皓也の好きな人――陸玖side

 眠っているときにいきなり揺り起こされて、俺は何が起こったか分からなかった。


 目が覚めてようやく地震が起きたのだと認識したが、せいぜい震度三くらいなもので俺は特に何も感じなかった。なのに、俺の肩に手をかけたままの皓也は今にも泣きそうな顔をしていた。

 窓から細く差し込んできた月明かりを反射して、皓也の目にたまった涙がきらきら光っていた。目のふちは赤くて、揺れるまつげについた雫の一粒一粒がはっきり見えた。


 俺はどうしていいかわからなかった。そんな皓也を見たことがなかったから。いつも優しくて親切で、細かいところまで気が付いて。思えば彼が弱っているところを俺は見たことがなかった。


 ――皓也に、初めて頼ってもらえた。


 そう思うととても嬉しくて、俺は皓也を抱きしめてずっと背中を撫でていた。体の震えが伝わってきて、胸の奥がきゅっとつかまれたように痛くなった。でも、それと同時にじんわり温かくもなって。何とも言えず不思議な感覚だったけれど、どこか嬉しかったのは間違いない。


 なのに、それなのに。あいつは、謝ったんだ。


 それはつまり、俺に頼ってはいけないと思っているわけで。だとしたら、俺は皓也にとって頼ることもできない信用ならん存在だということになるんだろう。


 ふざけるなよ。


 いつもはぜんぜん弱いところを見せてくれない皓也が泣いてすがってきて俺はすごく嬉しかったのに。それなのに、なんで。ずるいよ、そんなの。


 思わず声を荒げてしまった。でもそれは逆効果にしかならなくて、皓也は泣きながらうわごとみたいにごめんなさいと言い続けた。泣き疲れて眠るまで彼は何度ごめんなさいと言っただろう。


 その言葉は放たれるたびに俺の胸に突き刺さり、ズキズキと痛んだ。

最後まで俺は信用されないのかな。頼っちゃいけないと思われたままなのかな。

 じゃあ、皓也は誰に頼るんだろう。誰にも頼れずに。全部自分で抱え込むんだろうか

 俺も、頼ることができる存在に、なりたいのに。


 でも、無理だろうな。皓也は俺のこと信用してくれてないんだもん。

 ねえ皓也、どうしたら俺のこと信用してくれるの。

 いつになったら、心を開いてくれるの。


 ――もう何年も一緒にいるのに、俺って信用されてなかったんだね。



辰紀たつきい……」

 次の日学校に行って教室へ入るなり、俺は同じ部活で仲の良い辰紀――井本いもと辰紀に話しかけた。あの、外周が追加されたときに声をかけてきたやつである。


「ん? ああ、陸玖。おはよう」

 おはよう、と返して俺は辰紀の肩に腕を回して後ろからぐでんともたれかかった。

「陸玖、どうしたんだよー」

 俺よりもさらに背が高い辰紀は少しかがむような姿勢になりながら言った。

「今三年の幼馴染的な人がさあ……」


 そう切り出して、俺は詳細と実名は伏せて昨日皓也が抱きついてきた時のことを大雑把に話した。

 なんであんなに謝るんだろう。俺は信用されてないのかな。大好きって言った時もなんか悲しそうな顔をしてた。俺、嫌われてるのかな……と。

 でも、なんでこんなに皓也のことばかり考えているかもわからなくて。


「だから、もうわけわかんないんだよ」

「その人、どんな人なの?」

「ええ……そうだなあ、優しくて、勉強できて、お菓子作りが得意で、あとは――」

「――もう付き合っちゃえばいいじゃん」


 一瞬、辰紀が何を言っているのか分からなかった。黙ってしまった俺を一瞥して彼はさらに言う。


「だって、お前絶対その先輩のこと好きだろ。先輩もお前のこと気になってんじゃねえの? 抱きついてくるぐらいなんだ、幼馴染だったらもうさっさと告白しちゃえよ」

「え、何を、言って……」

「こっちのせりふだよ。お前も欲しくないわけじゃないんだろ?」


 やっと、意味が分かった。彼女、ということはつまり、辰紀は皓也のことを女子だと思っている。


「違う、そうじゃなくて……」

「何が違うだよ。違ったら優しいだの勉強できるだのいいとこばっかり言わないだろ。お前な、そんなの好きだと言ってるようなもん――」

「違う、そいつは女子じゃない!」


 やっとのことで俺は叫ぶように言った。すると辰紀は一瞬不意をつかれたような顔をしたが、すぐにいつもの飄々とした表情に戻る。

「――先に言えよな。だとしたら……その先輩はお前のことがよっぽど好きか、ただ単に自己肯定感が異常に低いかのどっちかだな」

 辰紀はあきれたというように首を振った。


「なんだよ、女子に興味ないとか言ってたお前がやっと好きな人できたかと思ったのに」

 そう言ってにやにやと薄笑いを浮かべる。でも、彼の言葉はそれから全然頭に入ってこなかった。さっきの言葉が頭の中で大きくなったり小さくなったりしながらぐるぐる回っている。


 ――お前、絶対その先輩のこと好きだろ。

 ――優しいだの勉強できるだのそんなん好きだと言ってるような――

 ――その先輩はお前のことがよっぽど好きか――


 皓也は、俺のことを、どう思っているんだろう。その「好き」は、どんな「好き」なんだろうか。いや、そんな可能性はないんだけど。辰紀は面白がって言っているだけだろうけど。そもそも皓也は男じゃないか。何を考えているんだろう俺。

  ――だとしても、とりあえず嫌われてはないんだろうなあ。だったら、なんで大好きって言ったら素直に喜ばないんだろう?


 話はいつもそこで行き詰って結局振出しに戻る。


「そんなんじゃ、ないから」

「どうかな。試しに訊いてみれば? 好きな人いるの、って」

 言われて俺は唐突に思い出した。夏休み、皓也に好きな人いるの、と訊いたときのことを。彼は何と言っただろうか。


 確か、いない、って顔を赤らめながら言われて、それから皓也の家に押しかけて勝手にベッドで眠ったんだ。その時は俺が皓也に抱きついたよな。ちょっと待て、なんか忘れてる。

 そうだ、俺が皓也に抱きついたら、なんか言ってたんだ。


 ――……く…だよ


 遠くから聞こえてきたような声が鮮明に脳裏で再生された。

 ――そうだ。陸玖だよ、って聞こえたんだ、それが。

 じゃあ、皓也は本当に? 本当に、俺のことが……?


 顔から火が出るようだった。心臓が早鐘を打つ。


 ――だから、ないって。第一、俺男だし。いい加減にしろよほんとに。

 頭の中で何度も打ち消しながらも、その疑念が完全になくなることはなかった。絶対に、ありえないはずなのに。

 なんでだろう。なんで、こんなにも皓也のことに引っかかっているのだろうか。いつもだったらこんなの笑い飛ばして気にも留めないはずなのに。さっきから、皓也のことが頭から離れない。

 十一月ももう終わりに近づいているのに、皓也のことを考えるたびに周りの気温が上がるような気がした。


 しっかりしろ、俺。辰紀と話してからなんかおかしいぞ。

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