俺は、嫌いだ。

 なんで、僕は三好と付き合っているんだろう。好きでもないのに――そう、好きでもないのに。何度か一緒に遊びに行ったりしても、それは変わらなかった。飲み物を買ってきたりとかここに行こう、とか提案してくれたり端々に好意を感じるからこそ、余計に申し訳なかった。


 あの日――僕が初めて陸玖に勉強を教えた日、彼は僕に「大好き」と言った。大好き。言葉だけは、嬉しかった。僕も大好きだよ、って言ってしまおうかとさえ思った。


 でも、言えなかった。なぜなら、僕の「好き」と陸玖の「大好き」の意味は同じじゃないから――。

 陸玖は単純で、能天気バカで、でもそれがかわいくて、だからこそあんなに簡単に大好きとか言えるんだろう。でも僕は、彼が言うのとは違う意味で、もっともっと陸玖のことが大好きで――愛おしい。


 だから、僕は言ったんだ。

 ――大好きとか、好きな女子に言いなよ。

 と。ずっと意味が重なることのない「大好き」を言われても、嬉しいけどだから変に期待して陸玖を傷つけることになるかもしれない。そして、彼に好きなひとがいるのだったら、その邪魔だけはしたくなかった。


 だって、陸玖は言ったんだよ。


『……でも、皓也も大好きだからっ。週末も来て良いよね』

 皓也「も」。ということはつまり、陸玖には他に「大好き」がいるってこと。つまり、それは好きな女子がいる、ってこと……。

 多分そうだ。陸玖、モテるだろうな。色白で、奥二重でぱっちりした目で、細くて、背が高くて、運動もできて、面白くて、あとは――。

陸玖の邪魔をするわけにはいかない。じゃあ、どうすればいいんだろう。


 ――彼女ができれば、変われるのかな。


 今は女子を好きになれなくても、付き合っているうちに好きになるかもしれない。だから、そんなときに三好が告白してきて、断るという選択肢はなかった。別に好きでも何でもなかったけど嫌いじゃないし、とりあえず付き合ってみたら変われるかもしれない。

 そんな、軽い気持ちだった。


 陸玖、なんでそんなに怒ってるの。だって、君には好きなひとがいるんでしょう?

わからない。陸玖が、わからない……。

 僕はただ、君の足かせになりたくないだけなのに。なんでこんなにから回ってしまうんだろう。


『皓也君、二十四日って空いてる?』

 三好からそんなメッセージが来たのは十二月の中旬、冬休みの二日前だった。

『空いてるよ』


 去年まではいつも陸玖と遊んだりして過ごしていた。今年も本当は陸玖と一緒に過ごしたかったけれど、彼女にしてしまった以上他の人と過すのは失礼だろう。――好きでもないのに付き合ってることが、もう失礼なんだけどな……。

 ごめんね、本当に僕は最低だよ。でも、陸玖にとっても僕にとってもこれが一番良いはずなんだ。


 コンコンと音がして振り向くと、窓の外に陸玖が立っていた。

「陸玖? どうしたの」

 許してくれたのかな。淡い期待を抱きながら問いかける。

「――クリスマス、一緒に遊ぼう」

 怒ったように陸玖は言った。


 ――嘘だろ。タイミングが悪すぎる。もう少し早かったら三好の誘いを断る口実になったかもしれないのに……! ほんとうなら、告白自体断った方が良かったのだ。他のひとを好きなまま告白を受けるなんて失礼にもほどがある。

 ――でも、もしかしたら好きになれるかもしれない。

 もしかしたら、女子に興味を持てるようになれるかもしれない。もしかしたら、陸玖はただの友達になって、三好のことを好きになれるかもしれない。そんな最低で不純な動機で僕は三好と付き合っている。


「……ごめん……その日は」

「――どうせ彼女だろ」


 そう答えることを予想していたかのように、陸玖は言った。


「……」

「別にいいよ、俺なんかよりも三好先輩の方が大事だもんな。せいぜい楽しんで来ればいいだろ!」


 違う。違うよ、君の方がずっとずっと大好きで、大事だよ。お願いだからそんな顔しないでよ。違うって言いたい。君の方が大事だよ、って言いたい。大好きだよ、って言いたい。

 ……でも、言えない。陸玖は素直で優しいから、きっと困ってしまうだろう。いや、言ったらもう口を利いてくれなくなるかもしれない。それだけは、嫌だった。「大好き」の意味は重ならなくても、隣にいられるだけで良かった。それ以上を求めるのは、きっとわがままなんだろう。


「……陸玖は、俺に彼女…できてほしくなかった?」

 陸玖に好きなひとがいるなら、なんだか抜け駆けしたみたいになってしまったのかもしれない。それに、怒っているんだろうか。――なんか違う気がするんだよな……。もしかしたら……? 


 ――いや、ないないない。なんて都合の良い解釈をしているんだ。僕はとんだ自意識過剰野郎じゃないか。頭の中を満たしていく疑問と雑念を振り払い、俺は顔を上げて陸玖の目を見る。

「………ん…」

 陸玖は、かすかにうなずいた。――嫌なの? なんで? やっぱり、自分にも好きなひとがいると他のひとに彼女ができるのは嫌なものなんだろうか。


 ――じゃあ、逆効果にしかなってないじゃん。

 僕はいったいどうしたいんだろう。邪魔したくない、とか言いながら結局陸玖の隣にいたいと思っている。自意識過剰野郎とか思いながら、どこか期待している自分がいる。矛盾だらけだ、ほんとうに。


 訊けたら、良いのにな。なんで彼女ができるのが嫌なの、って。なんで最近俺のこと避けてるの、って。なんで怒ってるの、って。でも、訊けない。答えを知るのが怖いから……。


「ごめんね」

 『ごめんね。』一番、使いやすくて軽くて、そして簡単な言葉。口からその言葉がこぼれた瞬間、ああ、また言ってしまったと思った。気まずさを紛らわすように陸玖の頭に手を伸ばす。一瞬手を払われるかと思ったが、少し色素の薄い髪に触れてすっと梳いても彼は拒まなかった。


「皓也」

「ん?」

「……大好き」


 どきりとした。いつもみたいにうるさくない、柔らかくてしっとりとした声色。陸玖のそんな声を僕は聞いたことがなかった。


「……」

 ずるいよ。ねえ、なんでそんなに期待してしまうようなことばっかり言うの。

「それは、好きな女――」

「やだ」


 陸玖はこちらを睨みつけるようにして顔を上げた。


「皓也だけ。俺が大好きなのは、皓也だけ」


 だから、だから。僕も好きだよ。大好きだよ。君の思ってる何倍も大好きだよ。でも、その意味は絶対に重ならない。やめてくれ。そう思うのに心の底ではもっと言って、と陸玖の『大好き』を望んでしまう僕はきっとどうかしている。

「…………」

 何も言えない。何か言わないと。まるで無視しているみたいだ。ねえ陸玖。君には、好きな女子がいるんだよね。なのに、僕に大好きとか言っていいの? 正確には僕だけに。


 陸玖。君は、ずるい。そうやって、無意識なんだろうけど期待させるところが。


「…………陸玖の、そういうとこが」

 意図せずに言葉にとげが混じってしまった。彼は不安そうな顔をして僕の目を見つめる。揺れる瞳は子猫のようだった。


「俺は、嫌いだ」

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