第16話 一緒に

 ——翌日。


「んぅ……」


 カーテンの隙間から差し込む朝日に顔をしかめながら、アタシはゆっくりベッドから降りた。

 あの日……小金井との一件からやたらと目覚めがいい。

 思い当たる原因は一つ。


 アタシ——緋川理佐から、自分を縛り付けていた過去が払拭されたから。


 正直言って、高校生の頃の記憶は思い出したくもない。

 それぐらい地獄のような日々だった。

 男子も女子も関係ない。あの学校にいた人は等しくアタシの敵だった。

 たぶん、それが良くなかったんだと思う。

 高校を卒業して大学に進学した後も、無自覚にその考えが佐々木にも詩織にも壁を作っていたんだ。

 じゃなきゃ、一人で抱え込むようなバカはしなかった。

 そんな人間不信も今回の件で終わらせることが出来たんだけどね。


 ——あんま一人でなんとかしようとするなよ?


 今考えれば、佐々木はアタシのことを見透かしていたのかも。

 無自覚に作っていた壁。あの時のアタシにそれを伝えたって意味はない。

 むしろ自分の気持ちを疑われているようでもっと意固地になった可能性がある。


「っていうか、今何時……」


 アタシは枕元に置かれていたスマホで時間を確認する。


「やばっ! 時間ないじゃん!」


 急いで洗面所に駆け込んで、寝癖だらけの髪を櫛で整える。

 今日はアタシにとって勝負の日。

 小金井の件で助けてくれた感謝を込めて、佐々木の家で手料理を振る舞うことになっているのだ。

 本当はフレンチか何かを奢るつもりだったけど、必要以上の外出を控えているアタシに気を遣ってくれたんだろう。

 洗顔やメイクなど諸々を済ませ、クローゼットを開けてお気に入りの服たちを引っ張り出す。

 一気に下着姿になったアタシは、コーデを考えながら鏡の前で服を当てる。


「佐々木のこと好きになる前のアタシが、今のアタシを見たら驚くんだろうな……」


 男子のためにメイクを研究して、服を選んで、料理を勉強する……

 人ってここまで変わるものなんだな。

 でも仕方ないよね。相手は佐々木だし。

 高校からずっと好きだったのに、あんな風に助けられたらもっと好きになって当然でしょ?


 ——もし必要なら、俺は緋川だって助けてみせるぞ?


 前に佐々木の家に行ったときに言われた言葉。

 あの時は冗談で言われたけど、それが本当になっちゃったわけだ。

 本当にとんでもない人を好きなっちゃった。

 

「でも佐々木って、女子にそこそこ人気あるんだよね……」


 まず第一印象。顔がいい。

 合コンのときに前髪を上げてきた時は、不覚にも怒りを忘れて見惚れてしまった。

 でも人気度で言ったら高校の方がヤバかったんだよね。

 大学で人気が落ち着いたのは、たぶん家庭教師の件で女子と関わることがなくなったから。

 高校は女子との絡みが多い分ガチ恋が多くてうざかったけど、大学はどっちかというとミーハー的な連中が多い。

 不謹慎だけど、余計な恋敵ライバルがいないことだけは助かってる。


「ンー……ちょっと露出あるけど、今の佐々木なら大丈夫かな」


 黒のシアーオフショルブラウスに、白のフレアスカパン。

 袖に腕を通そうとして、すぐに思いとどまる。

 さすがにない、よね……そう思いながら、アタシは下着を付け替えるところから着替えを始めた。




 佐々木は自室で寝転がりながら天井を見上げていた。

 試験は終わって、大学は夏休み。つまり緋川と若月と接するようになって一ヶ月が経った。

 この一ヶ月で、自分は変われただろうか。

 いや、やめよう。いくら考えても答えは同じ……否だ。

 情けないことこの上ない。


——ピーンポーン


 インターホンの鳴る音に、佐々木は勢いよく起き上がった。

 佐々木は一度深呼吸をして、意を決してモニターから外を確認すると、やはりそこには予想通りの人物が立っていた。

 

(やっぱり……)


 佐々木が息を一つ吐く。

 特徴的な赤茶げた髪。トレードマークの黒マスク。目元だけで分かる端正な顔。そこには今回は「また明日」と告げていない緋川が立っていた。

 待たせるわけにもいかず、鍵を開けて、玄関の扉を開ける。


「来たよ、佐々木」

「かなり強引な約束だったけどな」

「ごめん。お邪魔します」


 いつかと全く同じやり取りをして、緋川を家に上げる。

 だが、今回は何をしに来たのか分かっている。

 緋川お礼をしに来たのだ。その証拠が緋川が持っている買い物袋にたんまり入った食材の数々。

 元々佐々木は「お礼はいらない」って言っていたが、「それじゃアタシの気が済まない」と言って緋川が今回の約束を半ば無理やり取り付けたのだ。


(でも……前と同じ、か)


 緋川は食材を冷蔵庫にしまって、リビングに移動して長座椅子を眺めた。

 前はここで、いろいろ大胆なことしたんだよね……名目上はラインの確認ではあったんだけど。

 思い出すと、顔だけじゃなく身体ごと熱くなった。


「おーい、緋川?」

「ふえっ!? な、なに?」

「飲み物なんにする? お茶とジュースあるけど」

「あ、じゃあ……お茶で」


 いつの間にかキッチンに移動していたらしい。

 佐々木がコップに飲み物を注ぐと、それを緋川の正面の机に置いた。


「緊張してんの?」

「え……?」

「なんかいつもと違ぇし……まだ不安があるんなら、手料理は違う日にした方がいいと思うけど」


 佐々木が気にしているのは緋川の精神状態。

 今は安定しているとはいえ、男の家に一人で上がっているんだ。同年代の一般女性でさえ警戒するこの状況。緋川の精神が敏感に反応しても仕方がない。


「ありがとう佐々木。でも大丈夫。アタシ全然元気だから」


 そう言っても、佐々木の表情は怪訝なまま。

 なら——


「聞いて佐々木。アタシね、佐々木のおかげで元気になれたし、本当の意味で昔の自分から変われたの。だから、佐々木のこと怖がるどころか、前よりもっと好きになったの。黙っちゃってたのは、いい意味で少し緊張してただけだから心配しないで?」


 安心させるように笑顔を佐々木へ向ける緋川。

 今ほど、自分の口下手さを呪ったことはない。

 誰かにずっと壁を作ってきた弊害。

 緋川には、圧倒的に言葉の経験値が不足している。


「そっか……ならよかった」


 佐々木は全てを察したように苦笑いをした。

 最初から思っていた。緋川は不器用すぎると。より正確に言えば、人付き合いが下手だ。が、別にそこはもういい。

 不幸中の幸いか、小金井の一件で壁は解消された。これからは若月が中心になって、いろんな人との交流が増えるはずだ。

 まぁ、男子の対応は変わらないだろうから、「櫻大の氷の女神」はこれからも健在だろう。

 緋川に苦手があることも弱い部分があることも悪いことじゃない。だが今回のように何も言ってくれないのは、佐々木達にとっても心苦しい。全てを曝け出せとは言わない……が、小金井とのようなことは心臓に悪い。

 あの時……もし間に合わなかったらって……そんな想像ばかりしてた。


(まぁ、もう掘り返すつもりはねぇけど)


 緋川はもう反省をして、前を見てる。

 なら、自分はそれを支えるだけ。

 けど、これだけは言っておきたい。


「前も言ったけど……」


 佐々木はそう前置きして、緋川と向き合う。


「もう一人で抱え込むのはやめろ」

「——っ」


 真っ直ぐ、佐々木の目に射抜かれる緋川。


(あぁ……ダメだなアタシ……佐々木にこんな顔させて……)


 なんで、一人でだって生きていけるって思い上がってたんだろう。

 他人にできて、自分にできないことなんて沢山あるのに。

 でも、その逆も然り。

 だから人は、互いを補い合うように生きている。

 この年になって、ようやくそれが理解できた気がする。


(でも、佐々木がそんな風にアタシを思ってくれて、嬉しく感じている自分もいて——だって、好きな人に大切にされて喜ばない人なんていないじゃん)

 

怒られそうだから今は絶対言わないけど。


「ごめん。今回の一件で思い知った……だから! これからは目一杯甘えることにする!」


 緋川は思い切って佐々木の胸にダイブした。


「おい!」


 佐々木が驚いたように緋川を受け止める。

 けど緋川は何食わぬ顔で、佐々木の胸にスリスリと頬ずりした。

 まるで犬か猫が甘えるように。

 

 ——普段は表情を全く崩さず、男子とろくに喋らない理佐が、自分にだけは等身大の感情を見せてくれる……特別感ない?


 ふと、いつかの若月の言葉が脳裏に浮かんだ。

 すると途端に、気恥ずかしいような、背中をむずむずした感触が駆け上った。


「やっぱダメだねアタシ……怒られてたはずなのに、佐々木と一緒にいるとノボせあがっちゃう」

「緋川がただ甘えてくるのは初めてだな」

「ダメ……?」

「いや、全然。むしろ嬉しいよ」


 一人で抱えこまれるよりずっとましだ。



「佐々木……そのまま聞いて」


そう言った緋川だったが、本当に言うべきか、悩んでいるように口をつぐんだ。

気にはなったが、佐々木は緋川の方は見なかった。

やがて、しばしの沈黙の後……緋川が口を開く。


「アタシは嬉しいよ? 佐々木がアタシの告白を踏み台にしてくれたこと」

「え……?」


 なんでそれを知って……そこまで思って、やめた。

 話したのは一人田中だけだ。


「だってそれって、佐々木が前に進もうと思ったきっかけはアタシってことでしょ?」

「そうとも言うな……けど情けない話、俺は前にも進めてないんだ……」

「そんなことない!」


 緋川に声を張り上げて否定されて、佐々木は思わず瞠目した。


「あー、まぁそう言ってくれて嬉しいよ」

「なにそれ。信じてないでしょ?」


 ジト目を向ける緋川。

 至近距離で睨まれて、佐々木は逃げるようにふいっと視線を横に逃した。


「佐々木。アタシの背中に手回して」

「え? でも」

「早くして」

「はい」


 さすが「氷の女神」

 突然ブリザードが発生したと錯覚するほどの冷めた視線を向けてくるとは。

 佐々木は大人しく緋川の背中に手を回す。

 だが緋川は佐々木の胸の中にいる。背中に腕を回せば、自然と緋川を抱きしめているような形になり—— 


「ほら、進んでる」

「あっ……」

 

 そうだ。

 以前のライン確認では、ハグはNGだった。


「でもなんで……」

「分かんないけど……アタシと佐々木の仲が深まったってことなんじゃない?」

「意外と的を射ているかもな」


 でもそっか……俺、前に進めていたのか。


「っていうか、心の病気って治るのにすごい時間がかかるし、たった一ヶ月で成果を出すのって厳しいと思うんだけど」

「まぁ、言われてみればそうだな」

「焦んなくても大丈夫だよ佐々木。言ったでしょ? 佐々木のこと支えたいって。途中で投げ出すなんてしないから」

「んじゃ、俺も緋川のことを支えねぇとな」

「え……?」

「今回の件で俺も思い知ったんだ。支えられるだけじゃダメだ……俺も支えなきゃいけないんだって。そうじゃないと、対等な友達じゃねぇ」

「……っ」


 目頭が熱くなる。


「緋川……?」

「待って……やばい……」


 ずっと憧れていたんだ。

 友達でも恋人でもなんでもいい。

 心の底から笑って、泣いて、怒って、大切にされたかった。

 そしてアタシも……誰かを大切にしたかった。

 でも、誰もアタシのことなんて見てくれなくて……


「うぅっ……」


 潰し切れない嗚咽が漏れる。

 このまま泣いたら佐々木の服を汚しちゃう。

 そう思っていたのに。


「……大切にする」


 その微かな呟きが耳に届く。

 同時に佐々木の手が優しく髪を梳いて——

 そこで糸が切れた。

 もう涙が止まらなくなったアタシは、佐々木の服に縋りつくようにして泣きじゃくった。

 でも……もう我慢しなくていいんだよね?


 ——やっと見つけた……やっと見つけてくれたんだから。




 あとがき

 まず最初に、ここまで読んでくださり、応援してくださった皆様。本当にありがとうございました。私一人の力では間違いなくここまで続きませんでした。重ねて感謝申し上げます。


 さて、これにて第1章は終了となります。無理やりこじつけた部分もありますが、個人的にはそれなりにまとめられたと思いっています。地の文が一人称や三人称を行き来してしまい、恐らく読みづらいと思った方もいると思います。申し訳ないです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る