第34話 人殺しの四聖星

「ただいまー」


自宅の玄関のドアを開けると同時に焼きたてのアップルパイの香りが鼻腔をくすぐる。

一呼吸しただけでよだれが出てきそうだ。





エレンはカーディガンを脱ぎながら、テーブルの上に置かれた艶のある編み込みが入ったホールのパイをにんまりと笑って眺めた。

「美味しそう…」



ガチャリという戸の音に目を向けると、リビングの向こうの衣吹の部屋から彼が出てきた。


「あ、おかえり。食べたいなら手を洗ってからね」

と洗面所を指差す衣吹。


エレンはその指示に素直に従い、濡れた手をタオルでしっかり拭いたあとに席につく。





衣吹がサクサクと小気味よい音を立てて、ナイフでパイを二切れ切り取る。

編まれたドーム状のきつね色のパイ生地の間からシナモンの香りをまとった角切りりんごが顔を覗かせる。







パイを自分たちの皿によそい、二人でほおばった。


「ん~!やっぱり衣吹の作る料理はどれもすっごく美味しいよ。

パイはサクサク、りんごのシナモン漬けと中のカスタードクリームが相性抜群で最高~!」

とエレンは幸せそうな笑みを浮かべて食べている。






「良かった。そのレシピはお母さんに教わったんだ」と衣吹。



「衣吹と日葵ひまりのお母さん?お菓子作りも上手だったんだね!」

と言ってまた一口食べては頬に手を当ててうっとりするエレン。



「……違うよ、キミのお母さんに、だよ」


と小声で衣吹がぽそりと呟くも、

「ん?何か言った?」

と口の横にクリームをつけて言う彼女の耳には全く入っていないようだった。


「んーん、なんでもないよ」と衣吹はエレンの顔に付いたクリームを取りながら言った。






エレンを拾った時の衣吹はまだ中学生で、歳にしては大人びていた雰囲気だったが、顔は少し幼い感じが残っていた。



八歳の彼女が学校に通い始めた時は、彼は十六歳の高校生。そして今、エレンは十二歳で衣吹は二十歳。彼はもう大人である。



声はより低くなり、でも甘い優しさをまとわせていて、そんな彼に顔を触れられると思春期のエレンは微かに頬を赤らめてしまう。薄茶ミルクティー色が揺れる髪はあの頃から変わらない。



────私は義理の妹、衣吹にときめいたら亡くなった日葵ちゃんに失礼だわ。



エレンはふるふると首を横に振って、邪心を頭から追い出す。








「あっ、そうだ、衣吹に聞きたいことがあって」


パイを食べ終わった彼女が思い出したように手をパチンと合わせる。

エレンは姉から貰ったネックレスに連れられてとある通りに建った洋館に辿り着いたこと、そこに住んでいた人を知りたいことを彼に言った。




「あー…その家は前の四聖星シエルの一人が住んでいた所だろうね。

エレンが第50代のシエルだからその人は第49代。

二百五十年前から続く四聖星の長い歴史の中で初めてその女性がシエルになった。

当時は『女のくせに』って周りにずっと疎まれていたみたい。その人もエレンと同じでバトルで一位だったからこの都市の守り神だった」


と衣吹はくうを見つめて言った。





「その人は今どうしてあの家に居ないの?」

エレンはピンクがかった炭色の瞳を衣吹に向けて問う。


衣吹が閉ざされた口を重く開けて話す。



「五年前、四十九代の四聖星を決めるエスペランスバトルが行われて、一年もしないうちにとある原因不明の病気が国全体に拡がった。かかると苦しみながら死に至る。

その病気にこの国の王もかかって亡くなってしまった。

そしてあろうことかその人が犯人扱いされてしまったんだ。

毎日毎日その人の家の周りに大勢の街人が集まって石や罵詈雑言を外からぶつけた。

『人殺し』ってね」






「酷い、その人が流行らせたって証拠でもあるの?」とエレン。



「そんなものはない。けれど、力が強すぎる者は恐れられる。

皆、その人が大きな魔力で自分の悪口を言う人々をらしめたんだと、そう信じて疑わなかった。


その人の家族もあの館に住んでいたけれど、女性の生家も名の知れた貴族でね、街に貢献するような良い人たちだったんだけどね。

……家がほかより豪華なのはその理由からだよ。

そして満足に外に出られず、その一家もついにその謎の病気に罹って亡くなった。


前までその一家を慕っていた周辺の家々も、不吉だからと家を移し、その通りは次第に荒地に変わり果てた」





「そんな……五年前って、私がこの国に来て衣吹に出会って、でもヴィルジール《蛇男》の屋敷から逃げた時のショックが大きすぎて寝込んで、全く外に出ていなかった期間よね。

そんな事があったなんて全く知らなかった……」


と動揺するエレン。




「まあ、その人の名を口にすると呪われるっていう迷信もあるしね、ほとんどの人が良い顔はしないでしょう」

と彼は頬杖をついて、カーテンが揺れる窓際をぼーっと眺めていた。






エレンはその人の末路を聞いて、心に小雨が降っているように悲しくなる一方で、自分と同じ"魔法が強い女性"の為、その人に強く惹かれた。



その人の事を──────その人の名前を、知りたいと思った。




───でも訊いたら良い顔はされないのよね、誰に訊こう……………………あ!





エレンの知り合いの中で、一人だけ、そんなことを気にしなさそうな無神経な人が居ることを思い出した。





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