黄金の戦士ダネカの過去回想 7

 魔王軍最上級幹部、『魔王の五覚』。

 誰も倒せてねえ、最悪の悪夢。

 どうしようもねえ、絶対の絶望。

 世界最強の人類の一人に数えられてたような奴らを、何人も返り討ちにして、片っ端から死体に変えていった最悪の奴ら。

 英雄が、勇者が、倒すべき悪の中の悪。


 『無知全能の眼』マモ。

 『音喰らいの耳』ンドゥ。

 『虚実反転舌禍』ケマル。

 『剥死肌死餓死』ノーマ。

 『阿鼻叫喚赫焉』チザネ。


 俺を斬ったヤツの剣に塗られていた毒は、『虚実反転舌禍』が「それはこの世に存在しない」と口にしたことで、理が反転し、「この世に存在することになった」、そういう毒だった。


 混乱する俺に、医院の先生は事細かに解説してくれる。


「君を蝕んでいるのは、ディープニードルクラブという動物の毒だ。現在は使われていないが、これが体内に入ると、脳の『門』をすり抜けて、脳の細胞の……まあ細かい説明は省くが、頭の骨の内側の肉が、魔力と一切関わりのない変異を起こす。そういう毒だ。かつては世界で一番恐ろしい毒と言っていた研究者もいた」


「え……あ……え……?」


「変異を起こした部分の作用は未知だが、頭蓋の裏側に取り除けない爆弾が付けられたようなものだ。君は明日死んでもおかしくはない。20歳まで生きられる可能性はない。ここ5年が特に勝負だ。今の内に身辺整理をしておくことをおすすめする」


「な……治せるだろ? 治せるって言ってくれよ、先生。医者だろ?」


「治せない。こんなものが治せるなら、私は人間の頭の中を自由自在に操って、好きな形の精神を作り上げたりして医療に役立てたりしてるだろうさ」


 俺は絶望してなかった。

 俺は悲しくなかった。

 俺は人生の残り時間で何をするかも考えてなかった。


 だけど、それは、俺の心が強いからじゃねえんだ。

 その時の俺が、現実を受け入れられてなかったからだった。

 つまり、現実逃避だった。


 嘘だ、嘘だ、嘘だ……そんなことだけを、ずっと考えてた。


「く、薬だ! なんかあんだろ! 薬が!」


「ああ、あったよ」


「……?」


「ディープニードルクラブは、神王歴2392年に絶滅した。今から……ちょうど100年前か。ディープニードルクラブにだけ効く薬剤を河川に流して絶滅させたという記録が残ってる。この猛毒の蟹は河川にまんべんなく生息していて、当時は子供がよく刺されていたらしくてね。未成年の死亡例が山程あったらしい」


「それがなんだってんだ!」


 俺は、壁を殴った。

 先生は、俺を見る目に、僅かに憐れみを浮かべていた。


「ディープニードルクラブの毒を中和できる生物は、ディープニードルクラブを主食とする生物、ナイトロハクチョウだけだった。ナイトロハクチョウはこの蟹の毒を中和できる物質を胆嚢から分泌する機能を持っていてね。ナイトロハクチョウの胆嚢を磨り潰して飲むと、個人差はあるが、この蟹の毒によって変異した脳があっという間に元の形に戻っていったこともあったらしい。そういう記録がある」


「じゃあ、そいつを捕まえれば!」


「もう絶滅している」


「───は」


「ナイトロハクチョウは生殖器を刺激するのにディープニードルクラブの毒性を用いていたようでね。かの蟹が絶滅してからほどなくして、個体数が減じて絶滅した。この世界に生きている生物は皆、何かの形で繋がっている。捕食、という形でもね。これを『生態系』と言うが……今は最悪の事実を示すものでしかないな」


 絶滅。


 それが、俺の目の前に現れた絶望だった。


「なにか、どこかに……保存とかしてねえのかよ薬をよ!」


「ディープニードルクラブ、ナイトロハクチョウ、どちらの毒も薬も分子的に不安定なものだ。どう保存しても1年以上効果が残っていることはない。物質として安定した状態に変化していってしまうんだ」


「そんなのを魔王軍が使って俺に当たったってのか!? おかしいだろ! ほら、嘘が見つかった! 全部デタラメなんだろ! そう言ってくれよ! 頼むよ!」


「『虚実反転舌禍』は、自分が言ったことの反対を現実に実現できると聞く。生物に力が及ばない代わりに、無機物に対しては神の如き力を振るえると」


「……あ」


「ここ一年、医師会で君の事例と似た話を何度か聞いている。魔王軍が、大昔に使われていたが今は存在しない毒をどの戦場でも使っているとね。薬は使う機会があるから作られ、ストックされるものだ。百年前、二百年前に無くなった毒に対応する薬は全国的には普及していない。解毒系の魔法が効かない毒も、魔剣の時代にはかなり流行していた……最悪なことに、な」


 俺は、俺が、自分でどんな顔をしているが分からなかった、けど。


 俺の表情を覗き込んだ先生が、死にたそうな表情をしてたのを覚えてる。


「『子供が猛毒の蟹に襲われて毎年何人も死んでいる』……そういう理屈でディープニードルクラブを絶滅させた当時の人間を、私は英断だと褒め称えたい。だけど同時に、迂闊に特定の生物を絶滅させるということの重み、その弊害を、今は格別悲痛に感じるよ。……すまない、君を治せないのは、医者わたしの無力ゆえだ」


 先生が俺に頭を下げる。

 深々と。

 俺はガキだった。

 先生は大人だった。

 大人がガキに、心底申し訳無さそうに頭を下げている。

 感情が滅茶苦茶だった俺には、先生の気持ちなんか分からなかった。


 俺は、『自分がどんなに辛い時でも目の前の相手を思いやる』やつを相棒にして、そいつの良さをずっと語ってきたはずだったのに。

 俺は、俺が辛くなった時、そう振る舞えやしなかった。


 ただ、俺を救ってくれない目の前の先生に、苛立ちだけを覚えてた。


「ど……動物に作れるようなもんならよ! 人間にだって作れるはずだ! 魔法があるだろ! 魔導科学はどうしたんだよ! 空気と土と水から大抵のもんは再構築される魔法とか! ニュースでやってたろ!」


「この国の名産品である『イアンミルク』は家畜から絞ってるわけだが、これを魔法だけで元素から100リットル錬成できるかね? 無理だろうね。家畜を利用すればその辺の子供でも一日で確保できる量だが、それが『他の生物を利用する』ということだ。ナイトロハクチョウが生成する物質を魔法で再現する研究はない。その手の研究が始まる前に、ディープニードルクラブの毒の脅威がなくなったからだ」


「っ」


「それに……ナイトロハクチョウが胆嚢から分泌していた物質のサンプルもない。それこそ、『時間を移動する』ような、空想の世界でしか見ない奇跡の中の奇跡でも使えなければどうにもならないと、私は思う。ジャクゴ君、まだいるかい?」


 先生が薬品準備室の方に呼びかけると、緑の服のデブが出て来た。

 ただのデブじゃねえ。

 その細い目の向こうに、ギラついた何かを隠している、そういう感じのやつだったから、俺もこの時に一発で覚えた。


「おっおっおっ、何用ですかな?」


「ディープニードルクラブ、ナイトロハクチョウ、この二種に関する毒性サンプルや薬剤の在庫はあるかい? 無いとは思うけど……」


「少々お待ちを。協賛会の時に作ったリストが…………うむ、ありませんな。このリストに無いということはこの世に無いものと思っていいでしょう。国全体の薬剤流通を把握した各国の国家統計を、更に統一したリストですゆえ。絶対に残ってないとまでは言いませんが、まあ手に入らないものと見ていいかと」


「ありがとう、ジャクゴ君。今回も格安で薬を入荷してくれて助かるよ」


「おっおっおっ。お気になさらず。それではまた来月。さようなら」


 この時、俺と初対面だったジャクゴが去っていく。


 その時の俺は、事実を並べる先生に憤慨してた。キレまくってた。俺が希望を探そうとしても否定してくる先生を敵にすら見てた。バカだったんだ俺は。


 俺が覆せねえ残り時間を告げることが、先生の優しさだったってのに。


「お……俺は! まだ生きる! ずっと生きて! キタと夢を叶えるんだ!」


「諦めて、残り時間をどう使うかを考えなさい。私はそれを勧めている」


「何が諦めるだよ! 諦めきれるかよ! これまでだって諦めて来なかった! どんなに無謀と言われたってどうにかしてきたんだ! 諦めなきゃどうにかなる!」


「そうしないと、君はいつか後悔する。君に残された時間は無限じゃないんだ」


「嫌だって言ってんだろ!」


「……そうして、諦めないでいて、いつか仲間の目の前で突然死ぬのかい?」


「───」


「君の事情を知って、共に居てくれる誰かを探しなさい。君を治せないヤブ医者の言うことなんて、聞きたくはないだろうが……私に言えるのはそこまでだ」


 俺の頭は真っ白になった。


 何も考えられなかった。


 何も考えたくなかった。


 何も。


 何も。


 俺は、欲しい物を全部手に入れられず、夢になんて届かないまま、あの世とやらに何も持っていけない俺になるかもしれないことを、知った。


 俺は。


 勇者になりたかった子供から、勇者になる前に死ぬ子供になった。






 俺はまず、自分の部屋で遺書を書いた。

 そして、死んだ時に死体をどっかに飛ばす魔道具を買ってきた。

 魔道具の方は高かったし、俺が死んだ時に俺の死体をどっか飛ばす以外に使えねえ落ちこぼれ魔道具だったが、仲間も増えて懐にも余裕があった俺なら買えた。


 生まれて初めて、遺書を書いた。

 生まれて初めて、俺が死んだ後のことを考えた。


 俺はずっと、どう生きるかしか興味がなかった。

 どう生きて、何を成し遂げるかしか考えてなかった。

 俺が死んだ後に他人がどうするかなんて、どうでもよかった。


 だけど、俺が死んだ後、俺の仲間がどうするか、どうなるか、どうしていくか……そんなことを考えてたら、自然と遺書を書いちまってた。

 キタ。

 チョウ。

 アオア。

 ネバカ。

 今に全力で、未来に夢見てたのが俺だった。

 余計なものを見ないで全力疾走してたのが、俺だった。

 遺書を書きながら、俺は今まで見てなかったものを見始めた自分に気付いた。


 何か、俺の中から、致命的なものが流れ出ていっている、ような気がした。


「へっ」


 それでも。


 俺は遺書を書いて、自分がくたばった後のことを心配せずにはいられなかった。


 できる限り上手くごまかせる文章を、できる限り皆を泣かせないような文章を、できる限り皆が傷付かない文章を。


 そんなことばっか考えて、慣れない遺書を書いてた。


「キタにだけは、苦しい思いをさせたくねえしな」


 俺が死んだ後のリーダーはキタに任せる。

 それは絶対に譲れねえ条件だった。

 『明日への靴』は、俺とキタの二人で始めた。

 今だって俺が一番信じてんのはキタだ。

 任せるならキタしかいねえ。

 俺が死んだ後も、キタが『明日への靴』にいてくれんなら、俺はチョウやチームの未来のことを、何も心配せずに死んでいける。

 そう、思った。


「誰にも心配かけたくねえ。バレるやつにはバレるかもしれねえけど……せめてキタとかには毒のこと隠し通して……誰にも迷惑かけないようにくたばろう」


 最後まで強く在ろう、って思った。


 誰か助けてくれ、って思った。


 かっこよく死んでいこう、って思った。


 死にたくねえ、って思った。


「死ぬ時は一人で、だ」


 遺書を書き終わって、一時間くらい、部屋で俯いてた。

 何も考えないようにしてた、ような気がする。

 ずっと自分の死について考えてた、ような気もする。

 あんま覚えてねえ。

 その時の俺が、何にも向き合いたくなかったことだけは、覚えてる。


 そうしてたら、部屋の扉がノックされた。


 俺は応えたくなかった。

 どっか行ってくれって思った。

 誰とも話したくねえと思った。

 ほっといてくれって思った。

 だから、居留守を使おうとして、けど、いつだったか、キタが俺にめちゃくちゃキレてた時のことを思い出して。


───こら! ダネカ! ノックしてんだからさっさと出てこい!


 なんか、笑っちまった。

 ちょっとだけ、不思議な元気が出た。


 その元気を使って、扉を開けて出迎えると、なんかキタがそこにいた。

 俺を立たせたのもキタ。歩いていった俺が会ったのもキタ。

 よくわかんねえけどおかしくて、笑っちまった。


 俺の笑顔を見て何を思ったのか知んねえが、キタも笑っていた。


「やあ、ダネカ。今ちょっといいかい?」


「なんだぁコラ、晩飯か? そういやもうそんな時間か」


「いや、今日は君の誕生日だろ? なんで忘れてるんだ、おっちょこちょい」


「……あ」


 俺は。

 俺は。

 俺は。


 そいつが、俺にとっての黄金だと。ずっと思ってる。

 絶望のどん底まで落ちた俺は、そいつの輝きを、太陽みてえだなと思った。

 こいつさえ居れば俺は笑って死ねるんだと、そう思った。


 だってこんな時にすら、キタは俺に希望っぽいもんをくれてたから。


「まったく、君が君の誕生日を忘れてたら、もう僕しか覚えてないじゃないか」


「……わり」


「お祝いの準備はしてきたから、ほら、行こう。ケーキとかもあるよ」


 キタに促されるまま、俺はキタについていく。

 俺が到着する前から盛り上がってるらしいヒバカのギャーギャーワーワーした声がもう聞こえてきてる。

 しょうがねえやつらだなあ、と、キタと二人で笑ったりした。


「はい、これ誕生日プレゼント」


 その途中、キタは俺に新しい剣をくれた。

 全体的にゴールデンで、サブカラーのシルバーで色味が整ってて、金色と銀色の間に入ってる紫の縁取りが最高にクールな、黄金の剣。

 造りもしっかりしてて、性能も抜群だった。

 たぶん、クソ高い。キタにとっても安い買い物じゃなかったはずだ。


 俺がどういう感じの武器が好きなのか10000%理解できてねえと絶対に選べやしない、デザインから性能まで俺のためにあるような剣。

 キタは、俺の命を守ってくれる剣に、クッソ金を使ってくれてた。

 俺の余命のことなんか、知りもせずに。

 俺の命を、重んじてた。

 その剣を持つだけで、そいつをひしひしと感じて、嬉しくなった。


「……センスいいじゃねえか、愛用させてもらうぜ、相棒」


「その剣で僕を守ってくれたら最高に褒め殺してあげようじゃないか」


「へっ。弱っちいキタくんを毎日でも守ってやるよ、サンキュ」


「ははっ」


 軽口を叩いて、歩く。

 気分が軽くなってることに、俺は気付いた。

 自分が死ぬことを考えなくなってたことに、俺は気付いた。

 少しだけ心が救われてることに、俺は気付いた。


 相棒キタはただ隣に居るだけで、俺に不可避の死ぜつぼうを忘れさせてくれた。


「毎年言ってるけど、今年も。ダネカ、生まれて来てくれてありがとう」


「───」


 俺は。


 死にたくねえ。


 死にたくなんか、ない。


 キタと、チョウと、皆と、どこまでも一緒に、笑って生きていきたい。


 そんな願いも叶わないのか?


「毎年言ってるがな。祝ってくれてありがとう、って俺が言うもんなんだよコレは」


「あはは、一年ぶりに言われたね、それ」


 いつかどこかで、夢が叶わず俺が死ぬなら。

 こいつと一緒に、キタと一緒に死にてえと……そう思ってた。

 一緒に生きてえと思ったやつと、一緒に死にてえと思ってた。


 だけど、今の俺は、ちょっとだけ違った。


 キタには生きていてほしいって、思った。

 俺が死んだ後も生きて幸せになっていってほしいって、思ってた。

 キタは、黄金だから。

 俺にとって永遠に輝いていてくれる黄金の象徴だったから。


 俺が何も得られず死んでいくとしても、キタにだけは生きててほしいって、なんか自然に思っちまったんだから、しょうがねえよな。

 うん。

 しょうがねえや。







 怖くねえ。

 怖くねえ。

 俺は、死ぬことなんか怖くねえ。

 夢を叶えられずに死んでいくことなんて怖くねえ。

 大丈夫だ。

 俺は最後まで俺のままで居られる。


 キタがこの目で俺を見てくれている内は、俺はまだ格好良い俺で居られる。


 相棒が、キタが、俺にとっての黄金であるように。


 俺だって、最後の最後まで、キタにとっての黄金でいたい。


 キタに失望されたくない。俺は、色褪せずくすまない黄金でいたい。


 俺の夢が叶わなくても、この願いだけは叶ってほしい。


 なあ、そんくらいならいいだろ……光の女神様。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る