ボクはココにいるよ

 なんだかよくわからないぐらいにオジサンを殺したくなった。そして寂しくなって、泣きそうだった。


 動く波にあわせてママが、ア、ア、アと声を出していた。不思議な音はその声だった。


 ボクは襖を閉めて、布団の中に潜りこんだ。ママの声が聞えないように、布団の奥深くに潜ったけど、ママの声が遠くの方から聞えた。


 声が止み、聞えなくなってもボクは眠ることができなかった。


 チュンチュン、という鳥の鳴き声がして朝がやってきたことを教えてくれた。

 朝になる前の朝だ。窓から見える外は薄暗かった。ボクは布団を押入れの中に直して、押入れの下にあるタンスから服を取り出して着替えた。


 電気もつけなかったが、ハッキリと物は見えた。授業に合わせて、教科書を入れ替えた。そしてランドセルを背負って、学校規定の帽子を被った。


 襖を開けて、二人が眠っている横を通った。二人を見てまたボクは苛立った。

 歯も磨かかず、そのまま玄関から外に出た。

 起きてボクがいないとママはなんて思うだろうか? ママを心配させたかった。


 外に出ても、どこに行くあてもないから、バス停の前のコンクリートに適当に座り、学校が始まる時間まで待った。

 寂しかった。

 誰も人は通らなかった。

 ボクは世界で一人ぼっちのような気がした。

 だけど眠たくて、ウトウトして、だけどこんな所じゃ眠れなくて、ボクはコンクリートをボーっと見つめて、ただ時間を潰した。


 何時間も待ったように思える。学校に登校する生徒を見つけた時、少しだけ嬉しかった。そしてボクも学校に向かった。頭はボーとしていた。体が重たい。朝の匂い。いつもの通学路だけど、なんだかいつもと違って見えた。 


 授業中、ずっと眠たかった。グルグルグルグル、ずっとイヤなことが頭の中を回っていた。

 福島君と大谷君を見てもイヤな感じがした。誰とも喋りたくなくて、ボーっとしていたけど、頭の中はイヤなことでグルグルグルグル。


 何時間か授業があって、給食があって、学校が終った。今日はどんな授業をしたのか、よく覚えていない。


 学校が終ると、とりあえず家に帰った。眠たかった。すごく眠たくて、倒れてしまいそうだった。


 ママを心配させたいという気持ちはあった。だから透明人間になった。

 肌が透け、ボクの存在は見えなくなった。ボクなんていないことにしようと思った。


 脱いだ服はタンスの中に戻した。ランドセルと帽子は押入れの奥に隠した。

 透明人間になって、肌が透けて、ボクの存在はそこにあるのに、いなくなった。


 床の上は硬いから、押入れの布団の上で眠った。押入れの襖を閉めると本当の暗闇になった。体を丸めて、誰よりも丸めて、小さくなって、目を瞑った。すると、すぐに深い深い眠りの底に落ちていった。


 目を覚ますと異世界から戻って来たような感覚がした。丸めていた体を伸ばした。今までのことが夢だったらいいのに。オジサンなんて本当はいなくて、ママとパパの三人でボク達は暮らしている。それが現実だったらいいのに。そう思った。


 襖を開けて押入れから降りた。

 ママはボクのことを心配しているだろうか? という疑問が頭の中に浮んだ。


 隣の部屋は電気がついていて、開けっ放しの襖から光が漏れていた。ボクはまだ普通の人間には戻っていなかった。つまり透明人間のまま。

 隣の部屋を覗きこみ、オジサンを見つけて失望した。これが現実。


 オジサンはテーブルの前に座っていて、ママはどこかに電話をかけていた。ボクはイヤな感じがして、声を出さずに泣き出した。泣いたら止まらなかった。なぜか悔しかった。

 オジサンの横を通り、ママの横を通った。


「すいません。小林と申します。そちらにカズヤは窺っていないでしょうか?」


 心配そうなママの声が聞えた。

 ボクは泣きながら、玄関の扉を開けた。

 心配してくれていることは理解できた。嬉しかったけど、オジサンがいることが悔しかった。悔しくて、悔しくて、たまらなかった。ママはボクがいなくてもオジサンを家の中に連れてくるの? なんだかよくわからない疑問が浮んで、悔しくなった。


 玄関の扉を開けると、ママが何かに気づいたのか、「カズヤ?」と大声で叫んだ。


 ボクは家から飛び出し、裸足のままペタペタペタと行くあてもないのに歩いた。

 歩いた。歩いた。歩いた。

 遠くに行こうと思ったけど、遠くに行ったら戻って来れないような気がしたから、歩いては少しだけ戻り、歩いては少しだけ戻った。

 裸足で足が痛かった。血が出ているような気がしたけど、透明だからわからなかった。歩いて戻り、歩いて戻りを繰り返していると、クタクタになり、地面にペタリと座った。


 座って少し経つと、寒くなり始めていることに気づいた。それに裸だから異常に寒く感じた。  


 何の虫の音も聞えず、通る車の音だけが聞えた。


 寂しくて、恐くて、寒くて、ボクはまた歩き出した。家のほうに歩いた。だけど帰る気にはなれなかった。


 信号を渡る時の信号機の色は青だった。

 誰もいないからまぁいいやって思った車がボクにぶつかって来た。


 運転手は何かの衝撃があったらしく、車を止めて外に出て来た。

 だけど透明になっているボクに気づくわけがなく、凹んだ車を見て首を傾げ、その場から去って行った。


 すごく痛くて、早く家に帰りたいと思った。

 早く家に帰りたくて、涙がボロボロと溢れてきて、泣きながら家に向った。


 玄関の扉を開けると誰もいなかった。二人はボクを探しに外に行ったんだと思った。

 ママに悪いことをしたな、と思った。早くママに帰って来てほしかった。


 ボクはテーブルの前に倒れるように寝転がった。血が沢山でているような気がした。だけど血は見えなかった。


 玄関の開く音がして、ボクは玄関の方を見た。


 そこにはママが一人だけいて、ボクはホッとしながら立ち上がり、ママの方に向った。


「ごめんなさい」とボクはママに謝った。


 ママはボクの声が聞えなかったのか、奥の部屋を覗き込み、「カズヤ」とボクの名前を叫んだ。


「ボクはここだよ」とボクが言った。


 だけどママはボクの言葉を聞こうとしなかった。


 透明になっていることに気づき、普通の人間に戻ろうとした。

 ママに裸を見られても恥かしくもなんともなかった。だけど普通の人間に戻ることができなかった。


 おかしいな、こんなこと透明になってからなかったのに。

 何度も何度も普通の人間に戻ろうとした。

 普通の人間に戻れない自分に苛立ち、不安になって、泣いた。


 玄関の開く音がした。オジサンが戻ってきた。右往左往していたママが玄関に向った。


「カズヤは見つかった?」とママ。


 ボクは泣きながらママについて行き、玄関の方に向った。


 オジサンは首を横に振り「いや」と答えた。

「まだ、帰ってもないのか?」


 心配そうにママが頷いた。


 ボクはここにいるよ、とボクは叫んだ。

 

 だけどボクの肌は透けていて、ママはボクのことを見てはくれなかった。


「もう一度、探してみる」


「頼むわ。私も探しに行く」


「君はカズヤ君の帰りを待っていたほうがいいと思う。本当に、透明人間なんだろう? 見つかるかどうかわからないし」

 そう言って、オジサンはボクを探しにまた外に出かけた。


 ママは今にも泣きそうな顔をして、テーブルの前に座った。


 テーブルの前に座ると、手を目に添えて、「ごめんね」とママが呟いた。

 ママの声は震えていた。


 ボクは透明になるのをやめて、普通の姿に戻ろうと思ったけど、普通の姿に戻ることができずに、泣きながらママの隣に座って、ママに抱きついた。

 だけどママはボクに気づいてくれなかった。


「ボクはここにいるよ」

 とボクは顔をグチャグチャにさせながら泣き喚いた。


 だけどボクの言葉はママには伝わらなかった。

 透明だから伝わらなかった。

 透明だから見えなかった。

 



 それからボクが元の姿に戻ることはなかった。

 たぶんボクは車にかれた時、死んでしまったんだと思う。

 ボクの死体は透明のまま、誰にも見つからず、永遠にそこに横たわり続けるのだろう。

 ママはボクがいなくなったことで老け込み、オジサンはママの支えになるために毎日のように家にやってきた。

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透明人間になれる少年の物語 お小遣い月3万 @kikakutujimoto

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