟を瞳に浮かべた。

 アオアが、詠唱を用いない身体動作による魔法を構えた。

 ヒバカが、切られた瞬間にキタを救うべく回復術を撃つための魔力を練った。


 けれども。

 ダネカは、キタを斬らなかった。

 ダネカがキタを斬ってもおかしくないほどの憎悪があった。

 だから皆、キタを守ろうと動きかけた。

 ダネカの瞳には、歪んだ殺意があった。


 されどダネカは、剣を抜かず、キタを殴り飛ばしただけだった。


「がっ……!?」


「出てけ、と優しく言ってやってる間は、まだ慈悲があったんだがな」


 それは、ダネカだったものが、ダネカだった過去の積み重ねによって見せた、奇跡の中の奇跡。


 その奇跡を、この場の何人が理解できたことだろうか。


 理不尽な暴力の中に、友情が見せた奇跡があった。


 理不尽な暴力の中に、黄金の輝きがあった。


 転がったキタを、ロボトが更に蹴り飛ばす。


「がっ」


「オラ、出てけや無能! 前からお前が嫌いだったんや! 死ねやぁ!」


 壁に当たって跳ね返り、床を転がるキタの背中に、ヒバカが僧侶のメイスを振り下ろす。


「あたしもやるー!」


「痛っ……!」


 音だけ大きい一撃だった。

 本来、背中への衝撃は非常に骨折が起きやすく、腎臓に致命傷が入りやすいので、ボクシングなどでは背中全般への攻撃が禁止されているのだが、ヒバカの巧みな一撃は、ただ死ぬほど痛そうな音がしただけで、キタに後遺症を残さない程度の威力に丁寧に調整されていた。


 そうしてキタへのリンチが始まる。

 鬱憤晴らしのためのリンチだ。


 ダネカがキタを蹴って、首に追撃をしようとして、ヒバカが振り回す杖が頬をかすって身を引く。舌打ちして、ダネカは一歩下がった。

 ロボトがキタを殴ろうとしたが、ヒバカが振り下ろす杖に当たりそうになり、咄嗟にかわす。

 ヒバカの杖がキタを殴って死ぬほど痛そうな音が鳴ると、ロボトはキタを殴り損ねたものの、ある程度満足そうに鼻を鳴らした。


 ヒバカという『いつも狂人より狂人らしく振る舞っている女』の行動に、ダネカとロボトは忌々しさを感じているが、違和感は覚えていなかった。

 そうして、キタに対する鬱憤晴らしは行われていく。


 それを見つめるチョウが泣いている。

 うずくまって泣いているチョウを、寄り添ったアオアが抱きしめている。


 もはや、今の自分がどの感情を抱いているのか分からないくらい、たくさんの感情でぐちゃぐちゃになった胸を抑えて、チョウは泣いている。

 そんな彼女を痛ましそうに見つめ、アオアが優しく抱きしめていた。






 そして、追放は完遂されたが。


 黒龍が予想し、期待していたような、キタと仲間達が互いを疎み嫌い合う、骨肉の争いは発生しなかった。

 それは、各々の企みが絡み合った結果ではあったが、それだけが理由ではない。


 勇者キタは、

 おそらくは歴代勇者の中でも、一、二を争うほどに。

 彼をそういう者へと育んだ一人は、間違いなく黄金の戦士ダネカだった。


 あの日。

 キタとカイニが再会した日の夜。

 カイニの言葉に、キタは彼らしく応えた。


「ボクはさ、ぶん殴った方がいいと思うよ、お兄さんの元仲間」


「僕は必要以上の暴力はいけないと思うかな。たぶん、彼らの性格上、僕が追放されたのは無能だからって以外に何か理由があるんだと思うんだ。それを知るまで、ちょっと待っててくれないか? カイニ」


 キタは仲間に痛めつけられて追放されてもなお、仲間を信じていた。

 仲間にされたことを軽く扱っているわけではない。

 彼はそれを許されないことだと、ちゃんと認知している。

 その上で、『何か理由がある』と言い切っていた。


 黒龍の企みによる、誰も気付けないはずの、非常にゆっくりとした極めて自然なダネカの変化は、キタに違和感を残していた。


 あの時。

 『ムンジの子ら』に、勧誘された時も。

 キタは、自分の中に引っかかっている僅かな違和感に触れていた。


「魔王時代は終わった。だからよ、俺達は新しい時代を始めてやりてえのさ! 勇者が要らねえ時代ってやつをよ! ……だからキタを勧誘したいんだけどな」


「はは。ありがとう。志は立派だと思うし、僕も協力したいと思うけど……僕を追放した仲間達について、ある程度話の整理がついてから考えたいかな」


「いつでも来いよ! 歓迎するぜ!」


 キタは、うっすらとした何かを感じている。

 それは勇者としての本能。

 心の五感によるものである。

 ゆえに、あの追放に至るまでのことを調べようとしている。

 黒龍アンゴ・ルモアことシサマの目論見は、この時点で破綻している。


 『追放から始まる仲間割れと復讐譚』を、シサマは演出しようとした。

 しかし、それは始まらなかった。キタが誰も恨んでいないからだ。


 シサマの予想を超えたキタの『勇者としての完成度』は、キタが聖剣を抜いたその時に、シサマがダネカを壊して始めていた新たな計画を、土台から崩壊させていた。





 破壊音が響いている。

 苛立った者が、壁を殴って、椅子を壊しているような音。


 黒龍アンゴ・ルモアことシサマの部屋からその音が聞こえてきたことで、アジの裏切者ことアバカはたいそう驚いた。

 こんなことは、今までに一度もなかったからだ。

 シサマはいつも冷静沈着だった。

 いつも余裕綽々だった。

 いつも慇懃無礼だった。

 ゆったりとした甘ったるい嘲笑が、彼の個性であった。


 そんな彼の部屋から、彼が大暴れしている音が聞こえる。

 アバカは、何がなんだか分からなかった。

 されど、ただごとではないことが起こったのは、アバカにも分かっていた。


「今は入らない方がいいわ。シサマ様、だいぶ気が立ってるみたいだから。大した理由も無いのに部屋に入ったら、殺されるかもしれないわよ」


「ダバカ様」


 シサマの部屋に入り諌めようとするアバカを、ダバカが止めた。

 剣のアバカに対する、永遠のダバカ。

 アバカにとっても、他の姉妹にとっても、偉大な太古の生産体ロットとして、純粋に尊敬され崇められる永遠のアジ

 大昔に彼女は、英雄から不老不死の薬を盗み、飲み干したという噂がある。


 『ダバカ』と呼ばれた彼女は、慣れない様子で頬を掻いた。


「……慣れないわね。アジ・ダハーカって呼ばれてた期間が長かったから」


「そちらで呼びましょうか?」


「いえ、いいわ。今この身はただのダバカ。シサマ様のダバカだもの」


「そうですね。では昔のように、大姐様とお呼びします」


「……ふふっ。懐かしい。ヒバカもまだ、そんな風に呼んでくれるのかしら……」


 くすり、とダバカが笑む。

 アバカもまた、つられて笑む。

 その間もずっと、シサマは自室で暴れていた。

 隠れ家が物理的に壊れてしまうのではないかと思えるほどに、破壊の音は大きく、断続的に続いていた。


「何かあったのでしょうか、大姐様」


「これよ」


 ダバカは、小脇に抱えていた革袋から、宝珠を取り出した。

 思わず見惚れるほどに、美しい青の宝珠だった。

 海よりも、空よりも、美しい青にて透き通っている。


 アバカは、魔導の時代で最も価値のある色とされた色の一つが、青という貴色であったことを思い出した。

 この青は、魔導の時代を思い起こさせる。


「……? これは……?」


「これは、魔導の時代に愚かな夢を追いかけた者達が創り上げた宝珠。『夢追い』達が追いかけた夢が叶った時、赤色から青色へと変わる。これがこの色になったということは……勇者が聖剣に限界を超越させ、世界を救う力を得たことを意味するの」


「……!? それは、かなり不味いのでは……?」


「ええ。もう運命は変わったわ。多くの者が、驚愕の中で方針を変えているはず」


 ダバカがシサマの部屋の扉を見る。

 アバカもつられて見る。

 扉の向こうでは、絶えず止まらず破壊の音が響き続けている。


 勇者キタが、過去の時代の戦いで、ルビーハヤブサと向き合う過程を経て、聖剣に過去に類の無い力を発揮させた。

 その奇跡、その輝きが、シサマの想定に無かったことは明らかだ。


 ダバカは、思い出すように語り出す。


「あの御方は、かつて勇者アマンジャと、獣人アァク、大魔導師アオアと戦って、聖剣の力で完膚なきまでに敗北しているの」


「……え」


「だから勇者の親友を裏切らせ、憎悪を煽って、勇者の心を曇らせ、絶対に聖剣を抜けないように画策してたのが本音なの。その結果がこれ。無様ね」


「……もしかして、だからシサマ様は聖剣情報統制管理局に居るのですか?」


 ダバカはふっ、と息を吐いた。


 昔の昔、大昔。

 後世に語られる、伝説の勇者が在った。

 ダネカはその勇者に憧れ、そんな風に成りたくて旅立ち、キタと出会った。

 勇者の名はアマンジャ。

 竜の魔人、竜の魔王を討った伝説で、世に知られた聖なる伝説。

 人呼んで、『竜討の英雄譚ドラゴニック・クエストの聖勇者』。


 アバカは、ダネカとの戦いの後に、シサマが言っていたことをい思い出す。



───勇者など大したことはありません。所詮"私"程度に負ける、女神の性癖に合致した無駄な優しさを持つだけの人間達です。優しさだけの人間など、せいぜい世界程度しか救えぬものです。千年前よりアオア達が求める『夢の結実』など、勇者に成せるわけがない。千年叶ってないのですよ? 心配するようなことは一切ありません



 そういえばあの時やたら早口だったな、と。

 アバカは主の、かなり情けないところに気付いてしまった。


「勇者キタ、聖剣、獣人チョウ、大魔導師アオア。……シサマ様は、恐れている」


 ダバカは、しみじみと語る。


 シサマがダネカに『伝説の再現』について語っていた、本当の理由を。


 シサマこそが『伝説の再現』を恐れているということを。


 竜討の英雄譚ドラゴニック・クエストの再演を、彼が恐れているということを。


「アオア達は……いえ、もう今を生きているのはアオアだけだったわね。アオアは、シサマ様が死んでると思っているはず。とはいえ、アオアが『夢見た男』と出会った以上……このまま行けば、シサマ様は安全圏には居られない」


「バレますか」


「バレるわ。経緯はともかくとして。アオアのせいで王都に迂闊に潜入できなくなったのも痛いわね……さて、どうしましょうか……」


 ダバカはこめかみをとんとんと叩き、考え込み始める。


 名案は中々すぐには浮かばない。


 ふぅ、と息を吐いて、ダバカはアバカに問いかける。


「ねえ、アバカ」


「はい、なんでしょうか、大姐様」


「今しか聞いておくタイミングが無いから、今訊いていい?」


「はい、なんなりと」


「何故、シサマ様に忠誠を誓っておきながら、彼に無断で偽勇者カイニに魔剣クタチを授け、彼女の旅立ちを後押ししたの?」


「───」


 アバカの喉を、固唾が流れる。


 ごくり、という、音が鳴った。






 キタを追放した後、ダネカは一人で居ることが多くなった。

 チョウは呼ばないと来ない。

 他の仲間にも距離を取られている。

 ギルドの先輩達はもうずっと話しかけてこない。

 街を歩いていても、みんなダネカから離れていく。

 昔友人だったはずのみんなが、ダネカの顔を見て舌打ちして消えていく。


 ダネカは、一人だ。


 自室で一人、瓶の中身を乱暴にジョッキに流し込み、ダネカは飲みに飲む。


「ああ」


 飲み干して、ジョッキを壁に投げつけ、乱暴に破砕した。


「イライラする」


 砕け散ったジョッキの破片が、床に散らばり、落下していく。


「なんで、したいことしてんのに、俺は自由なのに、こんなに苛立つんだ」


 砕け散ったジョッキは戻らない。

 壊れたものの多くは元に戻らない。

 けれど。

 戻るものも、ある。

 人が全ての力を尽くせば、時間さえも元に戻せる。

 諦めない限り、壊れたものは、壊れたまま終わらない。


 ダネカは俯き、顔を上げ、苦悩を吐き出そうとして。


「なあキタ、ちょっと相談なんだが……」


 誰もいない虚空に話しかけて。


 自分が壊れているという自覚を、再び得てしまった。


「───ああ」


 ぶつぶつ、ぶつぶつと、ダネカは呟き始める。


「そうだ、俺は、なるんだ。世界中の誰からも尊敬されて、世界中の誰からも好かれる、史上最強の勇者に。キタがなれるって……言ってくれたんだ……」


 それは、ダネカだったものの慣れの果て。


 黒龍の怨念が世界に刻んだ、黄金の亡骸という名の痛ましき傷跡。











 ははは!


 こんな経緯の想起になんの意味があるかって言うとねえんだよな。


 こんな過去の回想、何の意味もねえ。


 誰かが思い出してるわけでもねえ。


 誰かが再生してるわけでもねえ。


 これはな、が世界の記録を、そこにあった誰かの記録を、特殊な形式で再生リプレイしてるだけだよ!


 絶滅存在ヴィミラニエを倒した後、世界を直すお手伝いも冒険の書の仕事の一つだ。これはその参考記録みたいなもんってこったな。


 だから世界に何の影響も与えやしねえ。


 世界に生きた誰かの記録が、そいつが生きてた人生の記憶を思い出してる、擬似的に過去の世界に見えてるだけの、人間の回想とは絶対的に違う回想もどき。


 未来のやつが過去のことを思い出してるようで、過去のやつが現在進行系の出来事を感じているようで、その二つの視点が混じり合う夢幻むげん夢現ゆめうつつ


 普通の人間が過去を回想してたなら、徹底して当時の自分になりきって話すか、今の自分が過去の自分を回想する形で語るか、そのどっちかになるもんさ。この回想は、その両方が入り混じったりしてただろ?


 だからこりゃ、ただ事実の想起を変な形でやってるだけなのさ。


 俺はダネカで、回想されてんのはダネカの記憶だが、今の本物のダネカは昔のことなんて必死に思い出さないようにして、宿で椅子とかぶっ壊してるだろうよ。


 だって、この『過去回想』ってやつは。


 冒険の書の中で、キタの奴も知らない内に、繰り返されてる記録なんだからな。




 なあ、知ってるかよ。


 この冒険の書、『チート』ってやつらしいぜ?


 まだだ。まだなんだよ。


 まだ全然、キタのやつは冒険の書を使いこなしてやしねえんだ。


 この力にはまだ、先がある。













 街を歩いていた二人は、そうして。


「あ」


 あまり会いたくなかった二人と、出会ってしまった。


「ダネカ」


 黄金の戦士と。


「チョウ」


 銀麗奴隷。


「……キタ」


 向き合わねばならないことがある。

 それは過去。

 あるいは現在。

 はてさて未来か。


 かの追放から、まだ一日経っていない、今。


 追い出した者と追い出された者は、再会した。




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