3)令和4年12月31日

 私が住んでいるのは賃貸のアパートで、単身向けの間取り。そして実際私ひとりしか住んでいないから掃除なんか簡単なもので、今日一日で十分終わってしまう。というか実際は大掃除なんかほぼする気もないのだけど、私は昨日、それを口実に帰宅した。

 姉の家は居心地が悪いわけじゃないし、甥っ子姪っ子もかわいい。姉の旦那さんもいい人で、年末年始はうちで過ごせばと言ってくれたのだけど、でもやっぱり他人の家なのだ。母もいて、他に家はなくて、となるとあそこがきっと今の、私の「実家」なんだけど。


 オンラインの友だちと年越しで見る配信をどれにするかメッセージで打ち合わせながら、私はスーパーに買い物に出た。ここは元日だけ休みをとるようで、出入り口にはそれを告知する大きな張り紙が出されていた。スマホを片手に持ったままその張り紙を見て、それからもう一度スマホに目を落とす。通知が来ている。私は周りを見渡し、出入りする人の邪魔にならないところに避けてから、アプリを開いて返事を書いた。

 私が下を向いている間も、目の前の人通りは絶えない。私はスマホをしまうと顔を上げ、両手をこすり合わせながら店内に入った。

 

 店内には、注連飾りとか鏡餅とかのお正月用品の特設コーナーが作られ、食品売り場もいつもとは置いているものが違う。お客さんも、ひとりの人はいつもよりずっと少ない。私は食材には目もくれず、まずスナック菓子の棚に向かった。やっぱりポテトチップスがないと盛り上がらないので。このエリアはお客さんの数はいつもと同じくらいだ。

 それからお寿司売り場に行く。その途中で洋生菓子の冷蔵棚の前も通ったから、シュークリームを二つ取った。お寿司売り場は人が多くて、売っているお寿司もいつもの一人前のは種類が全然なく、大人数向けのやつばっかりだった。私はお寿司を諦め、適当なお惣菜を選んだ。ポテトサラダのパックに「迎春」と書かれたシールが貼られている。ポテトサラダと正月とに何の関係があるのか、よく考えたら意味不明だけど、この意味不明さは実はそんなに嫌いじゃない。みんな浮き足立って、細かいことは気にしなくなってる感じ。私は春雨のサラダと唐揚げもかごに入れた。もちろんその二つも、迎春。


 家に帰ったらご飯を炊いて、と考えながらレジに向かう。途中で缶ビールを一本だけかごに入れて、コーヒーの棚の前を通った。買わないくせに、あの銘柄のがちゃんとあるのを今日も確認してしまった。大丈夫。

 お会計もすごく並んだ。


 帰り道、あのコーヒースタンドのあとにできたカフェの前を通った。昨日からもうお休みだったようだ。扉に、手のひらより少し大きいくらいのサイズの輪っかになったかわいい注連飾りが取り付けられ、その下には「年明けの営業は6日から」と貼り出されている。

 ガラスの向こうにコーヒーマシンが見える。以前、大神先生の背景になっていたものだ。今はちゃんと役目を果たしているみたい。私は足を止め、お店の中を覗いた。床も壁も張り直されて、もうあの事務所は面影もなかった。

 多分今は誰も、ここではインスタントコーヒーなんか飲まない。私は右手に提げていたエコバッグを両手で持ち直すと中を覗き、シュークリームが二つ鎮座しているのを確認して、歩き出した。


〈 了 〉

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ダサい名前の税理士事務所のコーヒースタンドの元店主の話 藤井 環 @1_7_8

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