5 フランベ

 俺たちは一室だけ残っていた二階の個室に案内され、エミールは伊勢崎さんと一言二言交わすとすぐに部屋から出ていった。


 俺は近くの椅子にどっかりと座り、大きく息を吐く。


「ふうー。やっと落ち着けたねえ……」


「そうですわね。それで今後についてなのですが――」


「ちょっと待って。……それについては、俺からひとつ考えがあるよ」


 ピリッとした空気を感じたのだろう。ベッドに座っていた伊勢崎さんが背筋を正した。


「――どうぞ、おじさま」


「スーパーで買った半額ステーキ。そろそろ食べないと賞味期限がヤバい」


「…………そ、そのとおりですわ。さすがおじさまですっ!」


 パンと手を合わせて賛同する伊勢崎さん。ちょっと顔がこわばってるけど気のせいだろう。


 冷蔵庫に入れることもなく、常温に晒され続けた半額ステーキ。さっき見てみたら少しヤバい色してたもんな。まずはこれを消費することが先決なのは確定的に明らかなのだ。



 ◇◇◇



 そういうことで、まずは腹ごしらえをすることになった。実際、腹もかなり減っている。


 この異世界ではそろそろ夕方といった頃合いだけれど、スマホの時計は俺が刺された翌日の深夜三時ということになっていた。転移してからも正確に時を刻んでいたとすれば、腹が減っているのもさもありなんといったところだ。


 この宿は宿泊のみで食事は提供されないそうなのだが、エミールに許可をもらい、エミールのプライベート台所を使わせてもらえることになった。


 一階のカウンター奥にある台所に入り、最初に目についたのはコンロのような調理器具だ。薪を使って料理をしている世界だと勝手に思っていたのだけれど、意外と科学が進んでいる世界なのかもしれない。


「コンロなんてあるんだね。燃料はガスかな? それとも電気?」


「違いますわ。これは魔道コンロですの」


 そう言って伊勢崎さんはコンロの中央の赤い宝石のようなものを指差す。


「ここに魔力を流し込めば、魔力が火に変換されるといった仕組みです。試しにやってみますわね」


 伊勢崎さんは宝石に指で触れ――


「……あら?」


 そのまま首をかしげた。伊勢崎さんはそれから何度か宝石に触れたり離したりを繰り返し、軽く首を振った。


「魔力が流れていきません……。魔道コンロの故障というより、これは――」


 ぐっと眉間にシワを寄せて考え込む伊勢崎さん。その隣で俺はソワソワしていた。


「よくわかんないけど、俺も一度試してみていいかな?」


「え、ええ。どうぞおじさま」


 魔道コンロだなんて、ちょっとワクワクするよね。俺は伊勢崎さんに代わってコンロ前に陣取ると、赤い宝石に触れた。


 柔らかい石をめぐって争いを繰り広げる名作マンガなんかもあった気がするけど、これは普通に固い石の感触。ここに魔力を流すワケだ。


 魔力というのはたぶんアレだろう。瀕死の重傷から回復したときにぐるぐると身体の中を回っていたあの力。


 今も意識を集中すれば、アレが身体に渦巻いているのを感じ取ることができる。そいつを指先から放出すればいいわけだ。……よし、やるぞ。


「むうんっ!!」


 俺は気合と共に、魔力を宝石に流した。すると――


 ボウッッ!!


「うわっ!?」


 まるでアルコールで火をつけるフランベをしたかのような、大きな火柱が一瞬で立ち昇った。


「おじさまっ! 魔力を入れすぎですわ! 抑えて、抑えて!」


「わ、わかった!」


 言われたとおり流し込む魔力を抑える。すると火はすぐに弱くなった。俺はドッと流れた額の汗を拭いながら魔道コンロから一歩後ずさる。


「あー……。ビックリした」


「わ、私もです。本来、ツマミを回さないと火は出ない仕組みなのですけど……あら、ツマミが回ったままですわね。エミールおばさん、相変わらず雑なんだから……」


 懐かしそうに口元に笑みを浮かべる伊勢崎さん。そして彼女はツマミを一旦切り、火を完全に消した。そしてそれから再び回す。


 伊勢崎さんが動かすツマミの強弱に合わせ、火が大きくなったり小さくなったりしている。その辺はガスコンロと同じ仕組みのようだ。


「魔力が貯まりましたので、これで使えますわ。それにしても……たとえツマミが回っていたとはいえ、普通はあのような火柱が立たないのですが……。もしかしたらおじさま、魔法の才能がおありなのかもしれませんわね」


「え? そうなの? だとしたらちょっと嬉しいな」


 やはり異世界に来たからには魔法を使ってみたいからね。なんだかんだで魔法はロマンだ。


「ふふっ、それではお料理をしながら魔法の話でもしましょうか」


 俺のニヤけた顔が面白かったのか、伊勢崎さんは微笑みながら、パックに入っていた半額ステーキ二枚をフライパンの中に入れる。


 すぐに半額とは思えないステーキのいい匂いが漂ってきて、俺の腹はぐうと音を立てたのだった。

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