果たしきれなかった約束

紫陽花の花びら

第1話

 私はやっと断捨離を始めた。

息子は最近独立し、夫は二年前に他界した。家族の想い出は其処此処に散らばっていて如何することも出来ない。どこかで踏ん切りをつけなけきゃならないのは判っている。でも……でもどうにもならないんだ。

 今日こそはと書斎に足を踏み入れた。いつもは用事を済ませるとそそくさと出て来てしまう。この部屋は何もかもが夫なのだ。全てがあの日のまま。

知らぬ間に涙が頰をつたっている。

トレーナーの袖で涙を拭い自身に声をかける。

「大丈夫! やれる。」

ドンと、デスク前のレザー擬きの社長椅子に座る。仕事関係は見ても判らないからゴミ用段ボールに入れてしまおう。

そうそう、この時は出張が長くて息子と毎晩寂しくて泣いたっけ、ふう……そんなことが浮かんでは消えていく。

「えっと、名刺類と、仕事関係の年賀状ってこれはシュレッダーだ」

スマホを見ると、始めてから三時間でデスクとその周りは殆ど片付いた。

「やれば出来る子じゃない私って」

テンションも上がってきた。

だが然し、問題は高さが天井まである2間程の壁一面並んでいる本棚。一番上なんて……考えるだけでぞっとする。よし! マスクをしていざ戦いだ。

手前が仕事関係。奥はおびただし数のアルバムとビデオテープの山。DVDに焼き直してって言ったのに! そのままなんだからなぁ。これは息子と相談しよう。

なにこれ? お菓子の箱が幾つも詰んである。ひとつを手に取り開けてみると中には、私が夫に宛てたメモや息子が書いたお願い事や作文等か溢れんばかりに入っていた。

「何やってんだかねあなたは。こんなもの取っておくなんて」

なになに?

『お父さんへ。私遅くなるからごめんね』夫のひと言『だから? 如何して欲しいの。意味不明』

裏を見ると『ご飯宜しく』『これを最初に書いて欲しいな』と横に夫のコメント。確かにごめんねあなた! 真面なのもあるが、殆ど何かしら書いてある。『字が汚すぎて読めない。舟にでも乗って書いてるのかな?』んな訳ないでしょ! うん? 手作りカードは息子だ。

『お父さんへ おたんびおめでとう。おこづかでかいました。つかってください』『消しゴムとシャーペン嬉しかった! でも字が抜けてるよ2カ所。お母さん似だね……残念』うっ言葉かない。

これは珍しく息子が手紙を書いている。

『お父さんへ。夏休み沖縄旅行楽しかったね。石垣島の夕日がきれいだった。今度はぼくがお父さん達に夕日見せるよ。大人になるまで待っててね』『なんて良い子なんだ。泣ける』

『返事はありがとう。頼んだよ夕日って』と書いて渡したと記してある。四年生か懐かしいなぁ。息子は覚えてないだろう。覚えていたとしても今となっては……。

 それから数週間後息子が帰ってきたのであの箱を見せた。

「なんだよ。ハズい」

「ねぇー、取っておくなんて信じられない」

「母さんのは面白いし笑える。舟かぁ父さんのひと言も受けるね」

「いやいやそれより、夕日の約束覚えている?」

「えっ? ああ~これね覚えてるよ」

息子は手紙を読み終えると、

「まあそう簡単じゃないじゃん。薄給の身だからさ。俺も四年生だったし。現実を知らないと怖いもなしよ。アハハ」

「うん。でもお父さんは豊との約束があるだけで嬉しかったと思う」

息子は仏壇の方を見ながら

「ねえ母さん、父さんの展示会に行った時、ほら大学三年だったかな。東京湾のすぐ近く……覚えている?」

「うんうん。覚えてる」

「見終わって、外で父さんを待っていた時ね、夕焼けが綺麗でさぁ。太陽がこう~揺れるよな感じ? 判る? でっ急いで写したんだ。年甲斐もなく沈まないでって念じたんだよ。見せたかったから」

「でっ! 間に合った?」

「まあ映画ならギリギリ間に合うとかありそうだけど。現実はそうは行かないよ」

「そりゃそうだ。で?」

「オレンジと黄金色の華やかさから一転静かな海と青紫色とオレンジシャーベット色が交じった地平がさ……これまたどんでもなく美しかった。その時父さんがて……」

暫く黙り込む息子を見てるのが切なくて、

「おい! 夕飯食べてく? 豊の好きなちらし寿司だよ」

にっこり笑う息子がまた話し始める。

「うん。でね、早急撮った画像を見せながら俺言ったんだよ。父さんに頼まれた夕日だぞって。石垣とはまた違った趣でしょ? 生を見せたかったって」

「そしたら?」

『お~良いな凄く良い! これ送ってくれよ。待ち受けにするわ、それにしても嬉しいなぁ。あの約束覚えていたんだな』って嬉しそうだった。

それで俺も調子付いて言ったんだ。

『俺が結婚する前に三人で沖縄行こう。あの人も入れてやらないと』

そしたら父さん照れて『だな。あれは泣き虫だもんな』だって」

「泣き虫ではない! けど男同士の約束はちゃんと果たされていたんだね」

息子はその時の画像を私に送って来た。

「これが頼まれた夕日かぁ。綺麗!」

「でも……やっぱり行きたかったよ。だから、今度は泣き虫母さんを連れて行く事を約束するから。待っててね」




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